2020年6月22日月曜日

コロナ禍にも動じないミュージシャンの特徴









「コロナ禍」と呼ばれる状況が続いている。

緊急事態宣言が解除され、少しずつ規制が緩和されつつあるが、未だ予断を許さない空気が続いている。2月にライヴハウスでの感染者の発覚から、ライヴというものの開催さえも難しい。

無観客での開催、小~中規模のイベントは席の間隔をあけるなどして、感染予防の徹底が必要とされている。

しかしながら、満席になったとしてもチケット代でハコ代がようやくペイされるという話もあるくらいで、観客数を削減したのでは採算的には厳しいという見方もあるなかで、興行の側面で見ればかなり厳しいだろう。

表現者と呼ばれる人々の多くが、この状況下で何ができるだろうか、何をしていいのだろうかと自答し続けている。

「音楽は不要不急ではない」と声にするミュージシャンも多いなかで、この状況を淡々と受け止めているミュージシャンたちもいる。その声は、折しも自分の好きなミュージシャンに多い気がした。

好きなミュージシャンだけに発言に触れる機会が多いということもあるが、ある理由があるのではないかと思ったことがあるので、記そうと思う。







コロナ禍を見るミュージシャン




理由の結論を先に書いてしまおう。それは「表現方法」によって分かれているのではないだろうか。

映画や演劇などにも言えることだが、僕のような音楽がないと死ぬタイプは音楽という側面で考えてみる。

音楽における「表現」とはなんだろうか。

決して一概に答えられるものではないだろう。人の数だけ表現方法がある。それも踏まえた上でミュージシャンには2つのタイプがいると思う。


・作品を創ることを目的とする
・作品を披露することを目的とする


この違いこそが、コロナ禍の受け止め方の差を生んでているのではないだろうか。


ハルカトミユキのハルカがこんなTweetをしている。






すみません、死にます。


冗談はさておき、この言葉はある程度「表現者側」の目線を言っているのだと思う。
僕らリスナーは基本的には求めることしかできないからだ。

そうした上で、表現というものに対して、ミュージシャンがそれぞれどのようなスタンスでいるかが判り興味深い。

たとえばドレスコーズの‎志磨遼平も似た旨※のことを言っていた。
※有料会員向けの記事の中なので詳細は触れられない

‎志磨遼平が特にそうなのだが、表現者のなかには自分の内にあるものをアウトプットして作品として完成させることに重きをおくタイプのミュージシャンがいる。

そういったタイプのミュージシャンは作品を完成させてしまった段階で、ある程度の欲求が満たされるのではないだろうか。

ある種、表現に対する衝動というものを自己完結させられるのだ。

竹内まりやのようにほとんどメディア露出もなく、ライヴも積極的には行っていないのは、スタジオワークで完結しているか、山下達郎のコダワリが凄すぎて再現できないからだろう。

ハルカトミユキのハルカや、我らがポルノグラフィティの新藤晴一は偶然か必然か、noteを使って文章を発表するようになった。それは二人が言葉の人だからだ。

ちなみに志磨遼平も文筆家の側面ある言葉の人なので、僕の日本で最も尊敬する3人の表現者が同じスタンスでコロナ禍を眺めていると感じた。









もう一方の表現者




ではもう一方の「作品を披露することを目的とする」タイプの表現者はどうか。

これについては、ポルノグラフィティがちょうど説明しやすいと思う。。

新藤晴一はレギュラーラジオもあるが、noteで文章を綴り発表している。一方で岡野昭仁はスペースシャワーTVとYouTubeを使い、歌を届けようと模索している。

それは岡野昭仁が表現において最も必要であり、適当な手段こそが歌うことだからだ。
だからこそ、僕らはライヴの岡野昭仁のエネルギーに圧倒される。

この辺りで念のため補足しなければならないが、タイプが2つに分けられるとて、そこに線が引かれて区切られているということはない。それぞれにどちらの衝動も抱えていて、その割合としてどちらが濃いかということなのだ。

たとえば新藤晴一だってライヴではエネルギッシュだし、ライヴをやるために作品を生み出していることは間違いない。

そうした中で、限られた選択肢の中からギターの動画をアップするではなく、文章を書くことを選ぶことが新藤晴一にとって今できるベストの表現方法の選択だったのだ。

同じように、岡野昭仁にとっても、自分でできることの最上として選んだのが歌を届けるということだった。


「音楽とか芸術なんて要らないって言う人には腹立つけど、音楽や芸術は至高。必要不可欠!って目くじら立てる人はもっと苦手なんだよな〜」


という言葉は、人の数だけ表現があり、その方法があるということを伝えたいのではないだろうか(2つのタイプがいるという記事を書いておいてどうかと思うが)。

最初に僕が感じて思い出した言葉は、エドワード・ヴァン・ヘイレンのこの言葉だった。


『ある人によって金塊はゴミ同然。俺の音楽も金塊であり生ごみなんだよ。』


「音楽や芸術は至高」とまでは言わないが、音楽がなかったら、僕の人生は本当にクソみたいな人生になっていた。

僕の人生には音楽も金塊も必要だ。

ライヴで闘ってきたミュージシャンたちにとっては、この苦境は相当苦しいと思う。

けれど、だからこそ音楽が救える魂もあるのだと信じたい。



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