2020年11月10日火曜日

なきごと "ラズベリー” の感想と歌詞解釈






なきごとの2020年の配信シングル第2弾となる"ラズベリー"が配信された。

諸事情でブログを書く余裕がなかったため遅くなったが、後れ馳せながら記録を残しておく。

"春中夢"に続き、2020年を象徴する楽曲となっている。


なきごと "ラズベリー” の感想と歌詞解釈




ラズベリー





先に断りを入れておくが、歌詞についてはこちらのサイトを参照にしているが、インタビューと合わせてもあえて漢字と言葉を変えている部分がこちらだと反映していないようなので、そこはインタビューの言葉に合わせることにする。
※CDが届いたら見直します


先日、THE YELLOW MONKEYの東京ドーム公演を見て、ようやく音楽界も少しずつ前に進み始めた。

それでも規制はかなり厳しく、ライヴは厳戒態勢が敷かれていたり、まだこの状況はしばらく続くことだろう。

"春中夢"はまさにそんなコロナ禍の春そのものを唄っている曲だった。

"今"を唄った"春中夢"に対して、"ラズベリー"は過去と向き合う楽曲になっている。しかしながら、振り返る自分がいるのはやはり現在の時間軸な訳で、やはり今の曲であるとも言える。自分でも周りくどい表現だと思うが通じることを願う。

"春中夢"の中では未来よりも今という感情が唄われているが、"ラズベリー"は過去があるから今の自分が形成されていることを唄っている。

それでも"ラズベリー"を聴くと過去と現在を唄いながらも、どこか未来を感じさせられる。それはこの現在も過去となって未来の自分を形成していくことを感じさせるからだと思う。

タイトルの"ラズベリー"は「raz bliuto」という言葉が元になっているという。この言葉、サイトによって語源がロシア語になっているが、2年ほど前に「ロシア語にそんな単語はない」という反論が出ているらしい。

(おそらく)架空の、翻訳できない言葉として噂だけが一人歩きして輪郭を帯びていくというのは、都市伝説のようだ。真相が全くわからない。

そんな存在から謎な単語「razbliuto」には「あなたがかつて愛していた人で、今はもうそうではない人に抱く感傷的な気持ち」という、やたら詩的な意味合いを持っている。

そんな言葉の語感から「ラズベリー」という言葉が選ばれ、「過去を振り返ることは大切だけど、それに縛られてはいけない」という曲となった。


唄始まりから飛び込むギターリフは、一聴でなきごとだと判るほど特徴的で、今回も高揚感を与えてくれる。なきごとを聴くと毎回ギターが無性に弾きたくなる。
 ※弾けるとは言っていない


何もかも無くなって 何の気も起きなくて 何もかもが透明に見える こんなのも悪くはないかも



Aメロでは"春中夢"に通ずる、世界の今が描かれる。

自粛生活によって大なり小なり皆がアパシー(感情が動かされる刺激対象に対して関心がわかない状態)を抱えることとなった。

楽しみだった予定がなくなったり、ちょっと買い物に行くのも、人と会うことさえ、どこか不安を抱えなければいけない状態だった。

生活に優先順位が付けられ、誰かが言った不要とされるものから削ぎ落とされていった。

1人で部屋の中にいると、過去を振り返ることが増えてくる。それほど、未来が全く見えなくなっているからだ。「誰かに聞いた明日の天気も/この痛みもアテにならない」というフレーズも"春中夢"に通じるものがある。


味の対比効果






「味の対比効果」というものがある。味覚に与える影響のことで、身近な例としては「スイカに塩」とかを思い浮かべればいいと思う。


熟されなかった後悔は口にしまって 広がった酸いに甘いは勝てなかった 熟れすぎた気持ちは とうに腐っていて 後味悪く口に残って吐きそうだ


熟すと腐るの境界線はどこにあるのだろう。
もちろん「食べられるか食べられないか」という境界はあるのだけど、「熟す」は自らの中にある酵素の働きによるもので、「腐る」は黴などの外的要因という考え方がある(もちろん一面的には言えないけど)。 

過去には2種類あると思っていて。過去という事実そのものと、自分の心の中にある過去の記憶だ。

自分に取り込んだ過去は、記憶の中で熟していき、ちゃんと成熟すれば受け入れられるようになるが、ダメだと腐っていつまでも臭いが自分に付き纏うようになる。

果実が成熟すれば甘い身となるが、腐ってしまえばただ臭くて酸っぱい存在となってしまうように。

チョコレートと柑橘類は相性が良いけれど、食べ方を間違えるとチョコレートの甘味で柑橘類の酸味が引き立ってしまうこともあるという味の対比効果みたいに、熟されなかったものが甘酸っぱかった記憶を、ただ辛酸な記憶に変えてしまうこともある。

タイトルの"ラズベリー"は「raz bliuto」から取られているけど、ベリー系の果実も甘酸っぱさのバランスが大切だから、同じことだろう(無理矢理繋げたら丸投げ感出た)。








宝物と塵山




あなたが今までくれた沢山の宝物



両手に余る程くれた沢山の塵山



最初に断りを入れた部分だけど、インタビューでも触れられる「宝物(ごみのやま)」「塵山(たからもの)」という読ませ方。このことについて、インタビューを引用すると、

人にとってはゴミでも、自分の中では宝物だったり、逆のパターンもあるし、その人にしかそのものの価値はわからないよということを、揶揄しているんですけど。あの時期、音楽に限らず娯楽系のものが不用品みたいな扱いを受けていたなって、そういう思いも絡めながら書きました。



このテーマについて、当ブログとしてはハルカトミユキの「最愛の不要品」に触れざるを得ない。対バンしたからいいだろ。 連載企画で掲載された中から抜粋する。


そのepには、『最愛の不要品』と名付けることにした。
不要品とは、私たちの曲そのもの、音楽そのもののこと。
効率や、損得や、必要性だけで判断するならば、私の好きなものはほとんど不要なものなのかもしれない。そんなものを大切にして何の役に立つんだ、と言われてしまうものばかりかもしれないし、生命の危機を前にしては真っ先に捨てられてしまうようなものばかりかもしれない。
でも、人が何かを好きになったり大切だと思う感情には、必要性や有用性だけでは説明できないものがたくさんあるはずだと私は思う。
だから堂々と言いたい。「不要品で上等」と。


同時に、こういう感覚でいると綴っている。




前にこの事について記事には書いたけど、そこで先日亡くなったエドワード・ヴァン・ヘイレンの言葉を引用したい。


『ある人によって金塊はゴミ同然。俺の音楽も金塊であり生ごみなんだよ。』


「宝物」「塵山」は対立する存在ではない。人にとってそれらはどちらも内包していて、そのバランスがどちらに傾くかというだけなのだ。ある時には「宝物」だったものが「塵山」になってしまうこともあるし、改めて「宝物」に戻ることもある。それがそのまま心のバランスを整えることでもあるからだ。

それくらい心は複雑で、単純だ。

"ラズベリー"に込められたメッセージ、それは僕にとって「最愛の不要品」という言葉がもたらしてくれた希望と同じで、そんな塵山である宝物を抱えてコロナ禍を生きていこう。


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