ポルノグラフィティの20周年のスペシャルライヴ「NIPPON ロマンスポルノ'19〜神vs神〜」。
ライヴ当日の感動たちは云わずもがな、WOWOWによる放送、ディレイ・ビューイングの開催などで、幾度となく目にする機会があった。
そのライヴ音源が配信された。
そもそも生で見ているライヴであり、WOWOWの再生ボタンを押せば見られるライヴであり、映画館の音響で見たライヴであり、だから正直楽しみではあったけど、そこまで大きく期待値を上げるほどではなかった。
けれど、そのライヴ音源がとてつもなくて、サブスクでも聴けるので全人類聴けばいいと思う。そして全人類、僕の音楽文を読んで欲しい。
— 音楽文 (@ongakubun_com) December 16, 2019
何度となく味わったはずのライヴ、その興奮。
その理由。
視覚と聴覚
人は視覚の生き物だという。
視覚に関連する大脳皮質の領域の総面積は、大脳新皮質全体の約55%にもなるとされ、この面積に対して聴覚関連の領域の総面積は約3.4%と云われる。
なぜなら、単純に聴覚よりも視覚の方が情報量が多いからである。
人が得る情報量を五感別の割合は、一般的に視覚87%、聴覚は7%、触覚は3%、嗅覚は2%、味覚は1%と云われている。「至高の料理」など所詮は1%に過ぎないのだ雄山。
もちろん状況により割合は変動する。
たとえばライヴという場所に行けば、聴覚の割合は多少増えるだろう。
以上、大学生の論文なみにネットからテキトーにコピペしてきた情報からも、視覚がいかに大きな影響を与えるかわかるだろう。
そうした時に、聴覚を最も必要とするはずの音楽に、MVが制作される理由もわかるのではないだろうか。たとえばマイケル・ジャクソンの楽曲は音源だけでも素晴らしいのに、あのパフォーマンスが視覚に加わることで、より絶大な効果となる。
ポルノグラフィティも、そのライヴパフォーマンスの強さは映像的、視覚的に最高だからこそともいえる。岡野昭仁と新藤晴一はやはり男目に見ても格好いいし、その表情と動きでライヴがより熱いものとなる。
そう、これまで体感してきた「神vs神」の感動は、そんな視覚情報込みのものだったのだ。
たとえば初日の"Mugen"ひとつとっても、FIRE HONESを引き連れて歩くポルノグラフィティとか、ギターソロのあと右腕を掲げるギタリストとか見ちゃったら、もう頭真っ白じゃないですか。
視覚だけでも全カット走馬灯だし、余韻どころかまだ心は東京ドームにある気がするほどだ。
それが聴覚にのみに集約された時。
音
全サウンドが死ぬ間際に流れていて欲しい。
きっと小鳥の囀ずる天国へ行ける。
先行配信された曲たちを聴いて、何度も体感してきたライヴの音が、まるで初めて聴いたかのような感動となった。
特に2回目に配信された"ラック"と"Zombies are standing out"は、あまりの衝撃に会社を休みそうになった。
もはや一音一音に殺意すら感じる。
人はあまりに格好いいものに触れた時にも泣けてしまうのだと知った。
ライヴとは、総合芸術だ。
ステージセットのデザイン、照明、演出、映像、そして音楽、全てが一体となり、僕らを日常から非日常へと連れていってくれる。
特にポルノチームは超一流の匠たちによって組み上げられる。
ポルノグラフィティのライヴを見る度、自分の中にある中ジョッキ程度のキャパに、東京ドーム一杯分の感動が注がれる。
もちろん1%でも多く受け取って帰るつもりでいるが、ライヴで最も大切なのは、その場で溢れ出る感動を注がれたという体験そのものなのだ。
流されるようにその感動の渦に呑み込まれる。
それでもライヴとは、最後には音楽を届けるためのものなのだ。
その感動の全てが、音だけに集約されたとしたら。
100%聴覚にふられた幸せは、大脳新皮質全開の先で、エクスタシーをもたらす。沢尻エリカの合成麻薬より、ネウロの電子ドラッグよりも危険な中毒を、合法で味わえる(ドラッグ、ダメ。ゼッタイ)。
ライヴ音源が素晴らしいのは、目を閉じるとまるでその場所にいるかのように体感できることだ。
あ、俺そこにいる。
と、視覚がないからこそ、自由に景色を描くことができる。
どこにいても、あの日に戻れる。
音が素晴らしいとは何より、ポルノグラフィティとサポートメンバーの演奏が素晴らしいからに他ならない。
自分は今まで何を聴いていたのだろうというほど、気づかなかったことが多くあった。特にtasukuのギターが改めて本当に素晴らしいと気づかされる。
どうしてもギターは新藤晴一に注目しがちになってしまうから、tasukuがギターでバンドに与える厚みをより強く感じることができるのだ。
正直"ラック"や"キング&クイーン"のサビで弾いているフレーズの素晴らしさに今さら気づいた。
それは何より、今回のライヴ音源のミックスが素晴らしいからに他ならない。ひとつひとつの楽器の音がしっかりわかる。所謂「音の分離がいい」というやつだ。かといって各々の楽器が調和していないというわけではない。
ひとつのバンドとしてのまとまりも強く感じることができるという絶妙なバランスに配されている。
眼福とはよくいうが、まさに耳福というやつだ。
なんとなく賑やかな この街だけど
僕には関係ない音だらけだよ
店頭のエンドレステープ クラクション
春の気配 ローティーン 君だけが無口
~"元素L"
ではないが、只でさえ割合の少ない聴覚でも、街にはノイズばかりが溢れている。
僕が音楽を好きなのは、それを遮ってただ自分だけの世界へ連れていってくれるからだろう。だからiPodやイヤホンを忘れると絶望する。
そして音源だからこそ味わえるもうひとつの感動。
それは本編最後の"VS"が「あのロッカーまだ闘ってっかな?」で終わり、リピートされ"プッシュプレイ"が歌われる。
その瞬間、映像では味わえないライヴ音源ならではの至福で、極上のRepeat after meのメビウスの輪が完成する。
かのように、ライヴで体感できる感動のバロメーターを音楽に一点集中させ、それを最高の録音とミックスされたものを聴くことができる。
映像作品もリリースされるが、ライヴ音源でしか感じることのできない感動がある(映像をヘッドフォンで聴けば同じではあるのだけど)。
これだけ様々な角度から何度も感動を体験することができる。
これぞまさに「PANORAMA PORNO」。
それだけ思うのは、ライヴを見たからだろうと思うかもしれない。
しかし、このライヴ音源の素晴らしさは、リアルで見ているかそうでないか等関係ない。
ここに詰められた音こそ、リアルなのだ。
ライヴ見てないから、なんてと思わないで欲しい。
それだけの感動が、ここにはある。
そして共に改めて祝おう。
ポルノグラフィティの20周年を。
【ライヴレポ】ポルノグラフィティ “NIPPONロマンス ポルノ'19~神vs神~” Day.1
【ライヴレポ】ポルノグラフィティ “NIPPONロマンス ポルノ'19~神vs神~” Day.2
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