2018年9月23日日曜日

SONGS ポルノグラフィティ×密着・20年目のふるさとライブがダメ、本当にダメ






NHKで放送しているSONGSで「ポルノグラフィティ×密着・20年目のふるさとライブ」が放送された。


この番組についてファンとして"ダメ"と思う瞬間が何度あったろうと思い返す。
まず、発表からである。放送されるとなった瞬間から、もう"ダメ"であった。

SONGSという番組の素晴らしさは、云うまでもない。これほどアーティストとしっかり向き合ってくれる番組というのは、数少ない。
それだけで感動していたら、さらにダメ押しとなったのが公開されたあらすじである。




SONGS ポルノグラフィティ×密着・20年目のふるさとライブ



地元・広島でデビュー20年目を記念する大型野外ライブを企画した2人。
その準備中、西日本を未曾有の豪雨が襲う。「自分たちにできることは…?」。
半年にわたる取材で見えたのは、2人の音楽の根底にある故郷への愛と、どんな雨に打たれようと立ち上がる強さだった。

1999年9月、「アポロ」で彗星の如くデビューを飾ったポルノグラフィティ。以来、数々のヒット曲を送り出してきた彼らは、今秋、デビュー20周年イヤーに突入する。その記念すべき1年の幕開きとして企画したのが、故郷・広島県での大型野外ライブ。自分たちを育み、デビュー後も応援し続けてくれた生まれ故郷への恩返しだ。しかし、着々と準備を進めていた7月、西日本を、悪夢のような豪雨災害が襲った。愛する故郷のために、自分たちには何ができるのか。葛藤の末に2人が出した結論は、予定通りライブを実施することだった。

番組では、2人の母校・因島高校の卒業式にサプライズ登場してライブ開催を発表した3月から、9月8・9日の本番まで、半年にわたって彼らを取材。迎えたライブ本番の日には、思いもよらぬ結末が待っていた。2人が言葉を詰まらせながら語った、故郷と音楽に対する思いとは。

またスタジオでは、疾走感溢れる名曲「ハネウマライダー」や、アニメ映画主題歌として話題の新曲「ブレス」を披露。キャリア20年目を迎え、ますます輝きを増すポルノグラフィティの世界を、魅力たっぷりに届ける。


あらすじを読んだだけで画が浮かんだ。

あのライヴにまつわるものは、映像としては見れてなくて記事の写真とか、そういう断片的なものばかりだった。
それでも、写真が自然と「きっと、こうなる」という映像に変わっていて、脳内SONGSが勝手に放映されてしまっていた。

このあらすじを受けてファンも「見たいけど見たくない」という空気が漂っていて、その気持ちが痛いほど分かって。
そうしたらSONGSのTwitterがこれである。









担当Dと熱い握手を交わしたい。

そして放送が始まった。

大泉洋が出て、しっかり小ボケをしてから本編へ。

話は3月へ。
因島高校の卒業式に参加した2人。デビューと同じ年に生まれた後輩の高校生たちを音楽で送り出した。

そこからしまなみロマンスポルノの話題へ。現地の下見をする場面が出るけれど、これがまた雨で、このシーンがこれからの展開の象徴でもあり、暗示ともなる。
2人のことだから、当日の天気についてはナーバスになるくらい心配していたと思う。それを思うと、この雨で何を考えていたのか、考えてると胸が痛む。

同時に、だからこそその後の豪雨被害からの開催の決断収益寄付というポルノグラフィティの決意があまりに重いものであると、痛感させられるのだ。

高校生たちの練習風景と、意気込み。
当たり前のことなのに、見るまで全然気付いてなかった。そうだよ、みんな当日だけ頑張るわけじゃない。

当日まで何度もたくさん練習して、おそらくプレッシャーも相当凄かったと思う。
そんなことにようやく気付いた自分が、情けない。


途中で流れたスタジオでの"ハネウマライダー"の演奏シーン。
これ、いつ収録したんだろう。

もちろんテレビでの演奏だからというのはあるけど、どこかいつもの"ハネウマライダー"とは違って響いた。

当然のようにいつも聴いていた曲なのに、また今更気付いた。

そうだよ、これもまた、旅立ちの歌だったじゃないか。

新たな旅立ちにモーターバイク
オンボロに見えるかい?
ハンドルはないけれど曲がるつもりもない
ブレーキが軋むなら 止まるのを諦めて


序盤で因島高校時代とか大阪時代の映像があったからこそ、この歌詞が今までのポルノグラフィティの活動と重なって。
がむしゃらに走り続けてきた19年間。

けれどそうなったのは2人だけじゃなくて。


僕たちは、自分の時間を動かす歯車を持っていて、
それは一人でいるなら勝手な速度で廻る。
他の誰かと、例えば君と、触れ合った瞬間に、
歯車が噛みあって時間を刻む。



初日のライヴの終盤で「僕らがやってこれたのは、スタッフやサポートミュージシャンがいて、当時はTamaもいて、Tamaも支えてくれて、そして何より君たちが支えてくれたからです。」と岡野昭仁は語った。

"Working men blues"で「歯車になんかなりたすないんだと/ロック歌手が得意げ 声高に叫ぶ/そういうあなたには明日は変えられないよ きっと」という歌詞がある。

これが「ロックで食ってくなんて言った人間だから、ありきたりに『故郷を捨ててやる』って気持ちで出てきた。けれど、今は故郷がとても大切になってきた」という新藤晴一の言葉にも重なって。

誰しもがポルノグラフィティという歯車に触れて、回してきたからこそ19年という時間が確かに刻まれてきたのだ。

そして、物語はライヴ当日へ。








9/8(土)の映像。
雨の中集まったファンたち。

舞台に上がる前に「雨ですけど」というメンバーの姿。そしてステージで見せた笑顔。
経緯が分かったからこそ、その笑顔はいつもと違って見えてしまう。

開催できたこと、そして集まってくれたこと、想いが届けられること。

短いながらも、あの日のライヴが見れて、断片だからこそそれを補正するように記憶が次々と蘇っていく。
それだけでも良かったけど、叶うなら"そらいろ"を少しでも流して欲しかったなというのは、欲張りかな。

あそこで豪雨被害の映像があったからこそ、歌詞がより響いたので。


運命の2日目。

僕らが想像するしかなかった、中止までの決断がカメラに収められていた。

警報が出た瞬間の2人の表情は、何度見ても辛い。
「なんとか」という想いもあったとしても、あの瞬間に中止にせざるを得ない覚悟が生まれたんだと思う。

高校生たちの前で中止を発表するメンバー。

途中で言葉を呑んで涙する岡野昭仁の姿。

慟哭。

そして新藤晴一。

新藤晴一という人はどんな時もプロでありたいと思っている人だと思う。だから、これまでも感情的になる姿をあまり見せないと思っていて。
それでも、あの表情は、今まで見たことなかった。

自身のショックも、悔しさも計り知れないだろう。
会場に流したコメントもそうだったけど、言葉の人だからこそとても慎重に言葉を選んでいて、感情を呑み込んであの場で語る姿は、あまりに辛い。

彼らをずっと見てきたからこそ、自分たちのことより真っ先に人のことを心配してしまうほど優しい人たちだって知っている。
何度も高校生たちに謝る姿。2人が一番辛いって分かっているのに。

だからこそ、あそこで生まれた"愛が呼ぶほうへ"の合唱、それが2人にとっての"救い"となったんじゃないかなと思う。

初日"愛が呼ぶほうへ"について「次にやる曲は僕らにとっても大切な曲だけど、みなさんが長い時間を掛けて育ててくれて、どんどん大きくなっていった曲です」と言って演奏した。

この曲を大きくした要素の1つは2005年に行われた因島でのライヴだろう。あの時の学生たちとの合唱は2人にとってとても大切な瞬間であったはずだ。

それからも大切な曲として演奏されてきて、僕らは何度も感動させられてきた。


償う人の背に降り続く雨
綺麗な水をあげよう 望むまま
戸惑う人の目に吹きつける風
見えぬなら閉じればいい 手をとってあげよう


ここで描かれるのは"慈悲"そして"慈愛"。

たとえば"ルーズ"の歌詞で「愛は誰か に見せたり まして誇るようなものではなくて/どんな形 どんな色 そっと秘めたまま」とあるように、"愛"とは、ただそこにあるもの。


たとえ音楽が世界を変える力がないとしても、人智を越えた力を持っているのもまた音楽なのだ。
音楽で何度も僕らを救ってきてくれた2人が、その音楽によって救われた。

開催をするという決意について新藤晴一はこうコメントしていた。


「平成30年7月豪雨」で被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。

甚大な被害があってから、わずか2カ月後に大規模なライヴを行うこと、中止、延期を含め、スタッフ、メンバーで考えてきました。

どちらの選択をするにせよ、ポジティヴな要素、ネガティヴな要素が同居していて、なかなか答えには辿りつけませんでした。

それならばと、よりポジティヴな要素が多い方、つまりミュージシャンとして音を奏でるという選択をしました。

現在進行形で大変なご苦労をされている方たちにとっては甘い考えだと、お叱りを受けることもあると思います。

災害後、広島カープの選手が口々に「野球しかできないので」と言い、その必死のプレーで、エールを送っている姿を見て、我々も「音を奏でるしかできない」が、“何か”“少しでも”という気持ちでいます。

9月8、9日、地元はもとより、全国から集まってくれるファンの方々と一緒に最高にポジティヴな時間を作り、“何か”“少しでも”を探したいと思います。

新藤 晴一

公式サイトより


ミュージシャンは音を奏でるしかできない。それなのに雨によって、それが潰えてしまった瞬間、音楽がミュージシャンを救った。
高校生たちの「歌って!」という"何か""少しでも"という声によって。


だからこそ辛く言葉を噛み締めるようにしていた2人が、歌っている間、笑顔になった。

奇跡と呼べるだろうか、偶然と呼べるだろうか、それともそれは必然であったのではないか。

本当に、あの高校生たちが良い子で見ながら何度も「ありがとう」と思ってしまう。
そんな子たちだからこそ、なんとかもう1度トライして実現してくれないかなと願ってしまう。

それが相応しい舞台があるなら、紅白しかないではないか。

多くの災害、多くの犠牲によって傷ついた2018年という年、その年にあの歌が必要ではないか。

もちろん大阪でのカウントダウンライヴはあるけれど、中継でも、高校生たちが難しければ録画映像でもいい。
なんとか実現してくれないだろうか。


そして新たに撮りおろされたインタビュー。そこには新たな決意を胸に前へ踏み出す2人が映っていた。


そこから歌われるのが"ブレス"。


メロディは音符と休符が作る
ブレスのできない歌は誰も歌えやしない
晴れた日も雨の日もあるように 朝と夜が今日も巡ってくように
出会いとさよなら繰り返す旅人のように


僕らも前に進まなければならない。

辛い出来事があったからこそ、新しい希望を探して、「新たな旅立ち」へ。


……と、ここまででも十分泣いていた。
見ながら何度も「ダメだぁ、もうダメだなぁ」と言いながら。


それなのに、最後に出てくる大泉洋の涙。

「水曜どうでしょう」をはじめ、この人も長く見続けてきた。

この人の涙は、嘘が無い。捻くれてるのにとても素直な人だから。
だからこそ、あそこで涙する大泉洋の姿は、ダメ押しであった。

ライヴの2日前に発生した北海道での震災。
そこで、故郷を思ってコメントしている。


いま北海道にいない私には、なんと書いて良いのか、本当に言葉になりません。

でもこのダイアリーを読んでくれてる人には、伝わると信じて、書き込みます。

なんとか頑張って下さい。

少しでも早く停電がおさまると良いのですが。

明るいうちに出来る準備を出来るだけすすめて下さい。

皆さんのご無事と、少しでも被害が小さくおさまることをひたすら祈っております。


大泉洋という人はおちゃらけているようで、根は実は真面目な人で、表現者として自分に何ができるかとても悩んでいたんだと思う。
だからこそ、あの最後の「歌の力は凄い」というコメントには言霊が宿っていて、その涙には真実がある。


欲を言えば、正直30分というのはあまりに短い。

きっと担当のディレクターが断腸の思いで切り取ったシーンが数多くあるだろう。
せめて1時間、それよりももっと。

いつの日か完全版として放送してくれないでしょうか。

そう願って止みません。

それでも、この放送があったからこそ、僕らは本当に「しまなみロマンスポルノ'18〜Deep Breath」というライヴを受け止めることができました。

本当に感謝しかありません。

ありがとうございました。







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