The Show Must Go On
ハルカトミユキのツアー「Triad」を見届けた。
今回僕はハルカトミユキでは初めて大阪へ遠征をした。
1月の東京公演が仕事の都合で厳しかったためだ。
大阪はモバイル会員限定のイベントライヴが連日だったので、遠征することに決めた。
結果的に、とても貴重で有意義な2日間となった。
※TOP画はオフィシャルTwitterより引用
— ハルカトミユキofficial STAFF (@harukatomiyukiO) February 17, 2020
Triad
今回の東京、大阪公演の「Triad」はハルカトミユキ+ドラマーの3人編成のライヴというコンセプトだ。
ハルカトミユキのライヴは大きく分けて、ギター・ベース・ドラムのサポートを加えた5人のバンド編成、ハルカトミユキ2人だけのアコースティック編成に分かれている。
それぞれの良さがあって、甲乙つけるようなのではなく、ハルカトミユキの楽曲を様々な面から堪能できるファンには嬉しい構成だ。それに新たに今回のTriad編成が加わった。
最もミニマムなバンド表現というコンセプトらしく、バンドでも2人だけでもない、また新しいハルカトミユキの表現がそこにあった。
ドラムだけ加わるというのが面白いなと思えて。けれど、2人だけのライヴでも時折ビートを用いたりしていたので、リズムはやはり一つ要にもなる。
その要となるサポートドラマーとして召集されたのが、なんとavengers in sci-fiのドラマーである長谷川正法である。
僕は日本のMUSEはavengers in sci-fiだと言い切りたいほど、日本でも指折りの変態性を持つロックバンドである。
ジョン・フルシアンテ並に大量に繋いだエフェクターから繰り出されるスペーシーなサウンドと、実はしっかり骨太のロックを継承した音楽性は、日本でも稀有な存在である。
↑これを人力でやってる頭のぶっとんだ人たち
そんな"アベンズ"のリズムを支えるツケ麺好きのドラマーが、長谷川正法なのである。ちなみに僕は先生と以前某フェスで、出番が終わって客席をフラフラしてるところを捕まえて写真を撮ってもらったことがある唯一のアーティストである。その節はありがとうございました。
あとタワレコ新宿のアベンズファンの店員のお姉さんがCD買った時、話してくれてめちゃくちゃ可愛かったという稀有な体験をさせてくれたバンドだ(何よりアベンズファンは貴重な存在なのである)。
兎に角、あまりに想像だにしてなかった組み合わせなので、発表された段階で何が起こっているのかわからなかった。
そして嬉しくもあり、恐ろしかった。ハルカトミユキはまだ新しい表現を模索し続けているのだと。
ハルカトミユキは2019年11月にベストアルバムツアーの最後に2人のライヴ「7 DOORS」を行った。それは終着点などではなく、過去と未来を結ぶ現在地を見せてくれた、集大成であり、新たなスタートとなった。
だからこそ、その一歩にまた新しい挑戦を選んだハルカトミユキへの畏敬の念を禁じ得ないのだ。
前置きが長くなったが、ライヴ本編の話題に移ろう。
もちろん本編についても長いのでご安心いただきたい。
本編①
大阪に行って普通のライヴ前とは違う緊張感があった。それは無事に会場に辿り着けるかということもあったが、何が起こるのかわからず、楽しみで仕方なかったからだ。
僕にしては珍しくちゃんと迷わず会場に着き、入場へ。整理番号も良かったので、そこそこ前へ。待っている間、SEでMUSEの"Supernadsive Black Hole"が掛かって、テンションがほぼ最高潮になった。
定刻を少し押してBGMが大きくなり、3人が板付き、ライヴは"17才"で始まった。
なんとなくだが、ライヴ終盤で聴くイメージがあるが、元々がアニメ「色づく世界の明日から」のオープニングナンバーなので、この始まりはとても相応しいとさえ思える。
爽やかだけれど、それだけではない。前日モバイル会員向けのイベントでも「魔法、女子高生、色が見えない、青春とか入れてしまうと、とにかくキラキラした曲になってしまうし、それならハルカトミユキでやる必要はない」と言ってハルカトミユキ"らしい"歌詞を通したというエピソードがあった。
たとえば今日までの僕が壊された夜
誰にも愛されていないと感じた夜
「暗すぎる」と指摘されたオープニングの歌詞だけれど、エピソードを踏まえて聴くと、もうひとつの側面があるのではと思える。それは今までの自分をスクラップ&ビルドして、再構築するということだ。
何かが壊れた夜から、また何かを新たに形づくる。そこには、全く新しい自分が待っている。こうした挑戦で表現を新たに模索するハルカトミユキにとって、こんなに相応しいオープニングはない。
何より、ライヴで聴くたびに"17才"はどんどん大きな翼になって飛んでいくようである。
バスドラのビートから"インスタントラブ"へ。元から好きだったけれど、これもライヴで聴くたびにより好きになっていく。その理由にこの日気づいた。おそらく、これを唄うハルカがとても笑顔なことが多くて、それが余計に皮肉っぽい曲のテーマと合ってるから相乗効果になってるんだと思う。
"プラスチック・メトロ"。前日の会員限定イベントでミユキが「自分たちの曲はなかなか客観的に聴けないけど、これはシャッフルで流れても聴いてしまう」と言っていたのが印象に残っている。
ポエトリーなフレーズ部分はメロディがない分、ドラムのビートがより際立つ。
1曲目から感じていたが、"先生"のドラムがあまりにも強烈だ。ライヴハウスで近いということもあるが、それにしても、今までavengers in sci-fiで体感したことのないほど、一打一打のドラムが全身を震わせる。
おそらくハルカトミユキからは「遠慮なく」という話があったのではないだろうか。ドラムはバンドの礎となる存在だが、縁の下の力持ちよろしく、なかなか前線には出ない。特にサポートメンバーとして演奏するならば尚更だ。
しかし今回はドラムもまたサポートの域を越え、ハルカトミユキの2人に負けないほど存在感を見せていた。
続く"わらべうた"でもドシンと重いサウンドが身体に響く。そう、バスドラがかなり効いているので、ベースが不在とは思えないほど、リズム隊の音が力強いのだ。
※もちろんシーケンスとしてベースも鳴っている
それが最も顕著に表れていたのが、次の"Pain"だ。イントロ一発目のドラムの強さがそのまま曲の力強さになっていると言っても過言ではない。
"17才"においては色が世界を広げていくという展開になるけれど、"Pain"では色付いてしまった心が描かれる。
さらにハルカトミユキの楽曲において「肯定」がひとつのテーマだけど、ここでは自己防衛としての肯定だ。
では逆の目線で見るとどうだろう。"Pain"は過去を引きずってしまう心、色付いてしまった心が唄われる。それが"17才"のような未来へ向かうことにおいては、全て新たな色を生み出すための絵の具になるという希望にも変わることができる。つまり、相反するでなく表裏として見る角度を変えれば、世界は変わるというメッセージにも見えるのだ。
穏やかな昼間の差し込んだ日差しに
頭の片隅で憎しみばかり育つ
"ナイフ"を唄い出した瞬間に、堪らず叫びそうになった。
大好きだけど、なかなかやらない楽曲だ(ちょうど行けなかったライヴでやって発狂しかけた)
なので、前日のモバイル会員限定イベントでリクエストしたいと思っていたけど、残念ながら当たらなかった。
今では本当に当たらなくて良かったと思う。リクエストの貴重な枠が他の方に回って良かった。こうして翌日聴けるのがわかった上での結果論ではあるけれど。
自分がライヴで聴くのはかなり久しぶりだと思う。
最後に聴いたのもちょっと思い出せないくらい。
向き合うべきものからナイフをそらして
代わりのおもちゃに向ける
2013年発表の楽曲だけど、悲しいほど今にも通じる。
Twitterなど見るたびに、何が正義なのだろうと自問自答する。主義主張、その手段と目的、全てが歪に混ざりあい、毎日何かが何かを刺していて、決して痛みはなくなることはない。
それでも、僕らは歩いていくしかない。全てを抱えて。
浮遊感に吸い込まれそうになるイントロから"Vanilla"へ。
ここまでの流れで、ドラムという楽器がこれほどまでに唄うのか思わされる。特に"Vanilla"で本来ならギターソロが入る箇所で、長谷川正法のドラムがリズムを叩きながらもメロディを感じさせて、ドラムという楽器がこれほどに表情豊かなのだと教えられた。
「狂えない」ともがく様は、今の目線でとても映画の「ジョーカー」的だなと思う。というか、本当に「ジョーカー」にピッタリではないか。
もしそこに「許し」が、「赦し」があったなら、僕らは変われただろうか。過去を追いかけるほど、未来は容赦なく、当たり前のようにやってくる。
本編②
"先生"が一端、裏にはけてハルカとミユキ2人だけのステージ。
会場となったライヴハウス「LIVE SQUARE 2nd LINE」の特徴なんだけど、ここは線路の高架下にある。なので、電車が通ると、結構会場にそれが強く響く。MCの時が特に「電車の音が、凄い」とリアクションしてしまうほど。
それが邪魔ということでなく、上手くは言えないけれどそれが特有の"味"になっていて、ここでしか鳴らせない音楽となっていた。おそらく電車が程よくライヴという夢の空間に現実味を持たせてくれるのだと思う。
そんな電車の音が鳴くなか、MC。
ハルカ:昨日、リクエストをもらってその場で演奏するということをやったんですけど、応えることができなかった曲があって、必ず明日やるからと約束していた曲をやりたいと思います。
アルバム「LOVELESS/ARTLESS」に収録された"you"はライヴでもほとんどやっていない曲だ。リクエストした方がこの公演にも来るということで、明日やると約束がされたのだ。
リクエストに応えられなくて、申し訳なかったと2人は言うけれど、結果的にそのおかけであまりやらない"you"をフルで聴けたという側面もある(イベントではリクエストに多く応えるためにワンコーラスだけ唄っていた)。それは、
I ひとりきりで
生きてゆかずにどうか思い出して
というフレーズが"ナイフ"の、
見れなくなった それでも歩いた
たった一つの約束だから
なかったことになってく全ての
悲しみを抱えてゆく
へのアンサーに見えたからだ。
東京公演ではこの2人だけの場面では"グッドモーニング、グッドナイト"と"赤くぬれ"だったとのこと。おそらく何もなければそのままだっただろう。結果的に大阪公演では、より前へ気持ちが向かうような流れになったのが興味深い。
最近「計画的偶発性理論」というのを知って。キャリア理論で「キャリアの8割は偶発的な要素によって決まる」という意味合いなのだけど、要するに意図していなかったことが偶発的に作用するという、こじつけ解釈が大好きな僕のような人間にとってあまりに素晴らしい理論である。
けれどミュージシャンにとって、意図していなかったことが連鎖的に繋がっていくというのは、表現に誠実だから生み出される偶発的というよりも、必然性が高かった結果ではないかと思う。
なので、このブログを読んで「そんな訳ねーだろ」と思ってもそれは「計画的偶発性理論」の仕業と思って欲しい。そんな妖怪みたいな存在でいいのか。
ハルカ:実はもう1曲リクエストでやったんだけど、上手くいかなかった曲があって、そちらも改めてやりたいと思います。吉田拓郎の"流星"という曲なんですけど、「M-1 アナザーストーリー」ですごく良いところで流してもらって。この曲をカバーしたのはもう5年くらい前で、動画をあげて、後から配信もしたんですが。自分でも色々あって辛かった時期にカバーしたのを覚えてます。
イベントでは「吉田拓郎(コードが)ややこしいぞ」と怒り笑いながらコードを辿る姿がとても印象的で、会員限定イベントならではのムードを楽しめた。
しかし、やはり音楽に対して誠実な2人であった。昨日のムードを一変させ、引き込まれる唄と演奏を見せた。
たとえば僕がまちがっていても
正直だった 悲しさがあるから…
フォークソングは日常を、日々を描く。
後述するが、そこに音楽の力は潜んでいるのだと思う。
そして、この曲の主人公が、僕はハルカトミユキの"種を蒔く人"の心境に通ずるのではないかと思えた。「永遠に今日を探して」という歌詞にもあるように、主人公が探していくのはたしかな今だ。
"流星"では「たしかな事など 何も無く」というフレーズがあり、何度も「君の欲しいものは何ですか」と問い掛けられる。しかし最後に、欲しかったものは「僕の欲しかったものは何ですか」という問い掛けで終わる。
未来が過去に変わる時、そこに今がある。
"流星"の主人公も、"種を蒔く人"の主人公も、探していたものは、すでに胸のなかに宿っている。
ならば「流れる星は かすかに消える/思い出なんか 残さないで」という"流星"の言葉に対して、"種を蒔く人"の「そっと落としていった最後の祈りを/次の誰かがすくって捧げる」というフレーズは、まるで"流星"へのアンサーにも見える。
"流星"は前日を受けて突発的にセットリスト入りしたし、"種を蒔く人"は今回はやってないので、考察も何もないのだが、「計画的偶発性理論」ということで勘弁願いたい。
ハルカ:今日はせっかく3人でTriadとしてやっているので、また3人でやりたいと思います。avengers in sci-fiより長谷川正法!
先生:昨日もイベントに少しだけ出させてもらって
ハルカ:イベントでクイズをやって、そこで「Triadのドラムの長谷川正法の愛称は"仙人"である」というクイズを出したんですよね。正解は「×」で正解は"先生"だったと。けど、学校の先生とかそういうのではないんですよね
先生:昔はもっとロン毛の黒髪で後ろで縛っていたくらいだったんで、書道家の先生みたいだったんで"先生"と
ハルカ:初めてなので、紹介のために話してもらいました
先生:要望があればいつでも書道家のくだりは話しますよ
ハルカ:そんな"先生"と。一番新しい、ミュージックビデオができた曲を。
"扉の向こうで"は2019年11月に行われた「7 DOORS」で幕間に音源として流れた。中盤と最後に2回流れて、とても強い印象を残した曲であった。それから配信されたビデオも見返し、あることもあり早く生で聴きたいと願っていた。それが叶ったのだ。
そのあることというのも前日のイベントである。研究と称して、"扉の向こうで"が完成するまでの過程を聴かせてくれたのだ。ミユキの最初に創ったデモ、それをハルカが直したもの、そしてプロデューサーが手を入れたもの。
生まれた音楽が形を成していくその過程に僕は感動し、"扉の向こうで"という楽曲が、より愛おしくなったのだ。
"扉の向こうで"というタイトルが、とても秀逸だと思う。たとえば、"扉の向こうへ"だったとしてら、前向きだけれど、それ以上にはいかない。しかし"扉の向こうで"となると、幾つもの意味に解釈ができる。
たとえば歌詞にあるような「誰かが叫んだ」場所、仮にそこに留まったとしても、そこには確かに呼び掛ける声が聴こえる。或いは「僕らは先へ行こうよ」という歌詞が示す、目指す場所。
どちらが見せる姿も、ハルカトミユキが唄い続けてきたそのものではないか。呼ぶ声は音楽そのもので、僕らは部屋でも、ライヴ会場でも、その呼ぶ声を聴ける。そして、"17才"における窓のように、そこを抜けたならきっと何かが待っている。
本編③
ここから終盤にかけて、ライヴは一気に加速する。
"二十歳の僕らは澄みきっていた"の衝動でそれは始まった。
レンタルのパンクロックには
魔法がかかっていたはずなのに
このライヴを見る少し前、僕は「音楽」という映画を見た。それは不良3人組が思いつきでバンドを始める、ただそれだけの話。しかし、多くの者の心を打ち、たった3館で公開された映画は3週間で動員1万人を超えた。今後も公開館が広がっていくという。
そこで鳴らされ音楽。それはSex Pistolsでさえまともに見えてしまうくらいはハチャメチャだ。それなのに、観終わってその音楽に打ちのめされた自分がいた。
理屈にならないものを表現するのが音楽だ。理屈の先にあるものが、音楽の持つ魔法なのだ。"17才"に出てくるような、「ハリーポッター」に出てくるような魔法は、この世にはない。けれど、音楽という魔法は、いつだって僕らの生活の中にあるではないか。
"トーキョー・ユートピア"へ。久しぶり。
珍しく歌詞が少し飛んだのが興味深いなと思った。「しまった」という表情が出てて、申し訳なく思いつつ笑ってしまった※。
※某ポルノグラフィティで歌詞が飛んだり、間違えるのに馴れているので、他のアーティストもやるとより微笑ましく見えてしまう
初めてちゃんと大阪を巡って、かなり都会的な側面もありながら、どこ行っても店員の方がとても親切で、どこも居心地が良かった。
ある種ここで唄われる「トーキョー」の感覚と、やはり少し違った都会感を味わえたので、この歌詞が持つ焦燥感を対比的に感じることができた。
そのまま"ニュートンの林檎"、と思いきやイントロで演奏ストップ。「おいおいおい!一人でやってたよ」とハルカ。どうやらギターがミュートになってたらしい。
先ほどの珍しい歌詞飛びといい、大阪で見るハルカトミユキは東京では見られない側面をたくさん見れた気がする。
バスドラのリズムから"振り出しに戻る"。
僕は前日「ハルカトミユキの楽曲で一番BPMが早いのは"振り出しに戻る"である」という○×クイズで間違えた。そして続けて聴いた"振り出しに戻る"で思った、あぁやっぱりこれが一番早いわ。
こうしてライヴの鉄板とも呼べる楽曲を続けて聴くと、Triadの特異性がより浮き彫りになる。アコースティック編成での削ぎ落としたメッセージ性の高さに、バンドならではの熱が加わっているのだ。
この3人だからこそ、この新たな扉が開けた、新たなハルカトミユキの表現が生まれたのだ。
そんなライヴの本編も終幕へ。
ハルカ:最後の曲です。"世界"
「change」がテーマと掲げられて、"世界"は発表された。当時でいえば、ハルカトミユキにとってはかなり明るく、爽やかさすら感じられる楽曲だった。
会員限定イベントの質問コーナーで"世界"についての話があり、あるフォトグラファーの方に「"世界"で泣けた」という話をされたという。僕はそれが"旅立ち"が持つ力にあると思う。
『断片的なものの社会学』という本がある。
社会学者の岸政彦が2015年に出版され紀伊國屋じんぶん大賞2016を受賞した。この本が会員限定イベントでハルカが最近読んだ本という話で紹介されたのである。
影響を受けさせたらギターまで買う人間、つまり僕は気になってすぐに本屋に行った。読んでみて、様々なことが腑に落ちた。内容は岸政彦が主に沖縄で取材をしていた際に起きた出来事や訊いた話が断片的に紹介されていく。
イベントでも話していたが、岸政彦は幼い頃に石を拾うのが好きだったという。普通の道端に転がる、普通の石をひとつ拾う。けれどそれに名前をつけるわけでも、愛着を持つでもない。ただ、拾った瞬間にその石が「拾った石」という特別なものになるという感覚が好きだったという。
その本の中で、こんな言葉が載っている。少し長くなるが引用したい。
実際に、どこかに移動しなくても、「出口」は見つけることができる。誰にでも、思わぬところに「外に向かっている窓」があるのだ。私の場合は本だった。同じようなひとは多いだろう。
四角い紙の本は、それがそのまま、外の世界にむかって開いている四角い窓だ。だからみんな、本さえ読めば、実際には自分の家や街しか知らなくても、ここではないどこかに「外」というものがあって、私たちは自由に扉を開けてどこにでも行くことができるのだ、という感覚を得ることができる。
《中略》
窓というのはそこらじゅうにあるのだなと思った。あるときは本が窓になったり、、人が窓になったりする。音楽というものも、多くの人びとにとって、そうだろう。それは時に、思いもしなかった場所へ、なかば強引に私たちを連れ去っていく。
~『断片的なものの社会学』より
これを読んで、まさにハルカトミユキが掲げてきたテーマではないかと膝を打った。自分と世界、扉、或いは窓だけが隔てている場所。ハルカトミユキという扉は外への窓ともなり、世界から一人きりの場所へ逃げ込めるための扉にもなる。
そして「旅立ち」とは。
私たちはここではないどこかをめざして、窓や扉を開けて出ていく。もといた場所に帰るひともいれば、帰らないひともいる。
そして、そうした旅の途中で、これ以上進めば、もう二度と、もといた場所には帰れないかもしれない、という地点がある。そういう経験が、たまに訪れる。
~『断片的なものの社会学』より
ハルカトミユキの描く旅立ちには、決意が強く感じられる。
そこにどこか「もう帰れないかもしれない場所」へと行ってしまうような感覚になる。
僕らは、ハルカトミユキという扉をくぐり、もう戻れない日々を歩んでいるのだから。
本については、紹介していくだけで記事が書けるほどあるのでここまでにするが、『断片的なものの社会学』とても面白かったので、ハルカトミユキファンの方には是非読んでいただきたい。
アンコール
「明日、ある発表があります」というイベントでの宣言通り、音源のリリースと、6月に東名阪のツアーがあると発表される。
ハルカ:最後に、新曲を。
"Continue"
この曲は「7 DOORS」の時に、ちょっと異常なまでにシンパシーを抱いてしまい、今回もまた打ちのめされたのだ。
そこには強い言葉も、刺激的なオルタナティブなサウンドもない。ハルカトミユキの中でもかなりナチュラルな手触りの楽曲だ。
それを「明るい」と言い切ってしまってもいいかもしれない。辛うじて残したメモから歌詞を。あくまでも耳と記憶(ポンコツ)を頼りにしたものなので、細かい部分は違う可能性は高いのでご了承を。
ねえ もしも本音をいえるなら
好きなだけじゃいられないよな
ねえ どうしようもない時でも
いつもそばに 君がいた
「7 DOORS」の感想でも書いたが、このハルカの「ねえ」に本当に弱い。
この後に「こんな調子で」と繰り返されるサビ、押すでも引くでもない、ただ自然な感情が、そこにただあって。人生には大切なものが、いくつもあって。人は、それを失いたくないと、それを抱きしめる。
"夜明けの月"もそうだが、僕は"Continue"を聴くと、激しく動揺してしまう。なぜなら、絶対違うのに、僕は自分のためにこの曲があると思えるからだ。"夜明けの月"の折りには必ず書くが、僕は共感で音楽を聴くことはあまりない。簡単に「共感した」などと受け取れないのだ。
そんなひねくれた人間だからこそ、本当の「共感」と出逢ったとき、その一線を超えた強い感情に押し潰されそうになり、激しく動揺してしまう。まだライヴで2回しか聴いてないのにこれで大丈夫だろうか。
大切な人たちとの日々があって、そのほとんどが楽しいことばかりで。けれど、時に傷つけてしまうことを言い合ったり、してしまうことがある。
それでも、こんなどうしようもない人間と寄り添ってくれた皆がいて。そうやって、日々がこれからも続けばいいなと、ただ願ってしまう。
もうひとつメモに残した印象的だった歌詞。それはサビの最後。
夜が明ける前に
ハルカトミユキにとって夜とは,朝とは。
たとえば今日までの僕が壊された夜
誰にも愛されていないと感じた夜
~"17才"
ハロー アローン 教えて
そんな風にして ただ
辛い夜を耐えるのを
悪いというの?
~"Pain"
壊せない 壊せない
壊してしまえない
また同じ朝が来る
~"Vanilla"
ただがむしゃらに
夜を朝に塗り替えても
街のネオンに
飲み込まれて消えるだけ
~"you"
君に甘えてた
全部だめにした
好き勝手夜をかきまわして
~"世界"
変わりたいと願って、変われないと嘆いて、変わって欲しくなくて。
それでも、時は残酷なまでに平等に、夜を朝に変えてしまう。変われない自分を残して。しかし、そこにまた変わらない「夜明けの月」でいてくれる、そんな存在がハルカトミユキなのだ。
そして、それこそ断片的だが2番「情けなくて」「頼りなくて」「それでもこんな調子で」というフレーズたちが、やはり僕を泣かせた。
"Continue"というタイトルは「続ける」という意味だ。そのままカタカナの「コンテニュー」にすればゲームなどでお馴染みだろう。そうすると、なぜ"トーキョー・ユートピア"を久しぶりに演奏したかということに繋がるのではないかと思う。
タイムオーバー
信じらんない 受け入れらんない
リセットボタン連打してるんだ
ああ見苦しいだけ
~"トーキョー・ユートピア"
或いは。
本当は最初から
決まっている結末
運命を変えたい
~"トーキョー・ユートピア"
「本当は最初から決まっている結末」という言葉は、ゲームになぞればシナリオは全て決まっている(たとえマルチエンディングであっても、全て決められている)という意味合いに見えるし、それ以上に僕らは「僕らは決められた結末」の上で生きている。
つまり、生きているものの終着点は決まっている。
その「"本当に決まっている"結末」ならば、それが本当に訪れるその時まで、「やり直す」ことも「続ける」こともできるではないか。
「続ける」「継続」は、言うは容易くとも、実際に続けていくことは決して容易いことではない。
ハルカトミユキの楽曲から僕が一番受ける印象こそ「生き続けること」なのだ。
でも人生の勝敗は
どうやって決めるの?
という問い。ならば、勝敗はどうやって決まるだろうか。
「勝てないお前が悪い」
「勝てない私が悪い」
勝てないお前が悪いから
~"ニュートンの林檎"
「生きているだけで意味があるだろう」
~"世界"
だからこそ「生き続ける」こと、それこそが答えなのではないか。
ハルカトミユキの楽曲はどんな絶望にも寄り添い「Continue?」と問い掛けてくれる、そんな存在なのだ。
※
ハルカトミユキとしては初めて今回遠征をしたけれど、街が変わるだけで、こんなにも景色が違うのだと知った。
ひとつの旅が終わった時、また新しい旅は始まる。
ミユキがQUEENのTシャツを着ていたこともあって、ある曲のことを思い出した。
My soul is painted like the wings of butterflies
Fairy tales of yesterday, grow but never die
I can fly, my friends
The show must go on
The show must go on
I'll face it with a grin
I'm never giving in
On with the show
僕の魂は蝶のように彩られ
おとぎ話は終わることはない
僕は飛べるよ、友よ
だからショウは続いてく
ショウは終わらない
顔に笑顔を浮かべてさ
諦めやしない
ショウの間はさ
~"The Show Must Go On"/Queen
The show must go on
それもまたひとつの「continue」なのだ。
ハルカトミユキ"Triad"
2020.2.15 sat
@大阪LIVE SQUARE 2nd LINE
【セットリスト】
1. 17才
2. インスタントラブ
3. プラスチック・メトロ
4. わらべうた
5. Pain
6. ナイフ
7. Vanilla
8. you
9. 流星(cover)
10. 扉の向こうで
11. 二十歳の僕らは澄みきっていた
12. トーキョー・ユートピア
13. ニュートンの林檎
14. 振り出しに戻る
15. 世界
EN-1. Continue
※"Continue"は正式な表記が出てないので仮です
※セットリストは僕の貧弱な頭とメモで記録したので間違ってたらそっと教えてください
【おわりに】
最後に暗い話題を書くのもどうかと思うが、どうしても書いておきたい。
ライヴが終わり、僕は大阪駅へ向かっていた。
少し歩くと歩道に横付けした救急車と消防車が見えた。
通りながら見ると、救急隊の方が歩道で倒れてる人の救護活動をしていた。道の向かいから見ても心臓マッサージを懸命に行っているのが判る。
帰りの新幹線の都合もあったのでそのまま歩いていってしまった(そもそも僕がいても邪魔なだけだ)。しかし翌日、こんなニュースが流れていて、ふと目に入った光景に見覚えがあった。しかし、話題はすぐに変わってしまった。
携帯でニュースを見ると、そのニュースは、見つかった。
ひき逃げか 歩行者の男性死亡 大阪・福島区
2月15日夜、大阪・福島区で歩行中の男性が車にはねられ死亡しました。警察はひき逃げ事件として捜査しています。
15日午後6時40分ごろ、福島区福島5丁目で「車と歩行者の事故で歩行者が倒れている。車がそのまま行ってしまった」と通行人の男性から警察に通報がありました。
警察によると車にひかれたのは、大阪・西淀川区に住む無職の福山要さん(69)で、病院に運ばれましたが、その後死亡が確認されました。
警察によると、付近の防犯カメラには福山さんが歩道を歩いている際、倒れ込んだところ車が当たった様子が映っていました。
僕が見た事故は、まさにこれだったのだ。
そこは行きにはライヴへの期待で溢れて通った道、帰りは見ながら、ただ通り過ぎた道。
被害者の方を知っているわけではないさ、何ができた訳ではない。けれど、この日この場所を歩いていなかったら、それは日常の中のひとつのニュースとして聞き流してしまっていたことだろう。
『断片的なものの社会学』を読んで、僕は真っ先にこのことを思い出した。
あの救急隊の姿を見ていたからこそ、あのニュースは、自分のなかで、忘れがたい記憶となった。
起きた出来事はそれ以上でもそれ以下でもない。
あそこで見た、一人の男性の命が失われた。
ただ、ただ悲しいニュースだ。
人生は何が起こるかわからない。
当たり前のことが当たり前に続いていくと、僕は心のどこかで高を括っている。
しかし、それは日常のどこにも潜んでいる。
だから僕らは生き続けなければならない。
本当の結末が訪れる、その日まで。
亡くなった男性のご冥福をお祈りする。
【ライヴレポ】ハルカトミユキ Best Album Release Special Live “7 DOORS” @日本橋三井ホール
【ライヴレポ】ハルカトミユキ Best Album Release Tour 2019 “The Origin” @渋谷LOFT HEAVEN ネタバレ注意
ハルカトミユキ「光れ」歌詞解釈〜手紙の返事に代えて
【レポ】ハルカトミユキ BAND TOUR 2019 @渋谷CLUB QUATTRO ライヴレポ
ハルカトミユキ"17才" の歌詞を読みとく アニメ「色づく世界の明日から」主題歌
【感想】ハルカトミユキ "手紙" (映画「ゆらり」主題歌)
ハルカトミユキ +5th Anniversary SPECIAL @日比谷野外大音楽堂 2017/09/02
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