2021年8月24日火曜日

ポルノグラフィティ”テーマソング”をラジオで初めて聴いた感想





姉さん、事件です。

ポルノグラフィティの新曲”テーマソング”において、新藤晴一が応援ソングに挑戦しました。

これまで新藤晴一”らしい”応援歌たちはあったものの、こうして真っ正面から挑むのは長いポルノグラフィティの歴史でも初めてといって過言ではない。

これまで、こうした曲の歌詞は岡野昭仁が担うことが多かったが、22年目へと突入するポルノグラフィティは、また新たな一歩を踏み出した。





”テーマソング”




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今作「テーマソング」はポルノグラフィティにとって51作目のシングルとなる。

表題曲の”テーマソング”は作詞が新藤晴一、作曲が岡野昭仁という近年のポルノグラフィティにとっては餃子とビールレベルの「黄金の組み合わせ」だ。

岡野昭仁による曲はまさに「爽やか」の一言に尽きるほど清涼感に満ち溢れ、歌詞が乗らずとも心が乗る曲になっている。

シンプルでいながらも細かなアレンジが施されていて、ストリングスやピアノによってもたらされる爽やかさだけではない、芯を感じさせるアレンジとなっている。たとえばドラムはバスドラがとても効いており、これはサビの「鼓動のドラムだけ」という歌詞にも繋がっている。

こういう曲って、たとえば10年前くらいだったら、もっとストレートに4つ打ちのロックナンバーになっていたと思う。けれど、コーラスの重ね方だったり、程好く音を抜いたりするアレンジはとても”今”っぽさも感じさせる。

イヤホンやヘッドホンで聴くとわかりやすいけど、ギターがエレキでずっと鳴ってた場所が展開によってアコギのアルペジオになるなど、細かなところで楽器の抜き差しがされている。そのバランスが絶妙で、色んな音が出入りしているのに、ちぐはぐさを感じさせないアレンジはさすがである。


今回最も驚かされたが岡野昭仁のヴォーカルで、以前よりも声に透明感が出ている。 かなり昔にポルノグラフィティは朝の番組にはあまり合わないと暴言めいたことを書いた記憶があるが、”テーマソング”を聴いた今、撤回したい。これなら朝ドラの主題歌もいける。

岡野昭仁がソロプロジェクトとして「歌」というものにもう一度向き合い、ソロ活動で得たものが最大値にポルノグラフィティへキャッシュバックされている(まだ買ってないけどシングルの元を取った)。

これは今時点で自分が感じたことによる憶測なのだけど、”テーマソング”の歌詞が新藤晴一に託されたのは、このことに関連するのではないだろうか。

“君は100%”や”キング&クイーン”に代表されるように、今までは比較的こういった曲調のものは岡野昭仁自身が作詞まで手掛けていた。それは歌い手ならでは曲のメッセージをダイレクトに伝えることができるという事が大きかったと思う。なので、”テーマソング”についてもそのまま自分で歌詞も書けたと思う。

けれどそれをしなかったのは、岡野昭仁がソロプロジェクトを経て「言葉」ではなく「歌」で想いを伝えようとしているからではないか。

もちろんこれは憶測(妄想)なので、インタビューなどで経緯は語られるかもしれない(「ミュージカル書いてる暇があるなら歌詞書けや」と投げた可能性もある)。でも素直に自分が感じたのは”テーマソング”における岡野昭仁の歌は、それを十二分に実現しているということだ。

そんな曲に対して、作詞を任された新藤晴一が挑んだのが「応援歌」だった。

では、このブログにおける本題である歌詞を見て行こう。


”テーマソング”の視点




※歌詞の表記は聞き取ったものと、一部報道された際のテロップを参考にしております



ほら 見上げれば空があって 泣きたくなるほどの青さ
ほら 雲のように白いスニーカーで 高く高く登ってゆけ




新藤晴一”らしさ”という特徴がいくつかあって、ひとつには冒頭にある「ほら」という言葉だ。

シングルとしては前作に当たる”VS”にも「ほら うつむき街を行く人もみな」という歌詞がある。
少し歌詞も地続きになっているような印象さえ受ける。

あと細かくいえば”サボテン”、”ハート”、”愛が呼ぶほうへ”、”ルーズ”、”ブレス”なんかでも登場するので覚えておこう。これは検定2級のテストで出ます。

新藤晴一の歌詞の世界観を印象付ける要素のひとつに視点がある。

岡野昭仁の視線は比較的、自分自身だったり、相手へ向かって真っすぐ伸びている曲が多いが、新藤晴一の視点は少し俯瞰した、メタ的な視点が多用される。この違いがポルノグラフィティの音楽の多様さの特徴のひとつとなっている。

わかりやすいのは”A New Day”とか、まさに”愛が呼ぶほうへ”の愛そのものという視点が最もイメージに近いと思うんだけど、近すぎず遠すぎず、突き放すでも愛でるでもない、干渉しすぎない絶妙な距離感がそこにある。

そうした少し俯瞰した視点を歌詞の主人公に持たせることで、独特な世界観を映しているのだ。


では“テーマソング”の主人公へ「ほら」と問い掛けるのは、誰だろうか?

それは、他ならぬ自分自身なのだ。

実は最初に聴くまで「ストレートな応援ソングというのは”ブレス”のメッセージと相反するのでは?」と思っていた。何よりも、”ブレス”のメッセージに感動したからこそだ。無暗に背中を押そうとするヒットチャートのポップソング、表面的に見える”テーマソング”のメッセージがまさにそれに見えていたのだ。

けど、”テーマソング”を聴いてわかった。ほら、新藤晴一は新藤晴一のままだった。

“テーマソング”において、最後に背中を押すのはなんであろうか。それは、自分自分の中にある意志ではないか。


ともに行こう拳あげて 誰のためでもない
This is all my life



ただ、”ブレス”と同じかというと、決してそうではないと思う。
そのことについて書きたい。


”テーマソング”の慈悲




“ブレス”における優しさは「君は君のままでいい」という普遍的なメッセージだ。

けれど人生は決して順風満帆にいくわけではない。

時に社会に、時に他人に、時に自分によって人は苦しめられることがある。

そんな時に自分を、明日を信じることは容易いものではない。


いきなり話が脇道にそれて恐縮だが、どうしてもここで新藤晴一とハルカ(ハルカトミユキ)のシンクロニシティについて語らせてほしい。ハルカトミユキが新たなフルアルバムをリリースした。そのテーマが興味深いのだ。

ハルカトミユキといえば「世の中の不条理」とか「怒り」みたいなテーマがこれまで多くて、どちらかというと「暗い」というイメージが強いミュージシャンだった。

しかし、この度リリースしたアルバムのタイトルは「明日は晴れるよ」というポジティブなもので、ジャケットもむちゃくちゃ爽やかになった。





映画「記憶にございません」ばりに一度記憶がなくなって生まれ変わったんじゃないかと思えた。「近眼のゾンビ」とか言ってたんだぞ、この人たち。


そんなアルバムのテーマが今までストレートには取り上げていない「ラブソング」と「応援歌」だったのだ。このほぼ同じタイミングで、僕が日本で最も信頼を置いているミュージシャンが、揃って”らしくない”前向きな応援歌の歌詞を書いたのだ。

なぜそんなテーマになったか、ハルカトミユキのインタビューを引用したい。
“テーマソング”にも通ずるものがあると思う。


ハルカ:そんなこんなで私なりにいろいろと気持ちを整理している頃に、今回のアルバムの話をいただいたことがきっかけで、ある意味吹っ切れたというか、もう一度曲を作ってみたくなりました。そこで思ったのが、すごく腹の立つこともたくさんあるけど、同じように怒っている人や逆境にもめげずに頑張っている人に何が言えるんだろうって、怒りからくる表現ではなく、そっちの感情が自然に湧いてきたんです。

――今作で世の中の不条理を生々しく描き出すことをしなかった理由が少し見えてきた気がします。

ハルカ:だから意図的にそうしたわけではないんですよね。たしかにコロナ禍になってから、過去の作品が「今こそ響く」とか「涙が出た」とか言っていただけたことはたくさんありました。そのなかには今までそこまでハルカトミユキには興味のなかった人もいて。それって、私たちの曲が必要なくらいダメージを食らっている人が増えているということ。そこに音楽の存在意義があったとしても手放しに喜ばしいことではないじゃないですか。だから今まで言い続けたことが伝わったというよりは、「みんな弱ってるんだな」という印象の方が強かった。みんながいっぱいいっぱいで、わたしも同じように弱りきっていて、だから今回は今までよりもストレートに、たとえ嘘でも「明日は晴れるよ」って、自分を鼓舞しないとわたし自身も立っていられなくて。だから自ずとそうなっていった感じです。



これを読んで新藤晴一がこの歌詞を書いた意図の、一端が掴めた気がした。

暗いニュースが蔓延し、ネットは日夜誰かが炎上している。

どうしようもない未来ばかりがやってきて、誰もが心を弱らせている。

当てのない真っ暗な道の中で、光を示してくれる存在がある。人それぞれが抱える、胸の中にある大切なものだ。

僕にとってそれが音楽だった。

自分の道を歩もうとしても上手くいかなくて、よろけそうな時に背中を支えてくれたのが、ポルノグラフィティの音楽だったのだ。だから、こんな時代になっても倒れず生きて来れた。


フレーフレーこの私よ



“テーマソング”のサビで「フレー フレー」と歌われる。

もしこれが押し付けるように手渡された応援の言葉だったら、ひねくれた僕は拒んでしまうだろう。

でもこの「フレー」は違う。


「それでも君は、自分に『フレー』と投げかけることができるかい?」


そんなメッセージに聴こえたのだ。

だからこそ、タイトルは「テーマソング」なのではないか。

他の誰でもない、君が主演、監督総指揮の映画のための歌。

音楽が答えなのではない、音楽が自分の止まった心を鼓舞させてくれるのだ。

それはきっと、音楽が自分にとっての「慈悲」だからなのだと思う。

だから主人公はこうも歌う。


そしてフレー 私みたいな人



「フレー」を押し付け合うのではない、「フレー」を問い掛け続けること、それこそが本当の「相互扶助」というものなのではないだろうか。


本来であればもっと掘り下げられる歌詞だと思うのだけど、ラジオで聴いて感じたものをそのまま残しておきたかったので、今回は速報版的な意味合いでここまでにします。

※もっと速報的な感想をいうなら「ヒャッハー お前たち最高だぜえ むちゃくちゃ爽やかで気持ちいいからビール持ってきやがれ」

これから先でインタビューとかコメントで曲の意図が語られるだろうし、9/8の配信以降でちゃんとした歌詞表記がわかったら改めて書きます。


「作曲:岡野昭仁/ 作詞:新藤晴一」と見たときの高揚感は異常 

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