2019年6月23日日曜日

フジファブリック「手紙」の歌詞が日ごとに大切になる 「さよならだけが人生だ」








この曲が配信リリースされたのは去年の6月。

今さら、何故と思うのが普通だ。

僕にはフジファブリックを語るほどの資格があるだろうか、とずっと考えていた。なので、前から何度かフジファブリックについて書こうとしては途中で止めてしまっていた。

僕がフジファブリックを好きになってからまだ日は浅い。

数年前に会社の人にCDを借りたことがキッカケだった。

当然、志村正彦はもうこの世にはいなかった。

それでも、残されたメンバーで歩み始めたフジファブリックを聴いていた。
山内総一郎の声や楽曲は個人的にはとても大好きで、志村正彦時代とはまた違う、しかしフジファブリックというアイデンティティをしっかり継承している。

今回フジファブリックを好きな人間としてというより、純粋に音楽を愛して生きている一人の男として、フジファブリックの"手紙"に感動したことについて1年経った今、書きたい。







"手紙"の普遍性








"手紙"は2018年6月30日に配信リリースされた。そして2019年明けにリリースされたアルバム「F」にもアルバムバージョンが収録されている。






配信からしばらくしてROCK IN JAPANの映像が放送された際に"手紙"を聴いて、なんて良い曲なんだとニュースをちゃんと追ってなかった自分の愚かさをまたしても実感させられた。

山内総一郎の作詞作曲、そのテーマは「故郷」
出身地である大阪を思い、故郷の家族や友人への「手紙」として書かれている。


歌詞からは固有名詞はおそらく意図的に省かれている。
こういった故郷を思う歌詞にはあえて固有名詞を出すことで想いをより強くさせるものと、省くことで誰もが心を乗せやすい普遍性を持たせるかに分かれる。"手紙"は後者に当たる。

変わらない場所と変わっていく場所。

「何もかもがある街」に住み「何もない部屋」で一人なく。
歌詞が書かれなくても、故郷はその真反対であることがわかる。

けれどそこで大事な友を見つけたと伝える。

出逢いと別れを繰り返しながら、人は生きていく。
一度の出逢いの別れ、当たり前に会えてた人との別れ。

それが数時間の別れか、永遠の別れになるか、誰も知る由はない。

それでも出逢った「縁」の中で、人は生きていく。


※ここから先は他アーティストの引用なども容赦なく入れてあることをご了承いただきたい











さよならだけが人生だったとしても




「さよならだけが人生だ」


于武陵の漢詩『勧酒』の最後の一説を井伏鱒二はそう訳した。元は「人生足別離」でそのまま訳すと「人生に別離はつきものだ」くらいの意味になる。つまり「さよならだけが人生だ」はかなり意訳したものである。

しかし歳を取れば取るほどに「さよならだけが人生だ」という言葉が、どれほど真理を突いているか気づかされる。誰もが大切な出逢いを失って生きていく。そして、人は取り戻すことのできない「縁」をいつまでも抱えて生きていく。






さよならたばかりが人生
言い聞かせたって胸は痛んで
~ポルノグラフィティ「あなたがここにいたら」


ポルノグラフィティの"あなたがここにいたら"という曲でも「さよならだけが人生だ」を引用している。そしてフジファブリックの"手紙"ではこんなフレーズに引用されている。


さよならだけが人生だったとしても
部屋の匂いのようにいつか慣れていく


2番でそう唄っていた想いは、最後のサビで、こう変わる。


さよならだけが人生だったとしても
きらめく夏の空に君を探しては


変わらない街、変わらない笑顔、それはまるでそこで時間が止まった人を想うように。



手紙







愛とは手紙のようなものですね
受け取るばかりで気がつかずに
~ハルカトミユキ"手紙"


僕が愛して止まないハルカトミユキの歌詞にも、こんなフレーズがある。1番のAメロで「雲の上にはこの声届いていますか?」という歌詞がある通り、これはもう会えないあなたを想う。フルサイズで歌詞を見ていただき聴いていただければ幸いだが、フジファブリックの"手紙"と大きく通ずるものと、違うものの対比が興味深い。


2018年のCOUNTDOWN JAPANにフジファブリックが出演した際に山内総一郎はこんなことを言ったという「15周年だけでなく、もっと先の未来まで、志村くんを連れて行ってあげたい。ずっとバンドを続けていきたい」

僕はそれを感想のツイートで読んで、年末に静かに泣いていた。

ここまででもいくつかのタイミングで"手紙"について書こうとしていた。しかし、書けずにまた時は過ぎてしまった。それが先日アニメ「さらざんまい」の最終話を見て、いよいよこの記事は終えることができた。

アニメ「さらざんまい」については細かいところを説明しても理解不能な作品(浅草で河童が唄い踊って尻子玉抜いてBLする話)なので、一切を省略するが、この作品のテーマが「つながり」であった。

そこで人と人の「縁」がつながること、そして作中の言葉に「誰だって切れてからつながっていたことに気付く」という言葉がある。今の世の中が「つながり」に溢れているからこそ、本当に大切な「つながり」を手離してはならないというメッセージが込められている。それが心に刺さって、ようやく僕は記事にすることができたのだ。


茜色の空 闇夜の月 地球のどこかで産まれる命
宇宙の法則の上を歩く 小さ過ぎる僕達
忘れたくはない 消え去って欲しくない だから今ここで歌に代える
あと何年経っても 僕の中に 深く深く留めておくよ
〜ポルノグラフィティ"ロスト"


これは、ポルノグラフィティのヴォーカル岡野昭仁が亡くなった母親を唄った歌詞。








見つけたよじゃれながら笑いながらも同じ夢追いかけて
旅路はこれからもずっと続きそうな夕暮れ



東京の空の星は
見えないと聞かされていたけど
見えないこともないんだな
そんなことを思っていたんだ
~"茜色の夕日"


雲の上には、きっとその声は届いている。

みんな、まあるい円でつながっている。


魂を削って生まれた音楽を聴きたいが、ミュージシャンが短命なのは悲しい

【感想】ハルカトミユキ "手紙" (映画「ゆらり」主題歌)

【感想】印象派 アルバム「印象派は君に問いかける」は"今"聴くべき傑作

スキマスイッチの"さいごのひ"が如何に名曲なのかをひたすら語らせて欲しい



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