2018年9月14日金曜日

【ライヴレポ】しまなみロマンスポルノ'18~Deep Breath~ネタバレ&セットリスト











2018年9月8日

ポルノグラフィティはデビュー丸19年を迎え、そして20周年イヤーに突入した。

20年というのは、当たり前だが、長い。とてつもなく長い。

時間にして20年という年月が経っているのだから。

僕らが今知っているようなアーティスト、バンド、正に星の数ほど生まれては消えてゆく者たちの中から残った、たった一握りの、砂粒のような存在だ。音楽でご飯を食べていく。それすらままならないアーティストは世の中に、まさに掃いて捨てるほどいる。リサイクルも追いつかないほどだ。

それもメジャーという舞台で、20年近く第一線を走り続けることそれは「シェイクスピアを見たことがない男がネコをキーボードの上で歩き回らせ、いつか偶然にもシェイクスピアの戯曲が完成するのを待っている。そんな無駄な挑戦だ※」というほどのことなのだ。
※マンガ『魔人探偵脳噛ネウロ』より



普段当たり前にいるポルノグラフィティという存在。僕らは実はそんな奇跡の瞬間をリアルタイムで見続けているともいえる。


そんなポルノグラフィティが開催した「しまなみロマンスポルノ'18~Deep Breath~」。尾道ではかつてない規模のスケールでの野外ライヴ2Daysである。

開催の経緯などについては、過去に記事にしているので、今回は割愛させていただく。

そのライヴで起こった様々な自体について、書いていきたい。いつも長いことでお馴染みだが、今回はそれよりも更に長くなることをご容赦願いたい。最後の方、朦朧としながら書いていたら、1万5000字越えてました。しかも暑苦しいほど魂を込めてます。


どうだ、読みたくなくなっただろう。


しかしながら、それほど熱量を込めて書かざるをえないライヴであったのだ。

参戦した方の記憶が少しでも呼び戻せるように、悔しくも行けなかった方がどんなライヴであったか伝わるように、なるべく省略せず書いていきたい。

※と思っていたが、初日の映像などを使用して劇場でライヴ・ビューイングをすることが計画されているそうなので、真っ白な気持ちで堪能したいという方はご注意を








デビュー19年にあたる、その日。


尾道の天候は生憎の雨。弱い雨が降ったり止んだりを繰り返していた。シャトルバスで会場に着いてから、グッズに並ぶ時間はなさそうだったので、ポンチョだけ引き換えして入場口へ向かった。会場の陸上競技場はアリーナとスタンドを上手(ステージに向かって右側)からAブロック~Eブロックまでに区切ったスタイルだった。ちなみに僕はD3ブロックだった。

開演まで30分を切った段階でも、場内にはまだ全然人が入りきっていないようだった。ギリギリになっても入場の列は消えず結局30分ほど開演は押し、ようやくライヴはスタートした。
元々入口までの導線が細い上、初日はエリアマップも少なかったので混乱し想像以上に入場まで遅れを招いていたようだ。

退場については、初日においての最大の問題となったが、それについては、後日別の記事にまとめたい。


"開幕宣言"と題され、元広島カープの山本浩二氏によるコメント、開幕宣言が場内に響く。
メンバーが登場し「しまなみロマンスポルノへようこそ!」という岡野昭仁の声と共にライヴは始まった。

聴こえてきたイントロは"キング&クイーン"。前回のツアー「BUTTERFLY EFFECT」の本編ラストを飾った曲、そして壁に立ち向かうへ挑戦する者たちへのエール、それはあまりに鮮やかなバトンとなって、新たな未来へ希望を託すように響く。

この空が青空だったなら、どんなに美しかっただろう。しかし、アスリートが困難に立ち向かうように、この曲は困難に打ち勝つという宣言にも聴こえた。

以前も書いたが、どちらかというとひねくれまくっている僕が、ストレートなメッセージソングにこれほど入れ込むということは珍しいことだ。今回のライヴでもその突き抜けるようなメッセージは、僕の心に直接響いていくようだった。

スクリーンにシングルのジャケットが映され、それがカタカタと動いて遡っていく。止まったのは、この曲のジャケット。


"ワン・ウーマン・ショー〜甘い幻〜"
この曲が2曲目に選ばれたのは、あまりに意外であった。
セオリーという言葉になってしまうが、大抵ライヴの2曲目というのは、ライヴをさらに勢いづける役割を担うからだ。
そして、この曲はヴォーカルとしてもかなり難易度が高い曲なので、序盤でこれをやるということが、いかに挑戦であるか。

それにシングルのバラード曲というのはライヴで積極的にやっていかなくなる傾向にあるので、僕自身にとって大切な曲をこうして聴けたことが嬉しい。

北海道で震災があり、それでも「停電で暗くなったけど、だからこそ星が綺麗」と美しい星空の写真をSNSにアップする人々が現れた。







星降る夜空に朝日の幕が下り
静かに消えたのは 甘い幻


星空に心を映して、今の現状を想う。
このフレーズでそのことをふと思い出した。

今回新たにベーシストとしてサポートに加わった高間有一のベースが素晴らしい。そしてtasukuの弾くアコギの音色が相まって、曲の世界観をさらに広げていた。岡野昭仁の声も以前聴いたときよりも曲の世界を美しく彩っている。

続くのは"瞬く星の下で"。ヴィンテージのテレキャスターからヒスコレのレスポール※に持ち替えた新藤晴一の音色が素晴らしい。この曲をバンドとして聴くのは実は結構久しぶりなのだなと思う。本当に好きなギターソロだ。
どこまでも広がっていくサウンドは、野外にとてもよく合う。
※ヒスコレでなくてG'Seven Guitarsのレスポールでした



「今日の涙は明日の笑顔になったらいいけど」という歌詞は、この現状を表しているようで、リリース時よりもさらに強い意味を持つ言葉となった。


「わしらがポルノグラフィティじゃ!」の言葉。この言葉を聴くたびに、また幸せな場所に戻ってこれたんだ、という気持ちになる。2人の言葉から遠いこの場所までよく来てくれた、という想いが伝わる。そして新藤晴一の「もしかすると、雨が降ってるかもしれない。でも地球に住んでる限り仕方ない」というMCが笑いを誘う。


岡野昭仁「しまなみロマンスポルノ、楽しんでくれてますか!僕らはめちゃくちゃ楽しいです!みんな来るのは大変だったかと思いますが、来てくれて本当にありがとうございます。本当にいいところなので、しまなみを楽しんでいってください!
7月に豪雨による被害があって、それから大阪での台風の被害、そして北海道での地震があり、大変な事態が続いています。そんな時だからこそ、みんなで歌って、一つになりましょう!」


"ワンモアタイム"
ヴォーカリストが書く歌詞が持つ最大の強みは「歌詞に込めた気持ちを言葉にして伝えることができる」ことだ。ポルノグラフィティの良さはそうした岡野昭仁の歌詞と、作家的な視点から歌詞を書く新藤晴一2人の個性に他ならない。"ワンモアタイム"は岡野昭仁のヴォーカリストとして使える最大限の魅力を詰め込んだ曲だ。

後述もするが今回のライヴは結果的に「つま恋ロマンスポルノ'11~ポルノ丸~」と呼応する構図になった。自然の猛威によって奪われたもの。そして残された者たちが感じたこと。"ワンモアタイム"は2011年の東日本大震災を受けて書かれた。


無力を嘆いて 黙っても
悲しみに怯え 逃げても
あなたを守れなければ終わり ならばどうする?


この曲は前向きな曲であるが、それは背中を押してくれる類いのものではない。

「いつかきっと 唄いたい君と 僕らの未来の詩を~♪」なんて唄っているナオト・インティライミに「今やれ、バカ」と平手打ちを喰らわせるものだ。


それは、心臓を鷲掴みにして「本当に守りたいものを守りたいなら、お前はどうする?」という問い掛けだ。だからこそ、それは決して生易しいメッセージソングではないのだ。
しかしながらそんな強いメッセージの中にも優しさが滲んで出てくるところに岡野昭仁の人柄が出ている。

どれだけ辛い現実が未来を遮ろうと、僕らはどんな明日も受け止めて進まなければならない。そしてそれを信じることが未来を創るのだ。

だって、「ワンモアタイム」のジャケットは"星降る夜空"なのだから。





"アニマロッサ"
とてつもなく久しぶりだな、と思ったら2008年の東京ドームで聴いたのが最後ではないだろうか※。この曲のギターのサウンドがとにかく好きで、今回は"ワンモアタイム"もそうだが、tasukuの音が入ったことで厚みが出て音が太くなった印象である。
※2010年の「∠TARGET」でガッツリ聴いてるだろ、このポンコツが

スクリーンに映ったのはマンガのように紙にコマ割りがされている映像で、コマには過去のライヴが白黒で描かれている。そのいくつかにリアルタイムに今の映像がアニメーションになって合成されていた。そして歌詞が台詞となって流れたり、演奏に合わせて「ドドドドドドドドッ」みたいな擬音語が流れていた。リアルタイムでこうした映像加工ができるのを見ると、技術の進歩に驚くばかりだ。

アニマロッサの意味は「赤い魂」。もしかして、カープ?
冗談はさておき、"ワンモアタイム"のように、愛する人を守るための決意が唄われる。
「ならば 君の涙にも微笑みにも花を添えよう」という歌詞が、先の"瞬く星の下で"の歌詞とリンクしたように感じた。

それと2番サビの歌詞で、

運命の鐘が鳴る それは何色の「明日」を呼ぶんだろう?

という部分があるが、それを間違えて、

運命の鐘が鳴る 僕は何色の明日を呼ぶんだろう?


と歌っていた。歌詞は間違っているけれど、このフレーズがとても心に突き刺さって。偶発的に生まれたものであるが、より力強さが増したように感じた。


岡野昭仁がギターを構え、ミュート気味に刻むようなギターサウンドを奏でる。それに合わせて各サポートミュージシャン達が音を鳴らしていく。イメージでいうと「PANORAMA×42」ツアーの"メジャー"の頭の感じを想像してもらいたい。最後に新藤晴一が軽いソロを弾き"ギフト"へ。

毎回書いているが、僕にとって大切な1曲である。こちらは普通にゴニョゴニョと2番の歌詞を唄って間違えてたのは残念だが、それでも何度聴いても胸を揺さぶられる。
それにしても"ギフト"で歌詞間違う率高いような……

ここまでの曲の多くが今と未来を歌っていて、未来に向けて必要なものは己自身と向き合うこと、というテーマが並んでいる。シングルを遡っていくなかでそうした印象を自然に受けるということは、近年のポルノグラフィティがよりそのテーマに対して向き合っているからだと判る。


岡野昭仁 「スクリーンに映っているので、お気づきの方もいるかもしれないけど、今回は僕らのシングルを3枚毎に遡っていく、初めてのコンセプトになってます。わしらの長い歴史を、全部は無理ですが、凝縮して聴いてもらいたいと思います」
遡っていることは理解していたが、それが3枚置きに遡っているというのは気づかなかった。

ちなみにアホの子の僕は「3曲"ずつ"遡る」の捉え方を間違えていた。やった曲から3作品前の曲をやると思ってたのだ。本来は間を3作品開けるという意味で、勝手に勘違いしてこの後やる曲にひたすら驚き、混乱し続けることになる。アホはもう一生治らない。


岡野昭仁「次に演奏するのは、本当に久しぶりにやる曲です」


"Windind Road"
クロマチックハーモニカの音色、これまでもライヴで聴いてきたが、今回のそれは今まででも最も美しい音色だった。雨は依然として降り歌詞と呼応して感動を増幅させる。

スクリーンには雨のような映像効果、そして「OPEN MUSIC CABINET」ツアーのように歌詞が映されていた。Aメロ~Bメロは縦書きに歌詞が映り、サビだけは上から下へ言葉が降り注ぐような演出。

この曲のギターソロはポルノグラフィティでも屈指で好きなのだが、今回ギターソロが始まって最初のフレーズを弾いた時に、そのあまりの音色の素晴らしさが琴線に触れまくり、ほとんどエクスタシーに近い感覚である。あれこそが自分にとっての理想の音かもしれない。


コンセプトを勘違いしていたポンコツ、所謂僕は次が"NaNaNa サマーガール"だと思ったが、先にも書いたようにやるのは3つ開けた先のシングルである。なので「ネオメロドラマティック/ROLL」のジャケットが映る。そうか"ネオメロドラマティック"なのかと思った。だが、それにしては、岡野昭仁がアコギを背負っている。

そう思っていたら唄い出したのは、"ROLL"であった。(勝手にだが)不意打ちをくらい、打ちのめされた。自分と友人にとって大切にしている曲であり、今現在ほぼ空中分解しているバンドで毎回演奏していた曲だ。岡野昭仁はアコギを弾いていて、(弾き語りは除いて)"ROLL"では初めての光景なので新鮮だ。なかなか集まる機会は持てないが、久しぶりにみんなで集まって スタジオに行きたくなってしまう。

爽やかな曲調なのに、ライヴで聴くといつもその熱量に圧倒されてしまう。今になってその理由が分かった。それは歌詞にあるのではないだろうか。

恋愛をテーマにした歌詞であるが、そのテーマの本質を"アーティストとファン"の関係にも置き換えることができるからだ。愛情を音楽とした時、時にそれはすれ違い、分かり合えないこともある。

ファンとはワガママなもので、それぞれの理想像をアーティストに重ねてしまうこともある。アーティストも自分のエゴと向き合って、それに従ってしまう場合もあるだろう。ポルノグラフィティに限らずアーティストとファンの関係とは、そんなものなのだ。

そんな関係でありつつ、それでもアーティストは全てを受け止め、また僕らに愛情という名の音楽を投げかけてくれる。僕らもそれをなんとか返そうと音楽を聴いたり、ライヴに行ったりする。そんな想いがライヴで宿り、より僕らの心に触れる曲になってるのではないだろうか。


岡野昭仁「次にやる曲は僕らにとっても大切な曲だけど、みなさんが長い時間を掛けて育ててくれて、どんどん大きくなっていった曲です」

そう言って演奏されたのは"愛が呼ぶほうへ"。こんなMC、ズルい。だって"ROLL"で「ふたり集め咲かせよう」とか「優しく包んでずっと咲かせる」とか、愛情を注いで育てていくような曲を唄った直後にこれなんだもの。3曲ごとに遡るってテーマなのに、驚くほど曲と曲が連鎖してゆく。ぷよぷよだったら赤玉になってる。


シングルが規則的に並べられたセットリストだから「あまりサプライズな曲がなかった」って方の気持ちもよく分かる。けれど、意図的に組み立ててたら、こんな流れは絶対生まれなかっただろう。それが、このライヴで起こった。それはひとつの奇跡と呼べるのではないだろうか。

たとえ同じ曲であっても人の想いだけ音楽は変容する。音楽を種として、僕らの中にある想いを水として与えてやれば、それぞれの花となって育ってゆく。

"愛が呼ぶほうへ"って、それを束ねくれて、ひとつの大きな花束にするような曲なんだと思う。だからこそ、聴けば聴くほどその花束は大きく色とりどりになっていくのではないか。


岡野昭仁「次の曲ではみんなにはでっかい声で歌ってもらいたいと思います。このしまなみの空へ大きな声で叫んでください!」

"Mugen"のイントロをコール&レスポンス。雨にも負けず、場内には大きな声が鳴り響く。岡野昭仁はステージ左右を走って煽る。


冷えた指先を温めようと
自分の両手を合わせてみても
僕の悲しみが行き交うだけで
それは祈りの姿に似ていた


雨の中、自身の指先を合わせて唄う岡野昭仁は何かの化身のようでさえある。手を合わせるという行為は仏教においての「合掌」の意味合いがあるし、神道では「かしわ手」、キリスト教でもカトリックは手を合わせたりする。

この行為はいくつか意味がある。その中のひとつとして、ある住職の方の言葉を引用したい。


ご飯をいただく時にもまず手を合わせますね。食事をいただく時には、食材の命と自分の命が一つになる。相手と自分とが一つになるというところから始まります。ひいてはこの世に生きるもの全ては姿形は違い、様々な役割があり、違った生き方をしていますが、決して別々のものではなく皆同じです。皆寸分変わらぬ同じ命を持って生まれて来ています。その同じ命が一つになるのです。草も木も、太陽もお星さまも、神様も仏様も皆自分と一つになるのです。そこにはなんの差別も隔たりもなく、喧嘩も、戦争もありません。それが合掌の心なのです。

合掌~何故手を合わせるのか~


もう1つ。


インドでは、右手は清浄、左手は不浄を表しますが、仏教では、右手が仏、左手は衆生を表しています。この右手と左手を合わせることで、仏と衆生が合体し、成仏になるという意味になります。

掌を合わせることは、左右相対したものがひとつになり、信じることや調和を保つことの象徴でもあります。

合掌の意味(合掌とは)


何気なくしてしまう行為にこんな意味があるだな、と。これを踏まえて歌詞を読むとまた色々違ってみえてくる。
というかこういうこと書いてるから記事が長くなるんだな。


そこから続くのは"サボテン"。歌詞と呼び合うように強まってゆく雨の中、切々とした歌声が先ほどまでの熱を覚ますように降り注ぐ。
これまでも節目節目で披露されてきた"サボテン"。"サウダージ"と"アゲハ蝶"の間で目立たぬ存在になりがちだけれど、ポルノグラフィティにとっても、ファンにとっても大切な曲なのだ。

先日、このブログで"サボテン"の歌詞をあらためてしっかり解釈しようとした記事を書いたのもあって、より哀しみが増して心に響いた。
愛情は注ぎ込み過ぎると、毒にもなるのだ。

雨の影響もあるのかミスったのか、新藤晴一はイントロでギターのボリュームをいじったり、イントロ終わりでペダルボードをいじっていた。あまり見ない光景だ。
ギタリストがペダルボードのエフェクターをいじる瞬間フェチとして、最高な光景である。


岡野昭仁「おかげさまで僕らはデビュー20周年目に突入しました。僕らのデビュー曲を聴いてください!」

"アポロ"
唄い出しからどこまでも伸びていく歌声。たとえ19年という年月が経っても"アポロ"は全く古臭くならない。今でも鮮烈に響く。時代を築いた曲なのに、時代を感じさせない。

それは"アポロ"が唄うテーマはどれだけ時代を経ても変わらないものだからだ。人々はいつだって"愛のかたち"を探し続ける、たとえ何度大統領が変わっても、デジタルが進歩しても、人類が月に行っても。


岡野昭仁「ありがとうございます"アポロ"まで振り返ってきました。
そこ(会場後ろ)にある山を越えて下っていくと、僕らの故郷、因島があります。今日は目一杯、尾道の空気を吸っていってください。深呼吸の準備はできてますか!聴いてください一番新しい曲"ブレス"!」


"ブレス"
ライヴのタイトルを示す曲として本編の最後にやるかと思っていたので、この中盤の終わりに登場したのは意外であった。

後になって思ったが、もしかしたらシングルを遡ることで、"それぞれの心の中にあるポルノグラフィティ"を思い返させていったのではないだろうか。「THE WAY」で振り返ってきた道のりのように、記憶の糸を辿って。


名曲にはならなくても たった一つの your song



だから、ポルノグラフィティの楽曲についてを唄っていたのかもしれない、今回のライヴでは。それぞれの楽曲に乗せた、それぞれの想い。
たとえばファンにとっては、知名度が低いようなアルバム曲やカップリングにも相当の思い入れを持つこともある。誰の評価でもない、自分自身にとっての"名曲"、誰しもにそんな曲があるのではないだろうか。

前に新藤晴一がファンの方に「サウダージを書いてくれてありがとう」と言われた際に、楽曲が自分たちの手を離れていく感覚になったという。それは「(わたしの)サウダージを書いてくれてありがとう」と聞こえたらしい。その時に感じたことこそ「たった一つの your song」になるということではないだろうか。そしてその"your song"たちの合唱は、様々な色を放ち、しまなみの空へ溶けていった。









スクリーンには映像が流れる。しまなみ海道を行く車は因島に入る。聴こえてくる声は岡野昭仁である。車が青影トンネルに差し掛かると当時の思い出を振り返る。

岡野昭仁「ここが青影トンネルです。ここ狭いんですけど、自転車で通っててね。(前方に自転車で走っている人がいて)あ、あんな感じで。暗くて排気ガス臭いんです。そうそうバスも通っていて。ここを毎日通ってました」

そしてカメラはビーチに辿り着く。

岡野昭仁「えー海に辿り着きました。ここは当時は海水浴場で、海の家なんかがあったりして。田舎の僕にとっては、ここが都会的なビーチに感じたりしてた思い出があります。ここは"折古の浜"です。今日は9月7日。今そちらはみんな楽しんでくれてるんですかね。そして撮影者は僕、岡野昭仁でした(自分にカメラを向ける)。では最後に波の音を聴いてもらってお別れにしましょう。(カメラを海に向ける)」

ちなみに折古の浜でlove up!のバッグを持っていたファンの姿が少し映るが、そのファンの方は岡野昭仁に全く気づかなかったという岡野昭仁らしいエピソードがまた爆誕した。






スモークが吹き上がり、ステージの上手(AブロックとBブロックの間)から岡野昭仁が、下手(DブロックとEブロックの間)から新藤晴一が「Deep Breathカー」で登場し折古の浜が歌詞に出てくる"狼"が始まった。

が、岡野昭仁の姿はスモークに隠れてしまい、全く見えない。本人も頻り(しきり)に「何も見えん!」と叫び笑いを誘う。
※尚「Deep Breathカー」は僕が勝手に呼んでるだけなので公称ではないので悪しからず

僕はDブロックとEブロックの境目だったので、途中で停止した時には結構近くで見れて、もちろん濡れゆくヒスコレのレスポール※を大丈夫かと思いながら凝視し涎を垂らしていた。
※これもG'Seven Guitarsのレスポールでした


7年ぶりに久しぶりに披露された"狼"は、尾道の空の下でさらに輝きを増していた。新藤晴一の顔はいつも以上に笑顔が多くて、本当に楽しそうだった。


「まだまだ盛り上がっていきましょう!」という言葉から"Century Lovers"へ。
やはりとてもライヴで輝く曲だ。何度も聴いているはずなのに、なんでこんなに楽しいんだろう。
一番から岡野昭仁は「良い子は見ないでね!」なんて言いながら股間に手を当てていた(久しぶり!)。1番終わりで恒例の"儀式"へ。

雨の中でも「Fu-Fu-」の大きな声は轟いていく。恒例となった「男!」「女!」に加え「メガネ!」「広島県民!」「岡山県民!」「愛媛県民!」などのバリエーションがあった。その間にカートは動き続け、儀式が終わると2番ではこちら側に岡野昭仁がやってきた。

岡野昭仁「楽しすぎて次の段取り全部忘れてしもうた。次どうするでしたっけ」


まさかの告白。


ここでステージにはずらっと広島のゆるキャラたちが並んでいた。それを1匹ずつ紹介していく(ところでゆるキャラを数える時の単位は"匹"でいいのだろうか)。





紹介していくなかで"ヒロシマイケル"↑というキャラクターがえらくツボに入った岡野昭仁は「ヒw ロwシwwマwイwケwルwww(裏声)」と初めて聴くほどの声で笑っていた。

僕は広テレ(広島テレビ)のキャラクターのピッピチキンラーメン感あって好きです。可愛い。




↑妙に足がエロい



2番サビでも再び股間に手を当てながら唄う岡野昭仁。その後、口に水を含みカートの下に吐き出すと歓声が上がる。それに気を良くしたのか、嬉しそうな顔でもう一度やってこちらのブロックを湧かせていた。

なんだこの岡野昭仁、可愛すぎか。


"Mugen"で何かの化身かと書いたが、もしかしたら、ゆるキャラの化身なのではないか。


「まだまだ!ゆるキャラたちと一緒にお祭り騒ぎを続けましょう!」


ジングルから"ミュージック・アワー"へ。
ゆるキャラたちも踊り、会場は云わずもがな。

若干肌寒さを感じる中でも、やはり熱く楽しい。
恋するウサギちゃん♡は俺の嫁です。

ゆるキャラたちはここでお別れ。しかしながらゆるキャラ故動きづらいらしくて撤収にも時間を要していた。
本当は退場したら次に行く段取りらしかったが、捌けきらないうちに次に移る。


岡野昭仁「僕らには故郷を唄った曲が何曲かあって、ここからはそんな曲たちを聴いてもらおうと思います。最初に聴いてもらうのは、先ほど映像にも映っていた青影トンネル、あそこは本当に狭くて、坂もしんどいんですが、毎日通っていました。そんな思い出の曲を聴いてください、"Aokage"


"Aokage"
先ほどの映像があったからこそ、さらに感動的な演奏となった。この曲は何もかも青い。きっと晴れ渡っている空も、海も、自転車を走らせる二人も。

そんな青春を送って来なかった僕ですら、あまりに眩しくて。誰しもが持つ原風景を見るような感覚になっていたのではないだろうか。その眩しく瑞々しいシーンたちに普段だったら「そのままバスにはねられろ、リア充どもめ」と思ってしまいそうな僕でさえ、この二人がたまらなく愛しい。


岡野昭仁「次に聴いてもらうのは、故郷の友人を想った曲です」
※この辺のMC、内容かなりあやふやです。すみません


"そらいろ"
ようやく、ライヴで聴けた。大好きだけど、聴くたびに色々込み上げてしまうので、気軽な気持ちでは決して聴けない曲。

個人的な話になってしまうが、30歳を越えると仲良かった面々も皆結婚したり、子どもが生まれたり。生まれた地を離れて、それぞれの人生を歩んでいる。ギターを買って喜んでるチャラン・ポ・ランタンは僕くらいなものである。
そうなってくうちに、つまり大切な友人たちが離れていく度に、この曲がどんどん大切な存在になり、そのメッセージが深く沁みていく。

だからライヴで聴いたら、泣くのは分かってた。その上、スクリーンに映ったのは、瀬戸内の美しい風景。残念ながらこの週末には望めなかった、美しく晴れた掛けがえのない景色。

この曲について、歌詞が書かれる前に新藤晴一はスケールの大きなギターソロを入れた。そうしたら岡野昭仁が持ってきた歌詞に"ふるさと"と出てきて想像と違っていて驚いたというエピソードがある。
しかし、雨であっても見た尾道の景色は雄大で、このギターソロだってしっかり受け止めるくらいのふるさとではないか。言うまでもないかもしれないが、これも僕の愛して止まないギターソロのひとつである。

そして"空"。以前"愛が呼ぶほうへ"のPVのメイキングでTamaが「空ってどこまでいっても同じじゃないですか、だからみんなが空を見上げれば、同じ空を見てるんだなって」と語っていた。それが甦ってきて。

それがCメロからはスクリーンに、痛ましい豪雨の爪跡が映し出された。自分自身でも翌日の新幹線から垣間見えた土砂崩れの跡。

ニュースで取り上げないから事態が終わったわけではないし、人の間で話題が出なくなったから終わったわけでもない。

まだ、何も終わっていない。

だからポルノグラフィティは歩き出した。自分たちの故郷のために。

折しも僕は4月に自分の故郷である八王子でポルノグラフィティを見て、今回ポルノグラフィティの故郷である尾道でライヴを見た。だからか"故郷に来てもらえる"嬉しさが、とてもよく理解できたのだ。

八王子公演を見てなかったら、なぜ2人があんなに楽しそうに、幸せそうに音を奏でているのか、わからなかったことだろう。

でも、今なら十分に分かる。故郷を誇る気持ち、そこで好きな音楽を聴ける喜び、なんて幸福なのだろう。それと同時に、感じることができる。そんな場所が災害に苦しんでいることへの痛みを。


スクリーンにはっさくメガネが現れ、グッズのバルーンを準備するように促す。僕らは残念ながら、時間がなくて買えなかったので諦めた。不意討ちでバルーンの準備が呼び掛けられたので、皆慌てて準備をしている。

客席で紅白のバルーンが構えられ、5カウントでカウントダウンが始まった。「2!1!」となった瞬間になったのは、あのイントロ。


"ハネウマライダー"
雨など関係なく乱れ回るタオルの数々。後半にかけて雨関係なくフードを取ってる人が増えてきた。そういう自分もそうだったけど。もうポンチョの腕のところすら行方不明になって、袖を捲り上げてタオルを振っていた。

最後のサビを2回繰り返すアレンジになっていて、転調してないのに転調したような盛り上がり方をしていたのが印象的だった。

今回時間が押したことから、アンコールはなく全て地続きでライヴは終わった。アンコールが本来あったと思われるのが"ハネウマライダー"の前ではなかったかなと思う。本当であればアンコール中にバルーンを準備する段取りだったのではないか。

それにしても。

Brakeが軋むなら、止まるのを諦めて。


という歌詞はあらためて、「もう前に進むしかない」というメッセージにも見える。そう、「嘘でも前に」





岡野昭仁「インディーズ時代を思い出して、みんなの中にあの当時のステージを再現してもらいました。しかしスタッフが気合を入れすぎて、当時はこんなにビールの空き箱なかったです(アリーナ中央に高く広く積まれたビール箱を眺めながら)」


それから2人はセンターに設けられたビールケースで作られたステージに移動。


岡野昭仁「『意外と小さい!』ってやかましいわ!すみませんね170弱しかなくて。もっと大きければみんなの中でも頭が出て目立てたのにね」

岡野昭仁「では!ここで、歌いたいと思います!というよりあなたギターは?」
新藤晴一「ギター、ない!(手を広げて"無い!"のポーズ)」

スタッフが慌てて駆け寄りギターを手渡す。


岡野昭仁「では行きましょう!次の曲でもみんなのでっかい声と、手拍子をしまなみの空に響かせてください!」


"アゲハ蝶"
この曲が来るのは、新藤晴一がエレガットを構えた時点で、ほとんど確信していた。それでも実際にイントロが鳴ると、感極まりそうになってしまう。

今回のライヴでどうしても重ねてしまうのが「つま恋ロマンスポルノ'11~ポルノ丸~」である。未曾有の災害を受けて行われたライヴ。と言っても今回の「しまなみロマンスポルノ」は、発表のあとの豪雨被害が発生して、結果的にその意味合いに"なってしまった"ライヴであるが。

「つま恋」において、本編最後に唄われたのが"アゲハ蝶"であった。あまりに巨大な自然の力、その前に人の力など到底敵わない。
それでも、ライヴで会場全員の歌声が1つになった時に、それはとてつもなく大きなパワーとなって空に溶けていった。その空の向こうの失われた命、傷を負った人たちに向けて。

今回、いつもの間奏だけでなく、サビの歌詞も僕らに託された。なんでだろと思ってた。"ブレス"の「ブレスのない歌は誰も歌えやしない」に対する皮肉かとさえ思った。

それと最後のサビはバックの「ラララ」のコーラスを唄うじゃないですか。今回、自分はなんでか普通に歌詞を唄ってた。それも自分でなんか不思議で。

でも、今になって僕は唄ってしまったか、ようやく気づいた。なんで今まで気づかなかったんだろう。


"僕の肩で羽を休めておくれ"


Deep Breath、深呼吸、そうだ。しっかりと"ブレス"に繋がってるじゃないか。 だからこの大切なタイミングで歌われたんだ。





蝶は羽ばたいている時は美しい羽を広げているけど、花や葉っぱに止まっている時は"休んでいる"状態にある。閉じて合わせた羽、それが僕の中で、


冷えた指先を温めようと
自分の両手を合わせてみても


に繋がった。そう、"祈り"だ。

仏教において蝶は「亡き人の魂や精霊を浄土へ運ぶ」と伝えられていて。実は古代ギリシャでも「魂や不死」を意味している。オカルト的な話になってしまうが、そういったのを"シンクロニシティ"(共時性)と呼んでいて。それは全ての人に通底しているというもので、ユングは「集合的無意識」と呼んでいた。


身近な例でいうと岡野さん(仮名)が新藤さん(仮名)に久しぶりに連絡しようかなと思っていたら、新藤さんから連絡が突然来た、みたいな。そんな感じで人間だけでなくこの世界にある全てのものが、実は根底で繋がっているのでは、という考え。


「蝶は亡くなった人の魂」という考え方も、「手を合わせる」という行為も、人種、国、宗教も全て違う世界で共通している感覚としてあること。
だから、僕らも意識しないうちに"アゲハ蝶"に祈りを乗せていたんじゃないかな、と思えて仕方ない。それも一種の「BUTTERFLY EFFECT」ではないか。


誰もが皆、旅人でもあって。それまで歩いてきた道は違えど、こうして2万人が同じ場所に辿り着いた。同じ目的のために。愛が呼ぶほうへ導かれて。その力は、強大だ。

日本全国で被災が増えていて、辛い日々を送ってる人もいるだろう。どんな日々を過ごしてきたとしても、こうして尾道を訪れて、穏やかな瀬戸内の景色に、空気に触れて心を休めて欲しかったのではないか。

ライヴの今一時だけはそこは平和な場所で、そこが世界の中心で、あるべきだった。そうであるならば、そうであるからこそ、2日目の公演中止の決断は、より重く辛いものであったことが伝わってくる。


メンバー紹介


高間有一「新参者ですが。今後ともよろしくお願いします」
tasuku「(失念)」福山出身!と紹介されてた
nang-chang「(コメントはなし)」
宗本康兵「ありがとうございました。嘘じゃなく、本当に1曲目から涙ぐんでました」
野崎真助「(失念)」


新藤晴一「『ロックで食ってやる』なんてアホなことを言って東京に出てきたやつらしく"故郷は捨ててきた"なんて気持ちでいたんだけど。歳を取ると共に故郷が愛しく思えてきて。こうして地元に戻ってきた時に『おかえり』って言ってもらえる感じ、たまらないね。こうしてやれてきたのは、みんなが支えてくれたからで、感謝しかないです。これからも、どうぞよろしくお願いします」

岡野昭仁「僕も新藤と同じです。感謝しかありません。僕らがやってこれたのは、スタッフやサポートミュージシャンがいて、当時はTamaもいて、Tamaも支えてくれて、そして何より君たちが支えてくれたからです。
さぁ!しまなみ!まだ暴れられる元気は残っていますか?全部出し切って帰るぞ!僕らはこの曲をインディーズ時代に同じようにビールケースの上で跳び跳ねて唄ってました!ラスト1曲"ジレンマ"!」


本当にさりげなく自然に"Tama"という名前が出てきてくれることが嬉しい。同時に、泣きそうになる。
故郷を想うことは人を想うことだ。大切な家族や友人たちを思い描き、それを噛みしめる。

ブレスのジャケットのように色とりどりのカラーの「Porno Graffitti」の文字が踊る。

落ちた雨がすぐに蒸気になってしまいそうな熱気の中、消えぬ想いを胸に刻み込む。最後のその瞬間まで。


開催前のコメントで。


岡野昭仁「やはり僕たちに出来ることは 音楽によって少しでも、わずかでもいいので心を元気にすることだと思います」

新藤晴一「『音を奏でるしかできない』が、“何か”“少しでも”という気持ちでいます」


そう、2人は語った。自然の猛威の前で、音楽は何ができるだろうか。
2人の音楽が僕らに与えるのは、自然に立ち向かう力ではない。大切な人を守ること、受け止めてそれでも未来を信じ合うこと、そして愛情を分け合うことだ。そして、音楽はそんな僕らの痛みを受け止めてくれる。


繰り返すがセットリストの賛否については、僕も理解できる。確かにあまりやらないのはあっても、基本的にはシングルばかりということでコアなファンは満足しきれない点もあっただろう。それも直近で「BUTTERFLY EFFECT」などという、とにかくファン泣かせなカップリング祭りをやってしまったから、尚更。
濃い味付けの食べ物の後にあっさりとした優しい味付けの料理を食べるようなものである。

そもそも万人が喜ぶセットリストはこれだけ曲数があれば不可能なことなのだ。

賛否両論出るということは、それだけ"挑戦"している証ではないか。活動20年だろうとポルノグラフィティは挑戦の手を止めない。開演が押したことと、セットリストが21曲というのは、いつもと比べても少ない(ホールツアーの「BUTTERFLY EFFECT」で22曲)ので、本来であればあと2曲くらいあったのかもしれない。


そう書きつつも正直な話、今回のライヴで"∠RECEIVER"を聴きたかったというのが本音であった。しかし、今思えば"∠RECEIVER"で在り続けることは、僕らにもうすでに託されているからではないか。

しまなみを見て欲しいという気持ち、収益の寄付、もう僕らは∠RECEIVER(受信者)になっているのだ。
だから僕らは「その先」に行かねばならないのではないだろうか。

非常事態ともいえる災害の数々。辛い状況だからこそ僕らはそれを受け止め、また歩き出さねばならない。

そう、今回のライヴで演奏された曲は、そんな楽曲ばかりだったではないか。


空を仰ぐしかなけりゃ 笑うしかない


「こんな私でも幸せになれるかな」


今日の涙は明日の笑顔になったらいいけど


こぼれた涙を拾って
未来の種へと注いで
あなたと花が咲くのを待とう どんな色だろう?


運命の鐘が鳴る それは何色の「明日」を呼ぶんだろう?


明日に架かる橋はもろくも崩れそう
今行かなくちゃ 駆け抜けなくちゃ 心さえ軽やかに行けたら


時が何か変えるならどうかどうかそっとして


そしてここに二人で集め 咲かせよう 名も知らぬ花でもいい 枯れぬように
優しく包んでずっと咲かせる


花が空に伸びゆくように 海を越える旅人のように
いつも導かれているのでしょう 愛が呼ぶほうへ


それは祈りの姿に似ていた


ほら 薄日も射してきた
小さな花を咲かそう


僕らはこの街がまだジャングルだった頃から
変わらない愛のかたち探してる



晴れた日も雨の日もあるように 朝と夜が今日も巡ってくように
出会いとさよなら繰り返す旅人のように


僕も友人たちも、そしてファンもスタッフもポルノグラフィティも、それぞれに大切な場所があって。

それを胸に抱いて歩いて行く、それぞれの人生を生きていく。

これからもきっとポルノグラフィティの音楽がそれに寄り添ってくれて、僕らの人生を色づけてくれることだろう。

だって、今はまだ壮大な旅の途中なんだから。



【9/8(土)公演時SETLIST】
M01 キング&クイーン
M02 ワン・ウーマン・ショー〜甘い幻〜
M03 瞬く星の下で
M04 ワンモアタイム
M05 アニマロッサ
M06 ギフト
M07 Winding Road
M08 ROLL
M09 愛が呼ぶほうへ
M10 Mugen
M11 サボテン
M12 アポロ
M13 ブレス
M14 狼
M15 Century Lovers
M16 ミュージック・アワー
M17 Aokage
M18 そらいろ
M19 ハネウマライダー
M20 アゲハ蝶
M21 ジレンマ

公式サイトスタッフレポートより引用


おまけ

生声

新藤晴一「風邪引かんようにねー!」
岡野昭仁「アイ・ラブ・広島!アイ・ラブ・しまなみ!アイ・ラブ・みんな!!」


こんな長々とした文章を最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。



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2 件のコメント:

  1. 奇跡のライブに参戦出来た、超絶幸せモンです。
    頬を伝う水滴が雨粒なのか、自分の涙なのか分からないほどでした。
    「ワンモアタイム」は必ず聞くことが出来るって思って居たのですが、実際にあの状況で聞くことができて、鳥肌が立つほど感動したし、「そらいろ」では2人の言葉が聞こえてくるような感覚でした。
    私は体調の関係で参戦することへの不安があったし、雨に打たれる中、心折れそうになりましたが…あの熱量は、改めて凄いと思いました。
    ヒトの想いってすさまじいパワーがあって、あの場で集まった人達は、ポルノグラフィティが好き!ってパワーが集まって居るわけですよね。
    普通は、好きのパワーと同様の反発するチカラが生まれます。
    そうじゃないとパワー・バランスが保たれません。
    私は初の野外ライブ参戦だったのだけど、そこで一番に感じたのは、好きの強いパワーがあってそのバランスを保つために雨が降るのかも…って。
    それぐらい凄まじい熱量だったと思います。
    そして、サトシさんの記事もすさまじい熱量!
    記事が進むにつれ熱量が上がってくる勢いは、毎回、記録更新かと思います。
    サトシさんのブログ大好きです。
    いつか、どこかのライブ会場でお会いできるのを楽しみにしております。
    それまで頑張って生き延びる所存ですっ!

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    返信
    1. コメントありがとうございます。
      あの会場までポルノを見に行くという自体のパワーがまず強いでからね。初野外であの雨は大変でしたね。

      もしかしてポルノグラフィティが雨バンドたる所以はファンの熱さにあった説が笑

      ライヴ終わってすぐはわりと「あー楽しかったなぁ」とだらだら書いてたんですけど、書いてくうちにどんどん熱が上がってしまいこんなことに。

      削除