この曲はアニメ「僕のヒーローアカデミア」のファイナルシーズンのOPソングとなっている。
言わずもがな「僕のヒーローアカデミア」の初代オープニングを同じくポルノグラフィティが”THE
DAY”でつとめているので、発表からもうファンダムの盛り上がりは凄まじいものであった。
この流れを踏まえ”THE REVO”にはありとあらゆる円環構造が仕込まれている。
純粋に一度聴いただけでも掴まれるうえ、聴くほどにそのレイヤーが深くなっていく。
配信はじまった日に「朝はとりあえず3回くらい聴くか」と流して気づいたら30回流れて朝が終わった。午後も"THE
DAY"と2曲並べたプレイリストを聴いていたら終わった。
そんな”THE REVO”について書いていこう。
どうしても"THE
DAY"へのアンサーソングの意味合いが強いので、比較を中心に見ていきたい。
楽曲
作詞:新藤晴一
作曲:岡野昭仁
編曲:tasuku、ポルノグラフィティ
磐石の布陣である。
どの組み合わせでも面白さはあるが、それでもこの組み合わせを見た時の安心感は異常である。
オタク界隈として、そもそもポルノグラフィティが「アンサーソング」を出したことが、もう打ち震える状況なのだ。
ラバップの部屋で聴いていたからこそ、ちゃんと音源として聴く時は緊張した。
やっぱり音の構成とかは配信でじっくり聴きたいしね。ハイレゾはシングルとして出たら買う。
CDでも買うんだから俺もう経費にしていいですか。
てことで、先行配信が始まり再生する瞬間はまさにこの心境であった。
”THE DAY”がギターリフから始まるのに対して、”THE
REVO”はキーボードの音色から始まる。
"THE
REVO"は鍵盤の音色が全編通して印象的で、鍵盤の音色が神秘的な印象を与える。
ギターとストリングスが主であった”THE DAY”とは異なる印象だ。
田中駿汰によるドラムがとても印象的で、サビのリズムパターンとか、結構ありそうでなかったところをついていて、すごく新鮮でありながら、聴いているとこれしか考えられないというドラムを聴かせてくれる。
ちなみに田中駿汰は元々在籍していたバンドBrian the
Sunが「僕のヒーローアカデミア」のアニメ第1期EDをつとめたという、かなり数奇な運命を経ている。これだけでもジャンプ漫画的だ。
ポルノグラフィティ「THE REVO」
— Shunta Drummer (@tanashun1991) October 5, 2025
先行配信開始しました!
ドラムREC参加させていただきました
「僕のヒーローアカデミア FINAL SEASON」OPです
第1期ED「HEROES」で
Brian the Sunとして関わらせていただいて以来、またファイナルシーズンでも携われて本当に嬉しいです!
ぜひお聴きください! pic.twitter.com/HTnoisNMOJ
そしてギター。
個人的にはサビ後半の右チャンネルで鳴るターターターター(語彙力)ってギターフレーズが大好物である。このフレーズだけで糖質制限してる自分でさえご飯無限に食える。
”THE
DAY”には青さというか、若さ故の勢いと葛藤がメインで描いているのに対して、”THE
REVO”は決意に対する責任という印象を受けて、それがサウンドにも表れている。
”THE
REVO”のサウンドはとても地に足がついた、ある意味で地に喰らいついて立ち上がるような重みを感じる。
曲がサビ始まりでないことも結構大きいと思う。
曲の構成としては2番Bメロの急に歌のギアが上がるところは、ラバップの部屋ではじめて流れた時にビックリしたので、改めてこうしてようやく聴けて嬉しい。
あとは、最後の落ちサビからの、
とて
こんなん反則だろ。祠ぶっ壊したんか?
なんて恐ろしいアレンジしてくれるんだ、君たちは。
しかも、これがただのギミックとしてのフックだけになってもいなくて。それは歌詞の部分で後述する。
では、歌詞について見ていきたいのだけど、どうしても歌詞においてはヒーローについても触れないわけにはいかないので、その辺りについて先に整理したい。
ヒーロー
歌詞に触れる上でどうしても『僕のヒーローアカデミア』の履修が必須で(相棒にも強く薦められた)目は通したけど、その上でもあくまで素人目線なので、ガチファンの方はご容赦いただきたい。
そもそも僕は読解力に乏しい人間なので、本来なら3回は読み返さないと色々追いつかないところが、さすがに時間がなかった。
『ジャンケットバンク』なら50時間語れるんだけど……
まず作品のテーマ性について直感的に感じたことは「才能」の話であるということだ。
ヒーローを目指す者たちは、それぞれの才能としての個性を持っている。
ヒーローとして自分の持つ力を信じること、何に使うかの問いかけでもある。
突き詰めていくと、ヒロアカに限らないヒーロー論に行き着くなと思って。
まぁヒロアカが様々なヒーローものを下敷きにしているんだから当たり前だろうという話だが。
漫画の演出としてはアメコミを意識しているけど、ヒロアカの描くヒーロー像は、MARVELとかDCのようなヒーローというよりは、自分はピクサーの映画「ミスター・インクレディブル」シリーズを想像した。
特に2作目に当たる「インクレディブル・ファミリー」は近いと思う。
※こういう注釈はつけたくないんだけど、MARVELもDCも色んなヒーローがいると百も承知だ
特にこの作品のヴィランであるスクリーン・スレイヴァーのあるセリフは、個人的に「ブラックパンサー」のキルモンガー級に刺さったので、この部分だけでも多くの人に見てほしい。
俺本当に、あの長文のセリフはもっと話題になっていいと思うんだよな。
ヒロアカに話を戻すと、主人公であるデクは最初から「持っている者(選ばれし者)」という存在ではなく、オールマイトより後天的に力を受け継ぐ。
ジャンプ漫画の代表作の中では結構「最初から才能を持っている主人公」というものも結構多いと思うんだけど、ヒロアカのケースは珍しい方かなと思う。語るほど最近のジャンプに明るくないが。
ただし、ここで授かる才能というのはあくまでもトリガーでしかなくて、あくまでデクが持っていた才能(/個性)とはすなわち「ヒーローになりたい=誰かを救いたい」という信念そのものであるのではないかと思う。
ヒーローについて。
では、特別な力があるからこそ、人のために使わなくてはいけないのか。
これがヒーローを描く上で、突き詰めた先にあるのであり、行き着く先は「ではヒーローは誰が救うのか」という残酷な問いかけでもある。
古今東西ヒーローの物語はここに終着するとさえ僕は思っている。
この結論については、書いていて1つ浮かんだので、最後に触れたい。ファン向けの小見出しの中だが、理由は読めばわかると思う。
ヒーローをヒーローたらしめるのは何か。個性という名の才能を誰かのために使うものこそ、ヒーローたりえる存在と呼ぶとして。
では、もしそれが反転したら?という点を踏まえ、それを新藤晴一がどうやって歌詞に落とし込んでいるのか、見ていきたい。
歌詞
一つのキーワードとして「革命」という言葉が印象に残る。
この曲でいう革命とは世をひっくり返すことでも、3のカードが1番強くなることでもない。
”THE REVO”においては、自身の内面の革命を歌っている。
”THE
DAY”において「足を引っばり合う/生き残ったものが勝者で」と歌われているのに対して、"THE
REVO"では「これまでの自分が足にすがりついたとて」となる。
最後に残った者であれ、最後に足にすがりつくのは他ならぬ自分自身なのだ。
革命とは大きな言葉のようでいて、思考を反転させること、それだけでも小さく大きな革命がそこにある。
そして件の「とて」の話に移る。
ここの「とて」について落ちサビを印象づけるだけのギミックではなく、何よりこの一瞬の間が、冒頭の「凪いでいる」「つるりとした静寂」を表していて、本当に恐ろしいことをしてくれている。
1番のサビが「革命っていうやつを脳内で起こすのなら」なのが、この「とて」を経ていよいよ「革命っていうやつを脳内で起こしたなら」と変化する。
これは"THE DAY"における「爪を噛む」から「爪を研ぐ」の変遷と重なる。
それが夜明け前からの移り変わりとも重なるというのは、どれだけ抜かりがないんだよ。古畑とかコロンボでももうちょっと手心を入れてくれる。
そして変遷の先で、最後のサビで帰結するフレーズ。
私が、私こそが王であると高らかに叫ぼう
今回改めて”THE DAY”を聴き返して気づいたが、実は”THE
DAY”の歌詞には明確な一人称が存在しない。
しかしながら、そのアンサーである”THE
REVO”では冒頭から「私」という目線で描かれる。
そして遂に最後には「私こそが」と高らかに叫ばれるのだ。
これこそまさに自分を誇らしく掲げで、責任を背負うという決意の宣言でもあるのだ。
しかも唯一歌詞のなかで「私が、私こそが」と句読点を用いて、戸惑いと決意を描き切るこの手腕。
そもそも「僕のヒーローアカデミア」でありながら、ここであえて「僕」を使用せず、あえて「私」としているのは、作中のキャラクターたちであり、これを聴く我々そのものを示していると思う。
延いては、このタイアップに対してヒーロー賛歌ではなく人間賛歌で描ききることの強さよ。
だってこの人ワールドカップのテーマ曲で”Mugen”書く人間だぞ。
もはや何回言えばいいかわからないんだけど、新藤晴一の歌詞は天才だ。感服しかない。26年やってきてまだこんな想いにさせられるんだ。
ここで言う王というのは、あくまでも「自分が人生の主役である」ってことであって。ほぼイコールで”解放区”に歌われるそれと共鳴するだろう。
個性というものは、特別なことではなくて。
たとえば自分は、ギターの才能がないかわりに、人よりは文章を長く書いても苦にならないという才能くらいは備わっている。
新藤晴一としては”ギフト”におけるテーマとても強く通ずる。ていうかなんなら、ヒロアカのテーマにしたら”ギフト”も絶対ハマるよね。
ちょっと脱線したけど、これこそまさに新藤晴一も岡野昭仁も伝え続けてきてくれた「君は君だ」というメッセージそのもので。
これはポルノグラフィティ2人ともに共通するメッセージ性であると思っていて。
その最たるものが久しぶりに岡野昭仁が作詞をした2024年発表の”ヴィヴァーチェ”にも通ずる。
引用しようと思ったけど長くなるので、個々に復習しておくこと。
反転。
ジャケットの風見鶏が示すタイトルの逆読みがOVERであること。
どうしても「向かい風は後ろ向けば追い風になる」と歌う”ブレス”を想像してしまう。そして「視線向けた方角には明日があると信じる」の符合。
「OVER」はヒロアカにおける校訓でもある「Plus Ultra」(=更に向こうへ)の意味を暗に示している(ってことで合ってるよね?)。
「更に向こう」って何かを乗り越えて辿り着くと取れば聞こえはいいけれど、取りようによっては「もう戻れなくなる場所」へ行ってしまうことでもある。
これ、実はもう1つ意味があるんじゃ無いかと思っていて、反転した結果現れる「OVER」は、ヴィランにとっても通じると思っていて。
たとえばヴィランでいえば、(たぶん)人気あるのは死柄木弔だと思うんだけど、個性そのものを破壊、崩壊に使うのは、生い立ちからしてヒーローとヴィランは対岸ではなく表裏一体のところにある。
そう、その「一線を超える」のはヒーローもヴィランも紙一重で、まさにそれはミシン目のような場所に存在する。
誤った方へ反転させてしまうこともまた、1つの自己革命であってしまうのだ。
最後に、ここからはかなり熱心なポルノグラフィティのファンに向けた話になるのでご了承いただきたい。と言いながら、途中で言った通り、最後まで読んでいただければ幸いだ。
新藤晴一と午前5時
"THE DAY"において「午前5時」が一つのキーとなる。
それをさらに突き詰めたのが、僕にとって思い入れが深い15thライヴ・サーキット「BUTTERFLY
EFFECT」ツアー。
そこで新藤晴一の語りが入る。
「午前5時に反転したものは」
それは夜と朝、本当とウソ、永遠と一瞬、沈黙と静寂。
まずひとつには「反転」。
これは”THE REVO”における歌詞にも出てくるが、最も大きな効果は”THE
DAY”との比較にある。
The day has come~”THE DAY”
THE DAY HAS COME~”THE REVO”
おわかりいただけただろうか。
そう、同じ歌詞でありながら”THE REVO”では全て大文字になっている。
一般的に英語のアルファベットを全て大文字にするのは「叫び」や「強調」を意味すると云われる。
それであれば、ここはまさに「決意の強さ」そのものを表しているとしか思えない。
ここから"THE
DAY"に直接繋げるのではなく、”月飼い”に繋げるという。なんだよこのアルバムツアーの皮をかぶったエグめのロマポルは。
そして、噛んでた爪を研ぐこと。
ちょっとこれまで見落としていたんだけど、この中の「永遠と一瞬」。
あぁ「永遠で一瞬で 君にとってのすべて」そのものではないか。
ヒーローが導かれるもの。
その才能をなぜ、活かすのか。
それは、そこに愛があるからなのである。

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