2017年2月3日金曜日

金田一「死んだ○○は復讐なんて望んじゃいない!」←!?!?!?






『金田一少年の事件簿』が好きである。


だが、どうしても腑に落ちないことがいくつかある。池の氷を電熱線で溶かしてコテージごと沈めるという荒業のことではない。


犯人を説得するシーンである。









復讐なんて望んじゃいない




少し説明をすると、金田一の犯人の動機はほとんどが復讐である。


一部自分の保身のためとか、遺産のためなどの動機はあるが、ほとんどは復讐のために連続殺人に手を染める。

そして、その復讐というのがほとんどが大切な人を殺された復讐である。

ほとんどの場合は金田一少年に謎を看破されてお縄につくか、それでも残った復讐のターゲットを殺そうとしたり、逆に自殺を図ろうとする。






ここまで読んで「ほとんど」の頻度に最大公約数っぷりが伺えるだろう。


その時に金田一少年が云うのだ。


「よせ!死んだ○○は復讐なんて望んじゃいない!」


待て待て。


金田一少年に何が分かるというのだ。


なぜかといえば、ほとんどが(ほとんどばかり並ぶ記事である)金田一少年は復讐のキッカケとなった○○と面識がないからである。


犯人は「お前に何が分かる」とか「お前は○○の何を知ってるんだ」くらいにはね除けても良さそうなものである。

しかし、ほとんどの(また出た!)犯人はハッと思いとどまり泣き出してしまうのだ。
粘れ。そこは。証拠出されるまで散々ごねてただろう。


○○に入る人間は大抵が無惨な殺され方をしてしまう。全員が聖人君子なわけないし、1人くらい呪ってやると思う被害者もいていいものだと思うが。

たとえば首吊り学園の深町が自分だと思うと、あの三人は化けて出ても殺したいものである。
殺されたあげくに、受験ノイローゼによる自殺に見せかけられたのだ。たまったものではない。


ということでその人を知らないのに「復讐なんて望んじゃいない」と云ってのける金田一少年に疑問を投げ掛けたいのである。

「復讐は何も生まない」という言葉もあるが、怪盗紳士の殺人で最初に殺された海津が青酸カリである人物を殺そうとしたり、





首吊り学園の古谷の


あんまり言う聞かねーよーなら
また、吊るしちまうか?
深町ん時みたいによ!





という発言のような人が復讐した相手が新たな犯罪を犯しかねないシーンもある。また新しい犠牲者が生まれる可能性もあっただろう。
剣持警部の殺人の面々も同情の余地なんてない。


さらにはノベルスの電脳山荘殺人事件のように被害者たちが完全犯罪を企て、偶然を装うことで罪の意識にも苛まれていないという者たちもいる。


決して赦されることはないとしても、犯人たちに同情してしまうところが金田一の最大の魅力なのだろうかとふと考えた。



復讐ということ




テーマが近いので復讐繋がりで余談として書きたいことがある。


この復讐は何も生まない理論であるが、世の中でどれくらいの人が共感をしているのだろうかとふと思った。


それを思ったのは『デスノート』が絶大な人気を誇っていた時代の話になる。

作中でも言及されている「キラは正義か」という問題。







もちろん相手が悪人であろうと月の行いは許されるものではない。
しかし『デスノート』の人気はみんなどこかしらキラの考えに賛同してしまう余地があったからこそではなかっただろうか。


復讐をテーマにした作品としては近年そこそこ話題になったのがマンガ『善悪の屑』(続編『外道の歌』)である。
「もうウ●コできないねぇ」でお馴染みになったアレである。






この作品はまさにその復讐に焦点を当てている。

それなりの話題性の高さがあり「復讐シーンを読んでスカッとした」という感想が並ぶということは、やはり復讐というものは人を惹き付けてしまうのだろうか。


余談の余談となるが、この記事を書きたいがために金田一を最初から読み返していたのだが、意外とタイトルのようなシーンが少なかった。

どうしよう。

まぁ、いいか。








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