藤本タツキ原作、押山清高監督作のアニメ映画「ルックバック」を観てきた。
結論から言おう。
この映画は現時点で2024年のマイベスト1位である。
そして僕はこの作品をオールタイムベストに入れたいほどに入れ込んでいる。
その理由をここに記しておきたい。
※敬称略
※脱線多めです
ルックバックのアニメーション
『ルックバック』が映画化されるという報は今年の2月14日に届いた。
そこから期待と不安が入り混じるなか、特報を初めて見たときに確信した。
この映画は間違いなく傑作になる、と。
ルックバック映像もめちゃくちゃよくて間違いない映画となることが確定
— サトシ/飴玉の街 (@zattastore74) April 17, 2024
ちょっとだけ、主題歌oasisを期待したけど無理か。でも予告で流れてた曲良かったな https://t.co/ODKkoaRVXk
一つ先に告白しておけば、僕は藤本タツキ作品の熱心な読者というわけではない。
『チェンソーマン』は全部読んでるし、マキマさんに人生踏み潰されたいと思ってる程度のライトな読者である。色々言われてる2部もなんやかんや楽しんでいるし。
だから原作至上主義みたいなものは持ち合わせてないんだけど、個人的に『ルックバック』だけは違った。
この作品だけはテーマが濁るような改変などしてほしくない、そんな心持ちだった。
それくらい原作に対しては、ちょっと特別な感情を抱いていたのだ。
その想いがちゃんと叶うのだとこの短い映像から感じ取るとこができたのだ。
あの藤野が、あの京本が、色と動きと声を得て間違いなく生きていた。
アニメーションが持つ情報量は、マンガのそれの何十倍となる。
しかしながらマンガがまた優れているのは、その情報量を自らの想像力で補えるところにあるのだ。
『ルックバック』の映画は、自分の中にあった世界の映像をそのまま、いやそれ以上に見せてくれたのだ。この時点で、もう泣けてしまった。
といっても、まだ特報や予告編段階で決めるわけにはいかない、本編を見たら想像と違うかもしれないと。
その考えは、残念ながら間違っていなかった。
なぜなら。実際に目の当たりにした映像作品が、僕の予想など遥かに超えた素晴らしいものだったからだ。
上映時間58分と短い作品だけど、3/4くらいは泣いていたし、終盤は鼻水出るほど咽び泣いた。
最近多い2時間半とか3時間とかある作品に全く負けないほど濃密な作品だと感じた。だから、この上映時間で全く物足りなさを感じない。
上映料金は1700円だったけど、監督の労力とか見てると個人的にはフルプライスで払ってもいいくらいだと思った(代わりにパンフレット1500円は結構お高めだったけど買った)。
この作品は極力原作を脚色をせず、付け足したものは漫画をアニメーションにするということに尽くしている。
しかしながら、アニメにすることでいくつか映画ならではの演出が付け加えられている。
アニメならではの演出の白眉は、作品のハイライトの一つである藤野が京本の家の帰り、雨の中田んぼの畦道を歩く場面だろう。
うなだれて歩く姿から、次のカットで背筋が伸びていきスキップをするようになる藤野。
漫画でも印象的な場面の一つであったけどアニメになり、音楽も相まってより感情が躍動的に見えるようになっている。
これ演出一つ間違えただけでも全て崩れるレベルの難しいシーンだったと思う。それがこれだけの映像になっているだけでもう無条件で泣けてしまう。
あと藤野の4コマの世界の描き方は、アニメならではの演出になっていたと思う。
それにしても4コマに出てくるカップルの声優が豪華すぎて、散々泣いてたのにエンドロール見て吹き出した。声優詳しくない俺ですらよく存じ上げてるレベルの方たちである。
声優の話ついでに書くと、主役の2人が河合優実と吉田美月喜が本当に素晴らしかった。
特に河合優実はこの前の週に映画「あんのこと」でも打ちのめされたので、この子に2週連続でぶん殴られた。本当にすごい俳優だと思う。
吉田美月喜の京本の訛りが強い演技も、これもまた素晴らしくて京本の言葉一つひとつが胸に響いた。
そしてharuka
nakamuraによる劇伴もまた素晴らしく、考えうる限りほぼ完璧なアニメ映画化だと思う。
ここまでのレベルの感覚って「この世界の片隅に」レベルではないだろうか。
というわけで、次はテーマを掘っていきたい。
"Don't Look Back in Anger"
この作品は創作についてがテーマになっている。
終盤に起こる事件を受け、藤野が抱く「私があの時……漫画を描いたせいで」という葛藤。
この問いに答えはない。それが人生なのだ。
それでも人は考えずにはいられない。
あの時、こうしていれば。
あの時、ああしなければ。
運命は違っていたかもしれない。
そんな後悔と自責の念。
一つ印象的だったのが、藤野の部屋に貼ってある映画ポスターに「バタフライ・エフェクト」があった。ちなみにパンフレットの中でも確認できたので、間違いじゃなくてよかった。
輸入版だとBlu-rayあるんだな… |
「バタフライ・エフェクト」はとても大切な映画の一つだ。
この後も脱線が多くなるので手短にするが、この映画は主人公が愛する人のために過去を書き換えてしまうことで未来が様変わりしてしまうという世界を描いている。
「映画史上最も切ないハッピーエンド」がコピーとなっている作品だ。
この映画でラストにオアシスの"Stop Crying Your Heart
Out"という曲がかかる。
とても好きな曲で、僕はイントロで泣いてしまうくらい好きだ。
「バタフライ・エフェクト」はバタフライ効果のことで、些細なことが巡り巡って予想もつかなかった大きな結果をもたらすというもの。
まさに「ルックバック」の根幹テーマに強く通じるものだ。
このポスターの演出はさりげないけど、とても絶妙である。他にも映画にまつわるものはあるけど、他に言及している人も多いので、ここでは割愛する。
さて、オアシスの楽曲繋がりで、『ルックバック』においてもテーマの一つがオアシスの"Don't
Look Back in Anger"という曲が用いられていることにも通じる。
この曲は実は原作にも隠されているので、かなり重要な要素の一つになっている。
2017年5月22日、イギリスのマンチェスターで行われたアリアナ・グランデのコンサート終了直後に自爆テロが発生した。8歳の女の子を含む、22人が死亡し、59人が負傷した。あまりにも痛ましい事件である。
その追悼集会である女性が"Don't
Look Back in Anger"を歌い始め、そこから会場全体で大合唱となった。
「怒りを振り返ってはいけない」
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この曲で何度も、そう繰り返されるフレーズだ。
あまりに悲惨の無差別テロを受けて、イギリスで国家よりも先に鳴り響いた"Don't
Look Back in
Anger"は、間違いなく『ルックバック』へも影響を与えている。
これは読み切り掲載時から話題には出ていたけど、自分なりの言葉にしておきたかったので書いておく。
話を戻すが、運命の悪戯というにはあまりにも残酷な出来事。
無数のたらればが頭をよぎり、藤野は主を失った京本の部屋の前で打ちひしがれる。
選んだ未来と、選ばなかった未来。
そして、選べなかった未来。
そんなとき、藤野は何を選択するか。
”かく”こと
それでも、藤野は描くことを選ぶ。
彼女にとって、描くことが生きることであったからだ。
理由なんてない。藤野も京本も描くことしかできないのだ。
そんな人が、僕は好きなのである。
「かく」ことは、何かを残すことだ。
人は忘れる生き物だ。
それは自分の中に生まれたものを、確かに残したいからではないだろうか。
自分の衝動を発散するためかもしれない、それとも誰かに褒められたいとかそういう感情かもしれない。
それが表現というものだ。
同じジャンプ+で連載していた『左ききのエレン』という漫画があって、僕にとって大切な作品の一つである。
そこでも主人公の朝倉光一が、絵の天才であるエレンに向かって「描けよ」というシーンがある。
この作品における「描く」という衝動もまた、『ルックバック』におけるそれと強く通ずるものがあると思う。
『左ききのエレン』は本気で名作だと思っているので、ぜひ読んでみてほしい。
僕は絵が全く描けないが、文章は何かと書いてきた。
文章の才能があるとは思わないけど、自分にとって想いを残す手段がそれしかなかったので書いきた。なので「書く」という衝動は、自分の中に深く根付いている。
だからこの映画を観て、なかなか更新が滞り気味なこのブログを更新しなければならないと思いに駆られたのだ。
じゃなければ僕は本来「エルデンリング」のDLCをやっていたいのだ。しかし、それでも書きたいという衝動が何よりも上回った。
脱線が多くて申し訳ない。
それでも、多くの出来事が『ルックバック』を創り上げたように、この作品がまた多くのものに繋がっている。
だからこそ、多くのクリエイターがこの作品に嫉妬して、それでもこの作品を愛してやまないのだ。
さて、最後にどうしても書いておきたいことがある。
それは「ルックバックの終盤で描かれる事件の元になった事件に触れる。
実際に起きた陰惨な事件なので、触れたくない人もいると思うので、そういう方はここまでにしてほしい。また来てね。
以上の前置きを踏まえて最後まで読んでほしい。
ルックバックで描かれる事件の話
明言されているわけではないので、ここからは解釈の一つとして読んでほしい。
終盤で起こる事件は、ほぼ間違いなく京都アニメーションで起きた放火殺人事件が基になっている。
正直にいえば僕はアニメに明るくないので京アニ名前やその作品は知っていても、ちゃんと見てきた訳ではない。
それでもあの事件が起きた日2019年7月18日、仕事が手につかないくらいの、途方もない絶望と喪失感が僕を襲った。
少しだけ個人的な話に付き合ってほしい。
僕は創作活動をしている人たちを尊敬している。
なぜなら僕はそういった人々がつくり出してきた作品に、人生を救われてきたからだ。
それは映画だけでなく、音楽も漫画もゲームも、ありとあらゆる創作物が僕の人生に欠かせない欠片となっている。
空っぽな僕をそうした作品たちが満たしてくれて、繋ぎ止めていてくれる。
京アニがどれだけ素晴らしいアニメ会社かなんて、アニメに疎い僕ですら知っている。
だからこそ、そんな作品たちに救われた人もまた、とても多いと知っている。
自分は普段とても地味なじむ仕事をしていて、一応社会の役割の一つではあるけど、まぁ直接的にやりがいを見出すのは難しい。
もちろん制作活動がとても地道な作業ということは重々承知している。しかし、自分の中にはどうしても「何かを生み出す」ということへの欲求が消えて無くならないのだ。
自分は文章を書くことしかできない。創作紛いのこともしてなくはないが、基本的には創作物を受けて何かを書くことしかできない人間だ。
0から1を生み出すのがクリエイターとするなら、僕にその才能はない。
そう言って逃げている卑怯な人間が、僕なのだ。
それでも『ルックバック』を読み返すたびに藤野が、京本が「かけよ」と突きつけてくる。
だって僕には、書くしかできないから。
そんな衝動を訴えかける、それが『ルックバック』という漫画で、その意思を受け継いで生まれた作品こそが「ルックバック」という映画なのである。
クリエイターからクリエイターへ、こんな素敵なバトンがあるだろうか。
人の作品を預かるということは、そういうことなのだ。
これほどつくり手へのリスペクトが込められた作品はそう多くない。
だからこそ、1人でも多くの人に、この作品が届いてくれれば幸いだ。
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