THE YELLOW MONKEY(イエモン)の新曲"天道虫"が発表された。
ポルノグラフィティの攻めた新曲""Zombies are standing out"の興奮覚めやらぬうちに、今度はイエモンも攻めの一手をぶつけてきた。
こうしてベテランと云われるアーティストたちが続けざまに新しく衰えないサウンドを見せつけられたら、若手バンドは戦々恐々だろう。
タイトルの「天道虫」からワクワクさせられたけど、その音はさらに驚きが待っていて、あまりにタイトなバンドサウンド、特に菊地英昭のガレージっぽさもあるギターアプローチは、衝撃であった。
THE YELLOW MONKEYというモンスターバンドがまだ新しい進化を模索している。その事実がなんと恐ろしいことなのだろう。
タイトルはじめ歌詞も強烈で、これは居ても立ってもいられない状況になった。
The Yellow Monkey「天道虫」歌詞解釈
テレビ東京 ドラマパラビ「天 天和通りの快男児」主題歌
天道虫
"天道虫"はテレビ東京のドラマ「天 天和通りの快男児」の主題歌となっている。福本伸行原作の麻雀マンガをドラマ化した作品である。
"砂の塔"もそうであったが、吉井和哉はタイアップに関して全力で寄り添うタイプの作詞をするので、そこも交えて書いていきたい。
といいつつも、僕は麻雀ほとんど分からないから原作読んでないのだけど……
まずタイトルの「天道虫」(てんとうむし)。
馴染みはあるけれど、漢字にすると印象が違ってくる。
曲はこれから出てくると思うので、とりあえず弾いてみた貼っておきますね。
アップ主は感謝してください。
太陽のことを「お天道様」(おてんとさま)と言いますよね。
太陽が神である(太陽神)というのは、世界各地で信仰されている。
日本でも古来より太陽を神様として祀られ、天照大神(アマテラスオオミカミ)は太陽を神格した藻のである。
『天』が原作であること、そして「天への道を教えてくれる虫」だ。
天道虫は海外では、アメリカで"Ladybug"、イギリスでは"Ladybird"と書く。この"Lady"は聖母マリアを表しているという。ドイツでは直球で"Marienkaefer"(マリアのカブトムシ)と書く。
他の言語でも「神の使い」を表すような言葉が当てられていて、神聖さを持つ虫なのである。
虫なのに比較的女性からも嫌われないのはそのためなのだろうか。
有名な言い伝えとして「天道虫が身体に止まると幸運が訪れる」というものがある。それらを踏まえると、
誰の肩に止まるかな くるくる廻る天道虫
というフレーズは、幸運のは女神に微笑まれるのは誰かな、という意味合いとなる。
歌詞における麻雀用語
麻雀のドラマということで、吉井和哉の言葉遊びが全開である。麻雀を彷彿させる言葉を同音異義語だったり、駄洒落のように用いている。
麻雀分からない僕は漠然としているので、Google先生に頼りながら、見ていこう。
「背中の星」→大七星(だいちーしん)、ナナホシテントウと掛けられている
「バグる」→主にコンピュータプログラムの欠陥を指す。虫の「bug」が由来。その由来の理由はかつて機械部品に虫(蛾)が挟まって故障したからと云われている
「テンパる」→聴牌(てんぱい)。所謂"リーチ"の状態。よく使われるテンパるの由来
「パイパン」→男女の陰部の毛を剃っている状態。由来は麻雀牌の「白」からと云われているいるが「白桃」から来ているという説もある
「ハマる」→嵌張待ち(かんちゃんまち)。麻雀用語で
「つもりつもって」→自摸(ツモ)。麻雀用語で自力でアガること。ちなみに他の人の捨てた牌でアガるのはロンとなる。
「何を捨てたんだ」→捨て牌
↑これだけのフレーズが詰め込まれている
詳しい人が見たらもっと用語あるかもしれないけど。
雀卓を「猛毒の葉っぱみたいなテーブル」と表しているのも面白い。
そういえばカジノのテーブルも、あの色のものだよね。
「理」
2ちゃんねるの管理人であるひろゆきが、天貴史と出会うことから始まる愛の物語だが、はっきりいってそんなことはどうでも良い。“伝説の雀士”赤木しげるこそが天の主人公である。従って単行本の1巻から3巻の途中までは検閲により削除という意見が検閲により削除。最初は人情物だったけど、だんだんとギャンブル色が強くなり、最終的には麻雀を通り越して人間の生死を大教祖赤木しげるが延々と語る啓蒙書となり現代哲学へ多大な影響を及ぼした。
あ、これアンサイクロペディア情報でした。
Wikipedia情報を覗いてみると『天 天和通りの快男児』の物語は「理」によって麻雀を打つ井川ひろゆきが、「理」以外のもので打つ天貴史と出会うことから始まるという。
「理」というのは中国哲学に由来するもので、「理路整然」のような意味合いでの「理」である。たしか。
※だいぶザックリしているが、それは管理人が不勉強故によるものである
Wikipediaしか読んでない僕が偉そうに書くのはどうかと思うが、主人公のひろゆきは「理」によって戦略的な道筋を立てて闘う。
セオリーやロジック。しかし勝負はそう理屈通りに、思い通りにはいくわけはない。
勝負に最も必要なもの、それは”運”である。
どれだけロジックを積み上げても、それを越えるものが運である。どんなギャンブルマンガにおいてもこれは、絶対的なものだ。
そこで訪れる幸運とはつまり、勝利の女神に愛されると言えるのではないだろうか。
その象徴こそ「天道虫」である。
そして、それを示すかのような歌詞。
夢が夢を越えること たまにあるから厄介だ
初めて聴いた時にも印象に残ったが、このフレーズは僕にとって間違いなく今作のベストフレーズである。
吉井和哉らしい言葉選びと、このフレーズこそが想像を越える奇跡まで描いている。
同時に、それがもたらす甘美な味わいこそ、人を惹き付けて止まない罠でもある。
一番で登った太陽が、最後のサビでは斜陽の夕陽になっている。
まさに朝から晩まで。
そして人の一生を1日に例えるとしたら、人生の大半を費やしていたということ。
そして幸運でもあり、天への道筋が今まさに沈んで消えようとしていること。
それはいつまでも勝ち続けたり、女神に愛された利するわけではないという、少しピリリとした後味を残して終わるところがまた憎い曲となっている。
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