普段当たり前に言っているけど、あらためて考えると凄くない?という話。
病的にポルノグラフィティを愛し過ぎてしまってる方はもう忘れてしまっていると思うが、ポルノとは『猥褻(わいせつ)な文学・絵・写真』という意味である。
そんなポルノのDVDを買いに行くと、若い女の子が普通に言える世の中!最高だ!
岡野昭仁がライヴで言う「生ポルノライヴ」、完全に卑猥である。絶対歌舞伎町の片隅でやってるやつだ。
まさに今日だが、スッキリ!に出演すれば「朝からスッキリ!生ポルノ」完全にアウトである。ぐうの音も出ない。弁護士も雇わない。
冗談はこれくらいにして、これって凄いことだなと。
"ポルノ"が一般化するとき
1999年まで"ポルノ"という言葉は上記の通り「猥褻なもの」という意味であった。
そこにポルノグラフィティが登場して以降、"ポルノ"という言葉の意味が一新されたのだ。
バンド名の由来はインパクトのあるものにしたかった、というのは有名な話ではある。
その通りデビュー当初はインパクト抜群であったのだろう。
しかし今現在「ポルノ」という言葉を訊いて「卑猥」と想像する人がどれだけの割合いるだろうか。
60代以上の方であればまだ「卑猥」方面の意味で取る人も多いだろうが、若者はほとんど「ポルノグラフィティ」を想像するのではないだろうか。
その浸透率というものは凄まじいものである。
Wikipediaの「ポルノグラフィ」から引用すると、
1850年前後にイギリスで作られた言葉であるといわれている(『オックスフォード英語辞典』による用例の文献初出は1857年のものである)
とのこと。つまり160年程前に生まれた言葉なのだ。
それがポルノグラフィティの登場によって、本来の意味とは全く異なる言葉の定義となった。
もちろん日本だけの話なので海外では注意しよう。
この手の話題で毎回話を持ち出すのだが、以前代々木体育館でポルノのライヴがあった時に原宿付近を「PORNO GRAFFITTI」と背中に書かれたツアーTで歩いているファンが沢山いて、それを見た外国人観光客の兄ちゃんが「Oh...」という風に背中を指差していたのが忘れられない。
言葉の変化
言葉は時代によって変遷していく。
たとえば「テンション」という言葉は本来「1 精神的な緊張。また、不安」という意味である。
そこから「ハイテンション」という言葉に繋がるのだが、これは糸やロープが張り詰めた様子から来た言葉だ、それが今では「興奮している状態」を示す言葉となっている。
辞書においても
「2 (1の誤用から)俗に、気分や気持ちのこと。「朗報にテンションが上がる」「いつもテンションの低い人」」
という表記もされている。
他にも有名なのは「全然~あり」みたいな用途。
この「全然あり」はよく「全然」の後は否定である「~ない」にならないといけない、誤用であるという話。
そこから「夏目漱石も全然の後に否定をしないで使っている」とかそういう反論までが必ずワンセットで付いてくる。
今でいうと「全然あり」っていうのは、省略を伴う表現だよなと思う。
たとえば、
A「この洋服で大丈夫かな?おかしくない?」
B「全然ありだよ!」
という会話。Bさんの言葉は「全然(問題ない)ありだよ!」ということを意図している。つまり否定の部分を省略しているが、受け手もそれを無意識に脳内で補完しているから通じているのではないかと思う。
かといって、気にする人はするし、公文などでは用いない方が良さそうではある。
僕も言葉をきちんと使えているわけではないが、飲食店での「こちらが~になります」とか「~でよろしかったでしょうか」はいつも気になる。
こうした、言葉の意味が時代によって変わっていくというのは面白いなと思う。
50年後にはまた違う文化が生まれているのだろうか。
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