2017年6月23日金曜日

【読んだ】朝井リョウ『スペードの3』ネタバレ感想








朝井リョウ『スペードの3』を文庫で読んだ。

ということで感想を書いて行きたいと思う。

あらすじ以降ネタバレありますのでご注意を。



朝井リョウ『スペードの3』 講談社文庫









あらすじ



ミュージカル女優、つかさのファンクラブ「ファミリア」を束ねている美知代。大手化粧品会社で働いていると周りには言っているものの、実際は関連会社の事務に過ぎない彼女が優越感を覚えられるのは、ファンクラブの仕事でだけ。ある日、美知代の小学校時代のクラスメイトが「ファミリア」に加盟する。あっという間に注目を集めた彼女の登場によって、美知代の立場は危うくなっていく。美知代を脅かす彼女には、ある目的があった。
華やかなつかさに憧れを抱く、地味で冴えないむつ美。かつて夢組のスターとして人気を誇っていたが、最近は仕事のオファーが減る一方のつかさ。それぞれに不満を抱えた三人の人生が交差し、動き出す。

http://shousetsu-gendai.kodansha.co.jp/books/16.html



感想(ネタバレ有)



物語は3章の連作短編からなる。

1章『スペードの3』江崎美知代
2章『ハートの2』明元むつ美
3章『ダイヤの1』香北つかさ

と3人の女性がそれぞれ主人公となり、物語を創っていく。

朝井リョウの作品はどれもわりと一貫したテーマがあってそれが『"世界"の中で自分自身の居場所を創ることと守ること』であると思う。

どの章も自分の居場所を模索する女性たちが描かれる。


1章では架空の歌劇団(限りなく宝塚歌劇団をモチーフにしている)のミュージカル女優である香北つかさのファンクラブ『ファミリア』の幹部である美千代が主人公となる。

ファミリアでの美千代の現在パート、美千代の小学校時代の過去パートを交互に描きながら物語は進んでいく。
それを繋ぐのが"アキ"の存在である。

小学校時代学級委員としてクラスを統率してきた、美千代であるが、転校生の尾上愛季(アキ)が現れたことでそのバランスは歪に歪んでいく。
見た目にも誰よりも可愛らしいアキはクラスの注目となる。

そして、現在。ファンクラブ『ファミリア』の幹部となり、仕切る立場となった美千代であるが、そこにある日"アキ"が現れる。
アキはファミリアに入会、どこかつかさを思わせる見た目のアキの登場により、美千代の創り上げてきた世界はまたしてもグラグラと揺らいでしまう。

そんな美千代にアキは、


「美千代ちゃんは、この世界で、また学級委員になったつもりでいるの?」
「もうね、無理なんだよ。学級委員はもう、成り立たない」


と言い放つ。

しかし、物語はそれだけで終わらない。

ファミリアに入った"アキ"は尾上愛季ではなく、同じく小学校時代のクラスメイトの明元むつ美だったのだ。そういう話だと思ってなかったので、さほど大袈裟じゃない叙述トリックに驚いてしまった。このさりげなさが巧みである。

2章ではその明元むつ美のストーリーである。
小学校時代はいじめられ、避けられてきたむつ美であったが、違う地区の中学に進学。仲良くなった志津香に誘われ演劇部に美術班として入部する。


自分を変えないように生きてきた美千代に対して2章では自分を変えることを決意するむつ美が描かれる。

得意の絵を活かして演劇部で奔走するむつ美であるが、ある日男役を演じる香北つかさの姿を見る。その姿は父親に似ていると感じる、そして自分にも近いものがあると。

この章を読んでから1章を読み返して"アキ"に注目して読み返すと面白い。

ラストの"髪を切る"ことでの過去の自分との決別というのは、よく使われるモチーフであるにも関わらず、懸命に弟に呼び掛けながら髪にハサミを入れていくむつ美の姿に涙してしまう。


3章では香北つかさが主人公となる。

彼女も劇団の中で自分自身を創り上げてきたのだった。同期生である沖乃原円は離婚して父親とは年に一度の誕生日。そんな彼女は「父に自分の舞台を見てもらいたい」と生い立ちを語る。

寮でも問題行動ばかりの円だが、同時に多くの人を惹き付ける。

そんな円とつかさの関係が主軸となる。


相変わらず朝井リョウ作品はどれも人の自意識を刃を突きつけるようなものばかりである。
特に美千代のエピソードは読み終わった後に謎の焦燥感があった。




対比



むつ美はつかさに憧れ、髪型や容姿を似せている。


しかし、3章を読むとつかさと真に対となるのが美千代であると気づく。
目の前にいる人を惹き付けてやまない存在、その姿に優等生の自分は決して追い付けないという嫉妬に駆り立てられる。

美千代がファミリアで必死に居場所を守ろうとするのに対して、つかさは去り際を模索する。

つかさは過去を全て晒したブログと共に去るはずであったが、アカウントの乗っ取り騒動により最後の切り札となるカードを切れずに終わってしまう。

切り札を切れるか切れないか、それこそが勝負の分かれ目となる。切り札を切れなくなった時、それまで積み上げてきた過程はすべて泡となる。


各章がトランプであったり、物語の最初で大貧民(大富豪)のルール説明があるように、物語は大貧民に重ねられる。

誰も革命は起こさない。
革命は自分で起こさなければいけない。


以前「大貧民ではなぜ"2"が最強のカードなのか」という記事を何故か書いたことがあるが、それを思い出した。

本来は"1(エース)"が最強のカードであったはずが、ローカルルールにより「同じスート(図柄)であれば"2"を切ることができる」となり、いつしか同じスートというルールが取れ"2"が最強となったというもの。

朝井リョウがこの経緯を知っていたかどうかは分からないが、それを考えるとつかさの章が「ダイヤの1」であることの理由に繋がるように思う。

かつては最強のカードとして君臨していたが、いつしか時代は代わり、頂点を明け渡してしまう。
決して"2"には勝てないのだ。










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