なぜ「らしい」なのかというと発表した本人がふわふわとした受け答えだったからだ。
こちとらポルノグラフィティの進退、一挙手一投足に日々神経すり減らしているというのに「出るよね?」みたいなテンションで片付けるな。
さて、このソロアルバムについて、ファンは比較的肯定的に受け取ってはいるが、詳細がまだふわとろなため、熱はまだそこまで高まっていないように見える。
もちろん母屋であるポルノグラフィティの活動とは異なるものなので、その気持ちもあるというのはとてもよくわかる。
だが、岡野昭仁のソロアルバムは相当ヤバいのでは?と危惧している僕のような老害もいるので、少し書いて行きたいと思う。
ソロアルバム
勝手なイメージだけど、ソロアルバムって、バンドのキーマンのヴォーカルが自身で作詞作曲する場合が多い印象がある。
(0.5秒考えただけでアルバート・ハモンド・Jr.とか例外が死ぬほど浮かんだけど、許してほしい)
そうなると本筋のバンドとどう色を変えるかが、永遠の命題となりがちだ。
(まぁ世の中にはいくつもバンドつくってはソロもやってる、ジャック・ホワイトみたいなのもいるけど)
ダメだ、例外ばかり挙げていたら話が進まない。
それでもソロ作品をつくる理由は、大きくなってしまったバンドというブランドと離れて、個人で好きなものを創りたいという動機も大きい。
たとえば、新藤晴一がしばしば言うけど、ポルノグラフィティは巨大なプロジェクトで、多くのスタッフが関わっている。
それはポルノグラフィティというブランドイメージを広めるために他ならないが、その分制約がいくつもあって、オフィシャルメンバーなのにネタバレすると謝罪会見をさせられるほど。
(まぁ、それにしてもポルノは自由な方だと思うけど)
そういった意味で、僕らがよく見聞きするような有名ミュージシャンは、どこかで制約とも闘っている。
そうしたしがらみから開放されて、自分自身の今表現したいことを自由に出したいってケースが多い(当社比)。
でも、今回の岡野昭仁のソロアルバムは違う動機で動いていると思っていて。
後述するが、岡野昭仁が自分でも音楽でもなく"歌"を表現することを目的としていることだ。
だから、岡野昭仁のソロ活動は外部からの楽曲提供やカバーが主なのだ。
様々なクリエイターと組むということ。
その刺激は多彩なポルノグラフィティでも開かなかった扉さえ開いてくれる。
そもそもクリエイター目線から見たらこんなワクワクすることないだろうなって思ってて。
なんせ、岡野昭仁というヴォーカリストで全力で遊ぶことができるのだ。
何のことか分からないと思うので少し補足する。
先にも書いたが、ミュージシャンは自由気ままな商売であるように見えるが、少なくともメジャーという舞台で自由に音楽を創るのは、普通難しい。
そんな音楽生活の中で「岡野昭仁が何でも歌うからどんな曲でも創っていいよ」と言われたらどうだろう。
たぶんリミッター壊れると思う。
ファンの贔屓目抜きにしても、これほど多ジャンルをJ-POPの第一線で歌ってきた人はそういない。
音楽ってめちゃくちゃジャンルが細分化できるけど、ポルノグラフィティでやってないことを即答できない。
そして更にはここ何年もの間に、その歌声に磨きが掛かり続けている。光る泥団子かよ。
それを証明するとしたら、たとえばソロの配信ライヴでKing
Gnuの"白日"を1人でカバーなんて、昔では絶対できなかったはずだ(音源売って)
極論言えば、今この人に歌えないジャンルないんじゃないかな?って本気で錯覚しそうになる。
それくらい、どんなジャンルも岡野昭仁として呑み込んでしまう畏怖がある。もうこれ怪異とかだろ。
リミッターが外れたミュージシャンの恐ろしさは、公共のラジオの電波を好きなアーティストのカラオケ大会にして私物化したヴォーカリストとか見てるからよく知ってる。
だから、どんなミュージシャンが岡野昭仁をオモチャにして遊んだのか、今から楽しみだ。
さて、ソロアルバムの恐ろしさはそれだけではない。
一番恐ろしいのは、ここからである。
濃縮還元イベント
現代っ子(死語)がどう思うかはわからないが、僕くらいの世代は、"バンドのヴォーカルのソロ活動"というものは、決してポジティブな反応だけではいられないものだった。
それは「メンバー同士の仲悪い?」とか「本業に専念せい」とかファンの間で憶測が飛び交うことがあったからだ。150%は2chのせいだが。
実際バンドの形は様々なので一概にはいえないが、ある程度一定数はそういう反応があるものだった。
過去形にしてしまうくらい、今回の岡野昭仁のソロアルバムというものは、病的なファンが並ぶ自分のTLではフラット~興奮という反応であったと思う。
自分自身も、全くネガティブな感情はなく、とても嬉しい気持ちで一杯であった。
そもそもコロナ禍において、岡野昭仁は"歌"と向き合うために、「DISPATCHERS」という番組を立ち上げたほどである。
そこで"歌"というものに、紳士に向き合ってきた姿を見ていたらこそ、ソロアルバムにある種の"必然"をそこに見た。
歌うこと、そのことに岡野昭仁はどこまでもひたむきでストイックだ。
そこで凄いのが、その理由が「自分の歌の上手さを見せびらかしたい」とかじゃないんだよ、この人。
どこまでも利他的に「もっと歌が上手くなってファンを喜ばせたい」って本気で思ってるの。
人柄が善いにも程がある。
自分が成長することで、新しいポルノグラフィティを見せられて、それをファンが喜んでくれるからって一点にオールインしてんだよ。
これ、お世辞でもなんでもなくて。
事実、自分はアルバム「暁」でその誠実さに殺されかかった。
そして"OLD VILLAGER"やアビが鳴く"にガクガクと全身が震えている。
ポルノグラフィティで何がきても驚かない、と書こうとしたけど直近でさえ最新の"アビが鳴く"に驚天動地だった。
岡野昭仁という人は決して、やって満足の人ではない。
このソロアルバムは、間違いなくポルノグラフィティに150%濃縮還元される。
なぜなら。
来年は25周年。
今ですらメンバー本人たちよりもスタッフの方が熱を上げて、企みを巡らせている。
当たり前のようにまた歌が上手くなった姿で、僕らの前に現れることだろう。
25周年でまだ成長が怖いってことあります?
歌うことの喜びを、これからも岡野昭仁は見せ続けてくれることだろう。
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