9/9よりNetflixで配信となった「監視資本主義:デジタル社会がもたらす光と影」(原題:The Social Dilemma)を見た。
SNSの危険性についてのドキュメンタリーだが、比較的絶賛の声が高い割になんとも皮肉な内容だったので感想を残しておきたい。
元Googleの職員トリスタン・ハリスの言葉を中心に、様々なソーシャルメディアの元従業員たちがSNSの実態と警鐘を伝える内容。
・SNS中毒
・ビッグデータによる広告の最善化
・社会の分断
という項目が主だった内容で、ここで語られる話について考えたい。
見れる人は是非見てから読んで欲しい。ただ、見てなかったとしてもSNSについて考えるキッカケの一つになってもらえれば幸いだ。
※TOP画は公式ページより引用
SNS中毒
子どもから大人まで、自分が思っている以上の時間をSNSなどのネットに費やしている。それによって中毒症状が進んでしまっていると指摘する。
この意見自体は間違ってはいないだろう。
現代人にとってスマホを1日中見ないという日は、そうない。
だが、ここで触れられない点、ではもしスマホがなかったら人は何をするか。
ひと昔前。まだ携帯電話がないという時代に僕らはどう生きていただろう。
家族、友人、恋人、社会(会社)で関わる人々との関係は、今よりも密接だったかもしれない。
ではその交流がSNSに変わったとして、何が違うのだろうか。
僕は友人たちが今は結婚などで地元を離れている。オンライン飲み会などもやったりと、ネットがあったからこそ離れていてもやり取りができている。
SNSをやらないことで、時間を有意義に使えて人生が豊かになるというような言い方だけど、何が人生を豊かにするかこそ人それぞれではないか。
中盤くらいで「SNSの登場以降、10代の少女の自殺率が増加している」という話が出るが、この意見に対しても一言ある。
現実に「2010年代以降10代の少女の自殺率は増加している」というデータはある。それに対してSNSが原因になっているという”意見”もある。
けれど、SNSによって自殺率が増加したという因果関係を証明する根拠は、僕の調べた範囲では見つからなかった。
自殺の主な動機について引用しよう。
遺書などの自殺を裏付ける資料により明らかに推定できる原因・動機を自殺者1人につき3つまで計上した場合、19歳以下でもっとも多かったのは「学校問題」188人、ついで「健康問題」119人、「家庭問題」116人。男性の自殺者では、約4割が「学校問題」を理由としている。
10代の自殺死亡率増、動機は「学校問題」が最多
未成年の自殺の動機としては「学校」「健康」「家庭」が主なものだ。もちろん中にはSNSを使用したいじめなどもあるかもしれないが、自分ではどうにもならない健康を除けば、ほとんどは直接的に関わりのある人との関係が問題なのだ。
SNSが一因でもあるが、自殺の増加はそれだけではないということを念頭に置かなければならないのだ。
なぜなら時代ごとに社会情勢も経済も変化しているのだから。
あと忘れてならないのは、身近な人間たちのとの関係に絶望しながらも、SNSを通しての人との繋がりで救われたという人も同様にいるということだ。
番組全体を通して「SNSは危険である」と主張したいために、意図的にSNSを強調しているように感じた。
ちなみに、食事中にもスマホを見てしまうというほど影響しているという。では。
・なんとなく見てしまうもの
・ながら見をしてしまうもの
それってSNSだけじゃなくてテレビとかでも同じではないかと思ってしまう。
ビッグデータによる広告の最善化
SNSへの投稿、検索内容が企業のサーバーで蓄積され解析される。
その内容からユーザーが興味ありそうな内容の広告が表示されることになる。
この後の「分断」というテーマで言われる「自分に都合の良い情報だけ見てしまう」というテーマに通じるので、これは軽めに。
例えば僕が楽器について調べたとする。
しばらくして、ネットで表示される広告が「楽器のレクチャー」「音楽スタジオ」「楽器買取」などの関連したものへと変化する。
……それ問題か?
「あなたの情報はこんなに漏れて解析されている」ということを訴えたいようなのだが、それだったらスノーデンが告発した「iPhoneは電源を消していても話してる内容を収集している」というリークのがよっぽど怖い。怖いと言いながらも、ほとんどの人にとって、ネットで検索する内容など日常的なものなんてたかが知れる。それが解析されて、どこに問題が生じるのだろうか。
ビッグデータが解析され、ユーザーへ表示される。ただし、ユーザーも表示された広告について「この広告に興味ない」とフィードバックすることもできる(それも情報解析の一端だが、ソシャゲの広告に興味ないというフィードバックが何だというのだ)。
これ結局はマーケティング論で、今まではユーザーをカテゴリで区別していたけど、それが個単位で収集・解析できるようになったというだけなんだよね。
テレビのCMとか新聞の広告だって、結局は購読者の世代とかに合わせて選ばれて掲載されている。
中で「AIはあなたのことを知り尽くしてます、そんな相手に勝てると思いますか?」と語っているんだけど、「勝つ」って何に対してだろうか。広告はギターを出したけど俺はベースを選んでやったぜとか?
「相手は巨大です。だから危ないんです」というのは具体的なものはなく単に印象づけでしかない。正直これを聞いて「ああ。なんか危ないんだな」って思う人の方が僕は怖い。
社会の分断
「SNSによって思想が分断されてしまう」
「独裁者にとって思想が簡単にコントロールできるSNSは危険な道具だ」
「SNSは自分に都合がいい情報ばかり選んでしまう」
この辺りで頭が痛くなってきた。「SNSは自分に都合がいい情報ばかり選んでしまう」なんて意見を2020年に見ると思わなかった。来年辺り電車で助けた女の子に惚れた男がネットの掲示板で励まされて告白する作品が流行るかも知れない。
ただ、「独裁者にとって思想が簡単にコントロールできるSNSは危険な道具だ」という点は、ちょっと考えるところがある。
特にコロナウイルスに関してはSNSで情報が錯綜して、混乱したケースもある。ただし、それを煽ったのが既存メディアでもあるということは言うまでもないし、忘れてはいけない。マスクやらトイレットペーパーやらイソジンやら(イソジンはSNSじゃなかった)。意図的にヘイトを煽るような投稿が度々されることも確かだ。
さて、思想の分断というテーマなのだけど。これも中毒の話と同じでSNSだけが問題なのかということだ。
けど新聞だってどの新聞社を選ぶかで思想が変わるし、どの記事を拾って読むかは個人の判断だ。テレビだってチャンネルがいくつもあるなかから自分で選ぶ。それは自分が見たいものを選んでみるという行動原理以外のなにものでもない。
確かにSNSでは様々な意見や思想が流れている。ちょっと前に極右と極左の方々の意見を見比べたことがあったんだけど、同じニュースに対して全く受け取り方が違って(というかまさに対極)、驚かされたほどだ。
裏を返せばソースがなんであれ、自分の主張したい内容に捻じ曲げて受け取っているということだ。
「SNSはフェイクニュースの温床になっている」と何回も繰り返していたけど、既存メディアが報道倫理の「正確性」「公平性」を無視した報道内容が問題視されているのはどうなのだろうか。
少し前にモーリー・ロバートソンの意見表明が話題になった。
唐突ですが意見表明をします。今後のテレビ出演ではいじめ、決めつけ、ステレオタイプ、ジェンダー差別、ステマ、ファクトチェックされていない情報流布になるべく抵抗することにしました。生放送では勿論やりますが、収録ではカットされてもやります。以下、長く深くなりますが私の考えを解説します。— モーリー・ロバートソン (@gjmorley) September 1, 2020
これに対して現時点で8.1万RT、29.5万イイネがついている。
一応補足で書いておくけど、僕がメディアについて文句を色々と書くことが多いのは、上記の倫理もあるけど、言葉で飯を食っている人間が言葉に対して責任感を持ってなさすぎることへ憤っているところだ。
フェイクニュースや分断の象徴としてデモなどの映像が流れる。その中に香港のデモで逮捕される若者の映像があった。
少なくともあそこで香港のデモを出すのは、大きな誤解になりそうなものだが。それならむしろあの中に岡田晴恵の顔でも出しておいた方がよっぽど説得力がある。
ちなみに所々でテレビの映像が切り貼りされてるけど、OPで「中華料理でコロナに感染する?」なんてテレビのニュース映像が流れるのは、馬鹿にしているようにしか見えない。
確かにネットの情報は玉石混交であり、正誤が不確かなものが多い(この正誤というものもまた分断の一種ではあるが)。
ただし、それはどのメディアであっても同じなのだ。
ならば本当に必要なものは何か。
それが今の世の中では一人ひとりの情報リテラシーなのではないだろうか。
ビッグデータが解析した情報によって様々なことが判ってしまうというならば、僕らもまた多くの情報から自分で正しいと思う道を見つけていくしかないのだ。
ただ、逐一情報を精査していたら生きづらくて仕方なくなってしまう。
正直、自分のように意識も知能も低い人間が考えたところで、どうしようもない。
その息抜き、呼吸をするためにエンターテインメントがあるのだと思う。そういうものに頼ればいい。
では、最後に表題の皮肉について書いて終わろう。
監視資本主義の皮肉
軽いところだとエンドロールで「僕はアプリを全部消したよ。SNSも。今は僕に必要な情報だけが通知されるようになってる」という方。
「僕に必要な情報だけが通知されるようになってる」って、SNSの「自分に都合がいい情報ばかり選んでしまう」と何が違うんでしょうか。
トリスタン・ハリスが最初の方で「SNSは道具ではない。道具はただそこにあるものだ。例えば自転車によって便利になったとは聞くけど、自転車によって家族が分断したとは聞かないでしょ」と言う。
この時点で既に「道具(ツール)じゃないなら何なんだよ」と疑問なのだが、少し上に引用した言葉をもう一度掲載しよう。
「独裁者にとって思想が簡単にコントロールできるSNSは危険な道具だ」
お分かりいただけただろうか。
「独裁者にとって思想が簡単にコントロールできるSNSは危険な道具だ」
これだけではなくて。
最後の方で急にスティーブ・ジョブズのスピーチ映像が引用される。
コンピュータは心の自転車だ
僕は監督がわざと皮肉で選んだとしか思えない。
何より僕はこれを見て「SNSの危険性について考えさせられた」とツイートしてる人の姿が皮肉に見えて仕方ない。
色々と書いてきたが、このドキュメンタリーの内容が完全に間違っているとは言わないし思わない。
ただ、ここで描かれているのは一方的な側面の話に過ぎないということだ。
大切なのは、ただ受け入れることではなく、価値観を自分なりに見つめ直していくことだと思う。
SNS、ネットはツールの一つだ。自転車は便利で家族を分断するものではないけど、危険運転をすれば人を傷つけてしまう。
それが危険なものになるか、便利なものになるかは扱う人によっていくらでも変化する。
世界が分断によって混乱していっていることは確かだ。
SNSをやっていようがいまいが、考えようが考えまいが、自分と世界は繋がっている。
それは現実社会でもネット越しでも同じだ。ならば、情報を鵜呑みにしてしまうことも同じなのだ。
ツールはツールに過ぎない。
時時刻刻と変化している中で。想像よりも世界は危険な方向へ向かっている。
「○○は危険」と思ってしまうことは簡単だ。けれど、簡単に二極化できるほど物事は単純ではない。
この記事だって、矛盾する部分が混じっていることは自負している。
だからこそ、僕らは葛藤する。
それこそが本来の「The Social Dilemma(社会的ジレンマ)」というものではないだろうか。
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