ポルノグラフィティ岡野昭仁の作詞作曲した曲の中でも絶大なる人気を誇る曲は数多くあるが、その中で"ROLL"を挙げることに異論はないだろう。
僕の人生においても、とても大切な曲のため、正直この記事を書くことに勇気が必要で、何度か諦めてきた。
しかし、先日しまなみロマンスポルノで聴いて、やはりこの曲、だからこそちゃんと向き合わないといけない。
なぜこの曲がこれだけ多くの人の胸を打つのか、それを解き明かしていきたい。
ポルノグラフィティ"ROLL"歌詞解釈
まず最初に定義したい。
「ROLL」とは岡野昭仁である
「何言ってるんだこのポンコツは」「読むの止める」「あぁ病気もここまで深刻になったか」等の暖かい声が聴こえて来そうだ。とりあえず待って欲しい。
"ROLL"がなぜ男女問わず、こんなにも人の心を打つのか。
それは、"ROLL"があまりにも大きな包容力を持ってるからである。
それこそがタイトルである「ROLL」という言葉に込められていて、その想いこそ岡野昭仁という人間の魅力全てに帰着するのだ。
「ROLL」という言葉は、本当に多種多様な意味を持っていて、
「めぐりめぐる」
「流れ」
「あるがまま」(roll with)
「うねる」
「つたう」
「抱く」
「包む」
等、歌詞で登場する言葉たちが「ROLL」に含まれる。
だからこそこのタイトルはあまりに秀逸で、これ以上相応しいタイトルはないと言えるだろう。
"ROLL"が持つ魅力、それは圧倒的な包容力だ。
歌詞の意味もあるが、それを岡野昭仁が体現しているからこそ、説得力が生まれる。どれだけ大きな会場であっても、その力は薄まることなく横浜スタジアムでさえも包み込む。
"ROLL"を語ることは、岡野昭仁という1人の人間としての魅力を語るということだ。
それを象徴している言葉が「愛してる」という言葉である。
「愛してる」
「愛してる」という言葉は、どれだけ音楽に使われてきただろう。
「I Love You」を含めれば、まさに星の数ほどあるだろう。
新藤晴一という人は「愛してる」という言葉を使わずに、どれだけその気持ちを表現するかを思慮する人である。
なぜかというと、この人は言葉の人だからである。
詩人が心象風景に想いを重ねるように、様々な角度から「愛してる」という言葉を表現しようとする。
一方、岡野昭仁という人はてらいもなく「愛してる」という気持ちをそのままぶつけられる。
なぜなら"ヴォーカリスト"だからである。
歌い手として、その想いをそのまま"自分の言葉"としてぶつけることができる、それがヴォーカリストに与えられた最大の特権なのだ。
ヴォーカリストとしてその想いを言葉にして唄う岡野昭仁、作家性を重んじ歌詞の可能性を追求する新藤晴一、どちらが欠くことはできない。
それこそがポルノグラフィティの魅力なのだ。
ヴォーカリスト、つまりフロントマンというのは集まった大勢の観客と一番近くで向き合うこと、そしてステージではミュージシャンの最前でその音を背負うことである。
以前ドレスコーズのライヴ映像作品のコメンタリーでサポートミュージシャン(堀嵜さんだったかな)が、
「普段バックにいるけど、リハで試しにフロントマンの立ち位置に立ってみたら、バンドの先頭で背負うプレッシャーを感じて、とても自分にはできないと思った」
というようなニュアンスのことを言っていた。
それほど"フロントマンである"ということは全てを背負って立つという気概が必要なのだ。だからこそ、それを背負えるに相応しいヴォーカリストが歌う言葉には、説得力が生まれる。
しかしながら、ヴォーカリストの書く「愛してる」なんて言葉は世には溢れ、吐いて捨てるほどある。
ファンの贔屓もあるが、それでも"ROLL"のそれは、他のとは一線を画しているように聴こえる。
なぜだろうと、不思議に思っていた。
そこに答えが出なくて、今まで書けずにいた。
しかし、1つ自分の中で腑に落ちるものが浮かんできた。
それは、この「愛してる」は君ではなく"僕自身に向けて歌われるから"ではないだろうか。
「恐れ」
"ROLL"の歌詞は、その想いが君に向けられていながらも、自分自身と向き合うことがテーマとなっている。
それを表すように歌詞の中で君がどんな人間か表してる言葉がほとんどない。
まるでサボテンに注ぎすぎた愛情という名の水のように、独りよがりになってしまった愛情は、その花を枯らせてしまう。
僕と君との愛情はすれ違い、そのすれ違いは僕に恐れを抱かせる。そこで僕は、君ではなく自分と向き合ってしまう。
本来ならそこで答えは出ない。それは"ギフト"において「自問自答きっとそこにはないこと」という歌詞にもあるように。
その自問自答こそ"ROLL"の最大の魅力といえるCメロ部分。
君に触れ 君を抱き ぬくもりや呼吸を感じ
二人の愛 答え知り 手にしたと信じていた
だけど今 君の中 苦しみや悲しみに
触れてしまった 気付いてしまった
僕はそれを恐れてたんだ
君を想う気持ちが、やがて不安に繋がっていく。
また「独りよがり」な愛情になってしまっているのではないか、そんな気持ちが心を蝕む。
それを見て見ぬふりして誤魔化すのは簡単で、けれど主人公はその不安と向き合うことを選ぶ。
君の中に見た「苦しみや悲しみ」は僕が重ねた感情ではないだろうか。
全ての音が止み、岡野昭仁の声で最も強く歌われる言葉。それが、
「恐れてたんだ」
というフレーズ。誰しもが胸を打たれ、息を飲むフレーズだろう。特にライヴでのこの瞬間の力は凄い。
ずっと不思議に思っていて。一見ネガティブな「恐れてたんだ」というフレーズが、何故こんなに力になるのだろうかと。
そして一つの答えを見出した。
「恐れ」と認めること、それこそが、真に君と向き合うということだからだ。
君を愛するからこそ、恐れが生まれる。たとえば君を失いたくないという感情が芽生えるほど、君を想っているという証でもある。
繰り返した自問自答の末に「恐れ」と対峙し、真に君と向き合う。そんな僕が君に伝える言葉、
「僕が全て抱いてあげる」
「恐れ」を越えた決意を伴った「愛してる」という言葉は、決して生易しいものではない。
僕は最初のサビがこのストーリーの結末ではないかと思っていて。結末が最初に明示され、まさにめぐりめぐる迷いの末の決意が歌われているものだと思えたのだ。
そう考えた時に最初のサビの方が、一番のサビよりも強く感じるようになった。同じ言葉が並んでながらも、まさにめぐりめぐった末に終着した気持ちだからこそ、"掴み"として強く歌い出しでハッとさせられるのではないか。
最後に。
先日の「関ジャム」で男女別の泣ける歌ランキングというものが特集された。ランキング自体はちょっと疑問符があったけど、男女で感動するポイントが違うという点が興味深いと思った。
男は現実志向でリアルなことに涙しやすく、自分や故郷や友人を思って泣く。
女性は理想や憧れに対し涙しやすく、恋人や母親を想って泣く。
もちろん一概にそれだけとは言えないのだけれど、文句はzoppや藤林聖子に言って欲しい。
しかしながらそれを踏まえた時に"ROLL"ってどちらの要素も含んでいるよな、と思えたのだ。
男はおそらく自問自答した「恐れ」の部分に共感しやすいと思う。
そして女性は"奏系男子"というのもどうかと思うが「僕がすべて抱いてあげる」という包容力に魅力を感じるのではないだろうか。少なくとも僕の中の女子力はそう言っている。
だからこそ"ROLL"は男女問わず感動させられる名曲になってるのだではないだろうか。
それが僕なりに分析した"ROLL"の魅力であり、結論に似たなにかである。
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