ポルノグラフィティのニューアルバム「暁」より"証言"が先行配信された。
ドラマティックなバラード好きとして、好みのど真ん中をついてくる恐ろしい子。
ということで感想を残しておこう。
"証言"
14. 証言
作詞: 新藤晴一 作曲: 岡野昭仁
編曲: 江口 亮, PORNOGRAFFITTI
Strings Arrangement: 江口 亮, 友野美里
正直なところ、かなり驚いている。
アルバムからの先行配信ということで、比較的キャッチーな曲を選びそうなものだが、選ばれた"証言"はバラードだった。
パブリックイメージをあえて外して"証言"を選べるのが、今のポルノグラフィティの強さなのかもしれない。
前に岡野昭仁がどこかで「僕らはテンポが良い曲のイメージが強くて、ミディアムテンポとかバラードがあまり浸透していない」と語っていた。
個人的にどうしようもないバラード狂いの人間なので、悲しい限りなのだが、世間的には"サウダージ"、"アゲハ蝶"、"アポロ"、"ハネウマライダー"みたいな感じなので致し方ない気もする。
強いていえば"サボテン"、"ヴォイス"、"愛が呼ぶほうへ"辺りが浸透している方の曲だろうか。
なにより、今の岡野昭仁の止まることを知らない歌声の進化があるので、これからのポルノグラフィティの一つの強みになって欲しいと願う。
さて、曲について。
全体的に音がとても重い。その要因は特にドラムによるものではないかと思う。
江口亮のアレンジの素晴らしさも去ることながら、友野美里も参加しているストリングスのアレンジがまた良くて、本当に次のツアーでヴァイオリンのサポート入れてほしいくらいだ。
(たぶん)転換して進む展開とか、程よく音の抜き差しがされてはいるけど、全体的にはしっかりと丁寧に音を積み重ねていって、その土台に岡野昭仁の声をのせるアレンジとなっている。
アルバムでいえば15曲中の14曲目、そして続くラストナンバーが"VS"なので、ある程度しっかり"聴かせる"曲に仕上げているのだろう。
(個人的に「BUTTERFLY EFFECT」で、"I
BELIEVE"が4曲目にはちょっと重すぎるという感覚があって、これくらいの収録位置のが良かったのではないかと思ってる)
激情的で壮大な世界観、そこにのる新藤晴一の歌詞もまた深遠だ。それを享受して歌い上げる岡野昭仁の歌声が、もう凄まじい。
毎回のように「この人の歌声またヤバくなった」と書いてしまうんだけど、実際そうなんだからどうしようもない。聴くたびに進化してる。
またごちゃごちゃと書いてしまいがちなので、自分のバラード好きとしてのチェックポイントを書こう。
・静かに始まって広がりを見せるBメロ
→チェック
・低音から高音で劇的なヴォーカル
→チェック
・壮大さを増すストリングス
→チェック
・ギターソロ
→チェック
・ラスサビに向けての落ちサビ
→チェック
・深い歌詞
→最高
・考察のしがいがある歌詞
→天才
・アウトロでまたギターソロ
→死ぬ
役満です。本当にありがとうございます。
わかります? 最推しが自分の好きなものしか詰まってない曲を出した興奮。
といいつつ、"フラワー"もそうだけど、こうしたバラードは気軽に聴く回数を重ねられない。端的にいえば、すごく体力を使う。
曲調もあるんだけど、それは新藤晴一が紡いだ、曲に負けないくらい壮大な言葉によるものも大きい。
いつもなら、このまま歌詞の解釈を書くのだけど、この曲は解釈を書くのはちょっと野暮かなと思うので、改めて新藤晴一"らしさ"について書いてみたい。
ちなみにフレーズでいえば「たくさんの星が証言してくれるはず」が、これで"証言"ってタイトルつけるところが、もう筆折るわ、と。
新藤晴一"らしさ"とは
ブラインドテストで全くなにも知らされずに"証言"の歌詞を読んだとしても、これはポルノグラフィティ、新藤晴一の歌詞だと言い切る自信がある。
現に"証言"の感想を読ませてもらっていても、TLの重病者ファンたちが「新藤晴一らしい」という言葉を用いている。
頷きすぎて首の骨の軟骨がなくなるかと思った。
そこで思ったのだけど、なにが新藤晴一"らしさ"をもたらしているのだろうか。
星とか用いた世界観の歌詞だろうか(話は違うが今度新藤晴一が書いた星にまつわる歌詞のことを書きたい)、メロディにはまる言葉を選び抜くセンスだろうか、メッセージ性だろうか。
そのどれもが当てはまる。
けれど、"証言"を聴いて思ったものは、これであった。
卓越した歌詞のストーリーテリング性
究極的なものは"カルマの坂"だと思うんだけど、歌詞という短い言葉の連なりに、壮大な世界を描くセンスだ。
実際"証言"を聴くと、登場人物たちの人生を感じることができる。それだけでなくて、そこに自分を重ねることまでできるのが、新藤晴一の歌詞の恐ろしい点だと思う。
自分なりに色々と歌詞が凄いミュージシャンを聴いてるつもりだけど、歌詞って比較的にパーソナルなメッセージに回帰することが多い。
聴き終わって上質な短編小説或いは短編映画、時に長編すら感じさせてしまうような歌詞を書くのは、自分のなかでは新藤晴一をもって他ならない。
前にエッセイの『自宅にて』で「歌詞の行間」について書いていたこともあったけど、その行間、"書かずに"伝えることに対して、とても誠実なのだ。
ちょっと穿った言い方をすればそれだけ聴き手を信じてくれているということだと思う。
その行間、余白にこそ自分の考えとか想いを乗せることができて、だからこそ聴く人によって様々な"共感"を与える力がある。
一方で岡野昭仁の言葉はとても直線的に僕らの心を打ってくるので、ポルノグラフィティの恐ろしさはそこにある。
曲数があるのもあるけどポルノグラフィティの曲で「1曲も共感できない」って人、そういないじゃないかな。
話を戻すと、抽象的なのに情景がしっかり浮ぶって、実はすごく難しいことだと思う。
全部が全部じゃないけど、これだけの曲数書いてそれをやってのけ、更に新しい境地、更に深い世界を描く新藤晴一の歌詞の世界が怖い。
ていうかそれが15曲詰まっているアルバム「暁」が心底怖いのは、そのためだ。
"証言"の歌詞でいうと。
この曲って喪失を描いているのに、主人公が一瞬感じた愛に、どこか希望すら感じる。
それと冒頭の歌詞が心象風景として受けとることも、この星のどこかで起きている景色にも取れる。聴き手によってこの曲から見えるものと受けとる感情は全然違ってくるはずだ。
本当に巧いな。
更にこの曲は自分的には"サウダージ"の主人公の強さを感じて"、ルーズ"の愛についてへのアンサーとさえ思えてしまう。
これまでの新藤晴一を感じさせるのに、これまでと同じではないのだ。
こんな人を、信頼せずにいられますか。
らしさは焼き増しではない。
岡野昭仁の曲も、江口亮のアレンジも、新藤晴一の言葉も、ミュージシャンたちの演奏も、今なお進化を続けている。
なにより喜ばしいのは。
その想いが僕らファンの期待に応えようとしてくれているからである。
こんなに幸せなファンはないと思う。
信じていいのだと思う。
ポルノグラフィティの全盛期は、まさにこれからだ。
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