ポルノグラフィティの全シングルレビューを書いてきて、次回は「アゲハ蝶」のシングルとなる。
いつものようにアホ面下げて書いていたのだが、ポルノグラフィティを好きになったキッカケで思い入れが強いシングルなので、あれやこれやと無い頭を巡らせていると、なかなか筆が進まないものだ。
色々思い返しているうちに"アゲハ蝶"について1つ思い出したことがあった。
レビュー記事中で書こうと思ったら、思いの外長くなりそうなので、今回別途記事にすることにしました。
沖縄の夜空の下"アゲハ蝶"に涙した夜のこと。
PANORAMA × 42 “2012ポルノグラフテー”
2012年9月8日に「PANORAMA×42」のツアーの一環沖縄でライヴが行われた。
特別公演で「ポルノグラフテー」と久しぶりに銘打たれたライヴとなった。
ツアーのセットリストを基にしながらも少しずつ変化があり"NaNaNa サマーガール"や"グッバイサマー"のような夏の野外に似合う曲もセレクトされた。
そして中盤。太陽もだいぶ落ちた頃、沖縄の地で2005年以来に"Twilight,トワイライト"が演奏された。
僕と相棒がこの曲を聴いたのは2005年の武道館以来であった。
※ちなみにこれが相棒の初ポルノライヴだった
途中からは岡野昭仁が三線を弾き、エイサー隊の太鼓が加わり、武道館とはまた違った長尺アレンジとなった。
この時点でかなり"きて"いた。
沖縄の土地が持つ歴史と"Twilight,トワイライト"があまりにも悲しいオーバーラップをしたのだ。
そして、そのままエイサー隊が残り"アゲハ蝶"が演奏された。
1番のサビに入った瞬間、涙が止まらなくなってしまった。
先ほどの"Twilight,トワイライト"で、ギリギリに引き留めてたダムが崩壊したのだ。
2012年9月、東日本の震災から1年半、そしてつま恋ロマンスポルノから約1年という日である。
震災から初めて行われたポルノグラフィティのライヴ。
そのライヴの本編最後にこの曲は演奏された。
「みなさんの思いを東北まで届けましょう」岡野昭仁はそう叫んだ。
その時、会場に本物のアゲハ蝶が確かに舞ったのだ。あまりにも出来すぎた話であるが、間違いなくあの時、あの場所にアゲハ蝶は舞った。
本当に集まった人間の祈りが届いたようだった。
ライヴ当日は最後の"∠RECIEVER"が全てを持っていってしまったため、後からそれをじんわりと実感したのだった。
そんなつま恋以後、この沖縄公演で初めて生で"アゲハ蝶"を聴いたのだ。
一番好きな曲、特別な曲、忘れられない曲、願いの曲、祈りの曲、贖罪の曲、そして、なんて楽しい曲。
あまりにも色々な感情が交差した。
父が震災の時はまだ福島にいたこともあって、震災後しばらくしてから福島に行ったことがある。
町はかなり復興はしていたが、所々にはまだ痛々しい爪跡が遺されていた。
これを見て悲嘆したのは、テレビでもSNSでも感じられない"現実"を自分の目でことにある。
散々テレビなどで見てきたはずの倒壊した家屋、実際に目にすると、一軒見るだけで込み上げてくるものがあった。
まさに「百聞は一見にしかず」なのである。
震災があり、つま恋でポルノを見て、福島の現状を見た。
そうした経験を経て、僕は沖縄という場所に立っていた。
沖縄の夜には不思議な空気がある。それは決して明るいばかりでない歴史が影響しているのだろうか。
"Twilight,トワイライト"のメッセージとこれほどリンクする場所はないだろう。
空が全て繋がっているように、つま恋も福島での経験も何もかもがここに繋がっていた。
僕らは数えきれない歴史の果てに生きている。多くの意志を受け継いでいる。その中には決して叶わぬ想いも願いもあっただろう。
そこに少しでも寄り添ってくれるのが音楽なのだ。
ポルノグラフィティが導いてきてくれた。
もちろんライヴ中は楽しいやら泣くやらはで、そこまで頭が回らなかったが、今思うと潜在意識で感じていたのかもしれない。
この時の沖縄は一泊二日という、まさにライヴのためという強行スケジュールで行ったのだが、有り余るほどの体験を僕にくれた。
アンコールでまさにサプライズとしか言いようがない"アポロ"といい、沖縄に行かなければ感じられなかったものを数多く得た。
あの夜はこれから先、何があっても忘れることのできない夜であった。
【関連記事】
アゲハ蝶歌詞解釈~夏の夜に咲いたアゲハ蝶
THE WAYのダイアリー00/08/26に涙した理由
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途中からは岡野昭仁が三線を弾き、エイサー隊の太鼓が加わり、武道館とはまた違った長尺アレンジとなった。
この時点でかなり"きて"いた。
沖縄の土地が持つ歴史と"Twilight,トワイライト"があまりにも悲しいオーバーラップをしたのだ。
そして、そのままエイサー隊が残り"アゲハ蝶"が演奏された。
1番のサビに入った瞬間、涙が止まらなくなってしまった。
先ほどの"Twilight,トワイライト"で、ギリギリに引き留めてたダムが崩壊したのだ。
沖縄の夜空に舞ったアゲハ蝶
2012年9月、東日本の震災から1年半、そしてつま恋ロマンスポルノから約1年という日である。
震災から初めて行われたポルノグラフィティのライヴ。
そのライヴの本編最後にこの曲は演奏された。
「みなさんの思いを東北まで届けましょう」岡野昭仁はそう叫んだ。
その時、会場に本物のアゲハ蝶が確かに舞ったのだ。あまりにも出来すぎた話であるが、間違いなくあの時、あの場所にアゲハ蝶は舞った。
本当に集まった人間の祈りが届いたようだった。
ライヴ当日は最後の"∠RECIEVER"が全てを持っていってしまったため、後からそれをじんわりと実感したのだった。
そんなつま恋以後、この沖縄公演で初めて生で"アゲハ蝶"を聴いたのだ。
一番好きな曲、特別な曲、忘れられない曲、願いの曲、祈りの曲、贖罪の曲、そして、なんて楽しい曲。
あまりにも色々な感情が交差した。
父が震災の時はまだ福島にいたこともあって、震災後しばらくしてから福島に行ったことがある。
町はかなり復興はしていたが、所々にはまだ痛々しい爪跡が遺されていた。
これを見て悲嘆したのは、テレビでもSNSでも感じられない"現実"を自分の目でことにある。
散々テレビなどで見てきたはずの倒壊した家屋、実際に目にすると、一軒見るだけで込み上げてくるものがあった。
まさに「百聞は一見にしかず」なのである。
震災があり、つま恋でポルノを見て、福島の現状を見た。
そうした経験を経て、僕は沖縄という場所に立っていた。
沖縄の夜には不思議な空気がある。それは決して明るいばかりでない歴史が影響しているのだろうか。
"Twilight,トワイライト"のメッセージとこれほどリンクする場所はないだろう。
空が全て繋がっているように、つま恋も福島での経験も何もかもがここに繋がっていた。
僕らは数えきれない歴史の果てに生きている。多くの意志を受け継いでいる。その中には決して叶わぬ想いも願いもあっただろう。
そこに少しでも寄り添ってくれるのが音楽なのだ。
ポルノグラフィティが導いてきてくれた。
もちろんライヴ中は楽しいやら泣くやらはで、そこまで頭が回らなかったが、今思うと潜在意識で感じていたのかもしれない。
この時の沖縄は一泊二日という、まさにライヴのためという強行スケジュールで行ったのだが、有り余るほどの体験を僕にくれた。
アンコールでまさにサプライズとしか言いようがない"アポロ"といい、沖縄に行かなければ感じられなかったものを数多く得た。
あの夜はこれから先、何があっても忘れることのできない夜であった。
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