2019年1月23日水曜日

スピッツ 草野マサムネの歌詞はなぜ意味不明なのに惹きつけられてしまうのか







スピッツ、もとい草野マサムネの書く歌詞はヤバい。

とにかくヤバい。

そんな話。


スピッツ 草野マサムネの歌詞はなぜ意味不明なのに惹きつけられてしまうのか







ワンダー




草野マサムネという男の頭から生まれる歌詞は、まるで物理の授業を聴いているような気持ちになる。日本語なのに、全く理解ができない。けれど、なんとなくわかる気がする。

歌詞について取り上げるブログとして、本来臨むべきテーマのひとつでいるのものの、スピッツの歌詞は深読みとかそういうことをすることすら「野暮」なのだ。

それほど独特すぎる言語感覚とセンスが草野マサムネの歌詞にはある。それに比べると新藤晴一の歌詞などは、一見わからなくても、そこにある程度のロジック(理)があるので解釈の余地がある。

その点で草野マサムネの歌詞はもう計算なのか、天然なのかわからないほどだ。

たとえば"青い車"がどうこうという所謂「実は怖い」系のは、もう語られ尽くされてると思うので、少し違う側面で語りたい。


例を出せば。


ウサギのバイクで逃げ出そう
~"ウサギのバイク"


出だし一発にしてこれである。いくらウサギ好きの僕といえども、ウサギのバイクとは何ぞや、わからないにもほどがある。

ウサギもバイクも知っている言葉なのに、「ウサギのバイク」となると全くわからなくなる。けれど、説明はできないのに、なんとなく頭に浮かぶ。

こういう感覚こそ、まさに「ワンダー」な言葉体験だ。


君のベロの上に寝そべって
世界で最後のテレビを見ていた
いつもの調子だ わかってるよ
パンは嫌いだった
~"テレビ"


出だしから「頭おかしいんじゃないか」と言いそうになる。
いや、言ってしまった。何がおかしいかって、これが1stアルバムの真ん中に来るのだ。恐ろしい。

いきなり星野源の話になって凝縮だが、星野源の1stアルバムを製作していた際に、こんなエピソードがある。YouTubeにオフィシャルに上がっているので、是非見て欲しい。






鍵盤の野村卓史が収録曲"ばらばら"の譜面を見ていた時にこんなことを言う「1つひとつのコードは知ってるのに、こんな並びは見たことない」と苦笑する。それほど難解なコード進行の歌詞なのだ。

僕はそもそもコード見ただけで「全く意味わからない♥️」となる。

それと同じ感覚だ。「1つひとつの言葉は知っているのに、この並びで見たとこはない」


メジャーどころを例に出すと。


生まれたての太陽と 夢を渡る黄色い砂
~"チェリー"


紹介するまでもない、ド・メジャー曲の"チェリー"にさえ、こんなフレーズがある。なんとなく説明できそうで、言葉にできない感覚になる。

自分なりの解釈もあるものの、このフレーズだけで様々なシーンが聴いた者の頭に浮かぶのではないかと思う。










セックスと死








もう少し例を出そう。


明日になれば僕らもこの世界も
消え失せているのかもしれないしね
~"海ねこ"


バナナ浮かぶ夜は 涙こらえて
下手なピンボールだって 味方につけた
削られるたびに 憧れたピストルが
ハデに鳴り響く
~"たまご"


かつて草野マサムネはロキノン誌で「俺が歌を作るときのテーマはセックスと死だけなんです」 と発言している。

それはわりと有名な話なので度々見掛けることがあったが、それを踏まえてみると面白い。

セックスと死、それは相反する、正反対ともいえる。しかし、考えてみれば、それは表裏一体のものではないか。

生があるからこそ、死が生まれる。
つまりセックスとは生を産み出すと同時に、死をも産み出しているといえないだろうか。


感覚的な話になるが、草野マサムネの言葉はどこか宮沢賢治を思わせる。

調べてみると、デビュー当初のインタビュー「そうですね。宮沢賢治とか最近まで読んだことなかったんだけどすごく感覚が合うんですよ。僕の場合何故か東北人が多いんですよね」という旨の発言をしている。ほかにも山之口獏や草野心平の名が挙がっている。
※草野マサムネは福岡出身


独りを忘れた世界に 白い花 降りやまず
でこぼこ野原を 静かに日は照らす
~"プール"


なめらかに澄んだ沢の水を ためらうこともなく流し込み
懐かしく香る午後の風を ぬれた首すじに受けて笑う
野うさぎの走り抜ける様も 笹百合光る花の姿も
夜空にまたたく星の群れも あたり前に僕の目の中に
必ず届くと信じていた幻

言葉にまみれたネガの街は続く
さよなら さよなら 窓の外の君に さよなら言わなきゃ
~"田舎の生活"


そうした死生感から、スピッツの歌詞にはよく死が込められているという解釈を持たれる。
たとえば"水色の街"は本当は自殺した男が、川を渡り君に会いに行くという解釈が定番になっているように。

境界としての川、それが何を示しているかという解釈、これは比較的分かりやすいモチーフではないだろうか。ただし、僕はその解釈だけだと、少し違うかなという印象を持っているが。




共感



スピッツ、草野マサムネの歌詞の何が凄いのか、それは「共感」をあまり伴わないところにある。

スピッツを好きという人は多い。それこそ老若男女問わずというほどに。しかし「歌詞に共感」するという言葉をあまり聞かないではないだろうか。

もちろんメジャーどころの有名曲の歌詞は比較的分かりやすく共感しやすい部分もあるけれど、それはメロディと歌の力もあり、純粋に共感をして聴くという感覚の人は少ないはずだ。

多かれ少なかれ、歌詞を好きになるという時に「共感」は重要な要素であるはずが、スピッツの歌詞はそう思わせない。それなのに、共感ではなく言葉そのものに惹かれてしまう。

その理由は、その言葉があまりにメロディにハマっているからだ。まさに言葉のリズム、響きを楽しむ感覚になれるのだ。

これは、ロジックで出来ることではなくて天性、感性に委ねられる。なので、スピッツの歌詞はすべて曲先だという。というよりも詞先でこんな歌詞出てたら、いよいよヤバすぎる。

そして、直接的な描写をほとんどしないため、不思議な言葉の組み合わせや響きが生まれるのだろう。

たとえばめちゃくちゃな散文詩のような歌詞なら、こういってはなんだが誰でも書ける。

しかしそれを、これほど上手くメロディに乗せて、なんとなくわかった気にさせてしまうくらいのバランス感覚にして中性的な声で歌う、誰にでもできることではない。

スピッツが他の追随を許さない存在となったのは、これをやってのけることに他ならない。その上にメンバーのとんでもないクオリティの演奏スキルでやってるのだから、もう付け入る余地がない。


最後に、古めの曲を取り上げてきたので、新しい曲も例に出そう。






君になりたい 赤い服 袖ひらめいて
確かな未来 いらないって言える幸せ
~"ヘビーメロウ"


前にもどこかで書いたが、めざましテレビで流れて初めて聴いたときにふんわり「君に会いたい」と聞こえた。スピッツもこんなストレートな表現使うのだなと思っていたが、よくよくちゃんと聞いたら「君になりたい」だった。

もう、いつもの草野マサムネで安心した。

というよりも朝の情報番組のテーマソングのサビのフレーズが「君になりたい」なんて歌えるのスピッツくらいではないだろうか。


ということで、スピッツの歌詞について見てきた。

普遍的なポップスとして認識してる人が多いと思うが、また違って見えないだろうか。



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