2020年10月6日火曜日

なきごと "春中夢” の感想と歌詞解釈










白昼夢とは。

日中、目を覚ましたままで空想や想像を夢のように映像として見ていること。また、そのような非現実的な幻想にふけること。白日夢。
goo辞書より

英語では「daydream」(デイドリーム)。

とても詩的な言葉なので、様々な映画、音楽、文学で用いられる言葉だ。

たとえばThe Monkeesの曲で、THE TIMERSがカバーした"デイ・ドリーム・ビリーバー〜DAY DREAM BELIEVER〜"などは、CMなどで一度は耳にしたことがあるだろう。

夢、現(うつつ)そんな幻想のような世界で、何を思うのか。


なきごとの2周年を祝う日に配信リリースされた、"春中夢"(はるちゅうむ)は白昼夢をもじり、2020年の春を唄う。

TOP画はSPICEより引用









世界が一変したコロナウイルス。今もその猛威は止むことはない。
日本でも春の時のような閉塞感こそ薄れたものの、昨年までと同じような生活に戻ることはないだろう。

自粛期間中、ミュージシャンたちの間で #うたつなぎ というタグが回った。バトンを受け取ったミュージシャンは演奏や歌の動画をアップし次のミュージシャンを指名、バトンを繋いでいくという試みだ。



なきごとの新曲”春中夢”はそこで未発表曲として唄われた。

それを反映して、歌詞では当時の心境がとてもストレートに表れている。だからこそ”今”というものがキーワードとなる。
誰もが漠然と抱えていた気持ちが”春中夢”の言葉には詰まっていて、言葉にしづらかった想いがこうして歌詞となっているところが、共感性を増すポイントとなっている。


通り雨が止んだ 光った月は
どうしようもなく 煌めいて見えた
鳥籠の中で 過ごす僕ら
いつからだろう こんなんになったのは


たとえば1番の「鳥籠」は言うまでもなく、自宅から出られない自粛のことを示すだろう。

折しも、僕は自粛前に最後に観たライヴが2月に行われたハルカトミユキの自主企画で、そこになきごとも招かれていた。ライヴの少し後に大阪のライヴハウスで感染が発覚したため、こうしたライヴイベントは2月下旬以降ほとんど行われなくなった。

元来引きこもり体質な人間なので、正直自粛期間でずっと家にいてもあまり苦痛はなかった。
しかし、音楽好きとしてライヴがほとんどない日々に、もどかしさも感じていた。

少しずつ状況が変わり、今は遥か先に少し明かりが見えてきてはいるが、長く出口の見えないトンネルを走り続けなければならないような心境が続いている。


いつかの春より 今日の話しようよ
いつかの夜より 今日の夜が好きなの


本作でも特にインプレッシヴなフレーズだ。
この「いつかの」という言葉が絶妙で、素直に受け取れば過去の思い出深い春や夜と捉えることもできるけど、同時に「いつか来る」はずの春や夜とも受け取れる。在りし日の思い出を語るとともに、漠然と思い描く将来の景色でもあるのだ。

しかしながら、この曲の主人公(今回は限りなく水上えみり本人と近い存在だといえる)は、だからこそ”今日”を大切に思っている。ただし、その”今日”とか”今”についての想いは最後の展開でまた違った意味合いとなるので、それについては後述する。


春風に揺られた 淀んだ月が
どうしようもなく 煌めいて見えた
揺籃の中で 眠る僕ら
やっと知るだろう 本当の青空を

夢か現か わからなくなっているんだ
夢なら今すぐ 目を覚まして起きるよ



2番でもまだぼんやりとしたイメージの映像が続くが、”夢”という部分にフォーカスされ、少しだけ輪郭がハッキリする。実は白昼夢を見るような人は、クリエイティブな仕事に向いているという。


白昼夢を見るのは「脳の能力が高すぎる」ためで、注意散漫になるのもそのせいかもしれない


クリエイティブな才能は注意散漫な人の方が発揮できる


僕も注意力散漫には自信がある人間なので「よっしゃ」と思ったが、自分の場合はただアホなだけであった。

よく夢は記憶の整理と定着のために見ると云われる。だからこそ、夢の中の出来事は断片的で突拍子もないものばかりになる。それを踏まえると、白昼夢というのもまた、自分の意識よりも多く周りの出来事を無意識的にアンテナで拾っているからこそ、その整理のために頭が働いているのかもしれない。

夢からは覚めるものだけれど、その夢は現実のどこかしらと必ずリンクしているのかもしれない。
そうした時に、自粛期間中に無意識的にも見聞きして感じる情報というものは、やはりネガティブの割合が強く、前向きな気持ちは起きづらいだろう。

そんな気持ちで見る「淀んだ月」や、見るはずの「本当の青空」が美しく思えるのは、そのためかもしれない。


誰かが歌ってた世界平和の歌は
今はやけに廃れて錆びついてしまっているから
誰かがいってた明けない夜はないってさ
本質をもっと見つめて欲しい

夢映る誰かが見た春うつつ
白く光って僕らを包む
花朽ちるその頃目を覚ませば
絶望の春の中見た白中夢


2番サビから最後まで一気に引用した。

ここまでのことから改めて”今”というものを見てみよう。








世界平和の歌が今は廃れて錆びついたものに見えてしまうこと。
たとえば戦争と疫病というものを考えてみる。自由意志の概念で考えれば、戦争は人間の意志によって行為が決定される。一方で、疫病に関しては注釈をつける必要はあるが、事象そのものは自然発生的だ。

自然発生したものに対して、人々の自由意志に決定的な変化が起きた。
ある意味で、全人類が同じ脅威に向き合うという世界となった。そうした時に、自由意志の土台にあった価値観さえも覆ることとなった。

ものすごく平たく言えば誰もが「こんなことしてる場合じゃねえ」と思える機会だったのだ。
しかしながら、そうした上でも人と人が対立し、分断が発生するということが、人類が人類たる悲しき性なのだろうか。廃れて錆びついていながらも、それが形骸化してしまっているだけなのだ。

※これ以上アホが哲学を考えると大変なことになるので本題に戻る


”春中夢”で、今が大切であると歌っていながらも、決して「今が素晴らしい」「今が幸せ」なものだと言っているわけではない。なぜなら、それが最後のフレーズ「絶望の春の中見た白昼夢」と繋がるからだ。”絶望”があるからこそ人は未来に期待してしまう。

「止まない雨はない」「明けない夜はない」という言葉に救われる人がいても、全ての人がそうとは限らない。その言葉そのものが揺籃の中で見た白昼夢なのかもしれない。

部屋の中で社会との繋がりがなくなってくると、自分というものがある種の形而上学的な存在と思えてしまうようになる。そこでの繋がりがネットや電話を通じたヴァーチャルなものであるなら尚更だ。

その中で確かに過ごした今日というものを見つめ、今生きている自分という存在を見つめなおすことが、ある意味本当の意味で自分を見つめるということになるのではないだろうか。

混乱の世の中で今日を、今を生きているということが、唯一たしかなことだ。
そこに初めて「止まなかった雨が止んだ今日」「夜が明けた今日」がやってくるのだ。

絞り出したポジティブな言葉に、無理に心を重ねる必要はない。

存在を肯定するでも否定するでも、自尊でも卑下でもない、そこにいる等身大の自分を見つめなおす。
そんな自分に寄りそってくれる音楽こそがなきごとの音楽であり、”春中夢”を聴くとどうしようもなく泣きながら頷いてしまう理由ではないだろうか。


歌詞について書いてきたが、曲についても触れておきたい。

今回もまた岡田安未のギターが素晴らしいのは、もう毎回言うことが野暮かもしれない。

しかしながら毎回素晴らしいのだから、毎回言わせて欲しい。

曲自体もバラードでありながら、3拍子で進み、1番サビではアカペラとアルペジオになって、終盤にかけてテンポが変化(6/8拍子?)して一気に盛り上げた後スッと音がなくなって終わりと、とても構成が凝っている。なお、テンポについては適当に書いたので、正しい情報は近所に住んでるヒャダインか蔦谷好位置に聞いて欲しい。


【余談】

これだけ脱線しまくって余談も何もないのだが、「白昼夢(デイドリーム)」というものについて。

最初にも触れたが、"デイ・ドリーム・ビリーバー〜DAY DREAM BELIEVER〜"という曲がある。そこでZERRY(忌野清志郎)は、The Monkeesの元歌詞をなぞりながらも自分自身の想いを歌詞にしている。


もう今は 彼女はどこにもいない
朝はやく 目覚ましがなっても
そういつも 彼女とくらしてきたよ
ケンカしたり 仲直りしたり

ずっと夢を見て 安心してた
僕は Day Dream Believer そんで
彼女はクイーン


この曲における「彼女」とは忌野清志郎の実の母親のことだ。忌野清志郎が3歳の時に、実の母親は亡くなっており、彼は叔母夫婦に育てられた(実の父親は戦死している)。後に遺された遺品から33歳で亡くなった母親が、お洒落で明るく、歌が好きな人だったと知り、喜んだという。

「ずっと夢を見て 安心してた」という歌詞は、その後の「Day Dream Believer」に繋がっている。Day Dream Believer つまりは「デイドリーム(白昼夢)を信じる者」という言葉は、3歳までしか一緒にいることができなかった亡き母への想いである。
遺品から実の母親のことを知り、一緒に唄ったり、お洒落な服を着て出かけたり、笑いあったりといった生活を夢想していたのかもしれない。

(白昼)夢から覚めても醒めなくても、今はそこにある。たとえ大切な人がそこにいなくても、自分がいなくなったとしても。ただ、”今”という時間がそこに流れていく。

“いつかの”時が過ぎて今に繋がる。

そして今が、また”いつかの”未来の今になる。

心が止まってしまったとしても、無理に先に進むことはしなくていい。


春風に揺られた 淀んだ月が
どうしようもなく 煌めいて見えた
揺籃の中で 眠る僕ら
やっと知るだろう 本当の青空を


「揺籃」(ゆりかご・ようらん)には『物事が発展する初めの時期や場所』という意味がある。

絶望の春の中で見た夢。

夢映る誰かが見た春うつつ
白く光って僕らを包む

覚める夢が、叶う夢になる日がくるかもしれない。

そんな、いつかの”今日”に繋がっていくように信じながら。


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