2017年1月13日金曜日

国立にある無印良品みたいなお寺の住職さんの言葉がとてもありがたい








毎朝中央線に揺られて出勤していると様々な人を見る。

とにかく毎日のように見るのが我先にと駅を走ったり、あるいは電車の中を空席を目指して走ってる人である。

自分の通勤で使ってるバスでいるのが、人を押し退けて我先にと降りようとする人。そして降りるやいなや猛ダッシュ。
なんなでしょう。スプリンターの生まれ変わりなのでしょうか。

電車の中で空席探して走るのはもはやマナー以前に人としてどうかと思う。
あなたは部下にその姿見せられるのか?と考えてしまう。

そんなことを思っていたら、たまたまある記事が目に入った。








悩み:朝の通勤ラッシュで空席までダッシュする人に腹がたつ




朝の通勤ラッシュで空席までダッシュする人に腹がたつ


↑で僕と同じように電車マナーで不快感を持った人に対して僧侶の方たちが回答している。

その中でこの回答、秀逸だなと思ったものがある。
引用しよう。


人間は頂いた命はお返ししなくてはなりません。では亡くなったらどうなるのか。また別の生命体として生まれ変わります。
そして、それが人間とも限りません。動物かもしれません。
そう考えると、走って席をとりにいく人は「ひょっとしたらこの間まで動物だったのかな。たぶん今回人間するのは初めてなんだな」と。

そう考えると許せませんか?

反対になんでもできてしまう、独り占めせず、自分のものは分けてあげる、強い心を持つ方は何度も人間をしているのだと思います。人は礼儀や礼節を失うと、動物に戻ってしまいます。

そして、そういう方は周りから愛されます。数多くのご先祖様から頂戴したこの命、自分は人から愛され、大切に使わせていただきたいものです。

明日から良い通勤となりますように。



スプリンターじゃなくて動物の生まれ変わりだったようだ。人としてどうかと思うって僕の想いは案外正しかった。

確かに一心不乱にエサを目指す動物のそれに似ている。


個人的にいいなと思ったのが「人間は頂いた命はお返ししなくてはなりません。」という言葉。



無印良品みたいな本堂ってなんだ




この回答をしたのは国立にある一妙寺というお寺の赤澤貞槙という住職さん。

この方のプロフィールで実に気になる言葉がある。


それが「無印良品のような本堂」という言葉


さらには自己紹介は以下の通りである。


サラリーマン家庭で育った私が作った小さなお寺。目指すは「アットホームテンプル」です。

無印良品のような本堂には季節のお花を挿し色に。礼拝と法話を大切にしております。


ここでも出てきた無印良品。

どんなだよと思ってお寺を見てみると、

http://hasunoha.jp/temples/20





無印良品だ!


こんな形のアロマディフューザーありそうだ。


まったく寺に見えないですな。


悩み:職場に馴染めない



最後に「職場に馴染めない」という悩みへの回答を少し長いけど引用したい。


仕事って学びの連続ですよね、業務だけでなく置かれた立場の人間関係こそが自分を成長させます。

私はプライドが高く、なかなかこういうことの大切さがわからなかったのですが誰よりも早く起きて自分がお寺の門を開けて、元気に挨拶することから始めました。
すると心に余裕みたいなものがでてきて、挨拶を交わすと「この人は今日、機嫌が悪いな」とかわかるようになりました。

そして理不尽な態度をとられても「仕方ないよね」と許せるようになり、そうやって相手への心配りも学べました。
良いことも悪いこともすべて自分を成長させてくれます。悪いことこそ大きく成長を促してくれますよね。

だから私は、学びの機会を与えてくれた人たちみんなに感謝してます。
また今日もひとつ学ばせてもらった、ありがたい。これでいきましょう。
よい職場となりますように。


ありがたいなぁ。

不平不満や愚痴、批判めいたものを書いてしまっているけど、こんな心でいたいものだ。





無印良品みたいな本堂に行ってみようかな。国立なら近いし。












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