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chapter.0「前置きと目次(随時更新)」
ポルノグラフィティ's ヒストリー chapter.1「因島」
※長いため改ページしております
ポルノグラフィティのメンバー3人は因島に生まれました。
ポルノグラフィティを語る上でこの「島育ち」というキーワードは欠かすことができません。
学生時代は「早く島を出て都会に出たい」と思っていたそうですが、年齢を重ね「島に生まれたことを本当に誇りに思う」と思えるようになったそうです。
島愛が強すぎるあまり2008年の淡路島のライヴで昭仁さんは、
「みんなここ(淡路島)くるまで遠く感じたじゃろ?
でもここは本州から案外遠くないんですよ。
なぜならここは"島"だからです!!!」
と熱弁。
晴一さんに、
「お前は何をそんなに力説してるんだ」
と冷静にツッコまれます。
3人とも1974年生まれです。
アポロが打ち上げられたのが1969年なので、
そこまで「ずっとずっと前」でもありません。
そんな自然いっぱいの因島で海で遊んだり、昭仁さんは姉に勝手にジャニーズに応募され落選したりしながらも元気に育ちます。
晴一さんとTamaさんが小・中時代の同級生、昭仁さんと晴一さんが高校時代の同級生という関係です。
高校時代、昭仁さんは幼馴染から「いっつも本ばっかり読んでる変なヤツがいる」と話を聞いて見に行きます。
その「いっつも本ばっかり読んでる変なヤツ」こそが晴一さんなのでした。
しかし当時の晴一さんは伸びかけの坊主を茶髪に染めるという出で立ちだったので昭仁さんは、
あ、こいつには関わらんとこ
と思ったそうです。
一方、晴一さんの昭仁さんへの第一印象は
頭にちょうちょが飛んでる
ように見えたそうです。
因島の中でも晴一さんの育った土生はどちらかというと都会寄りだったので、昭仁さんのことがのほほんとしてるように見えたそうです。
その頃Tamaさんは愛媛県にある5年制の高専へ毎日船で通っていました。
遅刻しそうになったときは、
船に向かって大声で叫んで船を呼び戻したりしていました。
それを聞くとちゃんと戻ってきてくれるそうで、そこに島の人の優しさを感じます。
あと、よくメンバーもしていた話ですが、個人的に好きなエピソードをひとつ。
因島にはラブホが坂の上にしかなくて、行くには一本道を登るしかありませんでした。
だから、そこをチャリンコの男女二人乗りで走ってると「あ、行くんだな」とバレます。
そんな姿をTamaさんは見られてしまい、ずっとメンバーにネタにされています。
高校時代、晴一さんはバンド音楽に目覚めます。
夢中になったのはバービーボーイズでした。
KONTAさんに憧れソプラノサックスを買います。
初めて買った楽器はギターじゃなかったんですね。
いとこをギターにしたり、女の子をヴォーカルに入れバービーボーイズのコピーをします。
バービーボーイズのライヴを見るためにチケットも取りましたが、ライヴ当日に高校で喫煙がバレてしまいます。
先生に怒られ、反省文を書かされたことでライヴを見ることができず、晴一さんは猛省。
反省文を書き上げると、
あまりに文章が素晴らしくて先生から褒められます。
この頃から文章の力があったのですね。
そんな高校時代、ここからポルノグラフィティの原型が生まれるのです。
続きます。
目次
chapter.2「NO SCORE(ノー・スコア)結成」
chapter.3「ポルノグラフィティの誕生」
chapter.4「大阪での活動」
chapter.5「いざ、メジャーデビューへ」
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