映画「ラ・ラ・ランド」を観てきた。
公開からだいぶ経ってはいるけれど「確かに動いた心をなかったことにしてしまうのが、自分の心に失礼だと思うから」という晴一さんの言葉を思い出し、自分も確かに動いた心を書きたいと思う。
後程書く予定だけど「ラ・ラ・ランド」を観る前にもう1本映画「LION」を観たんですよ。
こちらがまぁ凄い映画で、ちょっとまだ気持ちの整理がつかないので先に「ラ・ラ・ランド」を書こうと思った次第で。1日の流れとしてもこれを後に観たおかげで「LION」を見終わったあとのズドーンとした気持ちがだいぶ中和された。
立川のシネマシティの極音上映で観てきました。
公開からこれだけ経っている平日の昼間にも関わらず場内はだいぶ賑わっていた(自分は振休)。
ストーリー
何度もオーディションに落ちてすっかりへこんでいた女優志望の卵ミア(エマ・ストーン)は、ピアノの音色に導かれるようにジャズバーに入る。そこでピアニストのセバスチャン(ライアン・ゴズリング)と出会うが、そのいきさつは最悪なものだった。
ある日、ミアはプールサイドで不機嫌そうに1980年代のポップスを演奏をするセバスチャンと再会し……。
ある日、ミアはプールサイドで不機嫌そうに1980年代のポップスを演奏をするセバスチャンと再会し……。
原題:La La Land
2016/アメリカ 上映時間128分
監督・脚本:デイミアン・チャゼル
製作:フレッド・バーガー、ジョーダン・ホロウィッツ、ゲイリー・ギルバート、マーク・プラット
製作総指揮:モリー・スミス、トレント・ラッキンビル、サッド・ラッキンビル
撮影:リヌス・サンドグレン
美術:デビッド・ワスコ
衣装:メアリー・ゾフレス
編集:トム・クロス
音楽:ジャスティン・ハーウィッツ
作詞:ベンジ・パセック、ジャスティン・ポール
エグゼクティブ音楽プロデューサー:マリウス・デ・ブリーズ
音楽監修:スティーブン・ギシュツキ
振付:マンディ・ムーア
出演:ライアン・ゴズリング、エマ・ストーン、キャリー・ヘルナンデス、ジェシカ・ローゼンバーグ、ソノヤ・ミズノ、ローズマリー・デウィット、J・K・シモンズ、フィン・ウィットロック、ジョシュ・ペンス、ジョン・レジェンド
感想(ネタバレ)
賛否が分かれているけど、自分はとにかく好きな作品。
ミュージカルそんなに観ていないため、元ネタがあっても分からない自分だったが、それでも何回も観たくなるような作品だった。
夢を追うある男女の恋の話、本当にそれだけの話。
それぞれの夢を追って、時には夢を諦めて、惹かれあって、時にはぶつかりあって人生を歩んでいく。
ラストはお互いにそれぞれの形で夢を掴んで終わる。
各方面で言われているけれど、ラスト10分は鮮やかに目まぐるしく移り変わるシーン展開に圧倒されてしまう。
ラストの振り替えるエマと見つめるセブのシーンも良いんだけど、僕はラスト10分に入る導入のすれ違い様にキスする2人のシーンでグッときてしまった。
云うまでもなく冒頭の2人の初めての出逢いのシーンとの対比で、実現しなかった"if"のストーリーがここから始まるんだけど、このキスシーンがあまりに鮮やかで既にウルっときてしまった。
何よりも音楽がどれも素晴らしい。ミュージカルにおいてこれよりも重要な点はないだろう。
特にエマの唄う"Audition(The Fools Who Dream)"が圧巻だ。
2人の唄ももちろんだし、3ヶ月特訓したライアン・ゴズリングのピアノも素晴らしい。スーツを着こなしピアノを華麗に奏でるライアン・ゴズリング、素敵すぎるだろ。こんなの勝ち目ない。何に対してか分からないが。
「バードマン」でも素晴らしかったエマ・ストーン、本当に好きです、この人の眼力。
色とりどりのドレスを着こなしているけど、それがどれも似合ってるから凄い。キービジュアルでもあるダンスシーンの黄色のドレスとか普通着こなすの難しいよね。
この映画を観て思い出した作品がある。
それがズーイー・デシャネルとジョセフ・ゴードン=レヴィット主演の映画「(500)日のサマー」。
なぜと云われると説明しづらいけど、恋に恋するボーイミーツガールのストーリー、ハッピーエンドじゃないはずなのに、どこか清々しさすらあるラスト、音楽が繋ぐストーリー、見終わってふと思い出した。
人生のわかれ道
このブログではポルノグラフィティ関連で何度か書いている人生の分かれ道、選ばなかった道の話。
人生では何度も「もし、あの時こうしてたら」という瞬間が訪れる。
「ラ・ラ・ランド」のラスト10分で語られるのはそんな"if"の人生だ。
しかし、この"if"の物語は決して叶うことはない。
やり直しはできない、選ばなかった道の先は知る由はない。だからこそ人生は辛くて楽しいのだ。
ラストシーンをハッピーエンドと取るか、バッドエンドと取るか。
僕はハッピーエンドだと思う。
食事のシーンにもあるように、この2人の恋が叶うことは決してハッピーエンドではないからである。
夢を追うことについて、意見がすれ違う2人。
売れるためにやりたい音楽ではないのに演奏を続けるセブ。
これは音楽だけにいえることじゃなくて、多くの人が夢を持っても実現出来ず、特にやりたいと思ってない仕事に毎日励んでいるのではないだろうか。
だからこそ、最後の2人の表情の眩しさに泣いてしまうのではないだろうか。
夢についての意見のすれ違いによる夕食での喧嘩、これより先に自分は音楽に対しての意見の食い違いがこの2人の運命を表していると思う。
エマは最初全くジャズに興味がない女性である。
それがセブと出逢ったことからジャズにも興味を抱くようになる。
それに対してセブは徐々に自分の追い求めるジャズではない"稼げる"ための音楽に向かう。
この音楽のすれ違いこそ2人の運命を決定付けたのだ。
その運命は「ジャズ?そんな好きじゃない」と最初に云うエマの台詞からもう始まっている。
それにしてもあんな音楽性であってもジョン・レジェンドの歌声が素晴らしい。
人生の選択ということで、ポルノの"スロウ・ザ・コイン"が頭に浮かんだ。
選ばなかった未来の方を
時々覗き見したくなるよ
時々覗き見したくなるよ
そしてもう1曲浮かんだのがハルカトミユキの"バッドエンドの続きを"だ。
選ばなかった道の
その先にもしも行けたなら
「都合がいいね」と記憶の中
君は笑った
その先にもしも行けたなら
「都合がいいね」と記憶の中
君は笑った
どちらも選ばなかった道の先を歌っている。
行けなかった道だからこそ、その未来は美化されてしまう。
ミュージカル映画として
この作品について脚本を取り上げてこき下ろしてる人もいるみたいなんですけど、僕はそれは愚行というか、野暮なんじゃないかなと思ってまして。
(アカデミー脚本賞ノミネートされたのが輪をかけてしまったと思うが)
上にも書いたが僕はミュージカル作品そんなに明るいわけではないので偉そうなことは言えないけど、ミュージカルにおいて、脚本の持つ役割はそこまで高くないと思うのですよ。
なぜなら、主役は音楽だからだ。
ミュージカル映画は極端な話、音楽の場面だけ切り取って繋いでも成り立つものだと思ってる。でなければミュージカル映画にする理由とならないから。
では、なぜ音楽に託すのか、それは音楽が言葉を越えたコミュニケーションだからである。
(もちろんダンスも同じくらい重要な要素なんだけど、音楽好きとして音楽主体で書かせてください)
もちろん自分は英語できないので、和訳見ながらでないとストーリーわかるってほどではないのだけれど、それでも曲を聴いただけで、どんな心情なのか伝わってくるものは必ず誰しもあると思う。少なくとも僕はそう。
音楽は聴覚、ダンスは視覚に直接訴えかける言語なのだ。
カラフルな色彩、鮮やかなダンス、表情豊かな唄、そして素敵な男女。
これさえ十二分に揃ってるだから僕は、最高じゃん!と納得してしまう。
そこに更に人生においての夢の選択というストーリーが1本筋で通っている。これだけ揃ってれば僕は大満足です。
音楽の力を信じている。
夢を叶えることもなく生きている。
そんな僕にとってこの映画は、もしこんな人生を歩んでいたらという"if"をこれでもかと見せつけられるのだ。
眩しい。
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