2019年1月21日月曜日

路上ライブをしてる人のCDを踏みつけるという行為を許せるかどうか







めざましテレビで「路上ライヴをしていた女性シンガーの方のCDを買って、目の前でCDを踏みつける行為」が話題に上がった。

見てない人も多いと思うので、簡単に概要を説明しよう。

シンガーソングライターの小出美里さんが、秋葉原の路上で演奏していたところ、CDを男が購入。その男は小出さんの前でCDを地面に落とし、踏みつけた。そしてその動画をネットにアップしたという出来事である。


音楽を愛する者として、その行為について、あらためて書いておきたい。






CDの踏みつけるという行為




この行為が話題になっていたようだが、僕はめざましテレビで見るまで知らなかった。本当に一歩隣は違う世界だ。







まず、この行為について、やった本人の意図として「無許可の路上ライヴは禁止されているので、それを知らしめるためにやった行為」だと説明している。

行動でそのような行為をすることは、道路交通法第77条で禁止され処罰の対象となるものである。

つまり、まずは「無許可」で路上で演奏されることは、原則禁止されているということを念頭に入れなければならない。

その上で「CDを踏みつける」という行為について見よう。

行動として、違法ではない。自分で購入したCDを踏んでいるからだ。これが売っているCDを取り上げて踏んだとしたら損壊にあたるだろうが、自分の所有物なので問題はない。

が、音楽を愛する者として、このやり方が果たして「正しい」といえるのだろうか。


僕としてはやはり「違法ではないが、正しくない行為」であると受け取るざるを得ない。


確かに、無許可で演奏をしたらなら、演奏者側にも問題はあるといえるだろう。しかし、そうであるならば、その"罪"を罰すこともまた、誤りなのだ。

どんなことであろうと、僕らは罪を罰することはできない。それをできるのは、警察なり司法機関の役目だ。個人的にそれを晴らすということは、どんな理由があれど「私刑」の域を出ないのではないか。

本当かどうかは定かでないが行為を行った男性は「行き過ぎた行為」であることを認め、今後は「許可を取ってるか確認して、取っていなければ警察に連絡をする」とコメントした。

この問題については、それで終わりであるのだが、その先を色々と考えてしまう。









路上パフォーマンス




理由はあれど、やはり「CDを踏みつける」という行為は納得できるものではない。それは音楽を愛する者としての感情論である。


路上ライブが間違った行為であったとしても、CDには何の罪もないからだ。


踏みつけた本人も路上パフォーマンスを「する側」であるという。自身がきちんと許可を得て行っている行為を、無許可に行ってる人間が許せなかったというのだ。

それならば、尚更理解できるはずではないか。
僕はその男性がどんなパフォーマンスをするのか知らないが、少なくとも音楽を好きな人だと認めたくはない。


しかしながら、それにしても感情的に語ってしまっている人が明らかに多すぎるように思う。

たとえば、僕は音楽好きだから路上ライブをやっていても、別に構わないと考える。しかし、音楽に興味がない人からすれば、それはノイズであり、ただの騒音に過ぎない。


街を歩いていて、広告とか、宣伝の車とかそういうのが街に響き渡っていると、うるさく思えてしまう。選挙カーを想像すればわかるだろう。音楽好きでない人からすると、路上ライブはそれと変わらないのではないか。

だからこそ許可は必要であると考えてしまう。
あるからこそ、そこに「責任」が生まれるわけで。

演奏者、パフォーマーは許可を得ることで、責任を持ってパフォーマンスをするのだ。たとえそれが騒音に感じる人がいたとしても、許可があるからこそ、大手を振って演奏なり、パフォーマンスをすればいいのではないだろうか。

路上でやる、というだけで相当の覚悟がないとできない行為なんだから、胸を張れるようにすれば、より堂々と演奏できるのではないか。

と、思っていながらも、そうまでしなければいけない世の中がなんとも世知辛く、息苦しいものになるなぁとも思える。


同じくらいのタイミングでバンクシー(かもしれない)絵を小池百合子がTwitterにあげて炎上していたが、バンクシーの絵はアートか、そうでないかとか。


感情としては、CDを踏みつけるという行為を僕は絶対に許せない。
音楽にぶつける行為ではなく、演奏者に向けられなければならないものだからだ。

これはもはやどちらが正しいかどうかって話じゃないと思う。
モラルの問題だ。

だからこそ、どちらの立場もルールとモラルをもう一度見つめ直してみてはいかがだろうか。

そうでなければ、そんなことで踏みつけた音楽が、あまりにも可哀想だ。


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