2018年8月21日火曜日

【感想】星野源「アイデア」 つづく日々を奏でる全ての人へ








やられた。

初めて聴いた時、そうとしか言えなかった。

星野源の新曲"アイデア"である。

NHKの連続テレビ小説の主題歌として毎日のように耳にしていたナンバーである。

しかし、いよいよ満を持して配信された曲を聴いて、誰しもが耳を疑ったことだろう。

もちろん、僕もその1人である。

言われてみれば分かっていたことではないか。

「朝ドラで毎日掛かるんだから、フルでは意表を掻いてやろう」

「劇場版ドラえもん」の主題歌に"ドラえもん"なんてタイトルの曲を創ってしまう男だ。

そうだ、星野源とはそういう男だったではないか。






アイデア









ストリングスとマリンバの音で始まるイントロ、そこに河村”カースケ”智康の凄まじいドラムが畳み込まれる。

日本のドラマーでも随一とも云えるドラマーで、本当にこの人のドラムの音色は凄い。
特に今回はスネアの音がかなりおかしい。

ドスドスと鳴るそれは、ほぼバスドラのように響く。

「おはよう」から始まる歌詞。
その始まりは"Crazy Crazy"と同じであるが、全く違った「おはよう」である。

そこに入れられるドラムのおかず。
音なのに物理的な圧を感じるドラムだ。

それと対照的にいつもの軽快でペラペラなのに魅力的な長岡亮介のギター

毎回思うが普通のギタリストがやったらこのフレーズを魅力的に聴かせることができないのではないだろうか。
たとえばVampire Weekendのエズラもそうだが、こうしたギターを真に聴かせることができるというのは、並大抵のことでない。

「湯気には生活のメロディ」に思わずエピソードを感じて、あらためて胸が熱くなる。






朝ドラとは思えぬテンポとビートで駆け抜ける展開。
最初は違和感があるものの、今では全くそこに違和感がない。むしろ、そこに爽快さが生まれる。

朝ドラの主題歌というと比較的ミディアムテンポの曲が多いが、むしろこうしたテンポの方が向いているのではないか。


そんな気持ちで聴いていると、2番で世界が一変する。
これで驚かない人がいるだろうか。

それまで激しく急き立てていたドラムは消え、MPC(Media Player Classic)によるトラックへ一変する。1番が生楽器を使って前へ前へ行くアレンジだとしたら、2番はその真逆で引きのアレンジである。

1番で「おはよう 世の中」だったのが2番では「おはよう 真夜中」に。
朝ドラが流れない世界に、星野源は歌う。

生きてただ生きていて
踏まれ潰れた花のように
にこやかに 中指を


震えた。

これだけ星野源の言葉で打ちのめされたのはいつ以来だろう。

最近の歌詞も嫌いなわけではないが、やはり僕は星野源のそんな姿をあの日、2012年のテレ朝ドリームフェスティバルで見て好きになったのだ。

「今日は暗い曲をいっぱいやるよ」

と笑った、あの姿を。

「中指を」

朝ドラの主題歌にこの言葉を、このアレンジでぶち込む、この人は本当に畏れを知らない。

近年のパブリックイメージとなった姿ではない、あの時の星野源をこれだけモダンなアレンジの中に感じる。
なんという感覚なのだろう。何故これが成り立つのだろう。

丸っきりアレンジを変えるという手法はあってもおかしくない。しかし、それが奇を衒うだけのアレンジで終わらない。そこに意味を持たせることが出来る、それが今の星野源なのだ。

意味とはつまり、自分の両面を見せること。自分の全てをさらけ出すこと。

Cメロでいよいよそれは弾き語りにまで落とし込められる。
誤りであった"両面"ではない。「全方位」なのだ。

胸になった一つの歌。

鼓動は生きている証。
だからこそ鼓動を奏で続ける全ての人へ歌う。

日々はつづく。生活はつづく。

それこそが星野源が歌い続けてきた全てではないか。

過去も現在も未来も、生活はそこにある。


夜を越えて 朝が生まれる
暗い部屋にも 光る何か
僕はそこでずっと歌っているさ
でかい声を上げて
へたな声を上げて

〜"日常"


全てを越えて届け、と。










ミュージック・ビデオ




今回久しぶりにミュージック・ビデオがフルで配信されている。

いつもであれば2番は特典映像などの映像が流れ、フルでは見れない仕様であるからだ。
この「アイデア」自体昔から、本当に良いなと思っていてフルで聴かせたい特典映像を見たいと思わされる巧さがあまりに毎回見事だ。

しかし、今回の"アイデア"はそれすら必要ない。

耳で聴くだけでも相当にカロリーを消化するのに、視覚でその100倍のものを訴えかけてくる。

僕は音の"アイデア"は何度も繰り返し聴いてしまうが、MVは連続して見れない。
あまりの情報量に、脳が追いつかないのだ。

黒のスーツ。それはまるで喪服である。
それと対照的に"YELLOW DANCER"以降のアートワークのイメージカラーの前を通り過ぎていく。

背景が鮮やかだからこそ黒の衣装がとても映える。

それが2番でまさしく喪服となる。

2番で現れる紅白の幕。それは斜めになっている。
これが間奏に入ると照明が落とされ、紅白だった幕が鯨幕(くじらまく)となる。

曲としての星野源のキャリアを総括したように映像でも、それを弔って見送るように。
しかし、それは葬り去るということではない。

葬送とは「これからを生きる人々」によって行われる儀式だ。
過去を全て受け入れ、新たな道を進むこと。

そう、この黒の衣装には何もネガティブなものはない。

「過去を受け入れ未来へ向かう為の衣装」なのだ。







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