2026年1月15日木曜日

【ポルノ】"はみだし御免"歌詞解釈









ポルノグラフィティの2026年新曲"はみだし御免"について書く。

年末のみなとみらいロマンスポルノで発表され、二週間程度で配信開始というスピード感。


ただ、カップリングにも定評があるポルノグラフィティとしてはシングルが増えるのは嬉しいが、カップリング有りのシングルCDとしても欲しいところ。
というか、別に配信でもカップリング入れてくれていいんだよ? スタッフさんどうですか?




はみだし御免





作詞・作曲:新藤晴一
編曲:綿引裕太, 田中ユウスケ, PORNOGRAFFITTI

TVアニメ「火喰鳥 羽州ぼろ鳶組」OPテーマ


作詞作曲が新藤晴一のA面曲は2019年の“VS”以来である。

編曲の綿引裕太は初の編曲参加。どうやら田中ユウスケがプロデュースで、綿引裕太が編曲・ベースをつとめているようだ。

今回編曲がまた凝りに凝っていて、自分は相変わらず耳がバカなのにハイレゾ買った身で言っても、1音聴く毎に元が取れるのでお得です。

こうして色んなアレンジャーと組んでいるポルノグラフィティだからこそ、これだけキャリアを重ねながらいつまでも新しさが消えないのだろう。
かといって、初期であれだけ多彩なアレンジしまくってた本間昭光ってやっぱり化け物だとも思う。

アニメの方は未見で書いているので申し訳ないが、テーマ的にも原作者的にも気になるので、追って見てこうと思う。新藤さん、ドラマ最後まで見ましたか?

タイトルはライヴでも言っていたけど「切り捨て御免」のニュアンスで発音が正解とのこと。

正直タイトルを見たときは「久しぶりにやったか????」と不安もよぎった。

29日のライヴ前にアップされたワンコーラス版聴いたら最初からごめんなさいだし、ライヴでフルで聴いたら謝罪代行の連絡先を検索していた、御免。この世ではみだしていいのは刑事だけだと思ってた。

ポルノグラフィティ、ブレーキが壊れてる。
歌も演奏も歌詞もアレンジも、何もかものクオリティ水準がぶっ壊れている。

ずっと確変状態だ。
ファンの中でそれぞれ個人の好みはあるだろうけど、少なくとも何年も「気を抜いてるな」ってもんが出てこない。

少なくとも、毎回何かしらの新しい要素を盛り込んでくる。
こんなに同じことしない人たちいますか?

これだけキャリアを重ねてまだ新曲が怖いミュージシャン、そうそういない。
前にもどこかで書いたけど、今のポルノグラフィティなら、あの「暁」すら過去にできる。

期待を掛ければ掛けるほど、期待を超越するのが今のポルノグラフィティなのだ。

岡野昭仁の歌声が毎回すごいのはもうデフォルトとして、"ヴィヴァーチェ"もそうだったんだけど、自身の作曲担当ではない曲に対する歌のアプローチがとても活き活きしているように聴こえる。

先でも触れた編曲もめちゃくちゃ凝っていて、まさに「御免」の無音の緩急使いだったり、間奏とかAメロのバスのキックの音も印象的だし、ピアノの軽やかな音色が良いフックになっている。

Dメロまである面白い構造もあって、初聴きの振り回される感じが堪らなかった。

あとギターソロめっちゃ良くない??
こういうドラマティックなソロ大好物。


では歌詞について見ていこう。







歌詞




さて、歌詞について見ていこう。

災い引き寄せる口を閉じたなら
次は愛想が悪いと言われ
ヘラヘラ引き攣り笑ってみたら
誰彼にも舐められる 無念

印象としては“今宵、月が見えずとも”のような和ロックな厭世観。
こういうの出されたらファンは全面降伏なんです。許してください。

これだけでもうクラクラとしている。

こういうこと書かせたら世界で右に出る人何人いる? と言いたい。

ワンコーラスだけ聴くと、主人公がなんとなく黒澤映画に出てくる三船敏郎みたいな印象を受けた。どこの三十郎だ。

それが2番になると。

ハラスメントの網に触れぬよう
抜き足差し足でゆく 危険

ここで「ハラスメント」を持ってくるワードセンスハラスメント。
この急角度の言語跳躍をしれっと2番Aメロにぶっ込んでくる恐ろしさ。

俺たちは待っていたのだ。

こんなキレッキレの新藤晴一を。

大袈裟ではなく、僕はこんな気持ちになりたくてポルノグラフィティを聴いているのだ。

ポルノグラフィティの歌詞の2番を聴かない人は人生を損切りしている。

ポルノグラフィティに敵わない。

なんでこんな言葉がまだ出てくるんだ。

この人の一雫にまた酔いしれるのだ。天才!

はないちもんめ 強さが欲しい
お前にゃやらぬ 鬼がいるからよぉ

もう褒める言葉が残ってない、助けて。

僕はこういう記事のときに何かポルノグラフィティ以外の要素を宣伝したくなるんだけど、この歌詞が刺さったなら、サブスクでハルカトミユキの“わらべうた”を聴いてほしい。この曲は「毒には毒と書けと言う/想像力のない奴ら」とかかなりキレていているし、この曲でもはないちもんめを引用している親和性。

俺、この曲を聴いて本当にぶっ飛ばされて、まさか同じ気持ちを最推しから味あわされると思わないじゃん。


はないちもんめって「となりのおばさんちょっと来ておくれ/鬼がいるから行かれない」の部分とか、ここと呼応するように引用されているけど、「あの子が欲しい」という部分が「強さが欲しい」としているところに、感電したかってくらい痺れた。


テーマとしては、世間と馴染めない主人公を「はみだしてしまう」としながら、こういう想いの人って、今の時代には少なくない。世界はそもそも出世に無縁な霞ヶ関のはぐれ者、一匹狼、変わり者、オタク、問題児、鼻つまみ者、厄介者、学会の異端児、そういった人間の集まりだ。

「永遠の業火」という歌詞があるけど、これは「それでも最期まで道連れになる自分の身体」でもあると思う。業火ってどちらかというと、罪としての身を焼く炎という意味に使われがちだ。


参考



この曲では決して消えることのない信念としての炎として描かれる。
だからこそ、その信念故に主人公ははみだしてしまうのだ。

そんな曲が火消達の物語のアニメの主題歌って、もうね(光悦)


そして、最も美しいライン。

灰の中から生まれる美しい鳳凰

未見だが、物語の主人公の松永源吾の羽織の裏地には鳳凰が縫い付けられているという設定のようで、この辺りの意味合いもあるだろう。
灰の中から生まれるというのはどちかというと、不死鳥(フェニックス)の方である。
ちなみに鳳凰と不死鳥は異なっていて、鳳凰は中国神話、不死鳥はギリシャ神話に由来する。

鳳凰自体は平和の象徴でもあるので、それを願う気持ちとして鳳凰でもあるのかなと想像した。
義務教育の失敗作で歴史に詳しくないからあまり断言できないが、たぶん江戸時代は不死鳥って概念は日本にはなかったんじゃないかなとも思う。間違えてたらゆとり教育が悪い。


江戸の火消しって知っている人も多いと思うけど、町火消が周りの家を壊して延焼を防ぐという消化方法であった。
だから、一度火事が出てしまうとかなり被害が大きくなってしまう。それは現代も変わらなくて、これを書いている今も山梨県上野原市では山火事が延焼中で鎮火を祈っている。

焼け落ちた灰の跡に、人はまた家を建て新たな生活を始める。それを繰り返していくことが生活なのだ。

これって、どうしても"言伝 ―ことづて―"に通じてしまう。
悲劇のわずか3日後に走り出した一番電車のように、人はまた新しい一歩を踏み出す。

また新しい年が始まった。

ツアーやアルバムが待っている。

今年もポルノグラフィティは、止まらない。


【ライヴレポ】みなとみらいロマンスポルノ’25 ~THE OVEЯ~ Day.2 @ぴあアリーナMM





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