2018年11月6日火曜日

Rooftopsで僕は叫ぶ、獄中の元Lostprophets イアン・ワトキンスへ








以下の記事は音楽文に応募したものである。
規約に触れるか微妙だったので応募するだけして様子をみたが、やはり難しそうなので、こちらに転載する。

音楽文用に書いているので一部おかしな記載になってしまっているが、それも記録としてそのままにしていることを明記しておく。








音楽好きを続けていると、好きになったバンドの数だけ、バンドの終わりを見届けることも増えていく。

解散の理由は様々だ。音楽性の違い、メンバーの不仲、金銭の問題、メンバーの死去。そこにはバンドの数だけ理由がある。その中で、僕が最も傷つき、未だ癒えない傷痕を残して消えたバンドがいる。

それこそがLostprophets(ロストプロフェッツ)だ。

Lostprophetsは1997年に英国のウェールズで結成されたバンドである。2000年に「The Fake Sound of Progress」(ザ・フェイク・サウンド・ オブ・プログレス)でデビューした。リード曲は"Shinobi vs. Dragon Ninja"。タイトルからして、しょーもないという印象を受けるだろう。しかし、その攻撃的でキャッチーなサウンドはデビュー当初から健在で、この時点でLostprophetsというバンドはスタイルを確立していた。

曲のタイトルにこんな言葉を使うだけのことがあるのか、はさておきメンバーはとても親日家であり、日本のアニメが大好きであった。ラウドなサウンドでありながら、聴きやすいポップさも兼ね備えた楽曲で日本でも「ロスプロ」の愛称で人気を博した。特にヴォーカルのイワン・ワトキンスの歌声は、一度聴いたら忘れられないほど特徴的で、魅力的であった。

その人気を不動のものにしたのは2004年にリリースされた「Start Something」(スタート・サムシング)だろう。全英4位を記録した出世作である。後にライヴの定番ともなる"Last Train Home"や"Burn, Burn"、メロディアスな"Goodbye Tonight"など、彼らのメロディセンスが光る楽曲が収められている。彼らの中で最も人気のアルバム"であった”ことも頷ける。

僕が一番思い入れの深いアルバムは3rdアルバム「Liberation Transmission」(リベレイション・トランスミッション)である。このアルバムこそが僕がLostprophetsを知ったキッカケであり、自分にとって忘れがたいアルバムとなる。

ある日見ていた音楽チャンネルで、それは流れた。アルバムに収録されている“Rooftops (A Liberation Broadcast)”のMVである。

Gのオクターブ奏法のギターから始まるイントロ、イアンの落ち着いた声の唄い出し。

《When our time is up
俺たちの時が終わるとき

When our lives are done
俺たちの人生が終わったとき》

そこで歌われるのは、喪失である。確かに終わったという現実を分かっていながらも、それでも問わずにいられない弱さが垣間見える。それから《俺たちは何か証を残せたかな?/挑戦をしてきたと言えるかな?》という悔いが歌われ、そこからサビに入ると、一気に曲は激しくなり、歌は激情を伴って叫びとなる。


《Standing on the rooftops
屋上に立って

Everybody scream your heart out.
皆、思いきり叫ぶんだ》


そう繰り返されたあと、《今はそれしかできないんだ》という無力の言葉に着地する。曲の終盤ではコーラスとの掛け合いも入り、さらなる盛り上がりを見せる。そういったドラマティックな曲の展開とメロディの良さに、僕の心は一気に掴まれた。一目散にCDショップに向かい、アルバムを購入して幾度となく聴き込んだ。とりわけ"Rooftops (A Liberation Broadcast)”は際限なく聴いていた。

そして2008年のSUMMER SONICで初めてLostprophetsを生で見ることになる。元々はその裏であるthe verveの再結成後初となる来日ライヴを見届けるはずだった。UKロック好きにとって、このタイムテーブルの被りは辛く非情な並びであった。

前後の兼ね合いもあって、当初選んだのはthe verveであった。マリンステージでPanic! at the Discoを見たあと移動したのではLostprophetsには間に合わないかもしれなかったのだ。

それでもマリンステージでthe verveを待つ間、迷いはいつまでも消えなかった。心の中で"Bittersweet Symphony"と"Rooftops (A Liberation Broadcast)”がせめぎ合っていた。

真裏のマウンテンステージではもう間もなくLostprophetsのライヴが始まる。しかし、ここで移動してもスタートには到底間に合わない。けれどLostprophetsも見たい。その迷いは一緒にいた友人も同じであった。

幾度とない葛藤の末、僕らは決断して歩き出した。マリンステージを飛び出し、幕張メッセのマウンテンステージに向けて。the verveを、"Bittersweet Symphony"を諦めてでも、僕らは"Rooftops (A Liberation Broadcast)"を選んだ。

もしかしたら到着する前にやってしまうかもしれない、もしくはそもそもセットリストに入ってないかもしれない。それでも僕らは諦めずマウンテンステージへ向けて足を止めなかった。

辿り着いたマウンテンステージでは、ライヴはもう凄まじい盛り上がりを見せていて「Liberation Transmission」に収録されている"A Town Called Hypocrisy"の終盤であった。あとから知ることになるが、この時点で3曲目であった。そうとは思えないほど、場内は終盤のように熱が高まっていた。そして曲が終わり、拍手と歓声が鳴り止まぬ中、何度もCDで聴いた、あのギターが鳴り響いた。

マウンテンステージに辿り着いてから、まだ2分と経っていなかった。もう少し悩んでいたら、もう少しゆっくり歩いていたら、このイントロは聴けなかっただろう。生で聴くそれは、あまりに圧倒的なサウンドで、友人と半分泣きながら、サビのフレーズを大声で叫んだ。まさに歌詞にあるように思いきり、全身全霊で。

それは、忘れられない夏の記憶。


それからはPUNKSPRINGなどのフェスでLostprophetsを、今度はちゃんとフルで見たり、下手なギターで"Rooftops (A Liberation Broadcast)”を練習したりしていた。

そうして時は過ぎ2012年となる。Lostprophetsはその年もSUMMER SONICで来日。その年の11月には来日ツアーも決まっていたが、メンバーの家族の病気によってツアーは中止になった。そんな年の瀬、そのニュースは舞い込んだ。


「ロストプロフェッツのイアン・ワトキンス、児童への性虐待容疑で裁判へ」


というニュースであった。ヴォーカルのイアン・ワトキンスが女児への性的暴行の容疑で逮捕された。そのニュースをネットで見て、あまりに突然の報せに脳はフリーズしてしまい、乗り換えるべき駅を乗り過ごした。

閑散とした深夜の西立川駅のホームで、電車を待ちながらあらためて記事を読む。そこで見たものは、あまりに信じがたい現実であった。被害にあった女児は、なんと1歳であった。その行為は残虐非道であまりにも惨いため、これ以上はここに記載はできない。

今これを書いている僕には1歳を過ぎた姪っ子がいて、そんな自分にとって、それはなおさら信じがたい行為であると同時に許しがたい行為であるという想いが当時以上に強まっている。

容疑を認めた際にバンドから出された声明には、イアンの薬物問題、自己中心的な行動、それによってメンバー間に亀裂が生じていたことが書かれていた。それでもバンドが活動を続けてきたのは、ファンのためであったことも。

だからこそイアンの行為は、その全てを破壊する裏切りであったという怒りと嘆きが込められていた。Lostprophetsは活動休止後、2013年10月1日に解散を発表した。


逮捕から約一年後の2013年12月18日、裁判によってイアン・ワトキンスには懲役35年の実刑判決が言い渡された。

その間もそれからも、僕と友人はLostprophetsの音楽を聴くことができなくなっていた。それは他の多くのファンたちもそうかもしれない。聴くことは辛く悲しい現実と向き合うことで、聴けば全てを思い出してしまう。だからこれだけの時が経っても、聴くことができなかったのだ。


そんな事件について懊悩煩悶(おうのうはんもん)の末に、何故書こうとしたのかを記しておきたい。それは、ある言葉がきっかけだった。

「しかしながら、生まれた音楽に罪はない」

趣味のブログで、あるアーティストが起こした問題について書いている時に書いた言葉である。そこで、はたと気づいた。本心として書いたこの言葉は、本当に自分の本意なのだろうか。

そうであるならば何故僕は、Lostprophetsの音楽を聴かないのだろうか。それができないならば、この言葉は嘘ではないか。自分の言葉がナイフのように心に突きつけられた気がした。僕は、逃げていただけなのだろうか。

その言葉を書くからには、自分も過去と向き合わねばならない。だからこそ、もう一度Lostprophetsと向き合うことを決めたのだった。

再生ボタンを押し、あのイントロが流れ、4分11秒後の世界に感じたこと。それは、何も変わっていないということだった。

"Rooftops (A Liberation Broadcast)”は、何年経とうと初めて聴いた日と変わらないままの名曲だった。

この曲に感動してもいいのだろうか、そんな迷いが胸を過っても、どうしても否定できない想いがそこにあり、感動は揺るがないものであった。

「生まれた音楽に罪はない」

その言葉を信じたかっただけかもしれない。けれど、信じた自分の想いもまた、決して間違ってはいなかった。感動したあの夏は、確かにそこにあったのだから。

アーティストが死んでも作品は永遠に残ると云われる。それは本来はポジティブな言葉として使われるが、こうした事件であってもその意味は変わらない。

タトゥーのように永遠に残り続ける。それは聴く人間にとっても同じなのである。いつ聴いても変わらない衝動のまま生き続ける。


《When our time is up
俺たちの俺たちの時が終わるとき

When our lives are done
俺たちの命が終わったとき

Will we say we've had our fun?
俺たちは楽しんだって言えるかな?》


獄中のイアン・ワトキンスへ

お前は、なぜあんなことをしたのか。キャリアは順風満帆で、申し分のない成功をおさめたバンドのフロントマンになれたはずじゃないか。

どんな理由があろうと、その罪は許されるものではない。それでも、その声に何度も助けられ、勇気づけられた人たちがいて。それは紛れもない事実だ。

憎む気持ちも蔑む気持ちもこんなにあるのに、それでも聴いたお前の歌声はやっぱり最高で。それがどれほど悔しくても、怒っても僕にはどうしようもない現実だった。

被害者のためにも、メンバーのためにも、そしてファンのためにも犯した罪を償ってほしい。たとえそれが洗い流せない罪であっても。それを願う。

僕は《今はそれしかできないんだ》と唄う歌詞のように、ただの無力な男で。

それでも僕は、想いを叫ぶから。



以上



僕らが迎えた”THE DAY”の話
ポルノグラフィティ15thライヴサーキット“BUTTERFLY EFFECT"八王子公演






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