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2020年4月3日金曜日

何もかもに疲れ果てた時は星野源の「エピソード」を聴けばいい







疲れた。

様々なことに。

こんな絶望的な状況になって、それでも連日のように呆れるような発表がされていく。

頭を抱えるばかりだ。

そんな日々だからこそ、音楽に頼ればいい。

音楽は暗いトンネルにひとつの光をくれる。

たとえ出口が見えなくとも、足下を照らす明かりがあれば、人は希望を捨てないでいられる。

そんな光をくれるアルバム、星野源の「エピソード」から何曲か紹介したい。


こんな時だからこそ聴いたことない人は聴いて欲しいし、持ってる人は聴き返してみて欲しい。



2018年8月21日火曜日

【感想】星野源「アイデア」 つづく日々を奏でる全ての人へ








やられた。

初めて聴いた時、そうとしか言えなかった。

星野源の新曲"アイデア"である。

NHKの連続テレビ小説の主題歌として毎日のように耳にしていたナンバーである。

しかし、いよいよ満を持して配信された曲を聴いて、誰しもが耳を疑ったことだろう。

もちろん、僕もその1人である。

言われてみれば分かっていたことではないか。

「朝ドラで毎日掛かるんだから、フルでは意表を掻いてやろう」

「劇場版ドラえもん」の主題歌に"ドラえもん"なんてタイトルの曲を創ってしまう男だ。

そうだ、星野源とはそういう男だったではないか。



2018年3月6日火曜日

星野源「ドラえもん」(映画ドラえもん のび太の宝島主題歌) 感想と歌詞に込められた"今"






星野源のニューシングル「ドラえもん」がリリースされた。

いつもなら感想を、となるのだが最初に断りを入れておくと、今回の感想は不完全である。
なぜかというと、こう書いておけば、さも今までのものが完全に見えるからだ。嘘である。

本当の理由としては、今回のシングルが全面タイアップしている映画「ドラえもん のび太の宝島」を僕は未見だからだ。
これだけタイアップを強く全面に押し出されては、本来なら映画を見て書くべきなのだ。


しかし、それでも感じるところがあり、ドラえもんの本質的テーマを踏まえた感想を記録として残しておくことにする。

本質的テーマと難しそうなことを書いたが、このブログを読んだことがある方はご存知のように、管理人の知性はのび太レベルなので、ご安心を。

本当なら号泣した"ここにいないあなたへ"をはじめとしたカップリングたちにも触れたいが長くなってしまったので、またあらためて。





ドラえもん








一見で誰しもが二度見するほどインパクトあるタイトルだ。

しかし、以下に転載するコメントを読めば、その理由が腑に落ちるのではないだろうか。


作品のタイトルを曲名にすると、世界観の狭い曲が出来上がってしまう可能性があると思うんですが、『ドラえもん』という言葉は、日本人がほぼ100%知っているでしょう。たとえば『恋』や『愛』というとってもポピュラーな言葉よりも知っている数が多いわけです。


今ではJ-POPのアーティストが曲を書くというスタイルが定番だが、想像してみれば昔のアニメの曲といえばタイアップのために創られる曲が当たり前でった。たとえばドラゴンボールの"魔訶不思議アドベンチャー"などを思い浮かべれば良い。

『ドラえもん』はあまりに国民的な存在であり、まさに老若男女に愛されるキャラクターとして認知されている。仮に原作やアニメに触れていなくても、この青いキャラクターはドラえもんだと誰もが分かるということは、本当にとんでもないことなのだ。

つまりは今回の映画を見ていなくても、誰しもがドラえもんという存在を大なり小なり認識しているからこそ成り立っている曲なのだ。

歌詞としてはドラえもんのモチーフが散りばめつつ、なるべく平易な言葉が使われている印象だ。
しかしながら、とても胸に響くフレーズがある。


背中越しの過去と
輝く未来を
赤い血の流れる
今で繋ごう
僕ら繋ごう


前作"Family Song"においても特に強調されていた「繋ぐ」というキーワード。ドラえもんはまさに過去と未来を"繋ぐ"存在としてのび太の前に現れる。

さて、ドラえもんはいつの時代の物語だろうか。

未来の話?昔の話?いやドラえもんは「今」の物語なのだ。










今を繋ごう




そもそも何故ドラえもんはのび太のもとへ来たのか。

それはのび太の子孫であるセワシが事業の失敗で借金を作り上げた未来ののび太の過去を変えるためである。文字にするとややこしい。

要するに、しずかちゃんと結婚して借金のない生活を送るというルートにするために、セワシは小学生ののび太にドラえもんを送るのである。つまり「今を未来に繋ぐ物語」なのだ。

ドラえもんはひみつ道具でのび太を幸せにするための存在ではない、のび太を"成長させ"幸せにするために存在するのだ。

そこから「今をしっかり生きることで未来に繋がる」ことが作品テーマを受け取ることができる。なので僕のようなドラえもんを読んで「アンキパンがマジで欲しい」と願うような自堕落な人間が語ってはいけないのだ。

※注
アンキパンとはドラえもんのひみつ道具のひとつ。見た目は普通の食パンだが、これを本やノートに押し付けると文字がパンに写り、そのパンを食べるとその文字が記憶されるというもの。学生時代にはみんな欲しがるがそんなに食パンを食えるわけがない


話を戻そう。

「今」というキーワードは最近の星野源関連でも出てきた。

夢の中から 水の底から
手を伸ばし君の 手のひら繋いだ
いつか目の前 たどり着けたら
苦い思い出を 笑える頃かな
未来を超える 今 、 今 、 今
ほら 今 、 今 、 今

関ジャニ∞"今"




あ、これ星野源じゃなくてニセさんの曲だ!



ちょっとそこ触れ出すとキリがなくなってしまうので、今回は目を瞑ってもらいたい。

この曲のテーマは限りなく"ドラえもん"と近い。

過去と今、そして今と未来を繋ぐこと、それは近年の星野源にとって欠かすことのできないテーマである。
自分が過去、影響されたものたちへの敬意、それを受け止め、次の世代に繋げようとしている。

だからこそ星野源は様々な顔を見せる。音楽家として、役者として、文筆家として、ラジオパーソナリティーとして。

あちこちから声が掛かっているというのは重々承知の上だが、これほど彼が積極的に活動しているのは、少しでも多くの人に未来を繋げたいからではないだろうか。

自分が受け取ってきたものたちを咀嚼し、新たなものを生み出す。

ありとあらゆる手段(道具)を用いて、あらゆる人に影響を与えて今と未来を変えていく。


星野源こそ現代のドラえもんなのではないだろうか。






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2017年11月25日土曜日

【映画】「gifted/ギフテッド」ネタバレ感想







映画「gifted/ギフテッド」を観た。

「(500)日のサマー」のマーク・ウェブ最新作である。
僕は後半おんおんと泣いてしまいまして、そんな映画の感想を書きたいと思う。



あらすじ







めいで7歳のメアリー(マッケンナ・グレイス)と片目の猫フレッドと共に、フロリダの小さな町で生活している独り身のフランク(クリス・エヴァンス)。平穏に過ごしていた彼らだったが、メアリーにある天才的な能力があることが判明する。フランクは彼女に普通の子供と同じように育ってほしいと願っていたが、彼の母エブリン(リンゼイ・ダンカン)は二人を引き離してメアリーに英才教育を受けさせようとする。



マッケンナ・ グレイスという才能




決して派手な映画ではない。
身も蓋もないことを言ってしまえば、予告通りのストーリーだし、そこから想像されるストーリーをほぼ外すことなく展開し着地する。

だが、僕はこの映画が愛しくて仕方がないのである。
もっと率直にいえば、こういう映画が好きで仕方ないのだ。

それにはいくつかの要素があるが、まず何においても、今作の魅力において最も重要な要素が数学の才能を持つ7歳の少女メアリーである。これを演じたマッケンナ・ グレイス何よりもキュートだ。





数学の稀有な才能、ちょっとませた感じは、やりようによってはとても可愛げのない姿になってしまうが、マッケンナ・グレイスはそれらのシーンどこを切り取っても全て愛くるしい姿に見せてしまっているのだ。

しかも笑う時に前歯が全部抜けているのももうあざといくらい可愛いんだもう。

教室で嫌々「おはようございます。スティーブンソン先生」とボニーに挨拶するセリフ、これが少し後にある場所で繰り返される。これがもう可笑しくて可笑しくて。しかもそれをいう時のイタズラな表情が最高である。



よくこういう子役に対してのコメントでテンプレで「数多くの子役をオーディションしたが、この子が入ってきたときに『この子だ!』と思った」というシーンがインタビューとかであるじゃないですか。

マーク・ウェブのインタビューでも似たようなことを言っていたけど、映画を観た自分でも、マッケンナ・グレイス以外のメアリーは想像できない、というくらいベストであった。

「(500)日のサマー」(後に「キックアス」)を見てクロエ・グレース・モレッツが出てきたときも凄い子が出てきたなと思ったけど、こういう子がポンと出てくる映画業界はやはり凄いと思わざるを得ない。








言葉



クリス・エヴァンス演じるフランクとのコンビネーションも抜群で、クリス・エヴァンスは役者としてこれで新たな魅力を発揮させることができたのではないだろうか。

メアリーを叱る際のフランクの言葉はとても建設的で、2人の会話シーンがとても愉快だ。
一方で時にフランクは感情的な言葉も放つが、そこにもちゃんと後に冷静にフォローを入れたり、フランクの人柄が随所に表れている。

フランクがメアリーに教えた「年長者を正すな。小賢しいと思われる」という教えなど痛快である。

かといってフランクは聖人という訳でもなく、金曜の夜には毎週バーにいて、メアリーに「土曜の朝は家に入っちゃいけない」という"約束"をしている辺りとか、完全に独身のダメ男である。

かつて哲学の准教授であったフランクと数学的にとても論理的なメアリー。
その言葉と言葉のコミュニケーションが前半では目立つ。

特にあまりに美しい夕焼けのシルエットの中2人でじゃれ合いながら会話するシーンは、本作で一番好きなハイライトの1つだ。





しかし後半に差し掛かるにあたって、その言葉と言葉のコミュニケーションの壁を破る。


映画で泣いた場面が3つある。メアリーを里親に預けるシーンと、クライマックスのメアリーを迎えにきたフランクとのシーン。

そしてもう1つが実の父親のことを知りショックを受けたメアリーを立ち直らせるために、フランクが病院に連れていくシーンである。

そこの待合室で出産の報告を親族たちにする姿を見せるフランク。

メアリー「私の時は誰が報せたの?」
フランク「俺だ」

そのセリフからメアリー「もう少し見てく!」というセリフと共にまた別の家族のシーン、そこにいつしか混じって一緒に喜ぶメアリー。このシーン、もう泣けて泣けて。いま思い出してもうるっときてしまうほど好きなシーン。

この辺りは正直なところ個人的な事情で、前年に自分に姪っ子ができたということが大きいと思う。自分は出産日は仕事で立ち会えなくて、だからこそ余計に思い入れが深いのだろう。

このシーンがあったことでメアリーの「フランクは良い人だと思う、最初から私を愛してくれたから」ってセリフの説得力が増すんですよ。
一方で祖母(フランクの母)であるイヴリンは、メアリーが7歳になり、数学の才能を発揮しだしたことによってようやくメアリーを意識する。

そこに直接的な言葉はないがフランクがダイアンから受け継いだ言葉。

フランク「論文は死後発表して欲しいと」
イヴリン「死んで6年になるわ」
フランク「……自分のじゃない」

この一言の言葉の重みである。
ここに全てが詰まっていて、このセリフで胸にまたずしんと重いものが下りた。


家族の在り方



ちょっと長くなってきたのでそらそろ終わらせますか、最後に。

マーク・ウェブのインタビューで語られたこと。

「僕がこの映画で伝えたかったことのひとつは、家族は選べるということ。血の繋がった家族に失望させられることも多いけど、そういうときは自分で家族を作ればいいんだよ。例えばフランクとメアリーは叔父と姪で、母親代わりは近所の黒人女性。典型的な家族じゃなくても、そこに愛があれば家族だ。多様化する社会では新しい家族の形がどんどん増えていくはず。それを寛容に受け入れなくてはね」

これと似たコメントを見たなと思って、それが星野源が"Family Song"に当てたコメントである。

「例えば、友達や仕事仲間も”ファミリー”って言ったりするじゃないですか。広い意味で、これからの時代に向けての”ファミリー”なんです。あと例えば、両親が同性同士の家族だったりっていうのも、これからどんどん増えてくると思うんですよね。そういう家族も含めた、懐の大きい曲を作りたいな思って作りました」


2017年という年代に、こうして全く違う角度から同じことに焦点が当てられている。

「gifted/ギフテッド」はとても普遍的なストーリーであるものの、そのメッセージには今の時代の家族の在り方というものがしっかり込められているのだ。

「ベイビー・ドライバー」を見れてないので、言い切りたくはない気持ちもあるけど、現時点で間違いなく今年ベストの作品です。というかオールタイムベストに入れるくらい、大好き。

こんな映画に出会えるから、映画好きはやめられない。


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2017年9月17日日曜日

星野源の好きな歌詞をピックアップして語り倒していいでしょうか







星野源の曲は日常を歌う。

ここ最近は歌詞に意味やメッセージを込めることを減らしてきてはいるが、それでも日々の延長線に活きている歌詞なのだ。

これほど淡々と生活を歌うアーティストは、実はそんなにいないのではないだろうか。

ということで、ここであらためて星野源の歌詞世界を見つめ直してみたい。








いつかなにも 覚えていなくなるように
飯を食べて 幸せだなどとほざくだろう


"キッチン"



いなくなった相手、そして取り残された者。
まるで時が止まってしまったような時間であるが、決して時間が止まることはない。

たとえ今がどんなに辛くとも時は進む。そしていつかそれすらも忘れて飯を食べる時がくる。それこそが人生なのだ。

実は限りなく人物像を曲中で描いていなくて、年齢も性別も示すものはない。それでもそこに描かれている生活の後で漠然と関係性や映像が浮かび上がるというバランス感覚が絶妙である。

そして、このバランス感覚があるからこそ、普遍的に人の心へ響く曲となっている。



おじいさんは 歩いてゆく
おばあさんの 好きな場所


"老夫婦"


1stアルバム「ばかのうた」と2ndアルバム「エピソード」ではが時折顔を見せる。

生まれて来なかった兄妹や、焼き場の話、お墓参りの歌。

詞の世界において死を扱うことはとても尊いものとされる風潮がある。もちろん命を扱うのだから当然そうなることはおかしくない。

しかしながら星野源の歌う死は生活の延長に続く、ある種、誰しもに必ずやってくるものなのに見て見ぬ振りをしているものである。

間違いなく生活の一部として続くことである。










寂しいのは生きていても
ああ 死んでいても
同じことさその手貸して
まだ歩けるか


"知らない"






この曲が発表されて、初めて聴いたとき、星野源にとってとても重要な一曲になると感じた。
何に対してかは分からないが、これをシングルとしてリリースできることへの強みを感じた。

"あるショックな出来事"を歌詞にしたものが"知らない"の詞となったという。シングルの初回限定版DVDで歌詞を生み出すことに苦悩する姿が映っている。
あくまでもフィクションの中で描かれてきた死がここで現実として向き合うものとなった。ここで初期の星野源が持っていた死生感が極まったと思えたのだ。

真っ向から死と向き合った描かれた言葉、それでも生活に根付いている言葉であった。たとえその人が死にいなくなったとしても、残すものはある、そして残された者の生活は続いていく。







何度も何度もなぜ うずくまる
何度も何度も見た 頬の雨がある
何度も何度も言うよ 始めから
たった一つだけを君は持っている


"未来"



僕が星野源の曲で一番好きな曲はなんだろうと考えると"フィルム"か"知らない"か、もしくは"未来"である。どれが一番好きかは聴く時々によって変化はするが、この3曲は特別である。

"未来"は東日本の震災後初めて書いた曲だという。
先の"キッチン"のように、どんなに辛いことがあっても、今日は終わり未来(明日)は生まれる。

"たった一つだけ"とは何だろうとずっと考えていた。
考えて行き着いたのは"命"であった。



日々は動き 今が生まれる
暗い部屋でも 進む進む
僕はそこでずっと歌っているさ
へたな声を上げて


"日常"






星野源の描く日常について見てきたが、最後にまさに"日常"をタイトルに冠した曲で終わりたい。

ここまで何曲かピックアップしてきたが。どれしもに書いたが"それでも日常は続く"というものが星野源の歌詞には宿っている。

よく音楽は日常を彩るものとされる。音楽を信じている人間にはあたかもそれが魔法のように。
だが、星野源の曲にはある意味魔法は宿っていない。逆説的だが、だからこそ特別なのではないだろうか。

日々に歌は寄り添っている。日々はそれでも続いていく。

明日はまた生まれる。






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2017年8月17日木曜日

【感想】星野源 10thシングル「Family Song」ドラマ『過保護のカホコ』主題歌







星野源の10枚目シングルとなる「Family Song」を購入。
ということでレビューという名の感想を書き連ねていく。

「恋」の社会現象レベルのヒットにより、注目度が上がる中、そんなプレッシャーもどこへやらというほど、星野源らしい曲が並んだ今回も魅力満載のシングルとなった。


星野源 10thシングル「Family Song」レビュー









1. Family Song







日本テレビ系ドラマ『過保護のカホコ』主題歌

ここ最近はアップテンポな曲が表題曲となっていたが、久しぶりにテンポを落としてリラックスした雰囲気を漂わせる曲である。

ドラマ側からのオファーが「バラードでもなく悲しい感じでもなく」というものだったことや、星野源自身も"恋"がテンポある曲なので次は違うテンポにしようと思っていた、という意図が合致したことによる。


歌詞のテーマもドラマに合わせ「家族」である。
折しも前作"恋"のテーマが「夫婦」であったこともあり、地続きである印象。

凄くどうでもいい話なのだが、「恋」のリリースが 2016年10月5日で、今回の「Family Song」は2017年8月16日なのだ。
つまり、リリース期間が"ほぼ"十月十日(とつきとおか)なのである。

まるで夫婦になった2人が子どもを授かり、誕生して家族になったかのようだ。


ドラマ側からのオファーを受け誕生した楽曲は落ち着いたテンポでありながらメロウにはなりすぎず、ゆったり身を委ねるような曲となっている。
敬愛するブラックミュージックを基調としながらも、とても歌謡曲的なストリングスとメロディ、これぞ星野源の魅力だろう。


歌詞をみていく。


「家族」の曲でもあり、つまりは「生活」の曲でもある。「生活」の歌はソロデビューしてからの星野源にとって一つの大きな特徴でもあった。


あらためて星野源のキャリアを聴き直していると"老夫婦"や"茶碗"のような人生を振り替えるような曲がまるで"恋"や"Family Song"で歌われている夫婦や家族の行く末のようにも響く。
ということは"ストーブ"や"ステップ"にも繋がっていくのかななんて考え出すと止まらない。

意図しているわけではないだろうが、星野源の1stアルバム「ばかのうた」や2nd「エピソード」は、まるで最初に示されている終着点のようだ。


何が言いたいのかというと、意識的にも無意識にも星野源の作家性は実は変わっていないのだなと、今回の"Family Song"を聴いていて感じたことである。

そしてその幸せを"テンプレート"な家族像に合わせなかったことがこの曲の功績となるだろう。

「個性と差別」というテーマについてちょうど考えていた時に聴いたので、あらためて見つめ直すキッカケになった。



2. 肌




花王「ビオレuボディウォッシュ」CMソング

ネオ・ソウルを意識し、「YELLOW DANCER」収録の"Snow Men"からの地続きとなる曲。
"Snow Men"が大好きなので、こんなアプローチの曲がきてくれて嬉しい。

メロディアスな楽曲でありながらも、意外とドラムの手数が多く、かなり細かく刻んでいる。
その点で"Snow Men"とはまた一味違う曲と感じさせる。


ワウを効かせた湿り気のあるトーンのギターの音色で艶やかさが加わり、曲に色っぽさを加えている。

しかし、本人のコメントを見ると、これもまたファミリーの曲である。
「その胸に口づけを」というのは、授乳の意味合いも込められているという。

CMについて知らずに聴いたライターたちが口々に「またエロい曲だねぇ」と感想を述べていたというエピソードが面白い。

完全に日頃の行いである。











3. プリン




プリンスを意識したナンバーで"プリン"とはこれまた。
奇しくも制作していた矢先にプリンスが他界してしまい、収録が見送られたという。


しかし内容は「音楽でふざける」の言葉通り、一音一音から瑞々しい音楽の喜びが零れ落ちる。

ファルセットの歌声も楽しいし、急遽レコーディング参加したOKAMOTO'Sのコーラスが楽しい。

途中のハマ・オカモトとの小芝居も初回特典のレコーディングドキュメンタリーを見ていれば更に笑える。


そして僕はやはり長岡亮介のギターが本当に好きだなぁと沁々聞き入ってしまう。特に"プリン"のギターのアプローチはプリン並に大好物である。


歌詞の「瞳に今日の数字光る」って何だろう。
考えてみていくと、これって体重計なんじゃないかと思えた。


めちゃくちゃダイエットしてる人がプリンを見つめる姿を想像すると、ここでもクスりとしてしまう。

だからこそ「明日はせめて 口づけを」なんだね。

それでも食べられない。

まさかこんなに共感できる歌詞がくるとは。
※太りやすいのでプリン控えてる


4. KIDS (House ver.)





恒例の宅録

毎回書いているが、回を重ねる毎にやってることがどんどん達者になっていく。

TR-808のリズムに乗せ、重ねられたギターもコーラスの遊びが楽しい。しかしこの楽しさは"プリン"とはまた違う。

それはハウスバージョン特有の「一人遊び」の要素である。
星野源は毎回部屋でおそらく「こうやったら絶対楽しいだろうな」なんて思いながらRECボタンを押しているのだ。

みんなとワイワイ作り上げていった"プリン"と真反対の制作方法である。

星野源の音楽にはそのどちらも楽しくて仕方ないという喜びが伝わってくるのだ。


全身で音楽を楽しんでいる人の奏でる音


だからこそ僕は星野源の新しい音楽を受け取るのが楽しみなのだ。




その他の雑記



ということでシングル収録の4曲を書いてみた。

今回何より嬉しかったのは上にも書いたが星野源の"生活"の歌があらためて聴けたという点である。


目が覚めて涎を拭いたら


救急車のサイレンが
胸の糸を締めるから

~"Family Song"


きつく 抱き締めても
二つしかなれないから

~"肌"


あなたの髪が揺れる
風呂の水があふれる
明日はゴミを捨てる
その前の掃除機を忘れる

~"KIDS (House ver.)"



など人からすれば当たり前に過ごしている瞬間を、当たり前としない。

やりたい音楽が変わっても、方向性が変わっても、実は変わってない。

『MUSICA』のインタビューを読んでいて印象的だったことがある。
インタビュアーの有泉さんの言葉を用いて引用したい。


60~70年代のソウル感を出すために当時のスタイルを真似するのではなくて、音像から受けるフィーリングを再現しようとした。


という点である。

これが星野源のやっている音楽の魅力ではないだろうか。

楽器をやる人なら特に分かるだろうが、全く同じ機材で同じセッティングで弾いても弾き手によってサウンドが違うというものだ。

それと同じように"当時"を再現しようとして、機材を揃えてもその当時の空気感は出せない。
ましてや、それがブラックミュージックであるなら人種もルーツも違う人間たちの奏でた音楽なのだ。


そうしたことを思うと、受けたフィーリングを昇華させて自分の音楽にするということをやってる人は、実は少ないのではないだろうか。

それを天下を取って一躍第一線を走り出した星野源が放ったということの意味は大きい。

今年を彩る重要な一枚であった。

初回盤のDVDのライヴ映像もレコーディングドキュメンタリーも相変わらず最高であった。
今はオーディオコメンタリーを聴きながらこれを書いている。

それにしても、


ライヴが見たい。



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2017年6月25日日曜日

半年遅れでボロボロに泣きながら「逃げ恥ロス」デビューしました





ドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」を全話見ました。

素晴らしいドラマでしたね。2017年のドラマベスト候補です。


え?

2016年作品でしたっけ?


すみません。

というわけで、どういうわけか分からないけど、先日TBSチャンネルで放送されたものを録画して、半年遅れで「逃げ恥」を全話見ました。

ボロボロに泣きながら。

そして僕も「逃げ恥ロス」デビューしました。

ということで、だからどういうことか分からないが、思ったことを書いておこうと思います。

だって、友人とかに語っても「何を今更」と言われるから言える人いないんだもの。
ブログなら勝手に語って浸っても怒られない。




新垣結衣×星野源



(前置きという名の言い訳)


元々星野源が好きなのもあったし、ガッキーが可愛いというのは確か道徳の教科書に載ってるくらいの基礎教養なんで、気にはなってたけど、1話見逃してしまったんですよね。
それで評判は良かったけど、1話見逃してしまうと「まぁ、いいか」と思ってしまってまして。

それが、回を追うごとに、あの評判じゃないですか。でも「ならいっそ再放送を待って最初からちゃんと見よう」と思ったわけですよ。


今となってはあの頃の自分をぶっ飛ばしてでもリアルタイムで見るべきでした。


まぁ、それはさておき、スカパーのTBSチャンネルで全話一挙放送やるということで、全然ないハードディスクの容量を更に犠牲にして全話録りました。
容量ヤバいし、とりあえずAmazonでポチろうか迷ってます。






1話を見て「これ2話目見始めたら止まらない」と思ったんですよ。それで、とある休日。覚悟して朝9時から1日かけて2話から最終回の11話まで一気に見ました。


僕はもう7話くらいからずっと泣いてたんですよ。
もう平匡にずっと感情移入しまくりまして。


「自分を卑下してしまう」という感覚が僕めちゃくちゃ強いんですよ。「僕なんかが」という気持ちですよ。

今でこそそうでもないですが、僕はそれが数年前までやたら強くてですね。もう平匡が愛しくて愛しくて。ガッキーは可愛いに決まってるだろう。


最初は「ガッキーが家に掃除に来て欲しい」「ガッキーの手料理食べたい」「ガッキーにハグをねだられたい」「ガッキーとセ◯△☆※%§◎」なんて見ていたんですけど、途中からは変なところで自分を重ねてしまいまして、事あるごとに号泣ですよ。

特に8話はなんか自分でもよく分からないくらい号泣しました。

とにかく主役の2人のが愛らしいですよね。男はガッキーに、女性は星野源に夢中になったのがよくわかります。

そして連ドラになくてはならないサブキャラクター達の魅力も素晴らしかったです。ちょっと出のキャラクターまでみんな愛しい。

局の垣根を越えまくったパロディ番組も良かったですね。僕はもの凄くさりげなく入った8話の「孤独のグルメ」パロディで死ぬほど笑いました(「仕事を探そう」ってやつ)。カメラアングル完璧
やん。

タイトルの「逃げるは恥だが役に立つ」はどういう意味なのか考えてみたのですが、よく考えると登場人物たちはみんな色々なものから「逃げて」いるんですよね。
そして、その先で新たな人生を歩み出すための決断をしていくんです。

それが「人生どれだけ逃げても決断の時はくる」ということと「逃げた経験もいつか自分に巡って返ってくる」というような感覚になりました。









何気に深いセリフたち



原作は読んだことなかったのですが、とにかく脚本が秀逸なドラマだったと思います。

基本的にはラブコメなんですけど、さりげなく出てくるセリフがとても真を突いて深いものでハッとさせられることが多くありました。


誰かに選んでほしい。ここに居ていいんだって、認めてほしい

働くときは下を見てはいけないと思います

誰かを誠実に愛し続けることも、ものすごく大変なことなのかもしれない。人の気持ちは変えられないけれど、人生のハンドルを握るのは自分自身。

一度出てしまった言葉は、感じてしまったモヤモヤは、無かったことにはできない。お互いに。

好きです。でも好きだけじゃ、やってけないと実感しています。




テーマ性



そしてこの時代の男女の、夫婦の在り方が根底のテーマにあり、「働く女性」について問い掛けるものでもあります。

90年代のトレンディドラマではできない今の時代ならではテーマですよね。

同様に、僕は山田玲司のヤングサンデーというニコ生の放送が好きでここ最近部屋でずっと見ているのだが、その中の「この世界の片隅に」の評論回で「"嫁"は女が家に着くと書く時代をよく表してる。そういう時代に『こういうもんじゃろ』と思って釜戸の前にいる人の話」という話を思い起こさせます。







仕事と家事といえば昔あった阿部寛主演の「アットホーム・ダッド」というドラマも思い浮かべました。







このドラマではバリバリの仕事人だった阿部ちゃんがリストラされてしまい、一方で篠原涼子演じる妻は仕事復帰してバリバリのキャリアウーマンとなります。そうして、阿部ちゃんが"主夫"として悪戦苦闘する話なんです。めちゃくちゃハマりました。

「家事」というものに焦点を当てた大傑作だと思ってます。
このドラマの中の名台詞を紹介しておきますね。

夫婦は平等だと思います。
父親だからどうとか、母親だからどうとかいうより、それぞれがお互いの人生を真剣に生きて、真剣に家族を愛すればそれでいいと思います。


それだけではありません。その問い掛けはそこから更に先の"働くこと"についてまで突き抜けます。ここが凄いと思ったところ。
最終回での「最低賃金と労働」については、世の雇用者はみんな見ましょう。


最終回近くの商店街のくだりはちょっと取って付けた感はあったのですが、それでもみくりが「働くことの意義」に気付くキッカケとなるので、やはり必要だったのでしょう。


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2017年4月21日金曜日

尊敬してるドラマー~その1「 ピエール中野(凛として時雨)」








とうとうドラムまでシリーズにしてしまった。


ドラムはバンドの要である。

しかしながらリズム隊はなかなか陽の目を浴びることはない。
ところが中には圧倒的な個性によりそのキャラクターを築き上げる人たちもいる。

分りやすい例を挙げるとXJAPANのYOSHIKIさんなんてまさにそうだろう。

そして、今回はドラマーの枠を越えまくり、活躍の場を広げまくっているこの人。


ピエール中野 (凛として時雨)



※以下敬称略で書いていく



プロフィール



1980年7月18日生まれ、埼玉県越谷市出身である。
その越谷愛から市のページでインタビューまで受けている。

音もパフォーマンスも含め、『圧倒的にすごい!』と思われるドラマーであることが目標

凛として時雨は2002年結成だがピエール中野は2004年に脱退したドラマーの代わりとして正式に加入したという経緯である。

初期メンバーじゃなかったのは知らなかった。

凛として時雨といえばやはりフロントマンであるTKの個性が圧倒的に前に出ているのだが、それを支えているピエール中野のドラムと345のベースも欠くことのできないものである。






ドラマーとしてのスキルの高さなどからサポートやレコーディングのドラマーとしてあちこちからオファーを受けている。

もちろんドラマーとしての腕前が第一だろうが、それプラス人柄の良さもあるだろう。

YouTubeにアップされている「ぷらナタ」という番組(WOWOWとナタリーの共同番組)のMCをやっているが、個人的にドレスコーズの志磨遼平さんがゲストで出た回がとても好きで先日も見返していた。





志磨さんもピエール中野も人柄の良さが滲み出ている。

そういった人柄もあちこちから仕事のオファーがくる要因だろう。










遅すぎる気付き




そうは言っても僕はそんなに熱心に凛として時雨をちゃんと聴いてはいなかった。むしろ友人のが熱心であった。
でも一度だけライヴを見たことがあって、それはテレ朝ドリームフェスティバルである。

以前にも書いたが、ポルノグラフィティがトリを飾った日だったんだけど、flumpool、凛として時雨、星野源、サカナクション、斉藤和義、ポルノグラフィティという今考えてもとんでないラインナップの日であった。

この並びを見ても分かるように凛として時雨はかなり異質な存在であったが、本当に素晴らしいライヴだったと思う。


当時は気付かなかったのだが、後々にちょっとずつ音楽的な知識が増えてくると、この人ドラムめちゃくちゃ上手いと気付いた。数年後くらいに。遅すぎる。


キッカケはMETROCK(メトロック)の映像であった。といっても凛として時雨としてではなく、DJとして登場したピエール中野を見たことがキッカケである。
やたらと前髪を気にしながらアイドルソングやヒット曲をプレイする姿に興味を持った。


凛として時雨もちょくちょく聴いているけど、その後に星野源の曲にゲスト参加したりして、そこであらためてドラマーとして凄い人なんだ!という認識をした。
ようやくである。

サポートドラムの中では星野源の"Crazy Crazy"のドラムとかドレスコーズの"人間ビデオ"のドラムなんて好きだなぁと思う。









エゴサの鬼



最後に1つ記事を紹介したい。

というかこの記事読んだことがこれを書くキッカケとなったのだけど。

「自分の登る山を見つける」ピエール中野のキャリア構築論

Work Switchは主に働き方についての記事が掲載されている。
尊敬している青年失業家ことライターの田中泰延さんかコラムを寄せたことでこのサイトを知った。

この記事がとても面白くて、ピエール中野という人間にさらに興味を持ったのだ。


好きな事をしっかりと続けられて。バンドマンとして「求められる人でありたい」と常に思っていて、今のところそれは続けられているので。


この言葉に全てが表れてると思う。


ドラマーとしてのキャリアを築き上げてきた経緯、ピエール瀧との関係、Twitterのフォローが凄すぎる話、これからの展望なんかを主に語っている。
特にピエール瀧とのエピソードが面白すぎる。電気グルーヴも大好きな自分にはこういうエピソード本当に弱い。めちゃ笑った。






Twitter本当に凄いよね。自分でこの記事のこと書いたら15分しないくらいで本人からお気に入り登録とフォローの通知がきた。「エゴサの鬼」は伊達ではない。
ちなみにインタビュー時点で22万人のフォロワーであったが、現在はすでに23万人になっている。


ドラムに関する語彙力の無さがたたり、ドラマーとしての凄さを語れていない気がして申し訳ない。


【関連記事…?】

ドレスコーズビギナーがアルバム「平凡」を聴いた感想と志磨遼平の魅力
【感想】星野源『いのちの車窓から』 アンチにだって読んで欲しい一冊
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2017年4月18日火曜日

【感想】星野源『いのちの車窓から』 アンチにだって読んで欲しい一冊






星野源のエッセイ集『いのちの車窓から』を読んだ。
雑誌『ダ・ヴィンチ』の連載をまとめたものである。


星野源好きとして感想を書いていこうと思う。

連載ものだけに一編は短いし、全体の文量としてもそんなに多くないエッセイなので、サクッと読める。
だけど、自分は一編一編をじっくりと読んでいった。好きなエッセイはそうやって読んでしまう。


星野源『いのちの車窓から』感想








星野源という人




まず、はじめに断りを入れておきたい。このエッセイは星野源好きはもとより、星野源のことをよく知らない、なんとなく最近よく見かけるけど、なんか人気だしあんまり好きじゃないという人にも読んで欲しい。

このエッセイではそんな星野源という人間の魅力が詰め込まれている。
売れたものに対してはほぼ相対的にアンチを生む。それは「自分には魅力が分からない」という気持ちから派生していることが多い。

このエッセイにはそんな人たちがもしかしたら星野源という人間を見返すようなものがあるのではないか、読んでてそう思ったのだ。


エッセイは他にも何冊か出ているんだけど"SUN"や"恋"、なんならガッキーの話題もあるので、最近知った人はこれが一番取っ付きやすいと思う。
でも他のも面白いので、これを気に入ったら是非違う本も手に取って欲しい。


星野源の文は特筆しているという点ない。自分を棚に上げて偉そうなことを書いてしまったが、僕は地獄に堕ちるので許して欲しい。
星野源の文章はとにかく淡々とリズムが安定しているのだ。

何故か、自分が星野源を好きになった理由がこの文章の随所に表れているからだ。

それは「日常」を切り取る目線である。



何気ない日々




僕がエッセイを好きな理由は、書き手にとって世界はどう見えているのかを垣間見ることができるからである。

たとえば同じ景色でも抱く感情は千差万別である。

「この人にはこうやって見えているのか!」という驚きと発見が詰まっているからこそ、僕はエッセイを読むのが好きなのである。

同様に自分が今後も経験しないであろう事象を文章の上で体感できるという点もある。

最近の歌詞は別のベクトルになってしまったが、星野源がソロデビューしてしばらくは日々の生活を歌った曲が多かった。

たとえば"ステップ"の

両手の花を 君の側に生けよう
願う また来る 待ち合わせはここで
大手振って 帰る


たとえば"キッチン"の

いつかなにも なかったかのような顔で
飯を食べて 幸せなどとほざくだろう


とか好き。

何を言いたいかというと、このエッセイ集には今は少なくなった星野源の"日常"を描いた歌詞を感じることができたのだ。








"日常"



例を出すと「ある夜の作曲」という編。

作曲の合間、深夜3時に入った行きつけの立ち食い蕎麦屋。
そこで起きたいつもとは違う"日常"。

いつものおじさんがいなくて、いつも掛かっている演歌ではなくアメリカのオールディーズのポップスが流れている。

とても些細な出来事だけど、読み終えて不思議と心が残る。

まったく同じ経験はなくとも、似たような感覚になった経験はないだろうか。
繰り返される日常の中のちょっとした変化。優れたエッセイを書く人はそのアンテナがとても鋭い。


これは"日常"のエピソードであるが、『いのちの車窓から』には「非日常が日常になること」も書かれている。
紅白に出ること、新垣結衣と競演すること、大泉洋。


ものすごく個人的なことなのだが、大泉洋のエピソードを読んで驚いた。

内容は大泉洋との関わりから、紅白での大泉洋とのエピソードで終わる。
星野源は歌い終わったステージから審査員席を見るそこには


『椅子から飛び上がり、目をキラキラさせながら全力で拍手をしてくれた。』

そんな大泉洋が目に映っていた。


僕は知っている。この時の大泉洋の気持ちを。


なにかというと、この回を読む前日、僕は「おにぎりあたためますか」を見ていた。
スカパー!のテレ朝チャンネルで放送しているのだが、スカパー!では本放送の1年遅れで放送されている。

その回の最後に大泉洋が紅白に審査員で出演した際のエピソードを話していたのだ。
内容はずっと審査員席から紅白を見ていると"歌いたくなる"そうだ。その中で「星野源ちゃんとかが歌ってるんですよ」とも言っている。

嘘みたいなタイミングでステージと審査員席が繋がった。
まさに昨日の今日というタイミングだったので、驚いてしまった。


話が脱線して長くなってきたのでそろそろ終わる。

とにかく、このエッセイにはそんな様々な"日常"が書かれている。

連載も続いているし、あとがきからも2巻以降の発売も間違いないだろう(そもそも背表紙にも""ってばっちり描いてある)


あらためて書くが星野源を好きな人だけでなく、様々な人に読んで欲しいエッセイだった。
まぁ発売数日で買った僕のがもう再販になってるくらいだし、僕の余計なお節介だろうか。









【関連記事】
【逃げ恥】星野源の才能と魅力と批判について再度考える
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2017年3月8日水曜日

Amuse Fes in MAKUHARI 2017 - rediscover -開催に向けて期待すること






Amuse Fes in MAKUHARI 2017 - rediscover -が2017年6月4日に開催される。

台湾は行けないし、リリース系も去年の横浜スタジアムの映像作品くらい(いや楽しみだけどさ)なポルノさんにとって、久しぶりにライヴが見れそうなので、チケットも取っていないのにウキウキしている。

さて、今年は幕張メッセで開催されることになったアミューズフェス


つま恋に比べればかなり首都圏よりになったので関東勢は助かったのではないだろうか。西日本組は、頑張って欲しい。
さらに、時期も6月初旬ということでかなり過ごしやすくなりそうである。

今出ている情報と、フェスに向けての展望と要望を書いてみようと思う。









出演アーティスト



現在発表されているのは4組


ポルノグラフィティ
Perfume
flumpool
高橋優


である。つま恋BBQからの常連組である。

ポルノさんはもちろんのこと、Perfumeはこういう時じゃないと見れないので大変楽しみである。
高橋優も5周年ツアーの武道館以来なので、また熱い歌と演奏が楽しみである。

気になるのは追加アーティストが誰になるかということだろう。

例年から行くとSkoop On Somebody、BEGIN、WEAVER、Rihwa、藤原さくら辺りに期待したい。モノブライトやFLOWも久しぶりに見たいが。ポルノ繋がりでMAYDAYもあり得るか?


逆にHaKUやWHITE ASHの解散は大変惜しまれる。


そして、目玉が誰になるかである。いや、あるかは知らんしポルノいてくれればいいんだけど。


多くの人が期待してしまうのは星野源だろう。


今現在のアミューズ所属の中で最もノリにのっている源さんである。当然見たい。しかし、本人はツアー中である。

難しいか、そう考えてツアー日程見たら、





ポッカリ空いてる!!


これで期待するなという方が無理だろう。

さらに、PerfumeとのMステでの絡みなども考えれば、Perfumeもみんなも一緒に恋ダンスするしかないじゃないか。

なぜならコラボレーションもアミューズフェスの魅力だからである。

ということで、最大の目玉となるであろう星野源に登場に期待である。


ポルノさん的にいうと台湾ライヴでtasukuさんがサポート加わるなら幕張でも登場して欲しいなぁ。生で見てみたい。



幕張メッセ



会場が慣れ親しんだ幕張メッセということがとても嬉しい。そこまで近くはないんだけど、まぁつま恋よりは行きやすいので。

何より屋内になったことで全天候向きになったことが大きい。これで天気予報とにらめっこしたり、朝の雨に怯えなくて済み、土砂降りの雷雨が過ぎるを待たなくても済むのだ。

台風レベルの災害で電車が止まらない限りは大丈夫だろう。


まさか台風なんて。


…大丈夫だよね?


6月だし。


さらにコメントで言っていたが、屋内になったことでライディングを活かした演出が増えることにも期待する。Perfumeとか絶対楽しいじゃん。


余談であるが当日は幕張で「レッドブル・エアレース」が開催されるらしい。


開場時間もアミューズフェスが11時で、エアレースが10時からのようなので、行きの電車はかなり混むと予想されるので、参加される方は荷物など注意した方がいいかもしれない。


ということで期待に胸を膨らませて6月4日を待つことにしよう。


まず、チケット申し込まなきゃ。








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星野源使用機材~Gibson ES-125編






「SUN」、「恋」と場外ホームランみたいなヒットを飛ばしまくっている星野源。


久しぶりにその使用機材を見てみよう。


僕の中で星野源のギターといえばこれである。


Gibson ES-125




フルアコ




ES-125は1941年に登場し、1970年まで制作された歴史あるギターである。






SAKEROCK時代~ソロデビュー初期の頃はほぼ代名詞ともいえる頻度で使用されていた。
最後のMVとなった"SAYONARA"でも使用している。


ソロのMVでは"化物"などで使用されている。







しかし、近年ではES-335がメインギターとなり、登場頻度は落ちている。
コメンタリーで言っていたが、楽器隊が増えたことでステージ上でのハウリングを懸念してということだ。

フルアコ(フルアコースティック)のギターである。

フルアコはボディがアコギと同じくらい空洞となっている。

そのためエレキでありながら太くて甘いサウンドとなる。
オペラ歌手で太っている人が多いのは身体に空洞をつくるためだ。というのもあながち嘘ではない。

使用頻度については、単純にギター持たない曲が増えたということも大きい。


ピックアップはフロントのポジションにP-90がマウントされている。
コード感を出すのに最適なピックアップだろう。

※P-90については過去記事を参照

【関連記事】
ギターのピックアップの違いはなに?part.2  P-90とミニハムバッカー


生音でもしっかり"鳴る"ギターであることだろう。

以前にSHINOSアンプを取り上げたが、その際に源さんはこのアンプを「楽器の音がする」とコメントしていたと紹介した。

楽器の音がとても良く出るアンプであるということは、それだけギター本体のポテンシャルが高いということを意味する。








ジャズギター



フルアコのギターというとやはりジャズで使われるギターというイメージである。

クリーントーンでの太くて豊かな音コードの分離がいい、サステインが短いという特徴がジャズ向きなのだろう。

源さんもSAKEROCKでもソロでもバリバリとテンションコード弾きまくっている。それは両親のジャズ好きから影響を受けているのだろう。

※本人はコード進行とかの知識はないそうです。たぶん本能的にやってる


【関連記事】
星野源の実家に迷惑かけて閉店させた奴はファンとは呼ばない


今はどちらかといえばブラックミュージックを基にした音楽性を推しているが、ジャズも星野源を語る上で外すことのできないルーツミュージックなのだ。



弾きやすい(らしい)




最後にひとつ余談。

星野源のトレードマークのひとつのギターであるが、長岡亮介が弾いているシーンが見れるものがある。

それがシングル「地獄でなぜ悪い」の初回DVDに入っているレコーディングのドキュメンタリーである。


この時の長岡亮介の「え?いいんですか」の言い方が個人的にとても好きである。

見つけたら是非見ていただきたい。


ということで、生温い感じの記事になってしまったけど、源さんの使用ギターでした。






【こんな記事もあります】
【逃げ恥】星野源の才能と魅力と批判について再度考える
【ヒカリノアトリエ】ミスチルが朝ドラに全く向いてない件
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