2017年4月27日木曜日

ポルノグラフィティ's ヒストリー chapter.5「いざ、メジャーデビューへ」






ポルノグラフィティ's ヒストリー chapter.5「いざ、メジャーデビューへ」



【前記事】
chapter.0「前置きと目次(随時更新)」
chapter.1「因島」
chapter.2「NO SCORE(ノー・スコア)結成」
chapter.3「ポルノグラフィティの誕生」
chapter.4「大阪での活動」






コンテストなどでも上手くいかずに「もう解散しようか」という意見まで出たポルノグラフィティでありましたが、音沙汰のなかったSONYのケヤムラさんから一本の電話が入ります。


それは、



「3月に東京でSDオーディションがあるから受けてみないか」



という誘いでした。




「最後にやってみよう」




とメンバーは決意します。


そしてオーディションの結果は、





合格




ソニーに所属することが決まります。

逆転サヨナラ満塁ホームランです。




同時に大阪では、心斎橋クラブ・クアトロでのワンマンライヴも決まってました。


ソニーの告知出そうかという誘いも断り、自分たちだけでしっかり売り切り大成功におさめます。

その内容は大阪からポルノグラフィティを送り出そうという大阪のファンたちの想いもあったそうです。



そして、いよいよポルノグラフィティは東京に出てきます。


このくらいでドラムが脱退してしまい3人体制になります。


因島から大阪から東京へ、まさにシンデレラストーリーのような出来事。メンバーは大喜びで張り切り、







東京の家で入居予定より1日早く着いてしまいます。






知り合いを辿って1日なんとか過ごしたそうです。



ポルノグラフィティが上京してきたのが1997年、デビューはご存知のとおり1999年、ここからも分かる通りデビューまで2年間開きます。



会議やたまにライヴくらいの活動でしたあ、一応レコード会社と契約しているので、給料は出ていました。



しかしそれは「音楽に没頭できる」金額だったそうで贅沢な暮らしでは到底なく、スタッフを見つけたら美味しいご飯を食べに連れてってもらう日々でした。





デビューを夢見て上京してきたはずがなかなかデビューが見えず悶々とした時間が過ぎます。



デビュー曲候補はなかなか決まらず、ライヴの回数も減ってきたこともあって先の見えない日々でした。





インタビューによると1998年夏頃に本間(昭光)さんとやり出したそうです。




本間さんとポルノグラフィティの出逢いこそが運命の出逢いとなります。




ポルノグラフィティは本間さんと共に曲作りを進めます。

4曲目までは本間さんが歌詞も手がけますが、その次の曲で遂に晴一さんに曲が回ってきます。





その曲こそが後の"アポロ"です。





"アポロ"は1999年1月にレコーディングされました。



メンバーもかなり手応えがあったようで、無事にデビュー曲となりました。





その頃大阪と東京でワンマンライヴが行われます。




この時の大阪のライヴはアミューズの会長も来たそうですが、とても良いライヴが出来たようで、メンバーのモチベーションはかなり回復したようです。




東京の方はメンバーはあまり覚えていないようですが、唯一覚えているのは、Tamaさん作曲で昭仁さんが歌詞を書いた曲(インディーズ曲・未発表)があり、その時の昭仁さんの曲紹介が、







「僕たちが煮詰まっていた時に出来た曲です、聞いてください"マイナスの感情"」






思わず「聞きたくねー」と反応してしまうMCがあったそうです。




本来は1999年4月にデビュー予定でした。
さらには1stアルバムに収録された曲たちはほとんどレコーディングを終えていたそうです。



デビュー!と意気込んでいましたが、今度はデビュー日が延ばし延ばしになってしまいなかなか定まりません。





5、6月と時間が過ぎて行きますが、ようやくその日がやってきます。






1999年9月8日「アポロ」発売







遂にポルノグラフィティはメジャーデビューしたのでした。




オリコン初週は84位でしたが、徐々に順位を上げて行き、最高で5位までヒットチャートを駆け上がります。





こうしてポルノグラフィティは生まれたのでした。




長くなりましたが最後までお読みいただきありがとうございました。


続きは気が向いたらいつか書きます。


















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