ポルノグラフィティのアルバム「暁」より12曲目"クラウド"を紹介する。
様々な意味合いに取れるタイトルなので、曲目発表時からどんな曲になってるか期待していたけど、想像以上に心に染み入る名曲だった。
個人的には「暁」で1番好きな曲で、珍しく相棒とも意見が一致した。大抵違う曲が推しになるのに。
たぶん歳のせいだと思う。
"クラウド"
作詞作曲は新藤晴一。
編曲は最近なにかと新藤晴一の音楽Siriと化している宗本康兵である。
アルバム前作の「BUTTERFLY
EFFECT」でも宗本康兵アレンジの"夜間飛行"が突き刺さったし、"IT'S A NEW
ERA"も最高だったので、 自分の感性に訴えかける何かを持ってるんだと思う。
宗本康兵といえば、ここのところのアルバムプロモーションで、サポートにいて嬉しいファンも多いことと思う。
宗本康兵のアレンジの妙はやはり、ひとつひとつの良い音を丁寧に積み上げていくことだろう。本間昭光や武部聡志の直系の弟子と僕が勝手に思ってるだけある。
たとえば"夜間飛行"でカースケさんをドラムに呼ぶ辺りの"理解ってる"感よ。
それにしてもインタビューなどでも触れているが、新藤晴一のヴォーカリストを全く労る気のない高低差の歌メロを歌い上げた岡野昭仁、化物か。
そんな曲について。
イントロから心を掴まれる。
時折こういう感覚になることがあるんだけど、始まった瞬間に(自分にとって)"ヤバいやつ"と感じる曲がある。実際"ルーズ"や"ANGRY
BIRD"をはじめて聴いた時もそうだった。
柔らかい音のイントロなんだけど、その奥に曲のテーマ性にあるノスタルジーも秘めている。
そこから歌い出しの岡野昭仁の低めで優しい歌声から、もうダメだった。良い、なんて良い曲……
曲のテーマは失恋だけど、決して暗い曲というわけではない。今までの楽曲でいうと"スロウ・ザ・コイン"とか"空が青すぎて"辺りと精神的に繋がっているように感じる。
こういう明るい曲に悲しい言葉を乗せたり、映画とかドラマで悲しい場面で、あえて明るめの曲を流す映像の対位法は王道の演出手段だ。
例を出そうと思ったけど「キックアス」で"バナナ・スプリッツ"をバックにばっさばっさ人を◯していくヒットガールしか頭に浮かばんかった。
けれど"クラウド"の持つ、なにかが心の琴線に触れてなぞられるような感覚は、今までになかったものになった。
それはたぶん"クラウド"は過去を振り返りながらも感情を追うのではなく、ただそこにあった過去を見つめているだけだからだと思う。
その辺りに触れていこう。
なくなっていくもの
たとえば2番の歌詞に特にそれが表れている。
駅裏の小さなあのカフェ ひっそりと閉店したみたいひとつずつ消える 名残というか 歴史というか 不意に涙
「ひとつずつ消える 名残というか 歴史というか
不意に涙」というフレーズは、アルバム「暁」の中で最もやられた歌詞だ。
この部分で主人公と同じように、なんかじんとしてしまう。
想像なんだけど、たぶん主人公はそこにあったカフェに思い入れが深いわけではない。数回利用したとか、前を通り過ぎていただけかもしれない。
だからなくなったことに対して「あ、あそこなくなったのか」と、ぼんやりした気持ちで受け取っているんだと思う。
ではなぜ「不意に涙」なのか。
それはなくなったカフェを通して、自分にとって「そばにあったのに、今はなくなったもの」を見てしまうからだ。
人は人生のなかで様々なものを得ては失っていく。
歳を重ねるにつれて、失うものが多いと感じることが増えるのは、それだけ多くのものを得てきた証でもある。
大切なものを思い出すとき、これまで何度空を見上げてきただろう。
その感覚が強いのは、新藤晴一がこれまでも過去を見つめるときも、空を見つめていることが多かったからかもしれない。
ほら 見上げれば空があって 泣きたくなるほどの青さ~"テーマソング"
パレットの上の青色じゃとても描けそうにないこの晴れた空をただちゃんと見つめていて ありのままがいい~"パレット"
サヨナラが青い空に浮かんでる~"空が青すぎて"
そして。
そうか あの日の僕は今日を見ていたのかなこんなにも晴れわたってるバーサス 同じ空の下で向かい合おうあの少年よ こっちも戦ってるんだよ~"VS"
空が今と過去を繋いでいる。
そうした時にタイトルにもある"クラウド"が、ダブルミーニングで強烈に響くようになっている。
主題でもあるデジタル用語としての"クラウド"は、人々の人生の欠片たちをどこかに残している。時にそれが「残ってしまうもの」であっても。
もうひとつのクラウド=雲は空に浮かび、見えるけれど掴めないもののメタファでもあるし、地面に雨として落ちてまたいつか空へ還るという、循環の象徴でもある。
そんな過去と今をつなぐ掴みどころのない存在として"クラウド"という言葉を用いるだけでも好きしかない。
そんな場所を「遠いお空の」としているところが、もう絶妙すぎて、天才としか形容できない。
「遠い空の」ではなく「遠いお空の」、たった一文字だけでこれだけ印象が違う。日本語って本当に素敵。
「お空の」という言葉に、そこにどこかぼんやりとした感情を見る。それは主人公がなくなってしまったカフェを見つめるものと同じだ。
空を見ているわけではく、空に浮かぶ過去を見る。
そこにあるのは名残でもあり、歴史でもある。
そもそも名残と歴史を並べる辺りとか、もうはじめて歌詞読んで「うわあぁぁ」って素で叫んだもんね。
この感情こそ、まさに「サウダージ(=郷愁)」なのである。
これをエモーショナルと呼ばずしてなんと呼ぶ。
最後に。
途中で触れたクラウド=雲を考えるとき、どうしても想像してしまうのが2002年にリリースされた3rdアルバム「雲をも掴む民」だ。
僕ははじめて自分で買ったアルバムなので思い入れが深い。
このタイトルには意味は「音楽のもつ大きな力を介してこれからもいろんな人とずっとつながっていたいという思い」が込められている。
それを「雲をも掴む」という言葉にしてしまうのは、当時の彼らにとっては大それた約束だったかもしれない。そう、まるで無邪気に描いた地図のように。
では、「雲をも掴む民」リリースから20年を経た今のポルノグラフィティは、どうだろう。
どこか遠いお空のクラウドにあるサブスクリプションを通して、今も多くの人に想いを届けている。そして何より、待ってくれているファンたちのために、これほどのアルバムを出してくれた。
(7年前くらいだったら「『雲をも掴む』とか言ってるからいつまでも雨バンドなんじゃねぇの?」とか言ってるところだった)
あの日「雲をも掴む民」を聴いた少年。あれから20年経って、おっさんになった自分がまだこんなにポルノグラフィティを好きでいられることが、どれほど嬉しいことだろう。
さて。
ここまで書いておいてなんだけど、"クラウド"を好きな理由はもはやこれ以上理屈では説明できなくて。
そういう言葉にもできない感情を求めて、僕は今日も音楽を聴いている。
そこに確かに残る想いを胸に秘めながら。
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