2018年5月16日水曜日

Mr.Children"HANABI"歌詞解釈~花火のような光の意味とは




夏が近づいてきた。

今年は気が早いようで、春なのに真夏日を記録したり、花たちも早く咲いているようだ。

さて、夏の花といえば花火である。

ということで、かなり強引な展開だがMr.Childrenの"HANABI"の歌詞について書いてみたい。









水が死ぬ




まず最初に、この曲がツアー「REFLECTION」で披露された際に桜井和寿はこう語っている。少し長いが"HANABI"を語る上で重要なものなので引用したい。





「僕は金魚を飼っていて。ある日金魚が弱っていってしまって、金魚を買ったお店に訊いてみたんです。そうしたら『あ、桜井さんそれではダメですよ』って云われたんです。
なんでも、水は常に動いて酸素を取り込まないと、腐ったり、死んでしまうっていうんですよ。"水が死ぬ"ってその時に初めて知って。これは曲になるぞと。
これって人の心も同じじゃないかなと思いまして。人の心もドキドキしたり、ワクワクしたりして動かしてないと、死んでしまうんじゃないかなと。そう思って創った曲です」

それから披露されたのが"HANABI"である。

これを友人と一緒に見ていた時、二人とも"HANABI"だと思ってなくて、イントロが流れ観客から湧き上がる歓声と同様に、声を挙げたのを覚えている。

ドラマの影響もあるけれど、この曲はイントロの歓声が人一倍大きいように感じる。それだけの人気曲ということだ。

歌詞について触れるのであれば、この曲の発端となったこのエピソードを紹介しないことにはいかない、ということで引用した次第である。

余談だが、これを見てから数年後に我が家にも金魚を飼うことになり、口をパクパクさせてる姿を見る度にこの"水が死んでしまう"という話を思い出す。

これを踏まえて歌詞を見てゆこう。




世界と自分



どれくらいの値打ちがあるだろう?
僕が今生きているこの世界に
すべてが無意味だって思える
ちょっと疲れてるのかな


主人公は強い虚無感に襲われている。
それは「この世界」に対して向けられたものである。

まさに"水が死ぬ"のように、主人公の心は無気力となってしまっており、何にも心動かされない状態となってしまっている。

この曲の構成のポイントとして注目したいのは、サビまでの"タメ"が長いことにある。

Aメロ→Aメロ→Bメロ→Aメロ→サビ

という少し変わった構成になっていて、サビに行くまでの道のりが長い。そしてAメロ~Bメロ部分の歌詞はどれも後ろ向きなものが多く、曲の始めからしばらくは、このもどかしいような感覚が続く。

理想と現実、抱けない希望、切り捨ててきたもの。

世の中で頑張っている全ての人に強く響くのではないだろうか。僕自身、社会でそれなりに"やっていけてしまってる"自分がとても嫌になる時がある。音楽をやってる人たち、それに留まらず"自分がやりたかったことをやっている人たち"そんな「非属」な姿はいつも眩しく輝いて見えるのだ。

主人公もそれがサビ前、「君」の存在の登場によって、その止まった心は少しずつ動き出す。
君の笑顔に触れること、それが僕の唯一の安らぎとなっている。



花火






そこからメロディは盛り上がり、そのままサビに入る。

ちょっと鬱々とした雰囲気漂うAメロとBが長めに取られているので、サビの解放感が更に増す仕組みとなっている。

決して捕まえることの出来ない
花火のような光だとしたって

光とは君のこと、君の笑顔のことだろうか。

或いは。

花火のような光、それは手を伸ばしても決して届かない存在でもあり、未来(=素敵な明日)でもある。たとえ届かなかったとしても、主人公は何度でも「もう一回」と言いながら手を伸ばす。

そう、きっと誰もがそんな微かな希望を胸に生きている。

主人公の心は止まっていたわけではない。本当は「心を止めてしまっていた」のだ臆病風に吹かれ、切り捨ててきてしまったものと一緒に。本心を殺して、無難に"なってしまった"自分の心を抱えながら。

一番の歌詞で「世界」に対して向けられた虚無感、それは本当はそんな世界にしてしまっている自分自身に向けられていたのだ。

考えすぎで言葉に詰まる
自分の不器用さが嫌い
でも妙に器用に立ち振舞う自分は
それ以上に嫌い


そんなことを考えながら、あらためて歌詞を見つめながら聴いていたら、このフレーズがいつも以上に強く自分に突き刺さり、涙していた。


君と出逢ったこと、それによって僕の世界は動き出す。
ポルノグラフィティの歌詞を引用するが"ハネウマライダー"にこんな歌詞がある。

僕たちは、自分の時間を動かす歯車を持っていて、
それは一人でいるなら勝手な速度で廻る。
他の誰かと、例えば君と、触れ合った瞬間に、
歯車が噛みあって時間を刻む。


まさにこの歌詞にあるように、君と僕の歯車が噛み合い、回り出す。








めぐる







滞らないように 揺れて流れて
透き通ってく水のような
心であれたら


ここで歌われているものこそ、冒頭で紹介したこの曲が生まれるキッカケとなったエピソードに基づいた歌詞である。
水槽の水を循環させて酸素を含ませるように、濾過して綺麗な水を保つように。

心の澱をフィルターに通し、そっと清めてゆく。


2番のサビ。


さよならが迎えに来ることを
最初からわかっていたとしたって

いつか尽きてしまう命。
そうとわかっていたとしても、僕らは未来を、明日を夢見て日々を過ごしている。

まるで"未来"において、

いつかこの僕の目の前に横たわる
先の知れた未来を
変えてみせると この胸に刻みつけるよ

と歌っていたように。「先の知れた未来」を塗り替えてくれたのが、君である。

しかし、この曲が本当に見据えているのは未来なのだろうか。

明日を夢見るため、主人公が大切にしているもの。それこそ君といる"今"である。さよならが迎えに来ることを知っているからこそ、後悔なきように君を強く焼き付けようとする。まるで一瞬で散ってしまう花火を心に焼き付けるように。


※ここからは少し個人的な妄想が強くなるのでご容赦を


さて、主人公にとって君とは誰だろうか、と考えてみる。もちろん恋人かもしれないし、妻にあたる人かもしれない。

でも、僕はこの曲で歌われるものは恋愛にとどまらない、もっと大きな愛情を歌っているように感じた。

たとえば主人公は老齢となり、終わりを強く意識しているのではないか。もしかしたら妻に先立たれてしまったのかもしれない。
そう思った時に一番の歌詞たちは主人公の人生の回想ではないかと思えたのだ。

主人公に残されたのは君、つまりだ。水が循環してゆくように、命もまためぐるものだ。

生まれたての僕らの前にはただ
果てしない未来があって

僕らを呼んでるものもまた"未来"である。

君の柔らかな笑顔こそが、僕にとっての未来であり、世界を美しくさせる存在なのだ。だからこそ心から伝えることができるのだ「ありがとう」と。

どれだけ愛することができるだろう?


それは「君とあとどれだけ未来を見ていられるだろう」とも読み取れる。
残された時間はどれ程だろう。

大きな時の流れの中で人の命はまるで花火のように一瞬にすぎない。

それでも素敵な明日を夢見ながら、僕は今この瞬間を生きている、君を強く焼き付けようとしている。

もう一回、もう一回と繰り返しながら。








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