何かと定期的に火種を作るJASRACであるが、また新たな火が点いた。
JASRACが楽器教室からの著作権料徴収へ……ネットで反発続出 「見送ることはないが、利用者側と協議したい」 - ねとらぼ
今度の問題は音楽教室である。
一応なりとも音楽のブログなので、ここいらでJASRAC問題も取り上げてみることにしよう。
JASRACは独占禁止法には、あたらない
まず基礎的なことだし、よく云われていることではあるが、あらかじめ明言しておきたいのはJASRACの行為自体は決して悪だと言い切りたいわけではない。
アーティストにとっては、ここまで徹底的に著作権を扱われれば、不正に音楽が使われることはない。
だが、その徹底した管理こそが最大の問題となっているのである。
徹底した管理下のもと、街からは音楽が消えた。
街で不意に流れてる音楽が人生を変えることだってある。
だが、そんな時代は90年代で終わってしまった。
ちょっと前にエイベックスが著作権管理会社を立ち上げたが、今ではあまり話題にすらのぼらなくなってしまっている。
相変わらず独占禁止法まがいの管理会社である。
この問題については2015年に最高裁によって「JASRACは独占禁止法には該当しない」という判例が出ている。
細かく知りたい方は弁護士の唐津真美さんが書いたコラムを参照してもらいたい。
「JASRACと独占禁止法 続編~『その後』と『この後』」
僕は羊毛とおはなというアーティストの"僕は空にうたう"という曲が好きである。
その中でこんな歌詞がある。
僕は空にうたう
この想いが届くように
この想いが届くように
こんなことを空に唄ったら、届くのはJASRACになってしまう。なんて世だ。
受講料取ったら教育じゃない?
関連ニュースではこんなものも。
ピアノ教室から著作権料を JASRAC「教育の一環とは違う」
狂気の沙汰だ。
よく分からないが世紀末を感じた。なぜかイモータン・ジョーの顔も浮かんだ。世も末である。
受講料を取ってますし、教育の一環とは違う。
という発言なんてマッドすぎないだろうか。
もちろん正当な理由なのだが、そこまでして権利は守られないといけないものなのだろうか。
そうすると、高校以上の音楽の授業もアウトになるのではないだろうか。
と、ここまで感情論で書いたが、実際には「教育機関(営利を目的として設置されているものを除く) 」が該当するとのこと。
そうすると、きちんと規則に則ってはいる(ようには見える)のだが、なぜあこぎな仕事に見えてしまうのだろうか。
どう見てもヤマハ音楽教室を見せしめにしたようにしか見えない。これこそが日頃の行いではないだろうか。
そのヤマハ音楽教室側であるが、こんなニュースもあった。
ヤマハ、河合など「音楽教育を守る会」結成 JASRACの徴収方針に反対
徴収の根拠となる「演奏権」は音楽教室での練習や指導のための演奏には及ばないことや、JASRACの方針が「文化の発展に寄与する」という著作権法の目的に合致しない
という見解のもとにJASRACに反対して方針だという。
著作権者に正当に還元されていれば、文句はないのに
オマケにライターのマエダショータさんのツイートを引用する。
JASRACてホントに酷くてさ、電車の発車メロディ作った時も僕らは著作権者に確認取ってJASRACに使用料払うのに、そこから作曲者には払ってないんだ。理由は「一小節なら支払わない」。でも取る分は取るらしい。権利者を守るというよりも、自分らの懐を肥やす団体になり下がっていまいか。— マエダショータ (@monthly_shota) 2017年2月3日
こんなに私利私欲と自己矛盾の塊の存在にしかアーティストの権利を委ねられないのだろうか。
数年前の雅楽演奏問題といい、強権を振るうことが本当に音楽の、アーティストのためであるのだろうか、
さっき日本音楽著作権協会から電話が掛かってきた。JASRACね。9月の西宮公演の著作権使用料を申告しろ、という内容でした。千年前の音楽には著作権はありませんよ、と教えてあげました。めちゃめちゃ上から目線の担当者は雅楽をがらくと読んでました。勉強しろよ。— 岩佐堅志 (@sokohjo1) 2012年12月12日
アーティストの権利は尊重されるべきであるが、同じくらい音楽はもっと自由であるべきではないだろうか。
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