2019年1月2日水曜日

音楽の歌詞を意味を理解することは本当に必要なのか







このブログではよく歌詞の解釈をしている。

真面目なものからふざけたものまで、それなりの数の曲を取り上げてきた。

このブログをやってなかったら、ここまで歌詞について考えることはなかったのではないかと自分でも思う。
そんなことを少し書きたい。







歌詞の楽しさとは




なぜ、こんなに歌詞が好きなのか、ということを考えてみる。

行き着く先は「言葉が好き」というところなのだろうが、少し違った角度から。

自分の中で歌詞は最も「丁度いい」フォーマットなのだと思う。「詩」も好きだが、どちらかといえばどうしても「歌詞」になってしまう。

短編小説よりも遥かに短く、短歌よりも長い。
ほとんどが原稿用紙1~2枚に収まる文字数の中に、無限ともいえる宇宙が広がる。

その宇宙には、時に短編小説のような世界が広がったり、短歌のような奥行きがあったり、散文詩のような言葉さえ浮かぶ。

つまりは、理想的ともいえるショートショートが広がるのだ。

それも、今の時代にショートショートを書く作家よりも、遥かに大きなキャパシティで、毎日のように新しい言葉が生まれるのだ。

それを思えば、ワクワクせずにいられないだろう。


たとえば、これだけ言葉が溢れている時代に、こんな表現に今でも心打たれてしまう。


ここは地獄じゃなくて まして天国のはずもなく
ちょうどそのミシン目のような場所なんだ

〜"THE DAY"(ポルノグラフィティ)


優しさの死に化粧で
笑ってるように見せてる

〜"himawari"(Mr.Children)


こんな言葉にまだ出逢える。

だからこそ、言葉の可能性はまだまだ尽きない。

こういう言葉に出逢った時の嬉しさは、掛け替えがない。



歌詞と向き合うようになって




度々書いてるが、このブログはそもそもギターという愛すべき楽器についてを書くために立ち上げた。
しかし「欲しくなる」という強大な壁の前に、僕の階段一段程の我慢力は耐えられなかった。

ギターが欲しい、うわ言のように呟き、遂には部屋にいつの間にかギターが沢山増えているという、怪奇現象としか思えない事態になってしまったのだ。

それではいけない、と歌詞なら金が掛からないと歌詞に目を向け始めた。その結果自分でも歌詞を書いて、ギターも順調に増えていくという生活になった。概ね全て順調である。


同時に、色々なアーティストの歌詞をよく見るようになった。そして自分なりの解釈をするようになったのだ。
しかしながらそれは予想してなかった方に動くことになる。

地頭が良くないことは云うまでもないが、そもそも国語も特段良かったこともないほどである。本を読むのは好きにしても。そんな自分が考えて書いたことが、こんなに色々な人に読まれて反響をいただくなんて、不思議な感覚だ。


それでも何より、やり始めて分かったが、歌詞を自分なりの独特すぎる目線で解釈することがなんてもいえない楽しさだったのだ。


音楽に歌詞は必ずしも必要なものではない。
それでも人はそれに言葉を乗せて歌にしてメッセージや想いを伝えようとする。

だから「歌詞はあんまり考えない」という人もいるだろう。それも音楽の楽しみ方だ。


音楽の歌詞を意味を理解することは本当に必要なのか


歌詞を楽しむ人がいて、歌詞を楽しまない人もいて、それでいいんじゃないかと思う。

そんな中で歌詞に興味ないという人が、このブログを通してちょっと面白いと思ってくれたら、それは嬉しいし、そういう楽しみ方があるんだなと思っていただけるだけでも充分だ。
けど、これだけは書いておきたいのだが、僕の解釈はあくまでも独特すぎるという点は今後もご了承願いたい。


なぜこんなに歌詞のことを書いてしまうのだろうか。
考えた時に、一つ思い出した事がある。

僕は色々な書き手から影響を受けている。その中の1人が元電通の 田中泰延(たなかひろのぶ)氏である。
好きな書き手の方々はまた今度紹介したいので、今回は手短に。

泰延氏と糸井重里氏が対談した中の言葉で、思わずメモに刻んだ言葉がある。



糸井
読み手というか、受け手であるということを、思い切りのびのびと自由に、「味わいたい!」って思って、「それを誰がやってくれるのかな」「俺だよ」っていう感じ。

田中
そうですね。映画を観たら、いろんな人が今はネットでも雑誌でも評論をするじゃないですか。
そうしたら、「なんでこの中に、この見方はないんだろう?」って。
で、それを探して見つかったら、もう自分は書かなくていいはずなのに、「この見方なんでないの?じゃあ、今夜俺書くの?」っていうことになるんですよね。

糸井重里×田中泰延 対談
書いて食べていくって、どんなこと?


そう、僕の読みたいものを読みたいなら、自分で書けばいい。

僕のブログを書く理由は、実はそれだけなのだ。

歌詞を色々と深読みして、過去の楽曲と繋げてみたり、全く違うアーティストと合わせてみたり、そして時には未来に生まれた曲に繋いだりして。

これは色んなことに当てはまるなぁと考えていて。

あったわ、と。


おーーい!アルバムができたぞーーーー!!みんなさあ、音楽好きじゃろ?日々、いいアルバムを探しょうるじゃろ?いいアルバムの条件って自分が好きかどうかしかないじゃん?人から薦められてもどうかなっていうのもあるし、本当に好きな物ってなかなかないじゃん?で、今日、僕はわかったよ。自分が一番好きなアルバムを手に入れる方法を。「自分で作る」。これじゃね。はじめてアルバムを作ってみて、当たり前じゃけど自分の好きな音が詰まってるね。だって自分で作るんじゃもん。歌詞にしたって自分がいいと思うのが満載なんじゃもん。何度も言うが自分で書いとるもん。こういう自己満足できる作品が、他の人も感じてもらえるということないね。



これは2000年の新藤晴一の言葉。
こうやって色々繋げてしまうクセは治らない。


ということでそんな感じで今年ものらりくらり営業していくので、のんびりお付き合いください。



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2 件のコメント:

  1. だいぶ明けちゃいましたが。。。明けましておめでとうございます。

    今年も読ませてもらっています。

    私事ですが――

    暮れに気持ちの変化がありまして、ブログとTwitterで発信することを止めてみました。


    「僕の読みたいものを読みたいなら、自分で書けばいい」


    僕もそんな思いで今まで書いてきましたけど、それに加えて「だったら自分だけ読めればいいんじゃないか」という考えが芽生えてきて、そしたら検索して上位にくるのも、Twitterで繋がりすぎるのも、なんかもういいや ってなって、今は住処をnoteに移して自分だけの世界を作り上げてます。

    それ故、フォローを外したことは特に意味はありませんので悪しからずや。サトシさんのブログは変わらず読ませてもらってますし、ツイートもリストで流してます。

    今年もよろしくお願いします!

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    1. Twitterでなかなかお会いできず寂しいです。

      公開に関わらず、自分自身で吐き出すことが大切ですよね。自分も今まで下書きで満足して終わってしまった言葉がどれだけあるやら…

      こちらこそ、自分は相変わらずな感じで今年もやってくので、どうぞよろしくお願いします!

      削除