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2018年10月23日火曜日

しまなみロマンスポルノ'18 -THE LIVE VIEWING-感想(ネタバレ有)








〈歌の力〉とはなんだろうか。

音にメロディや言葉を乗せ、声にする。

そんな、時代を経て受け継がれてきた音楽に、僕らは何度も心を動かされてきた。

音楽は決してお腹の足しにはならないし、生きていくために必要不可欠なものではない。

それでも僕らは音楽に願いを託すし、音楽に救いすら求めてしまう。


ポルノグラフィティの「しまなみロマンスポルノ'18 -THE LIVE VIEWING-」を観た。いや、観たという言葉は適切でないかもしれない。

そこには間違いなく、LIVEがあった。

※ここから先はネタバレを含むため、ディレイビューイングに参加する方はご注意ください
※迷っているという方、これを読まず、参加してください。後悔はさせません、間違いなく。
※ライヴレポにSONGS感想にと長々書いたはずなのに、結果それに勝るとも劣らない文量になってしまいました


ポルノグラフィティしまなみロマンスポルノ'18 -THE LIVE VIEWING-感想(ネタバレ有)








しまなみロマンスポルノ




あの日のことは、今さら語る必要はないだろう。

ポルノグラフィティにとって、苦渋とも云える決断を強いられた「しまなみロマンスポルノ'18 ~Deep Breath~」の2日目

無情に降り止まぬ雨に泣かされた。

立地の条件などもあり、振替公演は困難であり、そのライヴは幻となってしまった。それでもポルノグラフィティはじめ、スタッフは「次」に向けて奔走していた。

結果、初日のサービスモニター映像を中心にまとめ、映画館でライヴビューイング形式で公開すると決断した。

アミューズの力もあり、今回おさえられた劇場は全国で100館。普段、巨大な事務所とかに対して「金にものをいわせて……」と思ってしまうが、今回の企画に関しては、アミューズという巨大資本の力があったことが何より救いとなった。

当日参加した人数は25000人にも及ぶという。

僕は横浜ブルク13に友人たちと参戦をした。
横浜ではポルノグラフィティのライヴビューイングは初めてなこともあり、周りのファンたちも、どう振る舞えばいいのか迷いつつ、探り探り盛り上がる様は面白かった。


映像は因島からの生中継で始まった。

ポルノグラフィティの2人が映り、ライヴビューイングの開始が宣言された。

そこから映像は2018年9月8日の景色を映し出す。

通常、ライヴのサービスモニターは後ろの席の人たちのために設置されている。一部ドローンの空撮映像が少しと、たまにサポートメンバーが映る程度で、あとのほとんどはポルノグラフィティのメンバー2人のアップの映像が必然的に多くなる。

一方発売されるようなライヴ映像作品であれば、引きの画やクレーンカメラの映像、観客など、様々な角度からライヴを切り取る。それを見馴れているからこそ、今回のライヴ映像はとても新鮮な感覚だった。

初日の映像はMCが少しカットされたくらいで、ほぼそのまま、あの日の映像が流れていく。感覚でいうと上記のように、発売された映像作品として観ていないのもあって、不思議な感覚になっていく。

初めての人向けに左下に曲名と、ほぼすべての曲で歌詞が(容赦なく)映されていた。左下の曲名の出し方はおそらくWOWOWの中継で使用する予定だったものだろう。

セットリストは流れていき、曲順でいけば"愛が呼ぶほうへ"に続く流れ、というところで映像は暗転した。そこで映されたのは先日放送されたNHK「SONGS」のダイジェスト映像であった。



愛が呼ぶほうへ




客席から、声にならない声が零れ始める。

ファンとしては、見るのがとても辛い、高校生たちの前でライヴの中止を発表する姿。
決定的な場面は映らなくとも、脳裏にはどうしても涙する岡野昭仁が目に浮かんでしまう。


その映像から黒い画面になり、言葉が映される。


「そして今日ー」

「あの日実現しなかった歌が完成する」


自分の頭と想像力が貧困なことは分かっているが、なぜこれを想像しなかったのだろう。
考えれば、これほど相応しい舞台はないではないか。

ライヴビューイングは楽しみにしていたけれど、何が起こるかとか、あまり予想しないでいた。それにしても、思いつかなかった自分が恥ずかしい。いや、たとえ予想していたとしても、結果は同じだったかもしれない。





ポルノグラフィティの2人、そして客席に並ぶ因島高校の生徒たち、そして奏でられる"愛が呼ぶほうへ"。

「SONGS」を観てこの子たちがなんとか報われて欲しいと思っていた。この子たちが、あの日中止の決断に悩み苦しんだポルノグラフィティを救ってくれたのだから。

宗本康兵によって輪唱のアレンジが為され、その言葉の広がりがより強まっている。なんて、なんて美しい歌声なのだろう。そこには悔しさが滲み出ることなんてなくて、純粋なる〈歌〉への想いが込もっている。


しまなみロマンスポルノでどこか吹っ切れられなかった自分もいて。初日の後も、2日目の中止発表後もどこか心の置き場所が定まらないまま日々を過ごしてきた。

そのモヤモヤした胸のツカエが「SONGS」で取れた気がしていた。間接的にであっても、あの日の起きたことを捉えた映像で溜飲が下がる思いになれた。

しかし、それだけではやはり足りなかったのだ。そしてそれを乗り越えられたのもまたポルノグラフィティの力だった。


「ライヴができなかった悔しさをこれからの活動で返していきたい」と新藤晴一は語った。長年この人たちを見てきたからこそ、その言葉が嘘ではないと知っている。ポルノグラフィティがあの日を乗り越えることは、ファンにとっても同じことなのだ。


9月9日。歌の力によって救われたポルノグラフィティが、歌の力でまた希望をくれた。優しさは円環となり、全てを包み込んだ。

それを思うと、その前の"ROLL"における君の中に見つけてしまった不安や悲しみ、それはあの日の心境ではないか。そうであるからこそ、恐れとなったのは危惧していた事態が実現してしまった、現実

しかし"ROLL"の力が凄いところは、それすら正面から受け止め「僕がすべて抱いてあげる」という包容力で包み込んでしまうところにある。そこで見据えているのは、過去ではなく未来なのだ。

そんな未来こそが、まさに「愛が呼んだ」ところだったのではないだろうか。



故郷




"愛が呼ぶほうへ"の演奏を終えた2人は、生徒たちよりコメントをもらう。岡野昭仁は男の子の名前を間違え、生徒会長の新田さんは「SONGS」に続き高校生とは思えぬほどしっかりしたコメントをして、2人を唸らせる。たぶん新田さんは、観ていた僕らポンコツ3人を足したよりもしっかりしてる。

そしてメンバー2人は再び市民会館の屋上へ。
秋祭りをやってるとのことで、遠くから太鼓の音や子どもの声が聴こえてくる。

そこで岡野昭仁は「自分の思い出を繋ぎ合わせて歌詞にした」と語り、美しい瀬戸内の夕暮れをバックに"Aokage"を披露。






とてもパーソナルな曲なのに、こうして曲になると僕らにとって追体験(疑似体験)したような共通の記憶になる。まるで自分で体験したかのように、その景色が鮮やかに映る。

僕らは知っている、真剣に追いかけっこする男女の姿を。

音楽には時折あることだが、そんな不思議な共感覚を、今回特に強く感じた。

そしてあの日のプログラムにはなかった、特別なセットリストへ。広島弁(正確にいうと岡山寄りの備後弁というらしい)の曲を、"邪険にしないで"
もしかしたら、初日も本来はセットリストに入ってたのかな、とも思えた。開演が遅れたことで、カットされたという可能性もある。

演奏にキーボードの宗本康兵が加わり、演奏を始めるが岡野昭仁が「あ!ストップ!紹介し忘れましたキーボード宗本康兵です!」と思いっきり天然を炸裂させる。

宗本康兵も「いや、演奏止めてまで紹介しなくていいですよ」という顔で苦笑している。岡野昭仁、本当に愛すべき人だ。

そんなこともありながら、唄い出した岡野昭仁の声はどこまでも伸びやかで、空に届くまで澄みきって響き続けるよう。

あらためて歌詞の、


こがいに近くにおったのに気付かんこともある
こがいに近くにおればこそわからんこともある


というフレーズが心に刺さった。
実はこれ全く違う角度から"カメレオン・レンズ"と同じテーマを唄っていたんだな。

傾いてきた夕暮れの景色は、あまりに見事な佳景である。

余談だが、新藤晴一は屋上ではアンプをフェンダーのTWIN REVERBを使用していて、ちょっと新鮮だった。こうして知っているアンプで聴くと尚更ヴィンテージのテレキャスターの音の素晴らしさが体感できる。

そして「MATCHLESSならそりゃ良い音するわ」という嫉妬心を粉々に打ち砕かれる。当然、TWIN REVERBもそれはそれは良いアンプだということを置いておいても、やはり弾き手の問題なのだ。反省。


そこから映像は再び9月8日に戻る。











視線の先




"Mugen"の熱、それを冷ますように強くなる雨に打たれた"サボテン"。

そして、19年前のその日、すべてが始まった"アポロ"。当日は様々なことがあって、盛り上がったという記憶しかなかったが、こうしてあらためて聴く"アポロ"は、自分で感じたことのないほど感慨が深い気持ちになった。

それはメンバーの嬉しそうな表情が、当日以上によく見えたからかもしれない。

そして、過去への旅は終わり、時間は一気に2018年へと移る。19年を経たからこそ、"ブレス"に説得力が生まれ、それでも尚"アポロ"から変わらない音楽への情熱がそこにある。

"狼"、"Century Lovers"に入ってくると、探り探りだった劇場内にも少しずつ熱を帯び始めた。"狼"でのスモークによって岡野昭仁の姿が完全に隠れてしまったのは、映像で観ると尚更シュールで場内は笑いに包まれた。百戦錬磨のカメラマンたちですら、その姿を捉えられないのだ。


そして、"ミュージック・アワー"のジングルが流れた瞬間、その景色はリアルタイムの因島へ。因島市民会館での生中継のライヴ映像へと変わる。

ここで先ほど歌でポルノグラフィティを支えた因島高校の生徒たちが、またしても2人を支えることとなった。たとえばこれが無観客のライヴであったなら。2人もサポートミュージシャンたちも懸命に演奏するだろうが、これほど熱を持った演奏ができなかったと思う。

テレビでの演奏もそうだが、観客の有無はパフォーマンスに大きな影響を及ぼす。たとえカメラの向こう側に多くの人の目があるとしても、視線の先にあるものはカメラに過ぎない。だからこそ、特番などで、観客がいる状態でのパフォーマンスは熱が入っている。

同様に今回は生徒たちがいたことで、歌も煽ることもブレることなく集中できるし、反応が返ってくるというのは、あまりに大きい。それに2人からの高校生たちへの感謝の気持ちがそこに宿ったことで、より力が入ったのだろう。

自分たちのデビュー後に生まれた高校生たちにこれほど想いが届いた、その事実が自信を与えたのだとも思う。それは先輩としての、いや年齢なんて関係ない1人の人間としての恩返しのように。

同時にステージメンバー全員は信じていたのだと思う。レンズの向こう側にいるファンたちの姿を。たとえ姿が見えなくても「君たちなら大丈夫だろ?」という声が聴こえてきそうだった。そこにある信頼関係こそが19年という年月が与えたものである。


「また故郷を唄った曲をやります」という岡野昭仁の言葉から、ある思い出が語られる。

10数年前のある日、夜中に突然幼馴染から電話が入った。そこで言われたのは「最近どうだ?仕事は大変じゃないか?」という言葉。それに対して岡野昭仁は「大変なこともあるけど、好きなことをしているから、楽しいよ」と答えたそうだ。

実はその幼馴染は仕事で深夜まで働いて帰る途中に、車を停めて電話してきたそうだ。
落ち込んだ気持ちのまま、妻と子どもが寝ている家へ帰れない心境になっていた。そこで岡野昭仁に「仕事大変だよ」と言ってもらいたくて、2人で慰め合うようなつもりで電話したという。

しかし岡野昭仁は天然さから、素っ頓狂(本人談)に「楽しいよ」と言ってしまった。しかし、その友人はその言葉で「アイツのように俺も仕事を好きになれるくらい頑張ってみよう」と逆に気持ちがスッキリしたという。

そんな出来事を唄った曲、それが"そらいろ"であった。

このエピソードは、少なくとも僕の知っている限りでは初めて耳にしたものだと思う。このエピソードを聴くと、より歌詞の意味合いが違って聴こえてくる。そこで岡野昭仁は生徒たちへ「いま横にいる仲間は大切なものである」と語る。


※ここから少し個人的な話になりますがご容赦を

折しも幼馴染の2人と僕は観に行っていた。仕事や結婚などで、以前よりは集まる機会は減っても、顔を合わせればすぐにいつもと変わらない関係になれる、腐れ縁とも呼べる2人の大切な友人たち。

岡野昭仁の言葉は因島高校の後輩たちに向けられたものである。しかし、それがスクリーン越しに自分たちへ語られたような気持ちになった。

臭い言葉でいえば、こいつらがいたから僕は何度も救われてきた。それぞれが、それぞれの楽しみも苦労も抱えていて。それを分かりあっているからこそ、この曲をこの3人で聴くことができたことが、何より感慨深いものであった。

これはライヴレポでも書いたが、だからこそこの曲が歳を重ねるごとに、より一層胸に響くものになってきたのだ。

生中継に入ってもバックのスクリーンには、9月8日の場面が映されていた。

つまり、豪雨被害の映像も。それでも新藤晴一の言うとおり、少しずつでも、確実に復興は進んでいる。それを確認するためにも、また広島を訪れたい。



舞台と映画




"ハネウマライダー"では最後のサビを3回も繰り返し(初日は2回繰り返した)、いつも以上にサービス精神を振り撒いて、その熱は客席を動かし、まるでそこでライヴが行われているかのような錯覚さえ与える。

そして"アゲハ蝶"

どれだけ声を挙げても届かないにも関わらず、僕らは自然に声を挙げてしまう。それはライヴビューイングである応援上映とも、絶叫上映とも違う。自分の内側の衝動から生まれた声であるからだ。

たとえ同じ空間でないとしても、同じ時に同じ感情を共有し合う、それこそがLIVEで、音楽の力が空間を越える瞬間を確かにそこに観たのだ。

直接声が届かなくとも、その声が因島にいるメンバーたちに響いている、そう確信が持てる信頼関係があったからこそ、劇場に木霊した声は、ライヴ会場に響き渡るそれと同じ感動をもたらす。


最後の"ジレンマ"までくると、いよいよ没入感は強まり、ほぼ客席からライヴを観ている気持ちになる。

最後の音が鳴り止んだ瞬間、全国100箇所の劇場が1つになり、強烈なシンクロニシティが生まれた。寄り添って月を見ても、それは同じ月には見えていない、人と人は最後に終には分かり合うことができない、ということを先にも例を出した"カメレオン・レンズは唄った。だが間違いなく僕らはあの時同じ景色を眺めていたのだ。

ライヴビューイングの翌日、僕は「少女革命ウテナ」や「廻るピングドラム」の幾原邦彦監督のトークショーに参加をした。テーマは寺山修司であった。

そこで聴き手役の三浦雅士氏が「映画やテレビは内に向かっているけど、演劇(舞台)は外に向かっている」という話がでた。そこで「舞台は客席から舞台に上がって人を殺せるが、映画はできない。そこに決定的な違いがある」と語った。

ちょっと乱暴な言葉ではあるのだけど、まさしくその通りで、音楽のライヴであっても同じことだ。しかしあの時、僕は見終わってから錯覚に陥っていた。いまここで観たものはなんだったのだろう。

映画だろうか、ドキュメントだろうか、或いは生中継の映像だったのだろうか。否。

あの時、僕は確かにそこに、LIVEを体感したのだ。

今になってちょっと冷静になった目で見ると、ライヴでも席が遠かったりすると、サービスモニターの映像に頼るしかないから、席がステージから遠いライヴに参戦したと思えたのたかもしれない。そうであったとしても、そこまでの没入感を味わえる経験とは、そうそうあるものではない。


今回、岡野昭仁は人の名前間違えるわ、イントロで曲止めるわ、曲順間違えて紹介しそうになるわ、「ビール瓶の上で唄ってた」なんて言うわ、最後のコメントで噛むわ、素っ頓狂を体現するくらいぐちゃぐちゃであった。それなのに唄うとすべてを打ち消して、メッセージを全身から発していて。だからこそ、僕らは岡野昭仁という人が大好きなのだ。僕らはこの人の声に生かされているのだ。


岡野昭仁が与えるもの、それは深夜に電話してきた友人が感じたものと同じものかもしれない。本人さえ自覚しないその人間としての魅力が広がり、こうして今に至っている。
それこそ、まさに"BUTTERFLY EFFECT"ではないか。


無論、新藤晴一という人間も同じだ。表情に出そうとしなくても、この人も自然にそれが出てしまうのだ。

前に今までライヴで印象的だった曲は?という類いの問いにつま恋ロマンスポルノの"∠RECEIVER"を挙げていた。それほど、曲をリリースした時以上の意味を持ち、それをあの場で披露できたことへの意義を深く感じていた。

それが今回の"愛が呼ぶほうへ"でも同じだったのではないだろうか。いや、もうとっくになっていたのかもしれない。2005年の因島の学生たちに披露したあの日から。あの時の小学生たちの歌声の強さに驚き、思わず顔を綻ばせた2人を、僕らは知っているから。

それが十数年の時を経て、同じ場所で、再び後輩たちの歌声によって、"愛が呼ぶほうへ"は大きく育ってゆく。それは創り手にとって何よりの喜びであるのだから。


今年、何度も感じさせられた気持ち。同じことの繰り返しになってしまうが、それでもまた僕は言わなければならない。

ポルノグラフィティのファンでいることが誇らしい。

そして、やっぱり僕はポルノグラフィティが大好きなのだと。


あらためて考える。

〈歌の力〉とはなんだろうか。

歌は、音楽においても、特別な力である。何も楽器は使わない、自分自身の身体から音楽を生み出す行為と云える。

〈歌の力〉それは「SONGS」においても語られていたではないか。


歌とは、人の心を動かすための原動力なのだ。


時に歌の力を信じきれなくなったとしても、それでも乗り越える力をくれるのが歌なのだ。
今年、僕の中にまた刻まれた大切な言葉のように。


「争いはなくなると信じてる。それを出来るのがアーティストだ。彼らは表現者として、人々の目や耳を傾けさせることを喜びとしている。 
もし 世界中のアーティストが力を合わせて『今は ここを見て』って、ひとつのことにスポットライトを当てる事に成功すれば、戦争だって止められるんだ」


音楽に力は、やはりあるのだ。

人間の想像なんて呆気なく超えてしまうほどの、強烈なパワーが。


長くなりましたが、ごめんなさい、最後にもう1つだけ。

どうしても書いておかなければいけないことを。



マイナスからプラスへ




あぁ、いけない。またこんなに書いてしまった。ここまで読んでいただいてる方、本当にありがとうございます。読んでいただいた方は新田さんのような天使でしょうか。

最後に1つだけ。完成した、と言い切りたい今回のしまなみロマンスポルノにどうしても答えを見出だせないことがある。

ライヴビューイングで得た感動は、2日目のライヴが中止になり「SONGS」を見たことで、増すものとなった。

それは中止という悲劇を受けて一度ドン底まで落ち込んだ気持ちが、リバウンドするように昇華して得た感動なのである。

そう思った時に、これを手放しで喜んでいいのか、という気持ちを拭えなかった。

前にも書いたが、中止が発表になった時にたまたま出逢ったファンの女性は、北海道で震災後の混乱した中でなんとか飛行機に乗り、2日目のライヴに参戦する予定であった。

その想いが頭を過ってしまう。果たしてあの女性はライヴビューイングを観れたのだろうか。そして、僕らと同じように楽しんで、感動できたのだろうか。


僕に、その気持ちを知る由はついぞない。


だからこそ「あの悲劇があったから、この感動がある」なんて思ってしまった自分を、どこか許せずにいる。

果たして、それでいいのだろうか。
マイナスからプラスへ、心の揺りかごの中で流動する。自分の力では抑えないものに対して、感情は剥き出しとなる。

今年僕は春にもそれを経験した。「BUTTERFLY EFFECT」ツアーの八王子公演。たとえば振替公演の日、どうしても行けなかったとしたら。


終わりよければすべて良し、だとしても、そこで終われない人もいる。


もちろん、自然の猛威に逆らうことはできない。そしてポルノグラフィティ自身が、チーム含めて一丸となってそれを乗り越えるために、こんなに懸命に動いてライヴビューイングが実現してくれたことへの感謝は尽きない。

少なくとも可能な限り最大公約数の人たちが報われる、これが限界の対応だろう。


全員が幸せになる方法はないのかもしれない。


しかし、今回どうしても叶わなかった人が、またこの先でそれ以上の喜びで報われることを願い、僕はこの記事を終えたいと思う。


ありがとうございました。


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2 件のコメント:

  1. レポありがとうございました。
    9/8参加&LVも地元で見させていただきました。
    初日比で見れば「邪険に」が追加になり、「Aokage」が繰り上がった形でしたが、
    本来はこちらが予定のセトリだったのかもしれませんね。
    (時間が推して両曲Cutしたが「Aokage」だけやはり捻じ込んだというか)
    一部報道が「無観客ライブ」と書いていましたが、それは違うと思いました。
    因島高校の生徒さんがいたからころ、あれだけ盛り上がった、
    ハネウマのサビ三回リピートとか、なんですか!
    昭仁さん、カメラ目線で顔がうるさかったよ!(褒め言葉です)
    因島高校の皆さんがいてくださって、しまなみロマンスポルノが完結した、
    いやこれからのポルノグラフィティが始まったのかもしれません。
    願わくば、9/8映像に今回のスペシャルライブも上手くミックスした形で
    映像作品として残していただけることを切に願うばかりです。

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    返信
    1. コメントありがとうございます!
      邪険にしないではとても良かったですよね。久しぶりに聴けて感動しました。

      あそこで高校生たちがいなかったら、絶対印象はもっと弱くなっていたと思います。好意的に受けめれば高校生たちも観客でなく演者側の役目を果たしたとも取れるので、そう思うことにしてます。

      カメラの奪い合いに後半は笑いが止まりませんでした笑
      ディレイでも見れないという方もいるみたいですし、なんとか映像化を検討して欲しいですよね。

      削除