2021年9月24日金曜日

【感想】「オアシス:ネブワース1996」






オアシスの映画「オアシス:ネブワース1996」を観てきた。

映像は良かったし、色んな人の声を見ていても全体的にかなり評判は良いが、一部にはモヤモヤとした気持ちで劇場を出たという人もいるだろう。

自分もその1人である。

そのモヤモヤした理由を自分なりに説明したい。

よく知られたライヴの記録映画なのでネタバレもなにもないが、内容には触れるのでご注意願いたい。




映画について




この映画は1996年にネブワースで開催されたオアシスの二日間のライヴを追ったドキュメンタリー映画だ。

とても楽しみだったし、初日にはステッカーが配布されるということで息巻いて立川のシネマシティに足を運んだ。

映画はネブワース公演の発表から始まる。

2日間で25万人収容に対して250万人が申し込んだというチケット争奪戦、自宅から会場へ向けての、ライヴへの熱意とオアシスへの愛を抱えた旅路、会場で熱狂(熱唱)するファンたち、会場には行けずライヴをラジオにテープ録音しながら楽しんだファンなどが映し出される。

個人的に好きだったのが前日から電車で向かったファンの「リュックにはビールしか入れてなかった」というコメントだ。コロナがなければ声を出して笑ってた。

この辺りはとても自然で楽しんでみていたし、ネブワース公演に向けての期待値が観ているこちらも高まってくる。

そのライヴ本編こそが評価の分かれ目となった。

分かれ目とは書いたが自分の勝手な期待ということもある。だが演出としてはもっと効果的な方法があったのではという疑問がある。

今作の監督ジェイク・スコットは、なんとあの巨匠リドリー・スコットの息子である。

映画も手掛けているが、主だった仕事は数々のMVを今まで手掛けていてレディオヘッドの"Fake Plastic Trees"やR.E.M.の"Everybody Hurts"なんかも創っている実績ある監督だ。

だからこそ音楽を映像で伝えることに長けているはずなのだが、どうしても疑問が残る。

この映画は何を表現したかったのか、と。


Live in ネブワース




ライヴが近付くにつれ、ネブワースへ会場入りするメンバーたち、リハーサル風景などが流れる。会場にはライヴをなるべく前から見届けるべく、前日から入場待ちをするファンたちもたくさんいた。

オープニングアクトの話はなんとなく聞いたことあったかなというくらいだったので、改めて面子を聞いてぶっ飛んだ。

オーシャン・カラー・シーン
マニック・ストリート・プリーチャーズ
ザ・シャーラタンズ
ケミカル・ブラザーズ
ザ・プロディジー


フジロックのグリーンステージのラインナップかなにかか?
前座で元が取れるライヴだ。

劇中ではザ・シャーラタンズのロブ・コリンズの死が触れられるが、2021年を生きる僕らにとってはザ・プロディジーのキース・フリントの喪失が大きい。それを意識してかキースの映像が長めに、しっかり使われていたことが嬉しかった。

初日、登場SEの"The Swamp Song"から1曲目"Columbia"が始まり、ライヴ映像が抜粋されて流れされていく。曲ごとにファンたちやボーンヘッドなどのコメントが曲中で流れる構成になっている。

別にフルで見られるものとは思ってないので、曲が途中でカットされたりはまだ分かる。しかし、だからこそせめて流れる曲はちゃんと聴かせてくれよと思ってしまう。

使われたコメントの中身が決して悪いわけではないし、ネブワースの記録として参加者の言葉は貴重だ。しかし、何も全曲でやらなくてもいいではないか。

正直、初日はそういう構成で2日目はライヴをしっかり見せる構成なのかと思った。違ったわ、全部だ全部。 なんか、曲中のコメント聴き続けていると映画が本編ではなく、ずっと予告編を観ている印象になってくる。

11月にボックスが出てそこに両日のフルセット映像が収録されることは知っている。フルセットライヴはそれを見ろということだろう。映画を前フリにするな。




ひとつ例を出すと、"Champagne Supernova"でジョン・スクワイアが登場するわけだけど。曲の冒頭でボーンヘッドのコメントなどで「あのジョン・スクワイアがオアシスと同じステージに立つなんて」とか言ってるわけですよ。

ならジョン・スクワイアのギター聴かせろよハゲ、と。
※ボーンヘッドにも頭皮にも罪はありません

最初のジョン・スクワイアの短いギターソロにもコメントをかぶせている演出なわけですよ。

こういうところで監督が伝えたいメッセージと見せ方が不一致ではないかという疑問が浮かぶのだ。ちなみに公式でこの映像は公開されているので、見たほうが早いと思う。





ちなみに後半の長めのソロはしっかり聴かせてくれたと思ったら、途中にまたコメントがかぶさる。

前の映画「オアシス:スーパーソニック」は「まぁ、知ったエピソードばかりだな」という感想でありながら、最後に流れるネブワースの"Champagne Supernova"にすっかり感動させられたが、今作はこの感動には至らなかった。

あと一番言いたいは、みんな大好き"Don't Look Back in Anger"の演出だ。言っちゃあなんだが、もう大画面と大音量でネブワースのドンルクなんて、想像だけで泣けるわけですよ。

ノエルのギターから歌い出しになった時点でもう潤んでる。しかも、この時はノエルがサビもしっかり歌っているので、それだけでも結構嬉しい。
他の曲もそうだが声は出せないけど、劇場内みんな心の中で歌ってたと思う。

それで最後のサビ、コロナ禍でライヴ好きにはもどかしい日々、オアシスが不在の世界への思いの丈をぶつけて泣く準備はできている。

ギターソロから最後のサビに入った瞬間。


ファン「当時はSNSがなかったから~」


涙引っ込んだわ。


ネブワースがネット時代前の境目になってるなんて5万回くらい聞いた言葉を、"Don't Look Back in Anger"の最高潮で入れる意味ある?
せめて2番とかで入れてくれれば落ちサビ効果で最後泣けたと思う。この時点で完全に泣く気持ちが冷めた。

そうして、ほぼフルで最後まで流れるのがラストに演奏された"I Am The Walrus"という始末。カバー曲じゃねえか。

とどめにエンドロールなんて、ノエルの気の抜けたコメントからネブワースで演っていない"Rock 'N' Roll Star"である。ネブワースどこいった。

という事で文句を書いてきたが、最初に書いたこの映画の本質的な部分に触れたい。







ネブワース公演とはなんだったのか




この映画の意図は理解できるのだ。

「オアシスのネブワース公演とはなんだったのか」

という記録である。

25年経った今でも語り継がれる伝説の夜。
それを数々の証言とともに浮き彫りにしていく手法だ。

それを体現するために当時の人々のコメントを入れていく手法は、音楽ドキュメンタリーの王道ともいえる。

ただ、ここで創り手と僕の間に齟齬があった。なにかというと、ネブワースの夜を描く時、僕は「ネブワースのオアシス」を期待していたが、創り手は「ネブワースのオアシスに熱狂した人々」を描き出していたからだ。

では、それを踏まえて「なぜネブワース公演が伝説になったか」というテーマに一番説得力を与えるものは何かと考えたい。

それって結局は「オアシスの音楽」に他ならないのではないだろうか。

2018年にクイーンの映画「ボヘミアン・ラプソディ」が世界的な大ヒットを記録した。



この映画のどこに感動したかといえば、終盤のライヴエイドの演奏シーンだ。

フレディー・マーキュリーを中心にしたバンドのドラマを経て、最大のハイライトとなったライヴエイドの再現シーン。そこでのクイーンの演奏そのものの圧倒的な説得力があったからこそ、クイーンに対していちリスナーに過ぎなかった僕でさえボロボロに泣いた。

あれで" We Are The Champions"の熱唱中に「クイーンのライヴエイドは偉大だった」ってコメント流れたら怒ってたと思う。見りゃわかるわ。

こんなブログをやっててなんだが、音楽がもたらす感動を伝えるのは音楽しかない。


「オアシス:ネブワース1996」について、監督のジェイク・スコットとしては数々の証言からネブワースの感動を伝えようというアプローチだったのはわかる。

ただ、「なぜネブワースが伝説になるほど、当時の人々はオアシスに熱中していたのか」ということを表すなら、やっぱりオアシスの演奏を聴かせる以上のものはない。「ネブワースは感動的だった」と伝えるために、ファンに「ネブワースは感動的だった」と劇中で言わせてしまっては、それ以上のものにはならないのだ。

映画を観ればわかるが、今だったら考えられないほど密になっている観客たちの表情一つひとつが、言葉よりも雄弁にそれを語っている。「オアシスだったから」彼らは熱狂しているのだ。

だから、せめて終盤の主要曲くらいはフルで演奏だけを聴かせて欲しかった。それだけで、人々がオアシスに魅了された、今も音楽に魅了されているということへの説得力が増したのではないかと思う。タンバリンとか、会場に最後まで残ってたら拾ってくれた車に乗っていたのがケイト・モスだったエピソードなんかは良かったけどね。

あと劇中であれだけファンたちは「オアシスはファンも含めてオアシスだ」と語っているのに、当のリアムが「オアシスはステージに立ってる俺たちだけだ。演る側と見てる側では全く違う」という場面があって。
※記憶が曖昧なのでノエルだったかも

もの凄いハシゴの外しっぷりに笑ってしまったが、これ結構重要だと思っていて。

ステージと観客という境目があるように、この映画には当時参加した人々とそれを観る映画の観客たちという超えることのできない境界がある。ステージの上でしかわからないことがあるように、ネブワースの現地でしか体感できなかったことがある。

そこで起きた感動というものに触れたいとき、現地にいた或いはリアルタイムでラジオに耳を傾けていた人々の言葉がどれだけあっても、ネブワースを体感していない映画の観客にとっては、本当の意味での”共感”になることはない。
たとえば「ネブワースがオアシスのキャリアの最高潮だった」という言葉がファンの胸を打つのは、その後のオアシスをリアルタイムで見てきたからに他ならない。

僕が映画館に足を運んだのはネブワースの夜を、せめて劇場の大画面と大音量で味わいたかったからである。自分はそのために立川シネマシティの極音上映を選んだほどだ。極音上映で曲に割って入るコメントを聴く身にもなってくれ。

追体験にも限界があって、どうやったって当事者には成り得ないんだけど、映画館で少しでも感じることができれば、もっと劇中の言葉たちが自分に響いたと思う。

観たかったものと違ったからというと子どもっぽい理由づけになってしまうが、なら「時空を超えたライヴ・ビューイング体験」なんて謳い文句を言ってくれるな。


①ネブワースのオアシスが観たい
②ネブワース公演の模様を知りたい


というテーマ的な主軸があるとしたら、このバランスと見せ方がちょっと自分には合わなかったという感想だ。 説明過多な日本映画を観た時の印象に近い。全部言葉で説明するやつ。


「オアシス:スーパーソニック」は良くも悪くもミュージックエアっぽいドキュメンタリーだったし、リアムの映画は一方的なノエルdis映画だったので、そろそろ決定版といえるオアシスの映画が誕生してくれないものだろうか。

あと、コロナ禍が落ち着いたなら、劇場でネブワース公演のフルセットライヴの応援上映をやって欲しいものだ。

スクリーンに向かってビール片手に大合唱して大いに泣く。

そんな世界が戻ってくることを切に願っている。


【映画】オアシス:スーパーソニック あらすじ&ネタバレ感想

オアシス”Wonderwall”という名曲 ところでワンダーウォールってどういう意味だ?

ノエル・ギャラガー暴言集「俺の眉毛はどこまでも自由でワイルドなのさ」



このエントリーをはてなブックマークに追加
 












0 件のコメント:

コメントを投稿