2020年2月5日水曜日

"アポロ"の歌詞の意味を徹底考察する【決定版】







ポルノグラフィティの"アポロ"。

今さらいうまでもない比類なき鮮烈なデビュー曲である。

これまでにも何度か書いてきているけど、改めて決定版としてまとめたいと思い筆を取った次第だ。つまり、長いぞ。

というのも、やはりデビュー曲ということでセンテンスの一つひとつから気合いが漲っていて、かなりの情報量が詰まっているからである。

そういった主旨なので過去に書いたものと一部重複することもあるかと思うがご容赦願いたい。






イントロ~1番









僕らの生まれてくるずっとずっと前にはもう
アポロ11号は月に行ったっていうのに


出だしのフレーズ。
このフレーズ一発で"アポロ"は揺るがぬ名曲になったといっていい。

「アポロ」をテーマに選んだという時点で、既に新藤晴一が一線を画す非凡な作詞家ということが伺える。

「ずっとずっと前にはもう」というフレーズが入ることで、"アポロ"という楽曲が、僕ら人類が未来へ向かうほど、その歌詞の重みが増す仕掛けになっている。

サビ頭の曲ではあるけど、そこで「行ったっていうのに」で区切ることで、それがフックになって続きが気になるような仕掛けになっている。



みんながチェック入れてる限定の 君の腕時計はデジタル仕様
それって僕のよりはやく 進むって本当かい? ただ壊れてる



このAメロ出だしだけで、新藤晴一という人のシニカルな目線を味わえる。ここの時計はBaby-Gのことだという。何が「ただ壊れてる」というのか。

それは流行を追い求める人々が、本質を失っていることを示しているのだ。腕時計とは時間を知るためにある。しかし人々はその本質よりも、ファッションとしての腕時計を求める。さらにはそこに「限定の」と付けることで、そうして購買意欲を煽る風潮さえ捉えている。

けれど、それが悪いと言っている訳でもなくて、ここで皮肉っているのは本質を見失って物の価値を定めてしまう人々なのである。同時に、どれだけテクノロジー(技術)が進歩しても「時間を知る」という本質は変わらないという二重の意味を持っている。

それを踏まえ「時間」という概念について。相対性理論とかそういうことはさておき、基本的に時間は日常の中で一定の速度で進んでいる。しかし、90年代のテクノロジーの目覚ましい進歩によって、時代が一気に加速的に動いたような気持ちになる。

その中でアナログからデジタルへ技術が変わっても、時計の秒針もデジタル表示も、変わらない一定の速度で進んでいる。それなのに人々は「最先端」という言葉に窓わされて本質を見ていない世の中を皮肉っているのだ。



空を覆う巨大な広告塔には
ビジンが意味ありげなビショウ
赤い赤い口紅でさぁ



「空を覆う広告塔」というのは今よりも少し近未来のイメージを抱かせる。「ブレードランナー」的な世界観だ。そんな世界観はどこか"ネオメロドラマティック"などを彷彿とさせる(あのMVの世界観が近いともいえる)。

そうでなくても渋谷とかに行けば空を狭くする高層ビルに大きなビジョン広告が出ていたり、ビルの上に大きな広告が打たれていたりする。

ところで「口紅はなぜ赤いのか」という疑問を持ったことがあるだろうか。

口紅の歴史を紐解くと、最古は約7万年前の人の骨の口の部分に赤いものが付着していたという。さらに、エジプト文明では赤い口紅が発見され、口を赤く塗った壁画も残っている。それだけでなく、メソポタミアやインダスなどでも同様に口を赤くしていたという。日本でもその歴史は縄文時代まで遡るという。

なぜそんな風習があったかというと、は悪魔の侵入を防ぐ魔除けの役割があったという。時代とともに宗教的、呪術的な意味合いから、平安時代くらいで貴族の間のファッションアイテム(原料が高価なため)となり、やがて江戸を経て明治、大正時代になると西洋の化粧が取り入れられ、一般化してきた。

かのように、実は「赤い口紅」は人類が古代から続けてきた風習なのである。悪魔は嫌がるかもしれないが、多くの人は赤い口紅を見ると、思わず目を引かれてしまうのではないだろうか。

悪魔を遠ざけるための赤という色が、やがて人々を引きつけるファッションアイコンとなったのだ。ここは本質というよりも、意味合いは変わっても人々が同じように「口を赤く塗る」ということを繰り返してきたことを示している。

そんな赤い口元は「ビショウ」している。
名詞として「微笑」という言葉があって、意味は同じだけれど動詞の「微笑む(ほほえむ)」と感覚的にだが違う印象を受ける。

広告は空にあって、主人公を見下ろす存在でもある。微かな笑みを浮かべ、見下ろされた主人公が抱いた想いとは。可能性はいくつもある。その解釈の余地こそが、新藤晴一の歌詞の魅力だ。

たとえば。主人公がその微笑みに思わず惹かれてしまったとする。主人公は「意味ありげなビショウ」と気づいていながらも、その赤い口紅のビショウに目を奪われる。

広告とはマーケティングであり、マーケティングとは如何に人の目と興味を引くかを研究してきた分野だ。
僕も大学でマーケティングを専攻していたけれど、生憎ほぼ忘れたので先に進ませてもらう。

つまり、そのビショウが狙いとわかってはいながらも惹かれてしまった主人公は、人が持つ本能的な部分を刺激されたということだ。
そこにある赤い口紅含め、人類はある種の統計的な呪縛からは離れられないという意味にも見える。


僕らの生まれてくるずっとずっと前にはもう
アポロ11号は月に行ったっていうのに
僕らはこの街がまだジャングルだった頃から
変わらない愛のかたち探してる


そしてサビへ。楽曲のなかで最も"顔"となる場所なので、間違いなく相当に考え抜かれて選ばれた言葉たちだ。

"アポロ"はシングルとしての役割意識がとても強いので、このサビだけでも、ここまでのワンコーラスでもメッセージが成立するようになっている。デビュー曲でここまで仕掛けているのだから、"アポロ"は鮮烈なデビュー曲になる訳だ。

サビの前半部は冒頭の歌詞と同じ。そこのフックに言葉が続く。

僕ら人類が繰り返してきたこと、これからも繰り返していくこと。それこそが「愛のかたちを探す」こと。しかしながらポルノグラフィティは、新藤晴一はその問いに対して、後にひとつのアンサーを提示する。それこそが。


僕を知っているだろうか いつも傍にいるのだけど
My name is love ほら何度でも僕たちは出逢っているでしょう?
そう 永遠で一瞬で君にとってのすべてだ
遠くから近くから君のこと見ている
~"愛が呼ぶほうへ"


人類が探し続けている愛、それに"かたち"はない、しかし僕らの周りどこにでも存在する。それなのに僕らは目に見えるかたちとしての愛を探してしまう。それは限定の腕時計に惑わされるように、本質を見失ってしまっては見えないもの。

そんな人類を見てきた天使は何度も教えてくれていたのだ。


愛という名の偶像崇拝主義を
叩き潰す
~"オレ、天使"


ここまででまだ1番なのだが、考えるほどに恐ろしいほど考え抜かれた完璧な歌詞だ。







2番




大統領の名前なんてさ 覚えてなくてもね いいけれど
せめて自分の信じてた 夢くらいはどうにか 覚えていて



1番ではかなりシニカルな目線のAメロだったけれど、2番では少し変わる。

ここで「せめて」の一言があるかないかで、このフレーズから受ける印象はだいぶ変わってくる。
自分の夢さえ忘れてしまうようにはならないで、という意味合いとともに、歳を取るほどに「夢をなかったことにしてしまう大人にならないで」というメッセージにも見える。

"アポロ"ではアポロ計画がテーマとして描かれているけれど、人類が月を目指した夢とともに、もうひとつ語られない夢がある。それこそがポルノグラフィティにとって"アポロ"が夢見たミュージシャンとしてのデビューを叶えたものという側面だ。

人類が本気で信じたからこそアポロ11号は月へ降り立った。そして、夢を信じていたからこそポルノグラフィティはデビューを果たした。


夢の中いるには目を閉じてなきゃ
薄目で周りを見たくもなるが
そのたびに瞑りなおした
冷めた頭じゃここにいれない
~"一雫"


「信じれば夢は叶う」なんていえば、とてもチープな言葉にも聞こえるだろう。しかし、信じなければ夢が叶うことはない。夢を見るからこそ、夢の中にいることができるのだ。冷めた頭で夢を見てしまえば、それは覚めてしまう。





「大統領の名前なんてさ 覚えてなくてもね いいけれど」というのは「勉強なんか意味ねーよ」という意味ではない、学生はちゃんと勉強しないと俺みたいなポンコツになるぞ。


地下を巡る情報に振り回されるのは
ビジョンが曖昧なんデショウ
頭ん中バグちゃってさぁ


折しも先日アップした高橋優の"駱駝"の歌詞でも「情報(インフォメーション)の砂」という表現があった。情報が錯綜する時代に、大切にしなければならないものとは。

「ビジョンが曖昧なんデショウ」という1番Bメロと同じく表記が崩れている表現が「バグ」そのものを表していたり、耳に聴こえる言葉だけでなく、目に触れる歌詞そのものまで意識していることが伝わる。

もちろん、1番の「ビジンが意味ありげなビショウ」気持ちのいい韻を踏んでるところも抜かりがない。


"アポロ"から始まった旅が20年という年月を経て辿り着いた場所、そこで見つめたもの。


Come on winner.Come on loser.
That is a vision.
Don't hind it behind the cloud.
It’s a shinning rainbow gate.
~"VS"


2019年9月。僕らはあの日、東京ドームという大きな舞台で、夢のような夢の光景を見届けた。ただひたむきに見つめていたビジョンの先を。



僕らの生まれてくるもっともっと前にはもう
アポロ計画はスタートしていたんだろ?
本気で月に行こうって考えたんだろうね
なんだか愛の理想みたいだね


2019年が折しも「アポロ11号の月面着陸から50年」となったが、アポロ計画が始まったのは1961年からである。

僕らは叶った夢は覚えていても、それが叶うまでのことは忘れてしまいがちだ。アポロが月へ降り立つまでには多くの試行錯誤と、時に失われてしまった命がある。

夢を追うことは何かを犠牲にすることだ。それはたとえば時間かもしれないし、それは敗者かもしれないし、命かもしれないし、愛かもしれない。それでも何かを手にすることが夢を叶えることなのだ。

大統領の名前のように忘れてしまうような夢は、覚めてしまう夢と変わらない。


サビの後半のラインもまた強烈だ。
「本気で月に行こうって考えたんだろうね」という言葉に対して「なんだか愛の理想みたいだね」。惚れ惚れしてしまう。

たとえ雲を掴むような夢の話であったとしても、自分の夢を追い掛けた人々。周りに惑わされず心に宿ったものを信じて。

人類が探し続けた愛にかたちがないのならば、ただそこにあるだけなのならば。それは壊れてしまった価値観や、夢を忘れてしまった人には見つからないもの。


愛は誰かに見せたり まして誇るようなものではなくて
どんな形 どんな色 そっと秘めたまま
~"ルーズ"


愛にかたちはない。しかし、心の中で愛をかたちにしていくことはできる。それは抱いた夢を叶えていくことと同じではないか。

「本気」には「通常の意識。正気」という意味がある。
夢も愛も、周りの価値観によって簡単に歪んでねじれてしむうもの。それでも、せめてそれを信じていられれば。

「理想」とはプラトンの哲学思想の「イデア」が由来で、「イデア」は"見る"という意味の「イデイン(idein)※」に由来する※。
※「idein」は「eido(エイドー)」が変化したもの

では「イデア論」とは。


プラトンは、イデアという言葉で、われわれの肉眼に見える形ではなく、言ってみれば「心の目」「魂の目」によって洞察される純粋な形、つまり「ものごとの真の姿」や「ものごとの原型」に言及する。


なんのことか頭がバグっちゃうと思うので、有名な例をひとつ。


S(先生):ではOくん。この紙に三角形を書いてみよう
O(生徒):はい!書けました!
S:問題。この三角形の内角の和はなーんだ?
O:はい!180°です!
S:違う!今書いた手で書いた三角形は本当に正確に180°か
!?
O:いや……でも定規使ったし、分度器当てても……ほら

S:じゃあ原子レベルで見ても正確に180°になってんのか?おおん!?


かのように難癖がつけられるでははいかというお話。S先生はヤクザかなんかか。どうやったって「真の三角形」は現実にはあり得ないという。ではなぜ僕らは三角形の内角の和が180°になるかと思うかというと、真の三角形はイデア界に概念として存在していて、それを僕らは共通地として認識していると提唱した。

厳密にいうと色々あるけれど、これ以上やると記事が哲学書になってしまうので割愛。


要するに「理想」というものを辿ると「イデア」になり、「イデア」とは「本質・理念」になるということだ。

僕らは「愛」というイデアを追い続ける生物なのかもしれない。



Cメロ~ラストサビ



このままのスピードで世界がまわったら
アポロ100号はどこまで行けるんだろ?
離ればなれになった悲しい恋人たちの
ラヴ・E・メール・フロム・ビーナスなんて素敵ね


ユニゾンフレーズからのギターソロを経て、Cメロへ。
このフレーズを見て「アポロ計画は終わってる」なんていう人はこれまで何を聴いてきたのだろうか。

大切なのは「このままのスピードで世界がまわったら」というフレーズ。ここもダブルミーニングの仕掛けになっている。

ひとつはそのままの意味で「このまま科学が発展したら」という意味合いだ。それは、まさに2020年という"現在(いま)"を生きている我々が一番よく理解しているのではないだろうか。

20年前にこんなスマートフォンという端末が当たり前に普及し、サブスクリプションなどというサービスが一般化すると思えただろうか。20年前は今はなきMDが全盛だったのである。

そしてもうひとつ。このフレーズは「時間は変わらない」ということを示していて、冒頭の「それって僕のよりはやく 進むって本当かい? ただ壊れてる」へのアンサーにもなっている。

それを思うと、当初2ndシングル候補だった"Century Lovers"のサビが。


地球を少しだけ廻せたら 夜をちょっとだけ長くしてさ
ためらう君に 時間あげたい
~"Century Lovers"


というフレーズなことが興味深い。


"アポロ"の最も強烈で、痛烈な皮肉は「人は変わらない」ということだ。

"変わらない"ことは愛のかたちを求め続けたり、夢を追い続ける姿だけでない。争いを続けてしまう人間の本質さえ捉えている。

アポロ計画はアメリカとソ連の宇宙開発競争に端を発している。技術革新という意味での発展の影には、宇宙の軍事利用という目的もあったという。

その後、宇宙開発競争は熱を帯びる。アメリカやロシアだけでなく、欧州、中国、インド、日本など多くの国が宇宙開発を目指している。そして、たとえばイーロン・マスクのスペースX社のように、いつしか国だけでなく民間企業も参入し始めた。

今や人類の夢は月を越え、火星まで視野にいれている。人類が夢を抱く限り、そこに終わりはない。


人類は、変わらない。

本質を見失ってしまえば、変わらないはずの時間という概念さえ人は歪めてしまう。それって何かに似ていないだろうか。

そう、である。

時間と愛、ただそこにあって変わらないもの。
愛を変化させてしまうのは、人の心そのものなのだ。それもまた、変わらないものなのだ。それがまた"Century Lovers"との対比になる。


次の千年の恋人達に ただひとつ真実を残そう
ジョンがみつけたシンプルなこと
それは「愛とは―愛されたいと願うこと」
~"Century Lovers"


変わるものと、変わらないもの。
見失っていけないことは、本質は変わらないということだ。

だから、最後にまたこのフレーズがやってくる。


僕らの生まれてくるずっとずっと前にはもう
アポロ11号は月に行ったっていうのに
僕らはこの街がまだジャングルだった頃から
変わらない愛のかたち探してる



完璧である。

1番サビと同じフレーズなのに、それが「人類は変わらない」という強烈な皮肉になっている。しかしながら、ただ皮肉なだけでは終わらない。

夢を、愛もまた、人類が追い求め続けるという希望も含んでいる。そのためには、本質を見失わないでいかなければならない。

デビュー曲として世に放つべく、新藤晴一はこだわり抜いて言葉を選んだ。

なぜなら、その曲は自分たちではなく、プロデューサーである本間昭光が作曲したからだ。そのまま本間昭光が歌詞まで書く案があったという。

しかし、新藤晴一は「せめて作詞だけは、やらせて下さい」と食い下がった。プレッシャーもあるだろうが、自分たちのアイデンティティを少しでもそこに見出だしたいと。

その自負を見事に"アポロ"として昇華させた実力は、やはり群を抜いている。


何より恐ろしいのが、これだけ書いてなお、それが1人のポンコツヘッドの男のひとつの解釈に過ぎないということだ。そこには十人十色の”アポロ”がある。

底知れね魅力を秘めた"アポロ"は、これからも僕ら人類に語り継がれる名曲となっていくだろう。


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