2021年11月12日金曜日

ポルノグラフィティを好きでいようと思った






※はじめに
かなり個人的で感情的な妄想を含む記事なのでご注意ください。
最近起きたギタリストの私生活の件も触れるので、嫌な方は別の無邪気でアホな記事を読んでください

関ジャムがやらないなら俺がやる 「勝手に選ぶポルノグラフィティ最強ベスト10」
↑明るい妄想記事はこちらから



最近ポルノグラフィティを斜め聴きしていた。

「斜め聴き」というのは自分が勝手につくった言葉で、「斜め読み」のようにしっかり向き合うのではなく、大まかな印象で受け止めることだ。聴き流すほど雑ではない程度に。

現在のツアーで自分は東京公演に行く予定で、まだ1ヶ月以上あって気持ちが早ってしまうのもあるが、最近はネガティブなニュースが続いたことも少なからず影響している。

けれど、改めて正面から向きったポルノグラフィティの音楽に何を感じたかということを残しておきたい。





ポルノグラフィティを斜めに聴く




最新シングルの「テーマソング」についてはリリース時から、ちょっと大変な回数を聴いていた。

1日中リピートする日が何日あったかというレベルなので、ある種「病的」といわれてもおかしくないほどだ。
まぁ、それはリリースがあった時は大体そうなので、自分は通常営業に他ならない。

けれど、ここしばらくはあまり本腰を入れて聴けていなかった。
といっても普通の人からしたら「飽きずに熱心に聴いている」という次元な気はするが、自分の心境としてはそういうスタンスだったのだ。


一つにはツアーのことがある。

ツアーのネタバレを踏まないようネットやSNSも斜めに見ている(もちろん検索も厳禁)ので、話題を見る機会が少ない。そもそもシングルのリリース関連も落ち着いてきたので露出が少ないのもあるが。

先にも書いたとおり、自分はツアーの最終盤の東京2公演の予定なので、これを書いている今からは1ヶ月以上あるのだ。久しぶりのポルノグラフィティのライヴなので当然楽しみなのだが、今からドキドキワクワクしていると身体がもたない。

同時に、不安があるのだ。コロナウイルスの問題は今時点でかなり大幅な減少をしている。しかし1ヶ月先はどうなっているかわからない。

もしかしたら再拡大して第6波と呼ばれる状態になっているかもしれない。もっといえばメンバーやスタッフの誰かが、もしかしたら自分が感染するかもしれない。極端な話、当日の朝に感染が発覚し、ライヴが急遽中止になるかもしれない。

以前、インフルエンザ感染でのツアー日程延期を経験している身としては、幕が開くその瞬間まで気を抜くことができないのだ。ちなみにインフルエンザウイルスが悪いのであって、岡野昭仁にはまったく非はない。

期待に不安が絡みついて離れない。


そんな心境なので、曲を聴くとずっとソワソワした気持ちになってしまう。

そしてもう一つが、最近あったあのニュースだ。







私生活の話





新藤晴一が長谷川京子との離婚を発表した。

色々な話は飛び交ったけど、自分のまわりのファンの方たちはいい意味でさっぱりとした気持ちで受け止めていた人が多かった印象だ。

自分もそこまで衝撃を受けたわけでもなく、そうか、という気持ちでニュースを見た。

あくまで私生活は私生活として切り離して考えているけれど、しかしながら一部にはモヤモヤした気持ちが言葉にできず澱のようになって心に沈殿していた。

なんでかというと東京ドームの言葉を思い出したからだ。


ポルノはそれこそ、名前は違ったけど高校の文化祭から始まって、そこから地続きできてる。だから、デビューというよりは、高校の文化祭まで歴史を遡らないといけない。

みんなにもあると思うけど、そういう汚したくない思い出とか……なんだろうなぁ初恋の相手とかそういうのがあると思うんだけど。自分にとってポルノがそういうもので、自分の手で汚したくないなって思っていて。


この言葉に感動したからこそ、最近の話題にささいな心の”つまずき”ができてしまったのだ。
週刊誌の露骨な飛ばし記事にうんざりして、それが世間に面白半分に広がって。

ここ何年もの目覚ましい活動があったからこそ、ファンでいることを誇れて、胸を張れて。そんな気持ちが、少し遠くなってしまっていた。

あれだけ心動いた”テーマソング”も、どこかに空元気のような気配を感じてしまって。もちろん嫌いになったわけでも、ファンじゃなくなったわけでもないんだけど。

そんな感じで曲を聴いていると。


完全な白の脆さを知って
完全な黒の深さ知って動けないでいる
~”蝙蝠”



好きだった言葉たちがとても皮肉な現実になって響いた。
色々とすぐつなげて考えてしまう性格を呪った。


とまぁ、最近はそんな感じでした。

しかしながら、こんなことを書けるようになったということで、ちょっと気持ちがひとつ切り替わる話題があったので、それを書いて終わりたい。


ムツゴロウさんの話




唐突に話が変わって恐縮だが、昨日ムツゴロウさんのインタビュー記事を読んだ。

少しは関係するし、良い記事だったので少し付き合ってほしい。


「今は犬1頭と猫1匹だけ…」借金3億を背負って「動物王国」を閉園したムツゴロウさん(86)が辿り着いた“北海道のログハウス生活”「今は自分が生きていくだけでやっとです」


文春オンラインに公開された全3回の記事だ。
正直、文春もこういう記事ばかり書いて欲しいというくらい素晴らしい内容だった。

今の若い子はピンとこないかもしれないけど、自分のような昭和世代のおっさんなどにはお馴染み、ムツゴロウさんの歩みを振り返るインタビューだ。


読んでいてじんわりと自分の中で「なにかをひたむきに好きになること」について考えてしまった。

ムツゴロウさんは動物と心から、命と命として向き合っていた。そのひたむきさが多くの人の心を掴んだのだと思う。

記事中にもあるけど、有名なライオンに噛まれて指を失ったエピソードひとつ見ても、指を噛み千切ったライオンにまた笑顔で会いにいって向き合う。「だってライオンはそういう生き物じゃないですか」は本気で向き合った人ではないと出てこない言葉だ。

自分がこのインタビューに惹かれたのは、自分はずっと「ひたむきな人」たちに憧れてきたからだと思う。


ポルノグラフィティでいえば、新藤晴一は基になるバンドをつくり、後から参加した岡野昭仁は歌うことの喜びを覚え、今はその歌と真剣に向き合っている。

新藤晴一はギタリストでもあるけど、やっぱり言葉の人で、いつも未来を見据えている。
いつも僕らが想像する一歩先の未来を。

ここ何年もの間ずっと、2人がファンのことを考え、ファンのために活動してくれていた、ただひたむきに。

ずっと見てきたから、知ってる。

彼らがひたむきでいてくれたから、自分もひたむきでいられた。

それだけは自分が誇れる唯一の”ひたむき”だった。


すごく穿った見方なんだけど、ニュースでは私生活でここ数年話し合っていたとあった。
そう思うと東京ドームの時にも、あの人なりの未来が、もう見えていたんじゃないかな。

もちろんコロナが重なって、色々また変わったこともあるだろうけど、そう思ったときに、東京ドームの言葉が未来への謝辞でもあったんじゃないかと、どうしても思えてしまったのだ。

冬が近い、澄んだ空気の青い空を見上げて、考えた。

だから”テーマソング”になったんじゃないか。


悲しみにもなれない名もない感情は
涙でも流れずに降り積もる
なぜこんな淋しい場所にいるんだろう
一人では空が青すぎるのさ
~”空が青すぎて”



ほら 見上げれば空があって 泣きたくなるほどの青さ
ほら 雲のような白いスニーカーで 高く高く登ってゆけ



そう思えた時に”テーマソング”が、自分が止めてしまったファンの心を動かすために書かれたんじゃないかと思えるようになった。

飛ばし記事に文句を言ったわりに壮大な妄想を書いてしまって恐縮だが、曲の解釈は自由だ。そう受け取ってもいいじゃないか。


そんなことがあって、久しぶりに腰を据えて真っ正面から曲たちと向き合った。

当り前だけど、そこにはずっと大好きだったポルノグラフィティがいて。


僕はまた、ポルノグラフィティを好きでいようと思った。


※本記事は1人のファンによる勝手な妄想です



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惑わずいけよ……





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