2022年1月30日日曜日

【ネタバレ感想】バイオハザード:ウェルカム・トゥ・ラクーンシティは困った映画





「バイオハザード:ウェルカム・トゥ・ラクーンシティ」は困った映画だ。

原作ものの映画化、というのは得てして難しい。

特に反感を買うのが「オトナの都合」で色々と改変されてしまい、原作の良さがすべてなくなってしまう映画だ。

しかしながら「バイオハザード:ウェルカム・トゥ・ラクーンシティ」はそういう映画ではない。むしろ画面には原作への愛情がしかと表わされている、でもそれがほとんどの人の愛し方と違っているのだ。

モヤモヤは言葉にするしかないので、書いていこう。

ということでネタバレありです。

ちなみに劇中に出るタイトルが「RESIDENT EVIL」となっているのは「バイオハザード」の英語圏のタイトルだからである。商標とかの都合で使えないためタイトルが変わっている。「やっぱりあれはバイオじゃなかったんだ」と思わないように。





バイオハザード:ウェルカム・トゥ・ラクーンシティ




監督はサメ映画「海底47m」で注目されたヨハネス・ロバーツである。




ホラーを中心に撮っている監督だけに、映画のリブートの報が出た段階で「リブートは原作に忠実」「ホラー要素が高くなる」というニュースに期待が持たれた。

なぜなら「バイオハザード」の実写映画は過去にミラ・ジョヴォヴィッチ主演、ポール・W・S・アンダーソン監督の夫婦を中心に制作されたシリーズが、原作とかなり掛け離れていたからである。

もちろん要素としては多分に含んでいたし、特に2作目は原作ファンからも絶賛されたシエンナ・ギロリーのジルが登場したりと、良い面もあった。ちなみに2作目の監督はアレクサンダー・ウィットである。そのまま続投すれば良かったのに。

それでもオリジナルストーリー部分で世界めちゃくちゃ滅びるわ、超能力があるわで、終盤は「バイオハザード」の皮をかぶった別のものというイメージが強くなっていった。

そもそも主役のミラ・ジョヴォヴィッチが演じたアリスというキャラクターがオリジナルなのだから無理もない。

なので今作へは少なからず期待が寄せられていた。僕はすごく期待してた(ミラ・ジョヴォヴィッチ版はそれはそれで嫌いではない)。しかし、ファンの間で雲行きが怪しくなってきたのはキャスト発表辺りである。



発表されたビジュアルを見て。


「これ、大丈夫か…?」


という不安が多くの人に宿った。


「レオンのインド感がすごい」
「ジル…お前、ジルか?」
「ゴリスちょっとガタイが足りない…いや最初はそんなもんか」
「ウェスカー…サングラスは?」


ちょっとヤバいかもしれない──とうっすら思い始めてきた。予告も、悪くはなさそうだけど色々と気になる部分はあった。結果的にその辺りの心配は現実になった。


トドメは12月に公開した海外での評価だ。

興行的にも伸び悩んだらしいが、すこぶる評判が悪い。

トマトメーターでMCUのエターナルズの批評家による支持率が51%という低さで大きな話題となった。ただ、「エターナルズ」は観客評が80%を超えている

では、これを書いている時点で「バイオハザード:ウェルカム・トゥ・ラクーンシティ」はどうだろうか。

批評家 30%
観客評 66%

ダメだこれ。

ちなみに、すこぶる評判の良くないミラ・ジョヴォヴィッチ版の最終作「バイオハザード:ザ・ファイナル」でさえ36%支持である。

正直、興行が伸び悩んでも観客の熱い支持さえあれば未来が見えるが、これはノストラダムスでも匙を投げるレベルで先が見えない。

では、なぜこんなことになってしまったのか考えよう。

①キャラクター
②ストーリー
③演出

に分けて考えていきたい。








①キャラクター



バイオハザードはキャラクター作品である。

どれくらいかというと、キャラの没個性を目指したのに、なんでも「マジかよ」と済ませる最強メンタルの一般人の人気キャラを生み出してしまったほどである。

「スターウォーズ」もそういう側面があるのだけど、やっぱりキャラクターの魅力=作品の魅力という部分は切って離せないはずだ。

自分としてはジルが魅力的ではない時点でアウト(なにウェスカーにのぼせとんねん)なのだが、それぞれキャラクター造形に言いたいこともある。

キャラクター作品なのにキャラクター性を薄い理由で改変すべきではないのだ。説明を続編頼みにするな。


たとえばレオン(?)は、原作ではふられてやけ酒で遅刻するのはまだしも、洋館事件を知り正義感からラクーンへ異動する道を選んだのだ。拳銃オタクなのでショットガンに戸惑わないし、同僚のケツを誤って撃ったりはしない。

目の前でトレーラーが横転爆発してるのに、寝ているレオン(?)
おかしいだろ、どう考えても熱で気づくだろ。起きろ!起きろよケネディ!

新人っぽさを出したかったり、クレアを立てたいのはわかるが、さすがにコメディリーフにしすぎて世界中のレオンファンがぶちギレしていたのも頷ける。

「ゾンビランド:ダブルタップ」の時はすごく良いキャラだったのになぁ、アヴァン・ジョーギア。


ロビー・アメルのクリスは案外、初期のゴリス以前と思えば悪くなかったと思う。でも、あの状況ではライターより銃握れ。


さて、キャラクター部門で最も頭を抱える存在となったのは、間違いない。

ウェスカーさん問題である。

大幅に改変されて、なぜかジルといい仲になっていたり(は?)、謎の人物(エイダ(?))に操られたりと、裏で糸を引いていた原作のグラサンとは大違いである。どちらかというと露骨な操られ方は初代「バイオハザード」のバリーに近い。

トム・ホッパーは好きな役者だけど、ちょっとさすがに改変の意図がわからなすぎて、ウェスカーの扱いは続編がないとマジで理解しかねる。

パンフだと今回の改変はウェスカーの人間性を出すためだというが、グラサンが本体の奴に何を言ってんだ。ウェスカーは机にレベッカの写真入れとけば人間性出るやろ。

続編のあるなしはともかく、せっかくアシュフォードを絡ませたなら、比較的映画にしやすそうな「コード:ベロニカ」もあるのに、勿体ないキャラになってしまいそうだ。

映画のジルは今からでもキャラクター名をシェバに変えろ。


さて、今回敵に関してはメインのクリーチャーはゾンビ、ゾンビ犬、クロウ(カラス)、リッカー、Gなどが登場する。パンフレットによると、タイラントは展開にそぐわなくなるのでカットしたとのこと。

そして今回、敵側で最も意外な展開を見せたのはリサ・トレヴァーも同じである。



元々は初代「バイオハザード」のリメイクに登場し、かなり悲劇的な側面を持ちながら、重火器で倒せないというトラウマを植え付けられたプレイヤーも少なくともないだろう。

孤児院でクレアと面識があったことから、襲ってきたリッカーを素手で倒し、道案内するデュークなみのお助けキャラに。

リサも実験で生まれ、クレアもあと一歩で同じことになってしまっていたという設定なのだろうが、さすがに説明が足りなすぎるのではないだろうか。

ダメな邦画のように1から10まで言葉にしろとは言わないが、原作から変えるなら、それに対して理由づけは必要ではないか。

強いて言えば、クレアとレオン(?)が地下にいってアシュフォード家の双子のフィルムを観るが、あそこでリサに関する説明があればいいのにと思った。

アシュフォード家のフィルムの再現度は凄いけど、それが物語に対しては小ネタのイースターエッグにしか機能しないので勿体ない。


ひとつ面白かったのが、S.T.A.R.S.の隊員で途中まで一人「誰だこれ?」というキャラクターがいたことだ。

洋館でクリスと行動するけど「リチャード」と名前を呼ばれてようやく判る、キャラクター名が判った時点で死に方が確定するという新しい死亡フラグを見せてくれた。


あとひとつ興味深かったのは、シェリーが夢で見たという緑色の怪物だ。それは間違いなくハンターで、ハンターは多くのシリーズで登場するクリーチャーにも関わらず実写映画作品ではまだ登場していない。









②ストーリー




もう散々言われているが初代「バイオハザード」と「バイオハザード2」を2時間の映画に盛り込むのは無謀である。

そもそも初代「バイオハザード」ですら、無限ロケットランチャーを取るのに3時間以内でのクリアが必要なほどだ。

あまりに詰め込んでダイジェストにさえなってない。

ちなみに予告編で考察・予測記事を書いた時に



と書いたら、月光ネタやるし、スートの鍵出てきた。マジかよ。このブログは予想が当たらないのがウリなのにどうしてくれる。
そりゃまとまらんわ。

【予告考察①】映画『バイオハザード:ウェルカム・トゥ・ラクーンシティ』

※ちなみに小ネタは↑の記事で結構書いてしまっているので割愛

主要キャラクターがほぼ登場ということで、説明しきれていない点が多く存在する。初見組は追い付けないだろうし、上の方にも書いてきたように、ファンからしたらキャラ変がありすぎてファンもついていけない。

クリスとクレアが孤児院で育てられたという点はよしとしても、そこを仕切っていたのはバーキンで、クリスはバーキンやアンブレラを信じていたといわれても「?」しか浮かばない。環境見ててもそこまで良い待遇じゃなかったろ。

その設定も、結局は最後の申し訳程度の感傷的なシーンのふりでしかない。「取って付けた」感のある設定だと、どうしても薄味になってしまう。そのためにアネットが大して目立たず退場するし。

申し訳程度に説明されるTウイルスとGウイルスも、本来であればクライマックスのラスボスに繋がる要素なんだからもっといるだろ。

これくらい主要キャラクターがいると、本当ならドラマシリーズでやるのが理想だ。しかし、これから待っているのはNetflixでやる黒人スキンヘッドになったウェスカーのドラマである。 
 



※好きな役者さんだけど、ウェスカーではない

Netflixで配信されている「バイオハザード:インフィニット・ダークネス」は逆にドラマでやる必要が?という内容(本編が正味2時間しかない)のに対して、この映画は足らなすぎる。Netflixは完全にこっちドラマでやるべきだった。

キャラクターの説明が薄いというのは、ストーリーに対しては致命的だ。

この全方位置いてけぼりなストーリー展開も、評価の伸び悩みに繋がっているだろう。

ファンムービーなのにファンが困惑するムービーになってる。


③演出




ホラーとしてはそこまで高くない製作費のわりに頑張っていたと思う。ぶっちゃけアサイラムを観て育った人間からすると、かなり贅沢な予算のB級映画である。

ラクーン警察署のロビーや孤児院の入口なんて「まんまRE:2」だ。リッカーの造形やGの細かな筋肉の動きも良かった。
あと汚染によって徐々にウイルスが侵食していたという設定になったことで、人間からゾンビへの変貌の推移が描かれていくのは面白かった。

けれど、頑張ってるなりにもスケール感のなさはどうしても端々に滲み出てしまう。

件の警察署も大問題がある。トイレがないという次元ではない。 
 

この警察署、まったく警官がいない。


警官2人がスペンサー邸へ行ってるにしても、あれだけの騒ぎでいるのが新人レオン(?)と署長だけっておかしい。マービンどこ遊び行ってんだよ。

スペンサー邸にしても、エントランスはなんか惜しいサイズ感だし、明らかに警察署よりも人いるよなだし。

ていうか、ヘリで行くくらいの距離なのに孤児院とスペンサー邸繋がってるって、どういう距離感だ。

今回の一番の敗因は、演出が足し算しかなかったことなのだと思う。

せっかく映画にするならキャラクターみんな登場させたい
ゲームのエッセンスを存分に盛り込みたい
ファンが喜ぶ小ネタをたくさん入れよう

細かなネタを見れば監督は「バイオハザード」を好きだってことはわかる。けど、愛情の矛先と愛し方を色々と間違えてる。まさに研究に没頭するあまり暴走していくアンブレラの研究者たちのように。


演出に必要なの取捨選択だ。

自分も文章が長くなるのでよくわかる。

2時間という限られた時間で、登場するキャラクターの人生を描かなければならない(ていうかこの映画ただでさえ盛り込みまくってるのに107分で2時間すらない)。

さすがにバリーやレベッカは時間足りないということで諦めたらしいが、サービス精神で色々と見せたいのはよくわかる。

けど、袋詰め放題みたいに107分に押し込んだ結果、画面に映るのは"人"ではなく、盛り込むことを求められた無機質で記号的な存在になってしまうのだ。

もちろんファンが喜ぶ要素を入れてくれるのは嬉しいが、それによってせっかくバイオハザードの魅力を新しく知る人を失うなら、内輪受けの作品で終わって欲しくない。

この作品を否定したくないのは、キャラクターは置いておいてもそこにちゃんと原作へのリスペクトを見るからだ。これが愛情もない映画化だったら、どれだけ楽にボロクソ書けただろう。
「進撃の巨人」を見てみろ、ヒドイもんだ。見てないけど。


なので、この映画の感想はとても困る。


ちなみに「アクションが少ない」という人もちらほら見かけたが、そもそもバイオハザードがアクションになったのは「バイオハザード4」以降なので、アクションを求めるのはさすがに可哀想だ。



恐怖というテーマは難しい。

人によって恐怖を感じる尺度は違うが、ゲームと映画には似て非なる恐怖が存在する。

映画などは画面を観ていれば登場人物たちが勝手に動くので、観る側は観客として受動的に作品を受け取る。

映画において恐怖とは、というものを考えた時に、それはある種の「共感」によるものではないかと思う。 たとえばヨハネス・ロバーツの出世作「海底47m」では「もしケージに入った状態で海に沈んでしまいサメが襲ってきたら?」というシチュエーションに恐怖を見いだすのだ。

ゲームが映画の持つ恐怖と決定的に異なるのは能動性にある。

たとえば初代「バイオハザード」のテーマである「そこを歩く恐怖」に代表されるように。

特にホラーが苦手な人にとっては、初代「バイオハザード」は進むことすら怖じ気づいてしまうほど怖いという。ほとんどは序盤で窓を割って犬が入ってきてトラウマになったせいである。

進行が自分に委ねられることで、自らの意思で進まなければならないという能動的な側面が強まる。自分のボタン操作ひとつで、登場人物の人生が決まるのだ。

バイオハザードのファンは25年間そんな風にキャラクターたちと向き合ってきた。

大げさにいえば彼らは、共に死地を潜り抜けてきた戦友たちなのだ。

だからこそ、キャラクターたちの人となりを大切にして欲しかった。

僕の心に残ったモヤモヤは、おそらくそれなのだと思う。

せっかくのリブートの機会なので、もしまだ続編かあるなら。

今度は画面のなかの彼らと共に熱くなりたいと願う。


【追記】
色々考えを巡らせているうちに、ひとつ自分の中で答えが出た。

インタビューを読んでいると、監督はゲームの世界観の中で新しいキャラクターたちで物語を紡ごうとした。

しかし僕らが見たかったのは、あのキャラクターたちが新しい、映画という世界で活躍するのを見たかったのだ。

キャラクター性を変えず、組み立て直したストーリーでたまにマニアックな小ネタを入れる、そんな映画を僕らは待っていたのではないか。

その部分で作り手と観客の決定的な齟齬が、この悲劇を生んだのだろう。それもなんか「バイオハザード」らしいけど。
【追記終わり】


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2 件のコメント:

  1. ネトフリ版のウェスカーが黒人なんですか…差別の配慮の仕方間違ってますよ。作品名忘れましたが黒人のタイラントとかいるしそっちで活躍させても…。

    記事に「アクションが少ない」について言及されてましたが、ハンターにハンドガンぶっぱなして「効かねぇ!」みたいなベタベタな展開1個あるだけでだいぶ違うとおもうんですよ。
    ファンならハンターとの思い出、割りとあるんじゃないでしょうか(´▽`) '` '` '`

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    1. コメントありがとうございます。
      そうみたいですよ。ジョン・ウィックのホテルの人で役者としては好きな人なのに、なぜウェスカーかと。

      動きに制限あるもどかしさが初期のバイオを象徴しますからね。ハンターはあれだけ出てくるのに実写で出ないの勿体ないですよね。即死攻撃の思い出は共通します。。。

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