2015年に公開された映画「トゥモローランド」について。
世間的にはあまり評価の高くない作品である。
しかし、この作品にはかねてより都市伝説がついて回っていた。
ブラッド・バードを監督に据えて、ディズニーが制作しておきながらなぜ評価が低いのか。
なぜブラッド・バードが監督に起用されたのか。
その本当の意味を考えてみる。
映画「トゥモローランド」の異質さ
まずはあらすじを。
17歳のケイシー(ブリット・ロバートソン)が見覚えのないピンバッジに触ると、自分が思い描いた別世界へと入り込んだ。バッテリー切れで現実の世界に戻ってきた彼女の前に、不思議な少女アテナ(ラフィー・キャシディ)が現れる。そしてケイシーにトゥモローランドに戻りたいのなら、フランク(ジョージ・クルーニー)という男性を訪ねるよう助言する。
監督はブラッド・バード。
ピクサーやディズニー作品に関わってきて「レミーのおいしいレストラン」や「Mr.インクレディブル」の監督を勤めている。
他にも「アイアン・ジャイアント」が興行は上がらずも高い評価を受けたり、「ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル」などはしっかりヒットさせ、さらにどの作品も完成度が高く、その手腕を評価されてきた監督である。
そのブラッド・バードが監督を勤めながら、この「トゥモローランド」はとにかく評価が分かれている。そしてどちらかというと批判の方が目立つ作品だ。
口々に語られているのが「あのブラッド・バード作品なのに…」という内容である。
僕はこの話を見てある都市伝説を思い出した。
クエンティン・タランティーノ監督作品
フロム・ダスク・ティル・ドーン
関暁夫の都市伝説本で紹介されている都市伝説である。
クエンティン・タランティーノといえば言わずもがな名監督であるが、そのタランティーノが関わった作品の中で異質な存在のものがあった。
それが1996年に公開されタランティーノが脚本を勤めた(監督はロバート・ロドリゲス)「フロム・ダスク・ティル・ドーン」であった。この映画は他の作品に比べて興行はそこまで高くない。
そしてそれはこの映画がドラッグ愛好者をターゲットにしたドラッグムービーでったことにある。
ドラッグムービーにしたことで一般人は取っ付きにくい映画となったのだろう。そのわりに続編あるがな。
明確なターゲットがいることで一般人は置いてけぼりとなる、これって「トゥモローランド」となにか似てないだろうか。
名作を連発していたブラッドバードとは思えぬ作品、しかもディズニーの冠である。
その映画がこういった内容だったというのは、一般ではなくこの映画から明確なメッセージを受け取れる人に向けて発信された映画だったのではないだろうか。
持つものと持たざるもの
映画においてピンバッジを持つものと持たざるものという選別がある。
そして関がかねてから叫び続けているのは「選民の始まり」についてである。
つまりピンバッジを持つか持たないかというように、選ばれるか選ばれないかというメッセージを発信し続けていた。
そしてライムスター宇多丸のウィークエンドシャッフルの「ムービーウォッチメン」で取り上げた際に宇多丸さんがこんなことを言っていた。
ブラッド・バード監督の主張は一環していて資質・才能を持っている人は必ずそれを活かさなければならないし、報われるべきだ。
持たざるものは邪魔をしちゃいけないし、持っているものの足を引っ張るなよ
持たざるものは邪魔をしちゃいけないし、持っているものの足を引っ張るなよ
これから「選民の時代」が本当に始まるのであれば、そのメッセージを暗に発信する映画にこれほどの適任者がいるだろうか。
それは映画の完成度よりも優先させた何らかのメッセージを伝えることを優先したからではないか。
まさにドラッグ愛好者に向けて作品を書いたタランティーノのように。
もしかしたら「つまらない」と思っている間に、世界にはしっかりとメッセージを受け取っている人たちがいるのかもしれない。
そして、そうした人たちがピンバッジを得ることになるのではないだろうか。
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