ポルノグラフィティのアルバム「暁」の収録曲感想13曲目の"ジルダ"。
アルバム曲だが"証言"は先行配信時に書いているので、これで一区切りである。長かった。
アルバムだけで何万字書いてるんだろう。
ではいってみよう。
フェイク
ネオソウルっぽくもあり、少しシティポップさも感じながら、着地はちゃんとポルノグラフィティとしてのJ-POPになっている。
ネオソウル引き出しが少なくて、パッと浮かんだのがフランク・オーシャンとかD'Angelo(ディアンジェロ)辺りだった。というかD'Angeloも1974年生まれだったんだね。
ギターのアプローチも曲に合わせて、(たぶん)箱モノのギターでクリーントーンを聴かせる。
本人もあまりやらない類いのギターとは言っていたが、こういう雰囲気のアプローチは近年ではなかったかと思う。それならついでにツアーで"別れ話をしよう"を演奏してくれないだろうか。
しかしながら、個人的にはジョン・スコフィールド的なギターもまたとても好きなので、また今後も挑戦してほしい。
(昔はディストーション効かせてないギターはギターじゃないくらいに思ってた自分とは思えない発言だ)
これまでの僕はフェイクを入れることに若干の照れがありましたけど、このアルバムを作ったことでそれはなくなった気がします。この曲なんかは特にね、フェイクしないでどうするのっていうタイプですから。
ナタリーの全曲解説によると、岡野昭仁はこの曲で意識的にフェイクを入れたという。
フェイクとはこの曲とか"サウダージ"のアウトロでの岡野昭仁が叫んでいる部分である。わかりづらいと思うのでもう一つ例を出すと"カメレオン・レンズ"でSkoop
On Somebodyがやってくれているあれである。
いつかちょっと書きたいと思っていたし、"ジルダ"はそこまで歌詞を深掘りするタイプでもないので、ここで書いてしまおう。少し付き合ってほしい。
それにしても"Mr.ジェロニモ"であれだけフェイク入れて、「ヨッシャー!」と叫んでいながら苦手だと思わなかった。
なんとなく僕の中で岡野昭仁はよくフェイクを入れてるイメージがあったのだが、よく考えたら確かに印象に残ってるのはライヴで聴いたものが多いかもしれない。
そもそもを辿れば、フェイクとは即興的なヴォーカルという側面があるので、かしこまったレコーディングよりもノリまくっているライヴの方が興奮してる分、出やすいのかもしれない。
自分が書くのはおこがましいにも程があるが、たぶんレコーディングは素面に近い感覚なのだと思う。ライヴはもう、ベロベロですよ。
どうでもいい余談だけど、一時期知人が曲を色々書いてたことがある。それを僕がもらってギターとかを入れたり、歌詞を書いたりしていた。完全に素人の遊びレベルで。
いま思うと結構な量の曲を貰ったが、たぶん1曲もフェイクを入れるとかいう発想が起きなかったなということを思い出して、自分はヴォーカリストにはなれない種族なのだなと思った。
加えて、カラオケとかでもフェイクをノリノリで入れるのは結構恥ずかしさを覚える。そこで悟った。あれは、天性のものだ。
フェイクという才はヴォーカルの素質をはかれる方法だと思うので、身近にカラオケでフェイクを入れまくる人がいたら、是非ヴォーカルに勧誘してみよう。
ということで、"ジルダ"のアウトロはめちゃくちゃフェイクが入っている。これライヴで絶対気持ちいいだろうな。是非16小節くらい増やして岡野昭仁をヒーヒー言わせてほしい。
では、歌詞について見ていこう。
"ジルダ"の歌詞
歌詞はこの曲を最後に書いたので、全体のバランスを見てしゃべり言葉を使おうと決めて。同時に、自分が思う古今東西のおしゃれなものをできる限り入れようと。僕は「007」シリーズが好きなんですけど、あれってスパイとして逃げてるのにアラスカのめちゃくちゃ洒落たガラス張りのホテルとかに泊まったりするでしょ? そこに女性の方はうっとりするんだと思うんです。なので、この曲でもそういった要素をテーマにしてみました。
と、ある程度新藤晴一が全曲解説で言ってしまっているので、考察脳はあまり必要なさそうだ。
それにしても、これ読むまでちょっと歌詞の価値観が古い?という印象だったけど、まさか007イメージだったとは。
ジェームズ・ボンドのイメージが若干腑に落ちきらなくて、たぶんハイヤー使わないでアストン・マーティンに乗せてやろよと思うからかもしれない。あとボンドもボンドガールも、たぶんパンフレット買わない。
さて、実も蓋もないこといえば、バーでナンパして週末にオペラに誘うという、どこのバブルだって歌詞だ。
そして、歌詞には少し捻りが入っている。
僕のことマグリオットと 君はからかうのかなそれなら君はジルダさ 夢中にさせたいよ
ここ「マグリオット」が本当に曲者だった。
曲名にもあるジルダはジュゼッペ・ヴェルディが作曲したオペラ『リゴレット』に登場するジルダから取っていると思われる。
しかしながらマグリオットという名前は出てこないし、検索などしてもそれっぽいものが出てこない。強いていえばタイトルにもある、オペラに登場する道化師の『リゴレット』をもじっているのか、くらいしか浮かばなかった。
しかしながら、Twitterである事を教えてくれた方がいて、勝手に引用するのも悪いので内容だけ引用させていただく。
フランス語で「私の吟遊詩人」という意味のma griotがあるそうですが、発音的にはマグリオットにはならないとかからかうという歌詞からだと、「偉大なるマグリット」の、オペラ歌手になりたい音痴の女性主人公でしょうか
頭を殴られたようだった。
フランスなんて身体の中にブルゴーニュのワインが胃に入ってるくらいしか縁がないが、これを聞いてすごく道が開けた。
吟遊詩人がどんな人かといえば、詞曲をつくって歌って旅をしながら人々を楽しませたり、伝承していく人たちだ。
ちなみに僕は吟遊詩人と聴くとどうしてもゲーム「ウィッチャー3」に出てくるダンディリオンしか浮かばなくなる。
※ちょうどこのリプをもらった前日に「ウィッチャー3」をクリアしたせい
発音的なものは正直わからないんだけど、ヴェルディはイタリア出身だし、それもあるのかもしれない(僕はイタリア語もまったくわからない)。
若しくは、「リゴレット」にわざと発音を寄せたと考えると、明らかに歌詞の中の"君"は一枚上手ということになる。だとしたらかなり粋だな、と僕の中のビオラさんが叫んでいる。
ハイパーインフレーションより
ちなみに歌詞に出てくる「オーチャード」は渋谷にあるオーチャードホールのことである。偶然かもしれないが、オーチャードでは2019年6月に8年ぶりに「リゴレット」が上演されたという。
さて、歌詞の中では「夢中にさせたいよ」という男ではあるけど、それ以上に"ジルダ"へ夢中にさせられてるのは、言うまでもない。
最近「プロミシング・ヤング・ウーマン」を観たのが大きいんだけど、こういう男ってキャシー(キャリー・マリガン)にこてんぱんにやられて欲しいなと思ってしまう。
なので正直なとこ共感性という面ではアルバムでは最も程遠い歌詞ではある。オーチャードはライヴで一度行ったことあるくらいで、あとは全く自分の人生でかぶる要素がない。
歌詞で描きたいロマンチシズムはわかるんだけど、それが自分の感性に直結してこない辺りが、僕がハードボイルドものを敬遠としてしまう理由かもしれない(すぐにウィスキーの銘柄を語り出す辺りが苦手)。ただ、007シリーズはとても好きだけど。
しかしながら、曲の最後のフレーズには、歌詞好きのおっさんがキュンとくるような歌詞が待っている。
虹色
君の手帳を見せてよ ペンは僕が持ってるカレンダーの余白を 虹色にしよう
曲の最後のフレーズだ。
言葉尻だけ取れば本当に"クサい"台詞なので、岡野昭仁の声でなかったら、結構苦しい。
しかしながら、この曲の背景の1つがそうさせてくれない。
それは先ほど引用した新藤晴一のコメントに含まれている。
歌詞はこの曲を最後に書いたので、全体のバランスを見てしゃべり言葉を使おうと決めて。
そう、"ジルダ"はアルバム「暁」で最後に書かれた歌詞なのだ。
ラバッパーはわかると思うけど、この曲はアルバムやツアーが発表された(決定していた)段階で書かれている。
ならばね。
穿った見方のひとつもしてみたくなる。
「カレンダーの余白を、ライヴという虹色のスケジュールで埋めてあげる」
こんなロマンチシズムなら、ファンとしていつだって歓迎だ。
だってこのペンって、夢を描くものでしょ?
今回の首都圏のチケット落選祭りを見れば、よくわかる。
公演数を倍以上にして是非多くのファンの予定を虹色にしてほしい。
みんな、辛い雨の後の虹を待ち続けている。
みんな、辛い世の中でそれなりに人生を頑張ってきたのだから。
信じ続けて重ねた日々が報われる時がやってきた~"Rainbow"
だって、暁の先にある太陽が、虹をもたらすのだから。
時間がゆがむくらい楽しい日々が、きっと僕らを待っている。
La donna è mobile
qual piuma al vento,
muta d'accento
e di pensiero.
女は移り気
風に舞う羽のように
言葉や考えを
すぐに変えてしまう
~「リゴレット」より
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