2023年1月31日火曜日

【ライヴレポ】「暁」ツアー FINAL @日本武道館 セットリスト+徹底考察




日本武道館は1966年にThe Beatlesがポップミュージックとして初のライヴ公演を行った。

以降、ミュージシャンたちの"聖地"として、多くのミュージシャンたちがそのステージに立ってきた。

ポルノグラフィティ以外で何組ものミュージシャンたちのライヴをここで見てきたが、特に日本の音楽家たちは皆一様に「日本武道館は特別な場所」として語っていた印象だ。

・収容人数は1万人前後
・整ったコンサートホールに比べれば、正直音響はそこまでよくない(そもそも"武道"館なのだから当たり前)

それでもこの場所がミュージシャンを惹き付ける理由とはなんだろうか。

そして、

2023年1月24日

「The dice are cast」ツアー以来約7年3ヶ月ぶりにこの場所に立つポルノグラフィティは、日本武道館でどんな姿を見せたのか。

これは、そんな夜の記録である。

※大分公演のレポと被る部分もあるだろうけど、今この時に武道館公演を見た気持ちを残しておきたいので、ご了承ください

※今回いつも別に分けている考察(妄想)記事もまとめてライヴレポにぶちこんだので、大変長いです(要所要所に癒し休憩スポットとして可愛いうさぎのフリー素材を置いておきます)

ごゆるりと、あの日を思い返していただければと思います。






「暁」ツアー




※いつものだらだら序文なのでレポ読みたい方は次の小見出しへ


自分は正気でいられるだろうか。


この日を迎える1週間前ほどから、自分に問いかけてきた。

このツアーは一度、2022年10月28日の大分公演を体感している。

それでさえ、終演後の自分はもう半壊であった。

「暁」というアルバムの持つ力、今のポルノグラフィティをまざまざと見せつけられたからだ。

しかしながら。
当時のレポにも書いたが、僕は恐怖に震えてもいた。この完成度のライヴが、まだ通過点に過ぎないと感じたからだ。

全国25箇所・29公演をまわるツアーで大分公演は10公演目。まだ前半戦である。

そこでさえ圧倒的な力を見せつけられたのに、披露された「暁」の楽曲たちは、まだまだすくすく成長期みたいな感じで、伸びしろがあると思えて仕方なかった。

それを思ったのは以前、「UNFADED」ツアーの時、ツアー初日の静岡と、終盤の横浜アリーナを見たからだ。初日からの進化にチビりそうになった経験があった。あと5年老いてたら漏れてた。
※言うまでもないが初日の時点でとんでもない完成度である前提だ

だから、ツアーを経てブラッシュアップされた楽曲たちが、どんな成長をしたのか見届ける機会ができたのは、本当に幸運でしかない。

これからも誉れを積もろうと思う。

僕はファイナルに参戦したが、その前日、日本武道館公演初日は相棒が参戦した。

初日終演直後、相棒から連絡がきた。


「あなた、明日死にます」


故・細木数子でも「あんた、死ぬわよ」だったし、初期スペックの貞子でも7日間は猶予くれたのに、僕は明日死ぬらしい。

相棒は初めてのポルノグラフィティが日本武道館(「SWITCH」ツアーファイナル)なので、彼自身も思い入れが深いはずだが、それでも僕の死を真っ先に伝えてきた。


ライヴの翌朝、雪の降り積もった北の丸公園で冷たくなっているのを発見されるかもしれない、そう思いながら家を出た。
※そういえば結局雪降らなかったな

「ポルノグラフィティのライヴ」というだけで、僕の期待値は最大となる。
「これ以上の感動はない、これ以上は壊れてしまう」と思って行くのに、彼らは期待を10倍で返ししてくる。

「ミッション:インポッシブル」のトム・クルーズ並みに「毎度よく生き残れたな」と思うけど、それはポルノグラフィティは殺傷力の10倍僕に生命力をくれるからである。

ポルノグラフィティのライヴとはそんな場所なのだ。


さい、そろそろライヴレポに移ろう。



ライヴレポ




入場。

早速トイレ前の狭めの通路で人とすれ違おうとして、設置された消毒液のスタンドを倒す。

鼻炎対策用のメントールの飴を舐めた10秒後に、目に入ったホカホカの飛騨牛まんを無意識に買ってた(飴は結局噛み砕いた)。

ポンコツにもほどがあるだろ。


座席は1階席南東の最前列。
ちょっと右寄りではあるが、かなり見やすい。

ステージは去年までのツアーセットを拡張させたような印象。

相変わらず印象的なホンテ風の影ナレから、ほぼオンタイムで暗転。
ステージにサポートメンバーが板付く。

そしてステージ脇に設置された扉から、メンバーが登場。

楽器を構え、ステージ中央で向き合った後、"悪霊少女"のイントロが流れる。改めて見ると、イントロに合わせて絵本の表紙が開かれるかのよう。


1. 悪霊少女
2. バトロワ・ゲームズ
3. カメレオン・レンズ


セットリストの構成は、昨年までとほぼ同じ骨格である。特にアルバム「暁」の曲たちは同じポジションについている。

変わっていないということはつまり、ここまでの28公演で磨き上げられてきたということだ。

"悪霊少女"での岡野昭仁のロングトーンが相変わらず凄まじくて、なんなら更にパワーアップしていた。
あれ寺生まれのTさんの「破ぁ!!」より強いだろ。悪霊吹き飛ぶ。


プレステのロゴとプレステ2の起動音をパロった"バトロワ・ゲームズ"の主役は、ドラム玉田豊夢とベース山口寛雄のリズム隊である。
無条件で身体が動いてしまう。

また、挑発的なヴォーカルがとても楽しい。
序盤からだいぶHPが削られていき、すでに観客の方が昇天に迫っている。


"カメレオン・レンズ"の影の主役はやはりヴォーカルに絡み合うギターたち。
まとわりつくように、それでいて艶やかに、曲のアダルトな雰囲気を掻き立てる。

何度聴いても「この曲スッゲーな」とバカみたいな感想を抱いてしまうくらい、ポルノグラフィティの新機軸にもなってる。食材でいうとアボカド。クセがあるかと思いきや意外と色々なものに合う、


3曲通してクラシカルなイメージから今っぽさのある曲まで、テイストが全然違うのに、それが全く違和感なく流れていく。

冒頭の3曲はどれも、閉塞的な箱庭を描いた曲だなと感じる。幼き恋心、電脳世界、隣にいる君の心に写る世界、閉じた世界の中で、それらを通して自分自身と向き合っている。

まさに暁の現在地「夜明け前のまだ暗い時間」を思わせる曲が続く。

コロナ禍以降、閉じた世界の中で幾度となく自分と向き合ってきた人も多いだろう。

それぞれが、それぞれのレンズ越しの世界を乗り越えて、なんとかここまでやってきた。


MC①


MCはいつもの「ワシらがポルノグラフィティじゃ!」と最終日という話へ。
ちなみに岡野昭仁は各階ごとに煽るとき、無い3階席を煽っていた。

昭仁:今日でツアー終わりなんですよ。
……なんでそんな薄いリアクション。まぁね、声が出せないというのもあるだろうけど。
でもファイナルらしい空気になってるね。良いライヴになる一つの指針として、始まる前に皆さんの手拍子が起こるっていうのがあって、それが起きたよ、今日。
まぁ、あのSEでリズム合わせるのも大変よね、その苦労も伝わってきてます。
ヴォーカルの岡野昭仁です! ギター新藤晴一!

晴一:どうもどうもー!
18回目のツアーなんですよ。活動も24年か? 続けてきて。でもやっぱり大事なのって新しいアルバムを持って、新しい旅に出る、新しいライヴをやる。新しいことをやるということが、数字よりも大事なことで。
全国を回って、この「暁」の曲をやってきて、全国のみんなの熱を込めてもらって。今日ここで、俺たちが創った時とはまた違う「暁」のアルバムになるんじゃないかと思いますし、それは君たちにかかってると思ってるので、まぁ配信の人たちもおるけど。
……って今日めちゃくちゃカメラおるよね。後ろにもあれば、(玉田)豊夢くんの横にもあろば……撮るなよ
昭仁:撮ってもらっとき
晴一:鼻ほじれんじゃないか。
本当に、今日で「暁」がどんなアルバムになるか、かかってるので、最後までよろしくお願いします

昭仁:ありがとうございます。こんな天候が、大寒波が来てる時に集まってもらって。今日は存分に楽しんでください。ワシも記憶の中にしっかり刻み込むような1日にして帰りたいと思うとるんだけど。
えーアルバム「暁」の曲は後でどんどん聴いてもらうんだけど、こっからは、24年間の歴史があるので、それらをお届けして、皆さんには爆アゲになってもらおうと思います


4. ネオメロドラマティック
5. プリズム
6. 愛が呼ぶほうへ


3曲ずっと『ジャンケットバンク』の御手洗くんみたいな顔で「破ぁーーーー????」ってずっと言ってた。
これは悪霊も吹き飛ばない。


電卓くん『ジャンケットバンク』より


ちなみにここは昨年までは、こんな流れであった。

4. ジョバイロ
5. Stand for one's wish ※
6. サボテン

※同じ会場で2公演ある場合は、2日目が"オニオンスープ"になっていたらしい

武道館に向けてこのブロックの曲はいくつか変えてくると思ったが、変更後の殺傷能力が高すぎる。
一応断りを入れるが変更前の3曲が物足りないということではない、どうしても変更後の流れに考察脳が働いてしまうのだ。


"ネオメロドラマティック"は2019年の東京ドーム初日以来。イントロから一瞬で沸点である。ホットウォーターサーバーより早い。

ツアー最終日ということで、この言葉が引っ掛からずにいられなかった。

最後まで付きあおう
僕が果てるまで 最高のエンドに
辿り着けるから

ツアーファイナルに、こんなおあつらえ向きな言葉があるだろうか。

しかし、それだけではない。


後にはライヴで1度も演奏していない曲を披露する「稀・ポルノグラフィティ」枠で「VS」のカップリングである"プリズム"が続く。

「VS」のシングルは少し特殊で、カップリングの2曲の歌詞が岡野昭仁、新藤晴一からファンへのメッセージになっている。
ちなみに新藤晴一のヤベェラップが入っている"一雫"はコロナ以降「REUNION」で本編最後に披露されている。またライヴでやってくれないと怒る。

アルバム「暁」が全曲新藤晴一作詞ということもあって、必然的にセットリストも新藤晴一歌詞の割合が高いけれど、こうして岡野昭仁作詞の真っ直ぐなヴォーカル曲が不意にくると、胸を貫かれるようだ。

そして"プリズム"のメッセージ──これはライヴ最後の方の岡野昭仁の言葉にも通じるから、詳しくはそっちで書く。

"プリズム"が示すのは辿り着く場所、まさにこの瞬間もその一つだ。


昭仁:次に聴いてもらう曲は、皆さんにとても大切にしてきてもらった曲です。"愛が呼ぶほうへ"

その言葉からイントロでまた潤んでしまう。

テーマ的なものを勝手に読み取って潤んでたのもあるんだけど、それ以上にこの曲を聴けたことが、どれだけ嬉しかったか。

「思い入れが深い」なんて言葉だけでは、全然足りない。

間違いなく、20周年イヤーを経てファンにとって、何よりメンバーにとって、更に特別になった曲。

行きたかった悔しさを込めて見たDVD越しのライヴも、
初めて行ったライヴも、
相棒を初めて連れていったライヴも、
初めてのスタジアム公演も、
テレビで見た因島の小学生たちの合唱も、
しまなみの空に響いた声も、
しまなみの空に響かなかった声も、
20周年のお祝いの東京ドームも、

全部そこに"愛が呼ぶほうへ"があった。


いつだって僕らは、それに導かれている。

導かれながら、僕らは自らの意志で歩き出す。

それにしても、この曲の時の岡野昭仁の歌声が、この世のものとは思えないくらい優しかった。
あと、さりげなく最後のサビのドラムで"キメ"が足されてて、僕は心の底から玉田豊夢のドラムが好きなんだなと思った。

この3曲、狙ったとしか思えない流れで。

冒頭3曲のどこか漂う閉塞感からの脱却を思わせる"ネオメロドラマティック"。
そこから目指す先を教えてくれる"プリズム"
導いてくれたものは何か明らかになる"愛が呼ぶほうへ"

「暁」のテーマがここにも隠されている。

ところで"ネオメロドラマティック"と"愛が呼ぶほうへ"って「SWITCH」ツアーファイナルでもかなり印象的だったんですよ。

終演後、それをふと思い出して「相棒は穏やかな顔して死んでいったな」と空を見上げた。



MC②


昭仁:ありがとうございます。10月から始まったんかツアーが?
晴一:9月
昭仁:9月だっけ……9月か、ツアー始まったのは。
29公演目のツアーファイナルということで、今日は配会場以外でもライヴ・ビューイング、それと配信を見てくれている人たちもおるわけ。配信の人たちが(チャットで)コメントをくれているわけです。
(タブレットで画面を見る)それで、色々……スタンプばっかりじゃね……うん。ほとんど、スタンプです……

↑この「ほとんど、スタンプです…」の時の哀愁よ

昭仁:これ……不測の事態で。僕は何に反応すればいいでしょうね。みんな最低限に「見てます」とかスタンプばっかりじゃね。
でも、こうして全国で見てくれていると思うと、世界が広がると思いませんか?
ここだけの空気もいいけれど、その空気を吸えない人も配信で楽しめるという、素晴らしい試みだと思いますけど。
……もうちょっと読むものなかったかな……
(この後、なんとかコメントを拾おうとするもグダグダに)

晴一:でもこれ、今回ツアー回っている時にさ。もしかしたら、もしかしたらよ? こういう形式のライヴっていうのが最後になるかもしれんってことでしょ。なんか5月くらいにコロナのあれ(感染症の分類)が、下がるんでしょ? すぐに声を出せるようになるかは分からんけど。
「こんな時代のこんなツアーもあったねぇ」て、今回のツアーが最後になると信じて、なんかすごい思い入れ深いツアーになった、気がするなぁ
昭仁:ですね

※これ書いてる間に声出し解禁がまた進みましたね

晴一:そうなったら、そのボイスストラップほんまに要らんけぇね?
昭仁:要らなくなりますね。どうすんでしょ?
晴一:今のうちにいっぱい押しとかんと

(会場に響くボイスストラップの音声)

昭仁:あ、でもこれ映画館で配信観てる人は使っちゃいけんのだって
晴一:なんで?
昭仁:ボイスストラップの音を上げすぎたせいで、騒音になるからって
晴一:映画館でってこと? あ、隣の「スラムダンク」に聞こえちゃうってこと?
昭仁:「花道ー!」のところに「晴一ー!」って聞こえてしまう
昭仁:「流川くーん!」とか言ってるところに
晴一:持っていってる子もいるだろうにね
昭仁:事前にアナウンスされてるんだって
晴一:ほぅ、そうなの。じゃあ、隣の「アバター」の1番良いところで押してやれば……
昭仁:(隣の劇場が)「なによ!?」って思うだろうね



昭仁:あ、そういえば昨日話すの忘れてましたけど、ミュージカルの話しなくていいんですか?
晴一:おうおう。ミュージカル、やりますよ
本当にミュージカル、8月にやりますんで
昭仁:なんでしたっけタイトル?ファ……ラ……ラン……グリア……?
晴一:ヴァグラント
昭仁:ヴァグランド?
晴一:ヴァグラント
昭仁:ヴァグ、ランド…?

↑なんだこの夫婦漫才

晴一:ここにいる人たちとか配信見てくれている人たちは、俺のことを知ってくれているじゃん
昭仁:おう、そりゃそうよ
晴一:きっと心配してる人がいると思うの。
昭仁:ほうほう。その人のために言ってあげた方がええ
晴一:これを最初に言っておかないといけないんだけど。ミュージカルをするとはいえ、僕が歌うわけではないです
昭仁:え、歌って踊らんの!?
晴一:演技も、しません
昭仁:ワシ、それなら見に行こうと思ってたのになー。え? ワイヤーに吊られたりせんの?
晴一:せん、せん、せん、せん
昭仁:せんのかい
晴一:「心配ないさー」も言わんし
昭仁:「心配ないさー」も言わんの? 下半身裸、頭はライオンで。

↑唐突に変態半獣を生み出すヴォーカリスト

昭仁:あ、でもあれはするんじゃろ? 赤い服を着て、頭くるくるにして、赤毛にして
晴一:あ、「トゥモロー♪」ね
昭仁:そうそう。それはやる? それをやるならワシ見に行く
晴一:それは舞台袖でやってようかな
昭仁:なんやそれ

晴一:ほら、でもあれよ。ポルノはね。俺たち、ロックぶっておかんといけし。
昭仁:まぁね。今ポッケに手入れてるし
晴一:「時間があったら遊びに来てれよ、ポルノのライヴ」くらいのこと言うけど、ミュージカル方面での僕は「来て下さい」(この時とても真っ直ぐな目をしていた)
昭仁:もう、下から下から。でもあなたは歌って踊らない
晴一:横で踊ってる
昭仁:「心配ないさー」も言わん。残念だなぁ、それなら見に行こうと思ったのになぁ。まぁ、いいです。なんやったっけ、ヴァグランド……?
晴一:ヴァグラント
昭仁:ヴァグ……ラント、よろしくお願いします


昭仁:さて、アルバムの曲を聴いてもらおうと思います。さっき晴一も行ったけど、アルバムの曲をライヴで、もちろん音源を聴いてくれるのもありがたいんだけど、ライヴで聴いてもらって感じてもらってはじめて完成だと思っているので。アルバムの曲を楽しんでもらえればと思います。聴いてください。


7. ナンバー
8. クラウド
9. ジルダ


自分がなんでこんなに"ナンバー"が好きだろうなと、ずっと考えている。

歌詞に「ウサギ」が出てくる、まぁそれもあるけど、絶対それだけでなくて。

森羅万象、生命賛歌みたいな側面もあるのだけど、もっと純粋な想いなのかもしれない。

曲がいい、演奏がいい、アレンジがいい、歌詞がいい、歌がいい。

音楽に、これ以上必要なものがあるだろうか。

ただただ、そんな純粋な気持ちにさせてくれる不思議な曲だ。

だから僕は、"ナンバー"がたまらなく好きなのだろう。


"クラウド"は大分に引き続き、今回もしっかり致命傷。なんなら「来る」とわかっている分、先回りして墓穴を掘っておいたくらいだ。

この曲を取り上げるたびに蒸し返している2番の歌詞。

駅裏の小さなあのカフェ ひっそりと閉店したみたい
ひとつずつ消える 名残というか 歴史というか 不意に涙

2023年1月10日
世界三大ギタリストの1人であるジェフ・ベックが鬼籍に入った。

そのあまりに突然の訃報に、呆然としてしまった。

その翌日、日本では高橋幸宏が旅立った。

「当たり前のことなど、この世にはない」

J-POPでうんざりするほど歌われてきたことのはずなのに、僕はその言葉を反芻せずにいられなかった。

決して他人事ではない。
大切にしていた人にも、大切に想っていた人にも、自分自身にも、誰にでも。

いつか、その時は訪れる。

だからこそ記憶に残るもの、記録に残るものを抱えて、繋いで今を生きてゆくのだ。

【追記】
これを書いていた矢先。
2023年1月29日にシーナ&ロケッツの鮎川誠がこの世を去った。辛いね……



"ジルダ"

皆川真人の艶やかなキーボードの音色。

もちろんキーボードだから音色は選べるけど、それを置いても、これほど演奏によって表情が豊かに変わる楽器はないと思う。

よくゲーマーピアニストの清塚信也が「まぁ、ピアノが1番ですけどね」とピアノの良さを語っているけど、それを思い知らせれてしまうかのよう。

だからこそ、あまりにも多ジャンルなポルノグラフィティの音楽における、鍵盤楽器の重要性がとてもよくわかる。

曲について。物凄く語弊のある言い方になるんだけど、大分で聴く"ジルダ"と、東京のド真ん中で聴く"ジルダ"は全く違っていた。
※大分はすっっごく良いところです

僕も普段、マッドシティ八王子に生きているのでわかるが、東京という街が持つ特有の説得力というものがある。

正直なところ、"ジルダ"の歌詞ってそこまで乗り切れない部分もあるのだけど(自分にはちょっとキザすぎる)、会場ではそんなこと全く感じさせないくらい、豊かな時間だった。



MC③

昭仁:楽しんでいただけてますでしょうか。配信で見てくれてる方も、ライヴ・ビューイングで見てくださってる皆さんも、楽しんでいただけてますでしょうか。ワシらが全国ツアーで行った場所でも、函館とか熊本でも見てくれているんですかね。
ステージ上みんな座ったので、皆さんもよかったら座ってください。
……そない静かに座る? まぁ座るのにうるさいもくそもないですけど。 
でも座りっぱなしではダメですからね。この後の、その後になるかもしれんけど、グッと立ち上がる場面があるから。それはきっと空気読んだらわかるから。そのまま座って大人しくいられても困るで?

座った瞬間にちょっと平静さを取り戻して思い返し「これ終わるまでに自分が終わるライヴ?」と震えていた。

昭仁:さて、「暁」の特典映像で、ポルノグラフィティの今までライヴでもやってないような稀な曲を4曲映像特典にして入れたんですけど。それとは別にまだ、4曲以外でワシらがやってない曲で、今日のセットリストで"プリズム"を初披露しました。

昭仁:そんな感じで「稀・ポルノグラフィティ」みたいなことをやったんだけど、この次に聴いてもらう曲は、ライヴで演奏したことはあるけど、2009年の東京ドーム、10周年でしたね、以来やってない曲です。
きっと皆さんの支持のある、結構「好きですよ」という声も聴く曲のはずなのに、ワシらの落ち度で、14年間やってなかった曲がありますので。そちらを聴いていただこうと思います。それをアコースティックアレンジで聴いてもらおうと思います。聴いていただく曲は"うたかた"。


10. うたかた

キーボードを中心にテンポを落とした余韻たっぷりのアレンジ。

こうした既存曲のライヴアレンジって、初聴きよりも2回目の方がより刺さる場合がある。
今回の"うたかた"がまさにそれであった。いや、ポルノグラフィティの場合ほとんどそうか。

それくらいアレンジ初聴きの衝撃と刺激が強いのだ。
構えて落ち着いて聴ける分、2回目の方がより繊細な部分まで聴き取れる。

にしても「2009年以来久しぶりにやります」という楽曲を、アレンジで聴かせるって、普通なら結構大胆な挑戦のはずなんですよ。

それがポルノグラフィティに関しては、聴くことができた嬉しさ、アレンジの素晴らしさで全くそれを感じさせない。もちろん中には原曲のままのアレンジで聴きたかった人もいるかもしれないけど、そういう挑戦をするのもポルノグラフィティなのだ。

最後に演奏された2009年からの14年間を埋め合わせていくように音源よりもゆったりと、余韻を含ませながら岡野昭仁は歌う。


あなたまではひどく遠い
だけど足を止められない
道の途中は目に映らない
辿り着いた先にあなた
あなただけを捉えられたら


これもまた導かれた者の歌である。


改めてじっくり聴いて、アレンジの素晴らしさが全身の細胞に沁みわたるよう。

音楽に完成はない。

僕がよく書いている「その時代の音楽をリアルタイムで味わえるのは、今を生きる僕らだけの特権だ」というようなやつ。音楽を記録ではなく記憶として味わえるのは、今この時しかない。

それを感じさせてくれるのが、ライヴという場所なのだ。

麗しき今この時だけのアレンジの"うたかた"にそんなことを考えた。

あと、ポルノグラフィティは「稀・ポルノグラフィティ」枠を定番化させて、未披露の曲たちをステージに立たせてほしい。
"別れ話をしよう"と"小規模な敗北"はいつになったら聴けるんだ。


11. 瞬く星の下で

岡野昭仁の弾き語りで曲が始まる。

たっぷりと間を取りながら、切々と言葉を紡ぐようなヴォーカル。この曲のアコースティックアレンジといえば15周年の「ラヴ・E・メール・フロム・1999」で披露されたものが思い浮かぶ。

その時ともまた印象が全然違っていて、この8年の歩みをしっかり感じさせてくれる。

1番を歌い終わる頃にはすっかりステージに引き込まれ、そこに一気にバンド演奏が加わる。

前回ツアー(前回は"元素L")から定番になりつつアレンジだけど、ホントこういうの好き。特に"瞬く星の下で"だと、バンド演奏とともに一気に世界が開けていくかのよう。

さっきの"うたかた"でも書いたけど今回、武道館のセットリストは、ここまでのツアー以上に導くもの、導かれるものを歌っている曲が増えているような印象を受けた。

空の星もまた、人を目的地へと誘う輝きだ。



昭仁:さぁ、武道館も配信の向こうで見てくれている人も、生きる屍になってもらいましょう。"Zombies are standing out"


12. Zombies are standing out
13. メビウス
─インプロビゼーション─
14. 証言


声は出せないけれど、みんな心の中で武道館が揺れるほど叫んでいるのが伝わってくる。

冒頭のサビの間、ずっとステージに引き寄せられていた。今だから冷静に書いているけど、本当に意識ごと持ってかれてしまいそうで、1階席の最前列にいた僕は、そのまま落ちかねないほどだった。

その朦朧とした意識が、ステージから立ち上がった炎によって覚醒する。1階スタンドにいても感じるほど、吹き上げる炎の熱は強烈だ。

カッコイイ、とにかくカッコイイ。
今のポルノグラフィティはこんなにも、カッコイイのだ。

この曲になると語彙が全くなくなる。
たぶん下半身裸で頭がゾンビ化している。

いきなり話変わるんですが、この間Mr.Childrenの30周年記念の映画を観たんです。そこで、改めてコロナ禍のライヴ興行というものを考えさせられた。

当時の音楽関係者(特にライヴ関連のスタッフ)の言葉はたくさん読んだり聴いてきた。人によっては本当に壊滅的で絶望しかない状況で、中には失業された方もいる。

もちろん医療関係者の方をはじめ日々尽力されてる方もまだ沢山いて(頭が上がりません)、コロナウイルスによって苦しんでいる方もいるので、決して諸手を挙げてライヴを早く元通りに!とは言えない。

それでも少しずつ、ひとつずつ乗り越えようと、繋いできた日々の先に、希望があると信じて僕らはここまできた。

無観客からキャパシティの半分の観客に、そして今は満員の会場へ。

正しさとか正解はなくて、誰もが信じるもの、守らなければいけないこと、今できることの最善を信じて、選んで進んできた。

いつか新藤晴一が語っていた「選ばなかった道が正解だったか確かめる術はない。だから選んだ道を正解にしていくしかない」という言葉が表すように。

"Zombies are standing out"はゾンビを「再生の象徴」として描いている。

コロナ禍前に書かれた"Zombies are standing out"という曲が、より強く僕らの再生を後押ししてくれる。


そして"メビウス"

大分公演の"メビウス"に圧倒された。富士川の戦いの平家くらい圧倒された。

「ゾンビで生き返らせておいてまた殺すな」と苦情を言いたいくらい凄まじかった。今回の武道館も同じで、正直軽く意識を失ってた。

"メビウス"って、"Zombies are standing out"とは全く違う角度から魂を引きずり込んでくる。「貞子vs伽椰子」かお前らは。

"Zombies are standing out"とかはライヴで演奏されると、どんどんスケールが大きくなっていくイメージなんだけど、"メビウス"は聴くたびにより深淵の奥底へどこまでも沈んでいくよう。

惜しむらくは最後のサビの入りで歌詞を間違えてたことだけど、そこの部分が「もう くゆらさなくていいの」に聴こえた。

それがまるで「もう無理しなくてもいいよ」と言っているように感じて。魂を燃やし、光に焼かれ灰になっても立ち上がろうとしている姿に向けて。

もろちん普通に間違えただけなんだけど、そんなことを考えてしまうくらい、この時の僕は壊れていた(いつもじゃないかって? 正解)。


一度岡野昭仁がステージをはけて、楽器隊によるインプロビゼーションへ。山口寛雄のウッドベースの音色が素敵すぎてしまった。

これまでも新藤晴一によるギターソロのお時間はライヴで度々あったけれど、いつも以上にストーリーテリングなギターに感じた。インストゥルメンタルでありながら、演奏によって物語性を生み出しているのだ。

ある意味ミュージカルからの派生のようだけど、そのドラマ性の高さが、"メビウス"と後にくる"証言"を繋ぐのに絶妙な架け橋となっている。


インプロ終わりでギターのアルペジオから"証言"へ。

相棒とも言っていたんだけど、武道館の"証言"はセットリストの中でも、ベストと読んでも過言ではない代物だった。まさに飛べるほど鳥肌が立っていた。

近年の岡野昭仁の歌の進化は言うまでもないはずだけど、それでも語らずにいられないほどだ。ちょっと、凄すぎる。
あと、アウトロの玉田豊夢のドラムがもはやバラードとは思えない手数で、鬼気迫るものを感じさせられた。もちろん他の演奏もとんでもない熱量だ。

演出面でも、武道館でステージが広がったこともあって、これまではステージ後ろに1枚だった紗幕が、ステージ両端にもそれぞれ追加された。この追い紗幕の演出があまりに見事だった。

これは穿った見方で演出チームも全く意図してないことだろうけど、中央の紗幕のところからひとつ緑のスポットライトが点いていた。
それが僕の見ていた角度だと、ライト近くの紗幕に当たった部分は丸く、そこから下に向けて少し放射状に広がって下りていく影が、まるで大きな人の影のように見えた。
(なんかオカルトみたいな話で恐縮だが)

背景の霧がかったような映像と相まって、幻想的な世界だった。

この表現が正しいのか分からないけれど、この時だけは「ポルノグラフィティのライヴ」ではなく、「"証言"という曲の世界」を見ている感覚になった。
たぶんライヴでこんな感覚になったのは初めてかもしれない。


……あー!!! 書いててわかった!!!

「ポルノグラフィティのライヴ」ではなく、「"証言"という曲の世界」を見ている感覚

これって、新藤晴一が「74ers」で本来やりたかったことなんだよ。

すまんが、ちょい語らせてくれ。



『(74ersについて)結果的には僕の力不足であまり評価されなかったんだけど、そこでもし、みんなに受け入れてもらえていたら、さらに発展したライヴが生まれていた気もするというか』

『たまに夢見ることは今でもある。でも、もう絶対に遅いと思うんだよなあ。今となってはSEKAI NO OWARIとかが
面白いことやってたりするから。』

これは20周年イヤーで発売されたスペシャルブックに掲載された新藤晴一の言葉である。

「74ers」について、新藤晴一としては思うところもあるみたいなんだけど、僕や相棒って(生で見てないくせに)あのツアーの演出とても好きだったんです。

大分レポで書いた、(狙ってないにせよ)「インプロビゼーションと"証言"が、"メビウス"でのうすれる意識の中で見たものに見える」という印象は、ここに繋がってたんだと思う。

もちろん「74ers」のような演出を意図しているわけではないけど、期せずして結果的にここの一連の流れは「74ers」で挑戦しようとした演出テーマへの、一つの回答になったのだ。

それはミュージカルとまた違う。ポルノグラフィティの音楽で物語を紡ぐということであって、同時に曲の世界観そのものを物語によって広げることへの挑戦でもあったのではないかと思う。

だから、相棒と2人揃って"証言"がヤバかったという感想が一致したのは、こうしたストーリー性に心射たれたからかもしれない。

久しぶりに出てはいけない類いの脳汁が出るくらい腑に落ちた。相棒は知らんけど。

ということでライヴは後半戦へ。

ちなみにここまででとっくに1万字を超えているので、本当にくれぐれも休みながら読んでください。










昭仁:どうもありがとう。
さぁ、ポルノグラフィティまだまだアゲアゲにしたい。だって、最終日じゃもの。これまでのツアーの想いがここに集約してるはず。だから、もっとアゲアゲでいきたい。よろしいか?

「アゲアゲ」と「よろしいか」って言葉が地続きなの、じわる。

昭仁:しかしながら、声が出せないという不自由さがあります。だからボディで表現してください。手拍子なり、表情なり、身体で表現してください。
この次の曲は、皆さんで手拍子で一体になる時間が設けてあるので、それで皆さんが一体になったら嬉しいなと思います。まだまだアゲアゲでいくよ!さぁ、いってみましょう、アゲアゲでいきましょう


15. アゲハ蝶
16. ミュージック・アワー


日本武道館に木霊したクラッブの強烈な音に、思わず涙ぐんでしまった(涙腺が弛みっぱなしなので修復不可能になっているのもある)。

それくらい、最初からとてつもない一体感の大きな音で、その音の迫力に気圧されてしまった。冗談抜きで20周年の東京ドーム5万人の圧にも負けないくらい強かったと思う。
実際、岡野昭仁も最初から「手拍子デカっ!」と驚いていた。

とりあえず"アゲハ蝶"を聴きながら僕は「あぁ、なんて良い曲なんだろう」と感慨にふけってしまった。間違いなく人生で1番聴いている曲のはずなのに。

間奏部分のラララのコーラスの代わりに、手拍子でリズムを取っていく。

途中で岡野昭仁が「ここからは自由に楽しんで!」とふったら、集まったエリートポルノファンたちは見事にラララコーラスの横ふりで揃う。
それを見て岡野昭仁が「みんな手を横にフリフリするのか」って言ってたのが変なツボに入った。

この先、まだどうなるのか分からないけれど、少なくとも今この時のライヴとして、声が出せない中こうやって楽しんだという記録を残しておきたい。

ちなみに、しきりに叫んでた「アゲアゲ」は「アゲハ蝶」にかけているのか否かは、岡野昭仁のみぞ知る。


ファンキーな短めのインプロビゼーションへ。
岡野昭仁の「アカッ!ツキッ!○×△☆♭□▲ファンキータイム!」みたいなアクセントがクセになる。何て言ってたんだあれ。

その流れのまま"ミュージック・アワー"へ。
楽しい、めちゃくちゃ楽しい。

ここまで色んな角度から脳ミソを揺さぶられて、めちゃくちゃになっていたところにMアワハッピー注入されたら、人間もう壊れる。もはや洗脳の手口だろ、これ。

ファンクアレンジがまた良くて、以前に「BITTER SWEET MUSIC BIZ」ツアーとか2011年幕張のロマンスポルノ「DAYS OF WONDER」でやったブラスアレンジともまた違うアレンジになっていて面白い。




外は寒波で風が吹き荒れて凄いことになっているのに、武道館の中だけはたくさんの愛とか恋とかが胸を焦がして、冬さえ熱を帯びていく。




17. VS
18. テーマソング
19. 暁


いよいよ本編最後のブロックになった。大分公演であんなに書いたはずなのに、なんで僕はまたこんなに書いているのだろう。


皆川真人による"VS"のイントロと共に浮かび上がるロゴは、20周年のあの日を思い返させる。

あっという間にもう25周年が視界に入ってる。マジか、いくらなんでも時間歪みすぎだろ、おとぼけた科学者。

"VS"とかこの後の"テーマソング"も、"ネオメロドラマティック"みたいに一瞬でウワー!っと盛り上がるというタイプの曲ではないけれど、演奏が終わると胸に熱いものが込み上げてくる。

「VS」が発売された時にシングルレビューで「"VS"は『ポルノグラフィティの新藤晴一としての偶像』に対して歌われているのでは」ということを書いた。
(一応タイアップもあったし、「"VS"の歌詞はフィクション」と言っているが、全く無視している)。

要するに新藤晴一という1人の人間から見た「ポルノグラフィティの新藤晴一という偶像」に対してのアンサーではないかという意味だ。

歌詞に「こっちも闘ってるんだよ」という言葉もあるけど、本当はその先に「こちらの今も、そう悪くないよ」という、今の自分から過去の自分へ向けたメッセージが隠れていたのではないかと思えて仕方ないのだ。
(明らかに「そう思いたい」だが、押し通すぞ俺は)

破天荒なロックスターでなくとも、こうして積み重ねてきた歴史は、間違いなく一つの正解だろう。

武道館というロックの聖地でその決意が改めて響き渡ったというのが、何より感動的でならない。


"テーマソング"
間髪入れず響くドラムの音色。
今の僕にとって、このイントロこそがAEDだ。

大分の時にも書いたけど、"VS"と同じで自分にとっては聴くたびに存在が大きくなる曲だ。

「続・ポルノグラフィティ」からずっと、この曲はまだ本来の姿を見せていない。
この先どうなるか判らないけれど、近い将来にみんなで大きな声で歌っていいライヴが訪れたら、"テーマソング"はどんな顔を見せてくれるのだろうか。

あと、今回はこの先のライヴは発表されなかったわけだけど、「"テーマソング"がもっと輝くライヴ」がいつか待ってると思えば、未来を信じるのもそう悪くないかもしれない。

ちょっと慣れなかったのはサビで横のフリフリになるくらいだ。
※なんとなく「続・ポルノグラフィティ」のクラッブの方がしっくりきてた個人の感想です


昭仁:今日、皆とこんなに素晴らしい時間。皆、きっと汗かいてるじゃろ、手拍子しすぎて手が痛くなったじゃろ、叫べんっていっても心の中で叫んだじゃろ。
そんな時間を、ワシら一緒に共有できたら、きっとここに来る前よりも、ワシらにも君らにも、明るい光が差してきてるはず。
「暁」とは夜明け前のまだ、闇の時間帯のことを言います。その暁の先に、きっと今よりももっと、もっと強い光が差してくることを願って、信じて、皆さんにあと1曲届けたいと思います。今日は本当にありがとう。


"暁"

何度体感しても「え? もう本編終わってしまうの?」と思ってしまうくらい、時間は早く過ぎてゆく。

相棒と「武道館公演でどれが1番感動したか」みたいな話しをしていて、次々に「あれがあった」「これがあった」と連想ゲームみたいになっていったんだけど、間違いなく最大のハイライトは"暁"である。

最初のサビでステージに膝つき歌う岡野昭仁。

膝をつくという行為は本来なら「敗北」とか「降伏」みたいなイメージが強い。

けれど、この岡野昭仁に見るのは「それでも倒れない」不屈の闘志、「折れない心」だ。

何もかもがこの"暁"のためにあったみたいに、ここまで演奏された曲全てがここに集約した。


それでも朝はやって来る。

コロナ禍というものになって、少なからず誰の心にも「先の見えない漠然とした不安」みたいなものを抱いた経験があると思う。

でも、考えてみればコロナ禍でなくとも世の中に「たしかに約束された明るい未来」なんて、そうあるものではない。

何が起こるかわからない日々で、僕らは日常を消化している。

自分にとって、数少ない将来への期待が、ライヴという存在だ。

指折り数えて、その時を待ちわびて。

終わりが近づけば、寂しくなって。

ポルノグラフィティのライヴという光に導かれて、僕はここまで生きてこれた。

僕らは思ったよりも、懸命に今日を生きている。

未曾有の災害、戦争、疫病、心痛む事件。

生きることは、決して当たり前ではない。
"幸せについて本気出して考えてみた"の歌詞じゃないけど、皆それなりに人生を頑張ってる。

ポルノグラフィティがなぜ好きなのか。

僕にとって、答えはひとつしかなくて。


ポルノグラフィティの存在が、夜明け前の闇のような人生に希望の光をくれるからだ。


大袈裟かもしれないけど、ひねくれすぎた僕の人生にとって、ポルノグラフィティとはそれくらいの存在なのだ。でなければ、こんな文字数書いてない。

ポルノグラフィティとファンの関係で、どちらも「あなたたちがいてくれたから」と思っているのは、それが互いに写し鏡になっているからだ。

希望は決して望んだ者を救ってはくれないけど、希望を捨てた人間に、希望は希望と写らない。

それを思うと「続・ポルノグラフィティ」と題したツアーの1曲目"IT'S A NEW ERA"の最初のフレーズが。

夜明けを待って さぁ船を出そう

このフレーズって、改めて「共に進もう」という言葉なんだよね。他力でも自力でもない、本当の相互扶助がここにある。



アンコール




マジで今回、今まで以上にネチネチと文章がくどいなと自分で思っているほどなので、くれぐれも休み休み読んでください。
なぜなら、まだここからもくどいから。


ではアンコールに行こう。


昭仁:アンコールありがとう! まだいく?
結構限界近くまでやったけどまだいく? そうか、まだまだ行くなら、やろうアンコール。
ライヴ・ビューイングの人は時間、大丈夫なのか? それを見越してきてるのか。まぁ、まぁ頑張ろう

物凄い根性論で片付けるヴォーカリスト

昭仁:いやいや、いつも皆さんが導いてくれるアンコール。そんな皆の期待に応えるため、このアンコール、新曲をお届けしたいと思います。
あの、まだこの曲が何かタイアップがあるとか、何かとかはなくて、とにかく今、僕たちが鳴らしたい音を詰め込んだ楽曲です。
tasukuがトラックを創って、ワシがメロディをそこに付けた。tasukuと色々話したのはロックナンバー、今はギターが鳴らない時代だけど、ギターが鳴ってるようなロックナンバーが創りたいと。
それがまたポルノっぽさ、みたいな攻撃的な曲になれば。BPMの早いね、攻撃的な曲になればいいな、そんなイメージで曲をこしらえました。
そして歌詞、(新藤晴一を指して)歌詞はどんなイメージで書いたのでしょうか


晴一:ま、今からやるので。
我々がこう、自分の未来を想像する時に。なかなか凄い自分って想像できなくて。やっぱこう、ある程度(の自分)を想像する傾向にあって。なんでそうなるかというと、やっぱり傷つきたくないからで。凄い自分よりも低い自分を見積もって、もしかしたらこっち(凄い自分)にもいけるかもしれないんだけど、結局低く見積もった自分に向かっていくってことなのね。そういうのが、あると思うのね。
それを、皆がどう見るか、そんな曲です

昭仁:さぁきっと、この曲を聴いてもらって、僕らのまた「続」を感じてもらえればいいなと思います。曲のタイトル、"OLD VILLAGER"聴いてください


20. OLD VILLAGER (新曲)

最死ん曲はこちらでございます。

エグい。エグすぎる。

まず曲。tasukuの創ったトラックに岡野昭仁がメロディを乗せる"暁"と同じスタイルだ。

80'sっぽいハードロックさを出しながら、絶妙に現代的なアプローチのアレンジが加わっている。
今のポルノグラフィティにtasuku欠かせなすぎるだろ。

「ギターが鳴らない時代だけど、ギターが鳴ってるようなロックナンバーが創りたい」という言葉が、どれほど嬉しいか。こういうことするから、この人たちズルい。一生好き。

そして、新藤晴一の歌詞と曲前の言葉。

うっかり自分の心境と重なりまくったせいで、僕はもう心の隙間を全て覗かれたような心境だった。
 

最近ずっと、自分にできることを考えていた。

去年からブログ以外で書き物をしようとトライしていて(更新頻度が減ったのはそのためです)。
何かは言えないのですが自分にとっては大きめの挑戦で、うまくいかないことばかりで結構深めに悩んで迷っていた。

楽な道と楽ではない道も見えていて、どちらかを選択しようとしていた。

そこに、これである。悪霊の方がまだ可愛げがある。

「図星」って言葉が正しいか分からないけど、まさに自分の抱えてたものの核心を突かれてしまった。音楽にとって共感は全てではないけれど、やっばり人って共感で揺さぶられた感情には勝てない。

さて、この調子で歌詞の深読みをし出すと3万字超えるので、さすがに別記事にまとめることにする。歌詞はアーカイブ配信中に死ぬ気でメモりました。

ただ言えることは、まだまだこんな引き出しを出してくるポルノグラフィティが恐ろしくて仕方ない。


昭仁:ありがとう。この曲が、本当に長く愛される、そんな曲になれば嬉しいなと思います。ワシらの「続」が見えたかね?
これからも楽しみにしていてください

すみません僕、一瞬三途の川が見えました。

昭仁:さぁ、新曲を聴いてもらった後は、アンコール、せっかくなので楽しまんといけんじゃん。というとこはパーティー、パーティーせんといけんじゃん?
パーティーパーティーするには、やっばりパーティーソングが、パーティーチューンがいると思うんじゃ。
ポルノグラフィティのパーティーチューンといえば、あれじゃろ。
知っとん? 今まで1回も言ったことなかったけど、今回のツアーでそう呼ぶことにしたんじゃ

書いてて「パーティー」がゲシュタルト崩壊してきた。

昭仁:この曲には本当はダサい掛け声があるんです。その掛け声のコール&レスポンスで火がつくというのがあるんだけど、残念ながらそれができん。その声を出すところで千切れるくらい手を上げてくれればと思うとるから。手を振り上げて一体となって、パーティーパーティーして帰ってくれればいいと思います

ちなみに僕は"暁"で興奮しすぎて「『トイ・ストーリー』のオモチャなら今ごろ腕千切れてぶっ飛んでんだろうな」ってくらい腕振ってました。

昭仁:パーティーパーティーしますか!
ポルノグラフィティのパーティーチューンといえばこの曲、"Century Lovers"


21. Century Lovers

"ミュージック・アワー"もそうだけど、ライヴの楽しさをただ、ただ味わせてくれる至福の時間。

お祭りに楽しさの理由を求める人はいない。

中盤の間奏ではボイスストラップを使った「Fu-Fu-」タイム。細かく書いてると長くなるので割愛するが、本当に初っぱなから異常なくらい音が揃っていた。

岡野昭仁もしきりに「なんでそんなに揃うんじゃ?」「LINEでグループとか作ったん?」「君たち事前に武道館借りて練習した?」と驚いていた。

これ、本当に凄いことで。
通常ステージから遠い客席には結構タイムラグが生じるとがある。

武道館はすり鉢状だからそこまで影響ないかもしれないけど、それでも音が届くまでの時間に多少なりともラグは生じる。
それなのに、前後左右から聴こえる音がほぼかなり揃っていた。元から入っている音ではなく、自分で吹き込んで録音するので、音の出だしのタイミングも違うはずなのに。

「ポルノグラフィティのライヴの一体感は気持ち悪いくらい凄い」とよく言われるが、ここまで揃うともはや、これこそオカルトである。

各階ごとにやってもバッチリで、煽るためなんとか粗探ししようとしたヴォーカリストが引くに引けなって「配信の人ずれてる!」まで言ってたの笑ってしまった。




昭仁:メンバー紹介します!

いつものようにサポートメンバーからで。最終日なので各自一言。

玉田豊夢:ありがとうございます。9月から回ったツアー、とても楽しい……(なんとかマイクを直そうとする)
昭仁:急に振ってごめんね。言えば良かった、事前に。
玉田豊夢:いやいや、大丈夫。めちゃくちゃ熱くて、燃えました。ありがとうございました

山口寛雄:29本最高でした。ありがとうございます

皆川真人:なんかもう、最高過ぎて言葉がないんですけど。全国どこの会場でもここから見ている景色は素敵なんですけど。今日、昨日やっぱり武道館って
特別じゃないですか。それで……すごい最高です。ありがとうございました

tasuku:ありがとうございました。
今回もまたコロナ禍でのツアー開催だったので、正直まず無事にここまで来れたというので、ひと安心というところが率直なところですけども。またこんな景色を見せていただいたポルノの2人と、関わってくれた全ての皆さんに感謝しています。どうもありがとうございました

昭仁:そしてもう1名、今日ここにはいませんが、今回はダブルドラム体制でツアーを回って。もう一方、田中駿汰(しゅんた)という男がおりますので、田中駿汰にも皆さん大きな拍手を

昭仁:さぁ、残った2人がポルノグラフィティということで。まずは、ギッタリスト(原文ママ)の名前を、この先無用になるであろう、そのボイスストラップで名前を読んであげたらいかがなものかと思います

(呼ぶくだりは割愛。にしてもこれも凄い揃いよう)

晴一:どうもありがとう!
本当に、皆さんと、このツアーに参加してもらった皆さんのおかげで、こうやって最終日を迎えてこのライヴも良い感じで終わろうとしています。ありがとう!

晴一:あのさ、この間さ
昭仁:え? 今からエピソードトークするの?
晴一:この間さ、てか今週と先週のラジオの企画でプロゴルファーの人に来てもらったのね、堀(奈津佳)さんっていう。
色々質問しよったんだけど、逆に質問されて。「こうして24年間も、こうやって人気がある理由はなんですか」って言われて。とりあえずそこにマネージャーが4人おったけぇ、「ちなみに1番若手」入ってきたばっかりのね、1年くらいの。「お前、なんじゃと思う?」って(聞いてみた)
昭仁:まぁ(若手マネージャー)1~2年くらいですもんね。
晴一:で、こいつは「昭仁さんの歌ですかね」「曲ですかね」って(言うだろうから)、そしたら「違うよ、ファンの人のおかげだよ」って俺が言おうとしたわけよ。そしたらアイツなんて言ったと思う?
24年間ポルノが続いた理由は「『人柄』ですかね」って言ったの
昭仁:(めちゃくちゃ笑って戸惑いながら)そ、それで何て言ったの。「ありがとう」、とも……
晴一:近所の、掃除するおばちゃんか
昭仁:それで「人柄ですね」って言って、それをリスペクトとして仕事ができるんだろうか?
晴一:そうそう。
昭仁:「カッコいいなポルノさん」とか「ゾクゾクするな」みたいなんじゃなく、人柄なんじゃ
晴一:人柄人柄。それでもやっぱ「違う」と言わんといけん。それでもこうやってアルバム創る記録とか、新しいツアーを回る記録とか、こうやって沢山集まってくれる皆さんの顔とか、楽しそうな顔を見ることが、我々が長く続けている理由ではありますし、人柄だけじゃ、ありません。
本当に、またこれからも皆さんの心に置き場所をつくってもらえるような、それに相応しいような曲を創っていきたいと思います。またツアー、ライヴで会いましょう。今日はありがとう!


このくだり、本人たちは(たぶん照れもあって)笑い話にしているけれど、ファンからすると「人柄」ってわりと納得できる答えなんじゃないかなと思う。

だって。

こうやって沢山集まってくれる皆さんの顔とか、楽しそうな顔を見ることが、我々が長く続けている理由ではありますし

ファンにとって、こう思ってくれることこそが、あなたたちの人柄の良さの表れですから。
「しまなみロマンスポルノ」後と、この間アルバム出た時に出たNHKの「SONGS」見てみなさいよ。あなたたちだったから、因島の方々も、ファンもこうなったんだ。

ちなみにライヴ終了後に江口亮("THE DAY"とか、アルバムでは"悪霊少女"と"証言"のアレンジャー)のツイートにそれが表れていて。



ほら。

人柄は人望と言い換えることもできて、ポルノグラフィティという存在をこれだけ多くの人たちが支えてきた。いやポルノグラフィティを支えたいと思ってきたからこそ24年の日々は紡がれたのだ。


あと、楽曲の魅力もさることながら、演奏してる時は死ぬほどカッコイイのに、喋るとふわふわしてるし、
ツアーがいつ始まったか間違えるし、
無い3階席を煽るし、
チャットのスタンプに戸惑うし、
下半身裸に頭はライオンの化物を生み出すし、
チョコミントみたいな服だし、
ズボンのポッケに手入れてるし、
ミュージカルにウキウキしてるし。


歳上の尊敬するお2人ではあるけど、ファンの1人として声を挙げて言おう。


あなたたちの魅力は「人柄」です。

ロックぶっても溢れ出てしまう島育ちが滲み出てしまうからです。


19世紀のドイツの哲学者にアルトゥル・ショーペンハウアという人がいて。その人は「世の中は苦難と困難でできている」みたいなことを言ってる厭世家(ペシミスト)なんですが。ショーペンハウアおじいちゃんはこんな言葉を残してる。

人生の幸福にとっては、我々のあり方、すなわち人柄こそ、文句なしに第一の要件であり、最も本質的に重要なものである。 
~アルトゥル・ショーペンハウア

そんなことを思い出した。
人柄って大切ですね。

かなり脱線したので、岡野昭仁の紹介後に話を戻します。


昭仁:皆さんどうもありがとうございます。ほんまに無事に最終日までやってこれました。言いたいのは29本のライヴをやれたのは、僕たちの周りにいる素晴らしいスタッフのおかげでございます。皆さん、スタッフのみんなに大きな拍手を、してあげて。
まぁ、そして何より、いつも全国に行くと熱く熱く迎えてくれた、皆さんですよ。皆さんに本当に感謝。この画面の向こうで見ている皆さん、ライヴ・ビューイングを見ている皆さん、そしてここにいる皆さん、全国にいる皆さん。その人たちに本当に感謝です。ありがとう。

昭仁:「暁」というアルバムを創る時に。5年ぶりということで、本当に申し訳ないんじゃけども。創るときに、感じたことは。自分の中で創っているときにブレとか迷いがなく制作できたなって実感があって。
そこから自分の過去を振り返ってみると、昔はイメージとして大海原に、日本の音楽シーンという大海原の中に自分たちの作品を投げ込んでいたイメージ。そこから波紋が大きく立っていけばいいな、遠くまで遠くまで届けばいいなって、そんな風に漠然としたところに投げ込むイメージでいましたね。
その波紋が自分たちが思うより遠くに届いたこともあるし、思うように届かなかったりしたこともあったりもするんですが。自分たちの創った作品を、そんな気持ちで投げ込んでいた過去があります。

大分レポでも書いたけど、これがまさに「BUTTERFLY EFFECT」から「暁」への変遷と繋がるんですよね。

昭仁:それはそれで悪い経験ではないんだけど、こうやって24年経って、新しいアルバムを創るという時にブレとか迷いがないという理由は、届ける場所がハッキリしてるから。それは、皆さん。皆さんの元に届けるということをイメージすると、どんどん制作意欲が湧く。
皆さんが「この曲を聴いたら驚いてくれるかな」とか、「感動してくれるかな」とか、「新しいと思ってくれるかな」とか、「ポルノっぽいね、凄いわ」って言ってくれるかなとかイメージすると、自分の中でイメージできて作品ができていく、そんな風な。だから迷いがなくブレがなくできたアルバムなんだなと思います。


これ、まさに岡野昭仁が"プリズム"で歌詞に書いていたことだ。

眩しくて 遥か遠くて 目を逸らしてしまえば 見失いそうで
気付いたら指をさして示してくれたのは君だった
夢か現か風か幻か 確かめるまで終わらない Great journey

それが今はポルノグラフィティが「暁」として、暗い道の先を照らしてくれる。


昭仁:そして届けた暁、まさに暁には。それが本当に感動するもんだったら。皆さんの心に波紋が立ってくれたら、外に外に皆さんが波紋を広げてくれるじゃん。SNSとか、そういうのを使って布教活動? みたいな感じでどんどんポルノを広げてくれる。
「ポルノって昔の"サウダージ"とか"ミュージック・アワー"だけじゃないんです。こんな曲もあるんです! ゾンビみたいな曲もあるんです!」とか布教活動してくれる皆さんが外へ外へ波紋を広げてくれるというのが、非常にありがたい。良い関係だと思ってます。
これからもね、ワシらは皆さんの心に波紋が立つような作品をしっかり創っていきたいと思いますので、これからも共に進んで行けたらと思うので、是非ワシらについてきてくれたら、嬉しい。今日は本当にありがとう!

ほら、また人柄が溢れてるじゃないか。
泣かすなよ。

昭仁:さぁ、そんな素敵な皆とね。楽しい時間を過ごしてきて。やっぱ持て余してる、その力を最後に出し切って帰って欲しいんよ。全てを出し尽くして帰って欲しい。いいですか? それができますか?
……別に持て余してはないか。残り少ないかもしれんけど、その全部の力を出して帰って欲しいということ、伝わってますか?
全部全部出して帰ってくる……帰ってくるじゃない。帰る覚悟はできてますか!?

「帰ってくる」で笑い過ぎて過呼吸になるかと思った。
次のツアー「帰ってきたポルノグラフィティ」だな

昭仁:全部全部出して帰る覚悟はできてますか!?
これも言うておくで。アホになって帰る覚悟はできますか!?
アホになって全部出して帰る覚悟はできてますか!?
行ってみよう! ラスト1曲"ジレンマ"!


22. ジレンマ

もう言うことがない。
すっごく楽しくて、すっごく寂しい時間。だって、ライヴが、「暁」のツアーが終わってしまうのだもの。


……あ、言うことあったわ。

ソロ回しの時に玉田豊夢がスティック投げ捨てて手で叩きまくるのも凄かった(シンバルとかで手を切らないのかちょっとヒヤヒヤした)。
そしてtasukuは"今宵、月が見えずとも"を弾き、皆川真人は"サウダージ"を弾いた。

配信でも一瞬だけ見切れてたんだけど、皆川真人が"サウダージ"を演奏してる最中にステージ端の方にいた新藤晴一が、エアマイクで"サウダージ"を歌っている風にして遊んでたんだよね。身振り付きで。
あれはミュージカル舞台袖の予行練習だな。

"ジレンマ"のアウトロ中「俺、たぶん今世界一幸せな男だ」と思った。冗談でなく、本当にそれくらい何もかもが満たされていた。


生声
晴一:外は寒いので、(チャックを)上まであげて、マフラーして、帰ってください!

昭仁:同じようなこと言うけど、帰り気をつけてほんま。そいでーまた、会おうや。この次に会う時まで皆元気でおってよ!


この後2人乗りがハイタッチするんだけど、もはや「スラムダンク」の映画のラストシーンを超えるくらい泣ける。

tasukuの言葉にもあったけど、コロナ禍のツアーで2人はかなりの重圧があったと思う。

もちろん「REUNION」からの一連のライヴは全てそうなのだけど、一本一本に待ちわびている人たちがいる、届けたい音がある。

決して一本たりとも欠けることのないよう、僕らの想像以上にポルノグラフィティはじめ、周りのチームは苦心していたと思う。

だからこそ、そのハイタッチには20周年とはまた違う想いが詰まっていたはずだ。

なぜなら知っているから。

そのハイタッチが、2人の喜びではない。

僕らファンに向けられたものだって。

その喜びのひとつになれたことを、心から嬉しいと思えた夜だった。

ポルノグラフィティがいてくれるから、僕らはまだまだ大丈夫。


以上が当日のレポである。


MCの書き起こしとかもあるから、元よりちょっと長めにはなったけれど、それを除いても随分と長くなってしまった。

空っぽだ。もう何も書けない。
いつもならこの後にもグダグダ書いてるけど、そんな気力もないくらい出し切った。


配信では最後にエンディングとしてツアー各地の映像が流れた。

こういう映像あと50時間くらい見てぇなと思いながら眺めていると、最後にこんな言葉が僕らに届けられた。

move on to the dawn
    「夜明けに進む」

そこに込められている「共に進もう」という想いを、僕らは知っているから。


改めて、ここまで読んでいただいた方、本当にありがとうございました。


【セットリスト】
2023.1.24 @日本武道館

01. 悪霊少女
02. バトロワ・ゲームズ
03. カメレオン・レンズ
04. ネオメロドラマティック
05. プリズム
06. 愛が呼ぶほうへ
07. ナンバー
08. クラウド
09. ジルダ
10. うかかた
11. 瞬く星の下で
12. Zombies are standing out
13. メビウス
~インプロビゼーション~
14. 証言
15. アゲハ蝶
16. ミュージック・アワー
17. VS
18. テーマソング
19. 暁

20. OLD VILLAGER
21. Century Lovers
22. ジレンマ


東京都内のポルノグラフィティ聖地巡礼スポットを歩いて巡ってきた(まとめあり)

【完全ネタバレ】ツアー「暁」ライヴレポ +セットリスト@大分iichikoグランシアタ


ポルノグラフィティの歌詞を寺生まれのTさんになんとかしてもらう記事


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