映画「この世界の片隅に」を観てきた。
2016年の終盤に、とんでもない作品がきたものだ。
方々でも云われている通り「2016年のベストムービー、オールタイムベストに入るレベルの作品」である。
いや、日本映画史上に残るべき作品だと思う。
そんな映画がこれくらいの公開館数というのは、ちょっと残念でならない。
見終わったあと、こんなに心に色々なものを遺していく作品は、本当に久しぶりだ。
自分の中では「トイ・ストーリー3」以来かもしれない。
そんな胸に込み上げてきたものを簡単に言葉にできるほど、単純な話では決してない。でも、この作品が1人でも多くの人に届けばいいと思い、クラウド・ファンディングにも参加してない僕は筆を取ることにしよう。
この手の映画は場面場面を思い出す度に涙腺がやられオーオーと泣いてしまうので、感想はなかなか進まないものである。
あらすじ
1944年広島。18歳のすずは、顔も見たことのない若者と結婚し、生まれ育った江波から20キロメートル離れた呉へとやって来る。それまで得意な絵を描いてばかりだった彼女は、一転して一家を支える主婦に。創意工夫を凝らしながら食糧難を乗り越え、毎日の食卓を作り出す。やがて戦争は激しくなり、日本海軍の要となっている呉はアメリカ軍によるすさまじい空襲にさらされ、数多くの軍艦が燃え上がり、町並みも破壊されていく。そんな状況でも懸命に生きていくすずだったが、ついに1945年8月を迎える。
監督・脚本:片渕須直
原作:こうの史代『この世界の片隅に』(双葉社)
音楽:コトリンゴ
アニメーション制作:MAPPA
声の出演:
のん
細谷佳正
稲葉菜月
尾身美詞
小野大輔
潘めぐみ
岩井七世
澁谷天外
配給:東京テアトル
感想(ネタバレ含む)
ここから先はネタバレを含む。
と書いたが、この映画で起こる1945年8月6日に広島で起きる悲劇は、観る人のほぼ全員が知っていることである。
だからこそ、主人公すずが歩んでいく人生、出てくる日付が同時にカウントダウンでもある。
この作品は戦争の時代を描いたものではあるけど、戦争の悲惨さや反戦メッセージを訴えかけているだけの映画ではない。
この映画は"その瞬間にその土地で生きている人々"が描かれているのだ。だからこそ、空襲の中でも、防空壕の中でも時折クスッと笑ってしまうようなシーンが随所に挟まれる。
だからこそ「みんなで笑って暮らせたらええ」という台詞が上っ面の綺麗事に聞こえないのだ。
ちなみに、そうした笑いが入るのは原作が週刊連載だったためである。そのオチの要素がそのまま映画でも受け継がれている。
1人の少女の目を通した戦争下の日本の当たり前の日常とすずの成長を描いた作品だ。
その上で、映画に感情移入するとこは、主人公すずがいかに魅力的で感情移入してしまうようなキャラクターかにかかってると思う。
それを踏まえて映画を観ると、最初の海苔を届けるために、舟に乗っているすずの一連のシーンだけで、観る人全員がこのすずという女の子の可愛らしさに魅了され、この子を応援したくなることだろう。
普段はおっとりして、ちょっと天然なすずだからこそ、終戦の日に怒りを露にし、畑で泣くすずの姿に胸を打たれるのだ。
キャラクターとしては原作漫画でもしっかり描かれているけど、映画化において、それをさらに推進させているのが、主人公すずの声を演じたのんの力によるものだ。
のんの声優
僕はアニメ作品には疎いので声の演技というものは、比較できないけれど、この作品におけるのん(能年玲奈)の演技は最高である。
この作品はすずの声がのんでなかったら、決してこれほどのアニメ作品とならなかったと断言できる。健気さの中に儚さがある声で、時代ごとや出来事によるすずの声の変化も素晴らしいものだった。
何より声の温度が良いと思って、すずというキャラクターに文字通り"命を吹き込んだ"のだ。
広島出身じゃないのに広島弁上手い。個人的にだけど、ポルノファンだけあって、広島弁の日常会話はわりと分かったので嬉しい。
ある女の子の目を通して時代に移り変わりを描いていくというのは、まさに朝ドラではないか。というところものんの配役がさらにぴたりと当てはまっているように思えてしまうのだ。
原作との相違点
僕もご多分に漏れず、映画を観たその足で原作を購入した。
上中下巻を読んだけど、そこで思ったのは、原作の映像化という面でも、ほぼこれ以上ないと言っていいほど原作への愛を感じる映画である。
原作だけにあるシーンもあって、それもまた素晴らしい。
特に中巻の最後の白木リンの
「人が死んだら記憶も消えて無うなる」
「秘密はなかったことになる」
「それはゼイタクな事かも知れんよ。」
この言葉を原作では終盤ですずが回想していたりする。
さらに、ここで出てくる茶碗の話がすずの最後の「笑顔の器になる」(原作では「記憶の器」)という言葉に繋がってるんだろうと思う。
夫である周作もリンの関係も描かれており、リンというキャラクターがさらに深くなる。
また、すずと周作の間に子どもができないことへの2人の関係も描かれている。
細かな時代背景などもあるので、じっくり原作読んでから映画を観るとまた新しい発見があるだろう。
その他細かな覚書
ここからはいくつか箇条書きで。
・選ばなかった道
すずと周作が橋の上で語り合うシーン。周作は選ばなかった道は覚めてしまった夢のようなものであると
そこでは哲にまつわる話を示すように思うが、この言葉はさらに先で時限爆弾により晴美を失ったのシーンにまで繋がっていくのは気付いた時にまた泣いた。
晴美がもしも左側にいたら、あそこに逃げていればなど「たられば」を巡らせるすずだけど、それは周作が語っていた選ばなかった道なのだ。
この「たられば」を抱えながらすずは生きていく。
この「選択」の話は以前歌詞の解釈の時にも書いたが「選ばなかった道がどうなるか知る由はない。だからこそ、選んだ道をしっかり進みその道を正解にするしかない」という言葉を思い出した。
・姉・径子を巡る話
すずの義理の姉にあたる径子のストーリーが特に心を抉られる。
夫の死後実家に娘の晴美を連れて戻るが、晴美を時限爆弾で失ってしまう。
連れていたすずに辛くあたるシーンから胸が痛くなる。ある程度、その後すずを許して仲を再び呼び戻すシーンは来るなとは思っていた。予想はしてたけど、もちろん泣いた。
しかし、その後でひっそりと娘の名を呼びながら泣いている径子が映ると、感情抑えられるわけがないだろう。
・キャラクター
上ですずの魅力について書いたけど、この作品は他のキャラクターが誰も彼もが魅力的である。
おそらく原作が週刊連載でじっくりと各キャラクターを書き分けられていることが大きいのだと思う。
それにしてもすずをはじめ「ありゃー顔」がみんな可愛い。
— かば吉 (@kabakabakababa) 2016年11月1日
・食事描写
書き上げるとキリがないくらい、食事の移り変わりや食事の描写が秀逸である。
この映画は空襲シーンこそあれど、その時にどんな戦況だったとかそういうのはあまり描かれない。それはあくまでも庶民であるすずの目線を通したからだ。
そのすずを通したこの時代を最も反映していたものが、食事である。
配給が減ってきたことや終戦後の白米、とにかく食べてるものを追っているだけでもそれがどういう状況下であったのかが分かるようにできている。
・音楽
これもあちこちで言われてるがコトリンゴさんの音楽が素晴らしすぎる。今ならサントラ聴いただけで涙出るレベル。
細かな演出だけど、すずが料理してて包丁とまな板でバイオリンのように構えて鍋に切ったはこべを入れていくシーンでバイオリンが流れたり、こういう細かな演出も上手いなぁと思った。
・客層
話には聞いていたが、とても年齢層が高かった。本当にリアルタイムで経験したような人たちもいたくらいだった。
横にいたおばあちゃんが時折身体を前のめりにして見入っていたのが印象的だった。
・最後の最後の演出
この映画は絶対エンドロールの最後の最後まで観るべき作品である。
クラウド・ファンディングの賛同者の名前が流れたあと、最後に流れる"ある手の演出"で、僕はまた泣いてしまった。
もうね。この映画、良いところかありすぎてどこから褒めればいいのか分からなくなる。
とにかく、こんな素晴らしい作品が今劇場で見られるんだから、とにかく1人でも多くの人に観て欲しい。
町山さんと宇多丸師匠の解説がとてもタメになるので、観た後に是非聴いてください。
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