2020年4月14日火曜日

岡野昭仁「DISPATCHERS」特番感想








岡野昭仁がスペースシャワーTVと連動した配信番組をYouTubeでスタートした。

それに伴い、スペースシャワーTVでYouTubeの映像に未公開シーンをプラスした1時間の特番が放送された。

その感想を書きたい。


※TOP画はPR TIMESより引用






DISPATCHERS








冠番組がスタートするとは思えないほど、緩やかなトークで番組は始まった。

内容さえも手探りだが、一つ背骨として「歌」に焦点が当てられる。

そのひとつが弾き語りである。

久保田利伸の"Indigo Waltz"が歌われる。

YouTubeでも見たけど、やはりハイビジョンで大きな画面で見るのは良い。

弾き語りの魅力、それは人が剥き出しになることだろう。

"発信していく"という意味の「DISPATCHERS」

「発信者」から伝えられるものを受け取る僕らは、まさに「受信者(∠RECEIVER)」なのである。

こんな状況だからこそ、できる範囲で何かを発信したいという願いと、こんな時だからこそ、その言葉と声に支えてもらいたい、そう願う気持ちの呼応なのである。

もちろん音楽というコンテンツは、聴きたい時に聴きたいものを聴けることが利点だ。

しかし、それでも僕らがライヴに行くのは、ミュージシャンと同じ時代を生きているなかでリアルタイムで歌われるそれを聴きたいがためだ。

たとえば2018年に全く同じスタイルで番組があったとしても、ここまで強く感情を揺さぶられただろうか。

世界がこんなことになり、それでも届けられるものをと手探りをして伝えられた歌は、数年後にこの混乱が治まってから聴いても同じ気持ちで聴くことはできないだろう。

これが僕がしばしば書いているリアルタイムで音楽を体感していくことの意義のひとつでもある。

歌が終わり、番組はあのドッキリのシーンへ。








オールナイトニッポン











King Gnuの井口理のラジオへサプライズゲストとして出演する岡野昭仁。

ラジオについてはポルノグラフィティとKing Gnuの両方のファンの方々が、凄まじい盛り上がりをしていたのを覚えている。

ドッキリとかそういうの基本的に嫌いなんだけど(「水曜どうでしょう」は除く)、こういう誰も不幸にならないドッキリはどんどんあっていいと思う。

あんな登場のされ方をされて、僕が井口理の立場だったら、ロケットロンチャーをくらったタイラントのごとく砕け散るだろう(外出自粛でずっと「バイオハザード」をやってるせいでバイオハザード脳になっている)。

ド深夜に、45歳がわかりやすいほどのフリとノリツッコミを繰り返しながらも、歌声がライヴ仕様になっているのが凄い。

あと僕「当たり前のことを当たり前と伝えるツッコミ」が好きなんだけど。


井口理:なんでこんな時間に
岡野昭仁:だってこの時間に放送されてるんだもん


こういうツッコミが、マグナムでクリティカルヒットされるが如く(自粛のため~以下略)。

戸惑いまくりながらも放送を続けられる井口理は凄いと思うし、まさに「あなたに逢えた それだけでよかった世界に光が満ちた」という状況で!ここまで歌い切り、更にはハモれる実力は流石である。



Zombies are standing out










またスタジオに戻り、岡野昭仁のトーク。

20年やったことへの自信が出てきて、30年に向けていけると思ったという、その場で。

そこからまた弾き語りのコーナーへ。
カバーでやりたい曲もあるというし沢山聴きたいが、やはり僕らがいま最も聴きたいのは、ポルノグラフィティの楽曲だ。

何をやりたいか、とスタッフに問われ実際にやった2曲と、もう1曲「"むかいあわせ"とか」と言ったことに、心底驚いた。2013年にリリースされたシングル「瞬く星の下で」のカップリングであり、ライヴでは一度も披露されていない楽曲だ。

ファンの中では「忘れているのでは」という声せえあった中で、こんなところで本人から直接その曲名が出るとは思わなかった(しかもスタッフに「("むかいあわせ"って曲があるの)知らないでしょ?」とまで言うほど)。

番組では披露されていないが、要望の声が多ければ、今後やってくれるかもしれない。

今回、番組では2曲が披露され、1曲目は"Zombies are standing out"。「GUITAR JAMBOREE 2020 」のラジオでも披露されたが、晴れてこうして動画として残る形になって、本当に嬉しい。

原曲はもちろん全ての音に圧倒されるのだが、こうして歌とアコギだけになり、剥き出しとなった"Zombies are standing out"は岡野昭仁の歌と新藤晴一の歌詞の力がより浮き彫りとなって、世紀末のような世の中へ、強烈に響く。


歌声を聴いた瞬間に、なんかもう泣けてしまって。

先日、岡野昭仁が出演する予定だった「GUITAR JAMBOREE 2020」のチケットの払い戻しをしてきた。手数料含め1万5千円近いお金だった。

けれど本来そのチケットは、文字通り「プライスレス」な体験への引換券なのである。お金に替えることのできない場所は、14,940円というただの紙幣と硬貨に戻ったのである。

ラジオ放送の演奏で気持ちを慰めていても、現実というものがもたらしたそのショックは、仕舞ったはずの引き出しから消えることはなかった。

けれど、そこで岡野昭仁が「ゾンビ」を歌うことの意味。ゾンビは様々なメタファに用いられて、何も考えずにボーッと本能だけで生きている存在でもあるけど、新藤晴一が書いたそれは違う。






今やポップカルチャーのアイコンである「Zombie」を喪失感や諦念に抗い、何度でも立ち向かう、立ち上がる象徴として用いている。
ポルノグラフィティ配信限定シングル「Zombies are standing out」リリース!


何度でも、僕らは立ち上がらなければならない。
いや、立ち上がっていける。


そこからもう1曲、とスペシャ特番限定で"アゲハ蝶"へ。

またボロボロに泣けてしまった。
もうダメである。

近年最も撃ち抜かれた"Zombies are standing out"、続いて、人生で一番大切な"アゲハ蝶"が続けざまに歌われたのだ。

最後に転調をさせなかったり、弾き語りならではのアレンジがされていた。

聴いていて、やはり僕にはポルノグラフィティが、音楽が必要なのだと強く思わされた。


ミュージシャンたちが「何かできることは」と模索して、SNSでは様々な取り組みが為されている。

弾き語りのリレーや、星野源の弾き語り動画が様々な素敵なコラボレーションをもたらした(ひとつを除いて)。

ウイルスと同じくらい、人は幸せな気持ちを他者に感染させることができるのだ。

識者にとっては音楽は不要不急の存在だ。

けれど僕を形成しているのは、音楽を愛し、音楽のためにしか生きられないようなどうしようもない人たちが創り上げてきたものなのだ。

そんな人たちの音楽だから、どうしようもないほど心に光を灯してくれるのだ。

ネットの宇宙に、いくつのも歌が流れていく。

音楽は年齢も人種も性別も国境も関係なく届く。

そんな存在だから、容赦なく世界を苦しめているウイルスに立ち向かう力をくれる、そんな気がする。


僕はまだ音楽の力を信じていられる。


音楽は決して人から奪えない
そう思わないか?
心の豊かさを失っちゃダメだ。
人間の心は石でできてるわけじゃない。
心の中には何かある。誰も奪えないあるものが。

希望だよ。

~映画「ショーシャンクの空に」より



そこに希望がある限り。



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