2019年11月7日木曜日

なぜポルノグラフィティは東京ドームで "n.t."を演奏したのか








ポルノグラフィティの20周年ライヴ「NIPPONロマンスポルノ'19〜神vs神〜”」。

2日間の中でトピックを挙げればキリがなくなってしまうが、ひとつには"n.t."が挙げられるだろう。

初日は岡野昭仁による弾き語り、2日目はバンドでの演奏という、贅沢なアレンジ違いで堪能することができた。

改めて力強い楽曲だと思わされた訳だが、今一度歌詞の解釈から東京ドームで演奏された意義を問いたいと思う。



なぜポルノグラフィティは東京ドームで"n.t."を演奏したのか

※TOP画は『蒼天航路』より引用






「佞言」とは




"n.t."のタイトルは「佞言断つべし(ねいげんたつべし)」という言葉に由来する。

「佞言絶つべし」とは三国志の関羽の言葉に由来する。ちなみに岡野昭仁はマンガ『蒼天航路』(原作・原案:李學仁、作画:王欣太)に登場する言葉から引用したそうだ。

この「佞言」という言葉の意味、実はふわっとしか理解していないので見てみよう。


【佞言】
こびへつらう言葉


「佞言」という言葉は「佞言は忠に似たり」の意味を見れば想像しやすいと思う。


【佞言は忠に似たり】
へつらいの言葉は忠義の言葉と似ているので、注意して聞かなくてはいけない


よく映画やドラマの小悪党がボスに媚びへつらって忠誠を尽くしているように見せてその実、身を守ったり出世を狙う小悪党が登場する場面があるが、それを想像するといい。藤木くんである。

段々話それていっているので話を戻そう。
『蒼天航路』では劉備と関羽についての張飛の言葉で「佞言断つべし」が出てくる。


「劉備は天子に。関羽は後世で神になる」


もちろん劉備は求心力と人徳があるし、関羽雲長は実際に神として現代でも崇められている。横浜の中華街にも関羽を祀った「関帝廟」があるので、横浜行った際にはぜひお立ち寄りを。

しかしながら、そんな言葉に自惚れてはならぬというのが関羽の「佞言断つべし」という言葉だ。「調子にのってはならぬ」ということだ。実力もあって義理堅い関羽がそんな気持ちでいられたら、誰が自惚れの心を持つというか。

断言しよう。愚か者ほど簡単に自惚れてしまう。
なぜなら僕がそんな人間だからだ。

「佞言」という言葉の意味や「佞言断つべし」の意味がわかったところで、改めて"n.t."の歌詞を見ると、より理解が深まると思う。



n.t.




物腰は柔らかく 感情は出さずに
スタイリッシュに振る舞う事が 大人というもの


出だしのフレーズでわかるのが、"n.t."においての「佞言」は他人ではなく自分自身に向かっているということだ。

全体を通しても「本音を偽ったまま生きる自分」への悔恨の想いが歌われる。想いを呑み込んだままよりも、本当は「はやく自分を塗り替えてしまえ」としまえと言い聞かせても、変わらない朝がやってくる。

そのもどかしさは"PRIME"の主人公にも通じる。

ある意味、『蒼天航路』で張飛に向かって言われた「佞言断つべし」という言葉を岡野昭仁は真っ正面から受け取ったのではないか。

岡野昭仁は自分自身が「調子に乗りやすい」と言っている。たとえば、歌を始めたキッカケのひとつは、幼い頃に岡野家の集まりで歌を披露して誉め讃えられたことだという。佞言の塊である。

音楽をやり始めた時でさえ「根拠のない自信」だけ持って、勘違いしたままここまで来たと語った。

そんな人なのに、僕らの目に映る岡野昭仁はどこまでも謙虚で、もっと自信を持っていいのだとファンでさえ思ってしまう。





"n.t."はポルノグラフィティの3枚目のアルバム「雲をも掴む民」に収録されている。
では、当時のポルノグラフィティを取り巻く状況はどうだっただろうか。

ポルノグラフィティは4thシングルの「サウダージ」、2ndアルバム「foo?」がミリオンヒット、6thシングル「アゲハ蝶」がまたミリオンヒットを記録し、勢いに乗っていた。ここまでくれば「"アポロ"の一発屋」ということはもう言われることはなくなった。

新藤晴一が20周年の東京ドームで懺悔した「調子に乗っていた時期もありました」は恐らくこの辺りではないかと穿った見方をしてしまう。

飛ぶ鳥を落とす勢いのポルノグラフィティがリリースした3rdアルバムで、岡野昭仁は「佞言断つべし」と自分を戒めたのではないか。

その反動からか、この後にやたらと"素晴らしき人生かな?"、"朱いオレンジ"、"音のない森"とファンが心配になるレベルで鬱々とした暗い曲を創った。

20周年の東京ドーム2daysでさえ。
それは当初は「埋めてワシらを格好つけさせてくれ」と岡野昭仁は言った。ところが、結果的にチケットはなくなり、2日間パンパンに詰まった東京ドームの光景は記憶に新しいだろう。

20周年の舞台は、これ以上ないほどの輝きを見せた。

そこで"n.t."を演奏した意味。








なぜ"n.t."を演奏したのか




岡野昭仁は東京ドームという舞台でさえ「君たちがポルノグラフィティを連れてきてくれた」と言った。主役は君たちとさえ。こんな舞台、本来ならもっと浮かれていいはずだし、お祭り騒ぎに振り切っても良かったはずだ。

数多くの曲がある中で、あえてメッセージ性の強い"n.t."を選んだ。

それは20周年の東京ドーム公演という舞台でさえ、ポルノグラフィティは、岡野昭仁は浮かれているだけではいけないと自らを戒めているかのようだ。

それは新藤晴一の言ったMCにも通ずる。


「ポルノグラフィティは高校の文化祭から始まって、そこから地続きできてるのね。だから、続けてきますってこともあるけど、その青春を汚したくなくて。だから本当にポルノとしてやりたいことをやってるか確認しながらやっていきたい。そうした姿で皆さんの前に立ちたいと思います。」

その想いは、ここで"n.t."を演奏した決意に通じるのではないだろうか。

思えばそれは「UNFADED」ツアーからそんな感覚にさせられていたではないか。本編の最後に「色褪せてはならないもの」として演奏された"∠RECEIVER"に詰まっていた。

そう、ここで演奏された"n.t."も"Twilight, トワイライト"も「色褪せてはならない想い」で演奏されたのではないか。

なぜなら。

"n.t."が収録されたアルバム「雲をも掴む民」は2002年3月27日にリリースされた。その2ヶ月ほど前まで、あるツアーが行われていた。それは。

「4th LIVE CIRCUIT"Cupid(is painted blind)"」

その中で1月にライヴハウスで、スペシャル公演があった。タイトルは。

Cupid (is painted blind) Special Live 『サル対サル』


それは野生にかえった剥き出しの心と心を全力でぶつけ合うという、まさにVSな決意のタイトル。内容はこの時点でのまさに「ベスト」と呼ぶに相応しい内容。

穿った見方をすれば、アルバム発売2ヶ月前ということで、楽曲は揃っていたことだろう。つまりは、もう"n.t."という楽曲は生まれていたはずだ。

そして「Cupid」ツアーにはこんな想いが込められていたと、明かされている。


ちなみにツアータイトル“Cupid (is painted blined)”はシェークスピアの作品の一節。直訳は、“天使は盲目に描かれている”となり、意訳すると“恋は目で見るものではなく、心で感じるもの”と言われています。
当時、LIVEも同じく“心で、そして本能で感じて欲しい”という想いを込めて、ツアータイトルとして引用しました!!


そして「色褪せてないか」確認するためのツアー「UNFADED」は"オレ、天使"で始まった。

それを受け、またスタッフレポートで、「雲をも掴む民」のタイトルの理由が語られた。

正解は…【3rdアルバム「雲をも摑む民」】でした!

このタイトルには、音楽のもつ大きな力を介してこれからもいろんな人とずっとつながっていたいという思いが込められています。


そんなアルバムのツアーの映像作品にはライヴへの想いが込められた"LIVE ON LIVE"が収録されている。







謳えよ 遥かへ
奏でよ 深くに
放てよ すべてを
身体を よじらせ
声にならなくて 失速する僕を
切り裂く興奮で 呼び戻す君よ
今ここに居る 全部がここにある
細胞を震わせ ただこの瞬間を焼き付けて行け
~"LIVE ON LIVE"


"n.t."において


今 この胸から溢れ出す 情熱や憤りを
声高らかに吐き出せる そんな僕も そんな人間(ひと)も いいだろう


と歌われる想いはライヴで放たれる。

ならば、岡野昭仁が、新藤晴一が事あるごとに言ってくれた「君たちがポルノグラフィティを求めてくれたから」という言葉。失速する僕を呼び戻した存在が、僕らファンであるならば。

色褪せない想いは、これからもきっとつながっていく。


初日は岡野昭仁1人での弾き語り、2日目はバンドで演奏された。弾き語りは音楽を届ける上でサウンドを削ぎ落として歌を剥き出しにするものだ。だからこそ、よりその言葉たちが強く響く。

それがバンドサウンドに変わることで、岡野昭仁の歌と言葉を支える土台がより強固となる。

弾き語りからバンドサウンドへ、それはまた楽曲が生まれアレンジされて変化し完成されていく過程にも似ている。
どちらにも、それぞれの魅力があり、甲乙つけられるものではない。歌と言葉の強さを、バンドの力をそれぞれ味わえる至福の2日間だった。


風が舞う空にその身を投げることができますか?
大きな悲しみを前に耐えることができますか?
固く握り締めた拳を振り下ろさずにいれますか?
そしてそれが生きる事だと胸を張って言えますか?
嗚呼…


胸を張って言える場所、それが20周年の東京ドームという舞台だったのだ。

全ての感情を受け入れて放つこと。

それが、ポルノグラフィティとして生きていくという決意なのだ。


【ライヴレポ】ポルノグラフィティ “NIPPONロマンス ポルノ'19~神vs神~” Day.1
【ライヴレポ】ポルノグラフィティ “NIPPONロマンス ポルノ'19~神vs神~” Day.2

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