2020年7月23日木曜日

KinKi Kids“硝子の少年”の歌詞の意味を考察する







KinKi Kidsにどっぷりとハマった世代である。

KinKi Kidsがデビューした1997年、僕は10歳だった。
小学校も後半になり、周りの同級生たちは多感な時期に突入していた。

今よりもずっとテレビが、皆の共有コンテンツであり、学校に行けば昨日のドラマやバラエティの話が飛び交っていた。

そんな小学生たちを夢中にさせていたのが、1997年にデビューしたKinKi Kidsである。余談だが、同年にはV6の「学校へ行こう!」が始まり、まさに一世を風靡した。

しかしながら、堂本剛と堂本光一によるユニットは、デビュー前から既に時の人だった。
94年頃からドラマへの出演が増え、主演したドラマたちは軒並み大ヒットを記録した。94~97年頃に出演したドラマは全部ヒットしたのではないかと思うほどだ。

ドラマについて話し始めると終わらなくなるので、本題に入ろう。








曲について




97年にリリースされたデビュー曲”硝子の少年”である。死ぬほどどうでもいいが、この曲が出た5月29日は僕の10才の誕生日だ。
上記のドラマなどのヒットにより、既に注目度はとてつもなく高かったKinKi Kidsだが、この曲のヒットと共に、音楽面でも目覚ましい活躍を見せる。

作詞:松本隆
作曲・編曲:山下達郎

というクレジットだけでも間違いないのだが、2人へは、山下達郎はとてつもないプレッシャーを感じていたという。そのはずで、デビュー曲に対して故ジャニー北川は次のような条件を出した。


・オリコンチャートでの初登場1位
・この子たちは人気あるからミリオンね


それが狙ってできれば、アーティストは苦労しない。
当時はCDセールスがまだミリオンヒット連発の時期であり、すでにKinKi Kidsのとてつもない人気が確立されていた背景はあれども、取ろうとして取れるものではない。

作曲は困難を極めた。最後に山下達郎は「筒美京平だったらどういう曲を書く?」と考えて、曲を生み出したという。しかしながら、当初関係者からは「古臭い」などという声が上がったという。アホなんじゃないかな。

最終的には、山下達郎自身のジャニーズの歴史などを踏まえた楽曲という意向が通り、採用となったそうだ。

ラテン調の楽曲は今でも色褪せることなく、イントロから心を掴まれる。

山下達郎の苦労もさることながら、作詞を担当した松本隆も当然ながら苦心したという。

インタビューによれば、「輝きや独特な危うさ」を表現するのに苦心したという。
それを表現するために、何度もリテイクをくらったそうだ。

ある時にテレビで2人を見て「この子達、ガラスの少年じゃないか」と思ったそうだ。
そのインスピレーションが鍵となり、”硝子の少年”の歌詞が生まれたという。

先日の「関ジャム」で作曲家たちも語っていたが、こうしたキーワードから歌詞や曲の発想が繋がっていくという話にも通ずるエピソードだ。

最終的にはオリコン3週連続1位で、売上枚数もミリオンを超え累計で179万枚以上を記録する特大ヒットとなった。

それにしても、松本隆、山下達郎という雲の上の巨人たち(死んでいるということではない)が、そこまでの苦心の末に生み出した楽曲こそが、”硝子の少年”なのだ。良くないはずがない。

そもそも巨人と思う心理こそが、2人が掛けられたプレッシャーそのものであるともいえる。

さて、では歌詞を見ていこう。









歌詞について




雨が踊るバス・ストップ
君は誰かに抱かれ
立ちすくむぼくのこと見ない振りした

指に光る指環
そんな小さな宝石で
未来ごと売り渡す君が哀しい


印象的なラテンのイントロから飛び込むAメロの歌詞。
この導入だけで、もう心を掴まれてしまう。

この楽曲が特徴的なのは、”硝子の少年”というタイトルや、当時のKinKi Kidsのパブリックイメージだった少年感とは裏腹にとても、オトナの匂いを感じさせる楽曲バランスになっていることだ。

ちなみにデビュー時に2人は18歳で、この年の秋にドラマ「ぼくらの勇気 未満都市」でダブル主演をしていた時期だ。







楽曲が醸し出すオトナ感が、少年が青年へと移り変わる様と絶妙に相まっている。おそらく2人がこの年齢のタイミングでなければ、このバランスは生まれない。

少年が見つめる先で抱かれている君。
宝石のついた指環に「未来ごと売り渡す君が哀しい」と思う心。

哀しいのは君のことではない。それを思ってしまう自分の心に、それは向かっている。
主人公はそれをわかっている。だからこそ、Bメロではこう歌われる。


ぼくの心はひび割れたビー玉さ
のぞき込めば君が 逆さまに映る


君を歪めているのは他ならぬ、僕の心なのだ。


Stay with me
硝子の少年時代の
破片が胸へと突き刺さる
舗道の空き缶蹴とばし
バスの窓の君に
背を向ける


一度聴いたら、耳から離れないサビだ。
松本隆が印象を受けて選んだ「硝子」というモチーフは、これ以上ないほどピタリと当てはまっている。

繊細で壊れやすくも、光を浴びれば煌びやかな輝きを放つ。そして、透明感がありつつも、ただ透明だけではないという点もポイントだ。

硝子は透明だが、光が通り抜ければ、その光を屈折させる。Bメロのフレーズにも繋がるが、硝子=透明≠純粋というわけではないのだ。
その「≠」にこそ、モラトリアム期ならでは葛藤が潜んでいる。

そんな硝子の心は打ち砕かれ、破片が散らばっている。

「舗道の空き缶蹴とばし」というフレーズも絶妙で、舗道は約束された君が歩む道であり、その途中に空っぽになって捨てられた缶は主人公の心情そのものである。
蹴り飛ばしたカラカラという音も、バスに乗ってしまった君にはもう届かない。

ここまでの描写は、主人公が君を見つめているだけで、この2人がどういった関係なのかは明らかにされていない。1番だけでは、主人公の想いが一方的な愛情なのかどうかさえ分からないのだ。つまりは、自意識過剰なストーカーであったとしてもおかしくない。


映画館の椅子で
キスを夢中でしたね
くちびるがはれるほど囁きあった


映画館で目の前にこんなカップルが本当にいたら、舗道の空き缶のように蹴飛ばしているところだが、ここで主人公と君の接点が明らかになる。自意識過剰なストーカーのわけがないだろ。


絹のような髪に
僕の知らないコロン
ふられると予感したよそ行きの街


君はぼくを選ばなかった。
正直、少年じゃなくても心が壊れ、立ち直れなくなる瞬間だ。

それを匂いで感じてしまう。僕はずっと鼻炎持ちなので、気付かないかもしれない。
「コロン」というアイテムがポイントだ。

君がもし同年代であるならば、コロンをした人物と接する機会はそうないだろう。そもそも「ぼくの知らないコロン」というが、学生時代に香水の香りを感じたことなどなかったぞ。
※その原因は筆者が学生時代、そういう女の子とあまりに接点がなかったことによる

君の髪にコロンの匂いを残した人物は、おそらく主人公たちよりもずっと年上の人間なのではないだろうか。


嘘をつくとき瞬きをする癖が
遠く離れてゆく 愛を教えてた


唸るしかない。
ここで、ストーリーにもうひと捻りが入ってくるのだ。

いや、これは物語の捉え方の問題だ。
素直に先のフレーズから繋げて読むと、その嘘は「君が他の人と愛し合っていたこと」と取れる。「遠く離れてゆく」とは、君の愛が僕に向いていないということを示している。

しかし、もし「遠く離れてゆく」が、バスに乗って離れていく君の姿そのものであったならば。

このフレーズによって「君が約束された未来は望んでいた未来なのか?」という疑問が生まれる。このフレーズに行き着くと、1番サビの「舗道」が、君が歩むために造られた道という印象に変わり、バスという乗り物が容赦なく君を連れ去る物体に見えるようにもなってくる。

つまり、主人公たちが「愛し合いながらも、離れ離れにならざるをえなかった2人」にも見えないだろうか。「知らないコロンはどうした」って? たぶん主人公のために新しいコロンつけて失敗して髪に掛かったんだよ。

おそらく、前者だな。
こういう解釈の間違いも含め、妄想を楽しむものなのだ。

では2番のサビに移ろう。


Stay with me
硝子の少年時代を
想い出たちだけ横切るよ
痛みがあるから輝く
蒼い日々がきらり
駆けぬける


少年ではなくなったとしても。青年は蒼さを抱き続ける。青と蒼、何が違うかご存じだろうか。無知な人は知らないだろう。僕はもちろん知らない。中二病が使う漢字だと思ってた。

「蒼」とは純粋な青(ブルー)とは少し色合いが異なる。

「草の青色、青黒い色」などのことを蒼と呼ぶらしい。グリーンよりの色はあまりイメージがない(そちらは「碧」というイメージ)が、蒼はたしかに藍色に近いイメージは浮かぶ。

少し黒みがかった青というイメージは、純粋な青に落とす影が生み出した蒼ともいえる。中二病感ヤバい。

硝子もそうであるが、ここで「蒼」という字が使われることで「輝きや独特な危うさ」をよりイメージさせる効果があるのだ。

繰り返し部分があって、最後のサビ。


Stay with me
硝子の少年時代の
破片が胸へと突き刺さる
何かが終わってはじまる
雲が切れて
ぼくを照らし出す
君だけを
愛してた


繰り返される部分についても、ちゃんと意味があって。
主人公にとって、その想い出は何回も繰り返し自分の中に甦る記憶の断片なのだ。

その回数だけ、硝子の欠片たちが、胸に突き刺さっていく。

もしかしたら、その痛みだけが君とぼくを繋ぐ、唯一のものなのかもしれない。

なぜなら。

心の硝子は透明だけれども、透明ではない。

ひび割れたビー玉は、割れて散った。

硝子はもう破片になってしまった。

もう君とぼくの間に隔てるものは、なにもない。

クリアで、透明で、純粋なる想い。

それが。

「君だけを愛してた」

というたった一つの、祈りにも似た想いなのだから。


【最後に】

この曲が好きな方は、是非ポルノグラフィティの”カメレオン・レンズ”という曲を、歌詞を読みながら聴いてみて欲しい。



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