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2020年2月17日月曜日

映画「音楽」感想 監督:岩井澤健治 ヤンサン好きにはご褒美映画







音楽が好きで、音楽のために生きて、音楽がなければダメ人間になっていた。

今でも十分ダメ人間だけれど、おそらくもっと酷いことになっていた。
(と、遠征で大阪へ向かう新幹線の車中で平日の朝からストロングゼロを呑みながらこれを書いているので、十分にダメ人間である)

音楽のことを話すのが好きだ。
音楽のことを書くのが好きだ。

映画「音楽」が素晴らしいのは、観終わってから居ても立ってもいられなくなるところだろう。

そんな何かに駆られる理由は、どこにあるのだろうか。

※すみません、間に合わず原作は未読です

アニメ映画「音楽」

監督 岩井澤健治
原作 大橋裕之
脚本 岩井澤健治






衝動




実も蓋もないことを言ってしまえば、不良3人たちが思い付きでバンドを結成してフェスに出るだけの映画である。上映時間も71分とかなり短い。

というものの、この映画「音楽」は監督である岩井澤健治が7年もの歳月をかけて4万枚を書き上げた、狂気の71分なのである。

製作過程については、僕の敬愛するニコ生番組「山田玲司のヤングサンデー」で監督自ら語っているので、そちらを見て欲しい。なぜなら、監督が「ヤンサン」の影響を多分に受けているからだ。







これだけは覚えておこう、ロトスコープとは"Take On Me"である。






キャストが凄いとか、間がとか、ジャケットのパロディがというのは他に語ってる人も多いので、割愛させてもらう。

観ている間、主人公の研二が、羨ましくて仕方なかった。
普段その辺を歩いていたら絶対関わりたくないであろうなのに。

作中で研二は感情の赴くままにしか行動しない。
たとえば太田に喧嘩に誘われるが、研二の気分次第で行くか行かないか決まる。物語の要となるバンドもまた、研二がやりたくなっただけだ。

映画「音楽」が愛しくて仕方なくて、多くの人が惹きつけられるのは、キャラクターたちがとても自由だからだ。

詳しくは後述するが、この映画では極端なほど「オトナ」は出てこない。ひと昔前の時代を描いているのもあるが、学校で平気でタバコを吸うし、なんなら教室ひとつを占拠して遊び部屋にさえして誰もそれを咎めない。

これはある種「セカイ系」映画なのだ。

ただその瞬間を生きている人間の人生を切り取った映画なのだ。人はそれを青春と呼ぶ。

もう戻らないものに触れたくて、人は物語を創りだす。物語を観る。

かつて、誰もが一度はなんらかの衝動に駆られたことがあるだろう。その瞬間のマジック、その琴線に触れたくて、僕らは物語を見たいのではないだろうか。

主人公の研二だけでない。この映画が持つ衝動はこの映画を文字通り描き上げた監督の岩井澤健治の想いでもあるという二重構造になっているのだ。

7年間掛けて創り上げた映画「音楽」。特に劇中で音楽が鳴らされた瞬間の映像はどれも圧巻だ。バンド古武術と古美術が互いの演奏を聴かせるシーン、亜矢が部屋で1人唄うシーン、古美術の森田の変化、フェスの一連のシーン。この映画で登場人物が音楽を奏でる瞬間、音楽によって登場人物たちに文字通り命が吹き込まれる

「命が吹き込まれる」というのは大袈裟に誇張した表現ではない。ロトスコープの手法によって撮影され、アニメーションに置き換えられたキャラクターたちが、音楽によって永遠を得る。

そう、彼らは僕らが持っていないものを持っている。
衝動を抑え込んでできた隙間を埋めるのが「オトナ」というものであるならば、「音楽」という映画はその「オトナ」に忘れていた、いや諦めていた衝動をぶち込んでくれるのだ。

だから、「音楽」は泣けるのだ。









オトナの不在




この作品の大きな特徴のひとつが「親や先生が出てこない」ことだ。極端にいえば、その要素を徹底的に排除しているともいえる。

学校でも先生は出てこないし、家のシーンになっても親は出てこない(昼間は不在ということを示しているのかもしれない)。

「オトナの不在感」それで思い出すのが、これである。






映画「桐島、部活やめるってよ」だ。このタイミングで紹介するのは気が引けるが、思い出してしまったものは仕方ない。
「桐島、部活やめるってよ」においても、親は出てこない。それによって学校という舞台が世界そのものであることを示しているからだ。

研二がただ衝動に突き動かされるというキャラクター造形は、何かを押し付けたり抑圧する存在、たとえば親や先生といった「オトナ」の不在によって、より顕著に表現されていてる。

「やりたいという衝動」と「やめたいという衝動」に動かされる研二に対して周りが振り回されるという要素もまた「桐島、部活やめるってよ」にも通ずる。

興味深いのは、監督の岩井澤健治が7年かけて完成させた本作が始まったのは2012年。映画「桐島、部活やめるってよ」は折しもその年の夏に上映されたのだ。
(ちなみに原作も朝井リョウの『桐島、部活やめるってよ』は2009年の小説すばる新人賞で、大橋裕之の『音楽と漫画』も2009年に単行本になっている)


たとえばロックの衝動は「大人への反抗」だ。大人や社会の抑圧への反抗心こそ、ひとつロックの衝動といえるだろう。

映画「音楽」においては、何に反抗しているだろう。それは退屈な繰り返しの日常への反抗ではないか。

「音楽」はとりわけ、毎日に意味を見いだせなくなったオトナのための映画なのだ。



音楽




音楽とはなんなのだろうか。

人はいつから音楽を奏でてきたのだろう。

人類最古の音楽は打楽器だと云われている。何かを叩くことで、リズムが生まれた。それだけでない、ドクンドクンも脈打つ僕らの心臓もまた、ひとつのリズムを生んでいる。つまり、生きることは音楽を奏でることなのだ。

そして最古の菅楽器とされるのは、人の骨を使ったものだと考えられている。その笛の形は、なんとリコーダーの形に似ているという。

音楽に理論はあるけれど、心を動かす最後の部分は理屈ではない。
人が考えうる理論の先に感動はあるのだから。理屈で感動を創れるなら、それはアーティストではなくリサーチャー(研究者)ではないのだろうか。

理屈で説明つくものでならば、人は音楽を奏でなかっただろう。

ロック好きにとって、この映画を観て、この言葉を思い出した人も多いのではないだろうか。


「ただコード弾いてブーンって鳴って、そしたら音楽だ」
~シド・ヴィシャス


研二たちはこの言葉すら越えていく。
なぜなら、彼らはコードすら弾かない(弾けない)のだから。

パンクは形骸化しない。してしまったらそれはスタイルにしか過ぎないからだ。

いや、それは音楽というものがそうなのかもしれない。

表現とは、自由であるべきなのだ。

人によってはノイズに過ぎないかもしれない音楽も、ある人の人生を決定的に変えてしまう。

観るもの、聴くものの価値観を決定的に覆すことこそ、表現なのだ。

そこに対して森田というキャラクターの配置がとても生きてくる。森田はフォークソングとして完成度が十分に高い曲を奏でている。

しかし、自宅にある膨大なCDの数々を見ればわかるように、森田はジャンルを問わず音楽そのものを愛しているキャラクターだ。

だからこそ、森田がその枠組みをぶち壊してステージでエレキギターを掻き鳴らした瞬間に僕らは心を揺さぶられるのである。それが何にも縛られることのない、森田の"表現"であったのだから。


「ロックであるとかないとか言ってるアンタが一番ロックじゃねえんだよ」
~椎名林檎


という言葉のように、カテゴリーに縛られている時点で、ロックはロックではなくない。
(ところで、この椎名林檎の言葉有名だけど出典元が不明だ)

自由こそが心を縛りつけて離さなくなる。

音楽とは、そんな表現なのだ。



ドレスコーズ/ピーター・アイヴァース








最後に、これに触れないわけにはいかないだろう。

主題歌であるドレスコーズの"ピーター・アイヴァース"だ。

配信されてからイヤというほど、いや全くイヤにならないが、聴いていたが、やはりこうした作品は映画館で見てこそ、より輝きを増す。

ドレスコーズの起用も監督の岩井澤健治が「ヤンサン」を見ていたことに起因するという。そんなドレスコーズ志磨遼平が"ピーター・アイヴァース"を制作する上で声をかけたのが、これまた「ヤンサン」でもお馴染みのリンダ&マーヤなのだから興味深い。
(そもそも出だしの音楽からして、「ヤンサン」ではお馴染みのGALAXIEDEAD(デッド)だ)

制作時に「これは名曲だ」と志磨遼平自身も手応えがあったようだが、その反響もまた凄まじかった。志磨遼平自身が相変わらずのエゴサで見ても絶賛の嵐。

「ジャズ」ではスカなどの要素を取り入れて、人類最後を描いた。そんな志磨遼平に対して、やはり根強いファンたちは所謂「ロック」を求めていたのだろう(僕はむしろ自分の音楽を聴く幅が広がるのでどんどん色んなジャンルやってくれるのは歓迎である)。

その反響には少なからず「こんな志磨遼平を待ってた」「こういうのでいいんだよ」という声があった。


いつものうそと これとはちがうから


というフレーズが興味深い。

冒頭に書いたように、主人公の研二は自由に行動している。しかし、このフレーズを当てはめると、実は研二は何も行動はしてなかったのではないかという見え方もできる。そんな研二が自分で決めて起こしたのが、バンド(音楽)を始めること、そして亜矢への最後のあの誘いだけではなかっただろうか。

音楽をやっぱり続けたのは、間違いなく亜矢とのあのやり取りが原因だとすれば、研二の亜矢への想いだけは本物だった。


いつものうそと これとはちがうから


そう思うと、研二が愛おしくて仕方ない。

今年のベストに間違いなく入る名曲である。






ただ一つ、この作品で悪い意味で泣きたくなる箇所がある。
それが、リコーダーを取り出す直前に、研二がベースを地面に叩きつけるシーンだ。

楽器を壊すというのもまた、伝統の一種といえる。個人的には楽器が好きなので好きではないが、それがステージで衝動的にやってしまうことなら、一応まだ理解できる。しかし、あのタイミングで壊されるベースを観ていて、辛い気持ちになった自分がいる。

それが衝動的な行動をしてしまう主人公といえばそれだけなのだが、そこまでやる必然性は、やはりあるのかなと思ってしまうのだ。

というかバンドを結成するキッカケとなったベースはあれだし、色々いいのかということは言うまでもないだろう。

そんなで、思う部分もあるが、それても間違いなく今観るべき一本であったことは間違いない。



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