2018年12月11日火曜日

石持浅海『二千回の殺人』(旧題『凪の司祭』) ネタバレ感想






文庫で石持浅海『二千回の殺人』を読了した。

本はそれなりに読んでいるものの、感想を書くことはあまりなかった。

これも内容が内容なので、実はそこまでどうしても人に薦めたいというわけではないのだが、あまりに評価が芳しくようだ。
内容に対して言いたいことは分かる。しかし、それでも僕は考えてしまう部分があり、今回筆を取る事にした。

あらすじ後、読んでない方向けにネタバレなしの感想を書き、その後読んだ方向けにネタバレありの感想を書きたい。

石持浅海『二千回の殺人』
(旧題『凪の司祭』) 感想












あらすじ



不可抗力の事故で最愛の恋人を失った篠崎百代。彼女は復讐の為に、汐留のショッピングモールで無差別殺人を決意する。触れただけで死に至る最悪の生物兵器《カビ毒》を使い、殺りくをくりかえす百代。苦しみながら斃れていく者、逃げ惑う者、パニックがパニックを呼び、現場は地獄絵図と化す――。過去最大の密室で起こった、史上最強の殺人劇。




ネタバレなし感想




文庫で650頁を超えるボリューム(所謂レンガ本クラス)で、登場人物も多いが整理されたストーリー展開に、余計な混乱をすることなく、結末まで一気に読める。

女の子が一人で二千人もの人々を殺すという荒唐無稽なストーリーである。
入念に行われたであろうシミュレーションや触れただけで死に至るカビ毒トリコテセン-マイコトキシンの威力など、物語に説得力を与えようとするが、それでも多くの人はその動機や実行に対する現実性に疑問符が浮かぶだろう。

この物語の登場人物たちに大いなる目的などない。ほとんどが個人的な理由だけで、これだけの殺人劇を繰り広げてしまうのだ。
そのような動機が納得いかないというならば、この作品はオススメしない。というか石持作品全般がオススメできない。

汐留にあるショッピングモールを舞台に巻き起こる未曾有の殺人劇。なぜ少女は復讐に駆り立てられたのか、どのようにしてこのような殺戮を遂行していったのか、それが焦点となり、興味の持続となる。

練りあげられた計画は完成するのか、突如襲い掛かる理不尽にショッピングモールの客たちの運命は、リアルタイムで進行するテロリスト相手に奔走する警備、警察、軍隊の人々は惨劇を食い止めることができるのか。そのような幾重ものフックによって、飽きることなく読める。

合間に挟まる間章で百代に"知恵"を貸す五人会と呼ばれるメンバーの内面や計画の目的、方法が明らかになってゆく。

とは書いたものの、どちらかといえばパニック小説と云えるだろう。
たとえばゾンビでショッピングモールがパニックになって、どうやって生き延びるか模索するストーリーのように。

事態が起こっても重大に受け取らず、客たちが煙にカメラを向けたり、隣で普通に食事を続けたり、徐々にパニックが広がって収拾がつかなくなる描写などは、日本人ならではの性格が存分に反映されている。

もしも、現実世界でこのような事態が起きても、すぐ逃げずカメラを向けてしまうのは、想像に難くないだろう。










ネタバレ感想




以下は内容について触れながら進めるのでご注意願いたい。


上にも書いたが、作品について書かれたレビュー等はどちらかというと否定的な意見が多い。

その多くがこれほどの動機のおかしさ、その実行した殺人劇の現実性のなさを指摘しているように思う。確かにミステリとして見れば、作品内でロジックが語られるほど疑問が浮かぶかもしれない。

それでも、僕はこの作品が愛しく思えてしまった。

ゲリラ豪雨による事故で恋人を奪われた百代。ゲリラ豪雨が海岸線に建てられた建造物が海風を塞き止めてしまうことが原因であるという人災ではないかという"説"を正面から受け取り、海辺に建つショッピングモールを舞台に建造物への復讐という不可思議な動機に繋げる。

そんな建造物を破壊させるために、その土地が再利用されないほどの悲劇を起こすため、より多くの人間たちを殺そうとする。


やはり荒唐無稽である。しかし、人が人を殺めるということに対して、「誰でも良かった」等あまりに理不尽で身勝手な理由がまかり通っているのが現実世界のリアルでもある。

そう見たときに、本当に百代の凶行は不可思議な動機と言い切ってしまえるのだろうか。

本作で起こるのはテロでありながも、殺人事件なのだ。一人を殺害することを二千回繰り返した女の子の物語だ。

これが「テロではない」というのは、犯行に対しての意思表示が明確にならない点にある。テロとはなにかを訴えかける手段だからだ。
百代も目的ははっきりしているが、それを声高らかに主張することはしない。あくまでも、そこが野原になったという事実だけが横たわる。

たとえ舞台となるアルバ汐留の跡地が野原になっても、海岸線にビルは建ち続けることだろう。それが悲劇は悲劇で洗い流せない、そして過ちは繰り返されるという皮肉的なメッセージにも映る。

皮肉といえば、日本の警察や軍隊が犠牲者を盾に使う百代を止められないという描写がある。発泡許可はおりても、流れ弾や、貫通した弾が後ろの被害者たちに当たりかねないからだ。

目の前で犠牲者が増え続けていながらも、手を出すことができないという状況になれば、警察や軍隊は同じことになるのだろうか。そんなことを考えてしまう。客たちの行動といい、日本だからこそ非常時のことを考えてなくてはならない。

そして日本だからこそ、という最大のポイントが作中でも名前が挙がる「地下鉄サリン事件」だろう。未曾有のバイオテロを経験している国だからこそ、生物兵器に敏感になってしまう。

そして、それに拍車を掛けるのが原発の問題である。人による災害、そして避難と混乱。それはまさに2011年の日本が陥った事態ではないか。

『二千回の殺人』は確かに荒唐無稽なストーリーである。

しかし、現実世界にはそんな荒唐無稽な話よりも、更にあり得ないような事態が起こりうる。その時に、自分がどう受け止めるか、この作品を読んで思わず考えさせられてしまった。


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