綾辻行人が1987年に発表した新本格ミステリの金字塔『十角館の殺人』。先日、発売から30周年となり、愛蔵版が出版された。買いました。
内容は云うまでのない大傑作である。
もし読んでいない方はいましたら、こんな駄文を読むのを止めてスマホを投げ捨てて買いに行っていただきたい。
実写化の壁
この作品は常々、「実写化不可能」と云われ続けてきた。
それを示すように僕と同い年なので30年経つことになるが、当然ながら実写化はされていない。
しかしながら近年の実写化ブームの中、いつ槍玉に上がってもおかしくない。
あの"ジョジョ"ですら実写化されてしまったのだ。今の日本映画界は何をしでかすか分からない。
実際、かつて『十角館の殺人』を実写化したいというオファーがあり、作者の綾辻行人は了承していたということもある。挑戦したようだが、残念ながら頓挫してしまったようだ。
綾辻行人といえば、近年では『Another』が話題となった。メディアミックス作品として、アニメ化され、実写映画化もされた。
こちらも作中にある、実写向きではない小説だからこその仕掛けがあるのだが、実写映画ではその仕掛けを最初から放棄してバラすという、軽い暴挙とも取れる方法になった。その結果実写映画は「なんだこれ」と思わざるを得ない作品となった。
これに比べマンガ版は、ほぼ完璧ともいえる視覚化作品となっていて、ひとつの作品としても本当に大好きな作品である。
アニメ版も上手くやってたのにね。
似たような話でいえば殊能将之の『ハサミ男』も大変残念な実写映画化がされ、こちらも最初からネタをバラし仕掛けを放棄して、ただ麻生久美子が可愛いだけの映画であった。遺憾の意である。
ということで、して欲しい、とは思ってはいないのだけれど、もしも『十角館の殺人』を実写化するならどんな方法があるだろう。
検証してみる。
当然ながら以下ネタバレである。
もしも見てしまって文句云われても困るし、30年前に発表された作品にネタバレを問われても、
「読んでないお前が悪い」
である。
いいから今すぐスマホを海の彼方へ投げ捨てて読んでいただきたい。
万が一にも「これ読んでから読もう」なんて言うと人生の数パーセントを損すると思っていただきたい。
『Another』のネタバレについても触れざるを得ないのでご注意いただきたい。ついでに伊坂幸太郎の『アヒルと鴨のコインロッカー』も出てくるのでご容赦を。
①最初から仕掛けを放棄する
実写映画『Another』パターンである。
そもそもこの仕掛けは、本土と島の出来事が交互に描かれていき、別人だと思わせていた守須がヴァンであると明かされるところにカタルシスを持ってきている。
実はこの構図は『Another』もほぼ同じなのである。別々だと思われていた人間が実は同一人物であったというトリックだ。
なので最初から守須=ヴァンと明かして進めば実写は可能である。可能だけどさという。
しかし『Another』と決定的に違うのは守須=ヴァンということが、そのままメイントリックに繋がってしまうため、ミステリとしても破綻してしまうことにある。
何より、『Another』もそうであったが最大の魅力を放棄してしまうくらいなら始めからやらないでいただきたい。
②POV視点を用いる
実はこの記事を書こうと思ったのは監督の白石晃士氏のツイートが発端である。
某原作の映画化プロットをやっと提出。今までたくさん映画化の話はあったけど実現したものはナシ、という難攻不落な原作、でもクライマックスでこんな脚色をした人は絶対にいなかったはず。ある瞬間にキャラが動いて、全く予想してなかった展開に。書きながら泣いた。受け入れてもらえるといいなぁ…。— 白石晃士 (@shiraishikouji) 2017年6月19日
まさか『十角館の殺人』じゃねぇよなと思った。
結局これは違う作品(おそらく「不能犯」?)だったけれど、白石さんと思って1つ思い付いたものがある。
それがPOV手法である。
たとえば、島の描写をすべてPOV視点にしてしまうのだ。
基本的にはヴァン目線、つまりヴァンがカメラを回しているという設定にする。
そして、ヴァンは風邪と偽り本土と島を往復しているので、所々十角館からフェードアウトする。
その時に他の人物にカメラを渡すということにすれば、ヴァンが映ることなく島の描写を映せないだろうか。
といってもほぼ間違いなくヴァンが怪しいし、声でバレるし、その他問題点は山積みだ。何より主観視点であることの、必然性がないのだ。云わばトリックのためのトリックとなってしまうのだ。
でもかなり強引ではあるけど、これくらいしか守須かヴァンを映さずに作品を成立させる手段はないのではないだろうか。
そして、それくらいのウルトラCを決められるのは白石晃士監督しかいないのではないだろうか。
③本土を描かない
ある意味本土と島の同時進行があるからこそ、このトリックは成立するのだが、最初から本土のパートをごっそり削ってしまうのだ。
これで万事解決。
完全に『そして誰もいなくなった』みたいになるだけである。
果たして見たいか?それ。
④本土と島は時代が違うと思わせる
たとえば、本土は中村清司の事件直後で、その事件について調べているかのように見せて、実は裏では十角館の事件が起こっているようにみせるのはどうだろう。
中村清司の事件を追っていたヴァンが、後に十角館の事件に巻き込まれたように見せるのだ。
そして、最後に実は同時進行の時系列でしたというものである。
どうでしょう。
⑤森須を電話だけで登場させる
声だけ。
はい。
怪しいですね。
⑥森須を別人にして誤認させる
『アヒルとコインロッカー』の映画において使われた手法だ。
これも河崎=ドルジという実は同一人物がストーリーの重要な要素である。
映画ではドルジの登場シーンは全て椎名の誤った認識での回想シーンにして別人として登場させて誤魔化した。
この手法使えないかなと思ったけど、やはり島と本土が同時進行で進む以上難しいか。
ということで考えてはみたけど、どうにもこうにも出来そうにない。そもそも頭の良くない僕が考えたところで限界がある。
身も蓋もないが、やはり活字で楽しむべき作品なのかな。
【関連記事】
夏休みは本を読もう 読書感想文がない大人でも読みたいオススメ小説 6選
「シン・ゴジラ」庵野秀明と東宝のバトルに見る映画業界のダメ体質
【映画】「アイアムアヒーロー」あらすじ&ネタバレ感想
↑ここ最近の実写化では最高傑作ではないかな
ツイート
守須ですよね。
返信削除