2018年12月21日金曜日

「UNFADED」ツアーとは何だったのか 完全ネタバレで徹底的に考察する








以下にはポルノグラフィティ16thライヴサーキット「UNFADED」のセットリスト考察を書いていく。

当然ながら、ネタバレである。
ネタバレ内容は静岡エコパアリーナの初日を見てのもの、のみである。


【ライヴレポ】UNFADED静岡エコパアリーナ Day.1 完全ネタバレ感想 前編
【ライヴレポ】UNFADED静岡エコパアリーナ Day.1 完全ネタバレ感想 後編



ライヴの内容については、別途記事にて嫌というほど長く書いているので、そちらを参照いただきたい。ライヴレポ前後編、そしてこの考察記事をもって、合計およそ25000字ほどになる。

僕はちょくちょく字数のことに触れるが、それは自慢でもないし、凄いと言わせたいがためでない(そもそも本当に文章が巧いならもっと要点を押さえて短い)。なぜかというと、戒めているのだ。「お前は頭がおかしい」と、自分自身に向かって。

こういうことを書いてるから進まないのである。


さて、ツアーが始まったばかりで何だが、テーマを徹底的に掘り下げたい。

参戦された方は、ツアータイトルの問い掛けになんと答えるだろうか。

ある意味、今年の集大成として、そしてポルノグラフィティと出会ってから人生を拗らせ続けてきた男の全てを、今ここに記そう。


※以下ツアーのネタバレを含む
※妖怪「つなげたがーり」のせいでセットリストにない曲まで大量に例に出してます
※あくまでも個人の考察、妄想、空想、幻想、思い込み、こじつけに基づくものである






天使の警告




1曲目である"オレ、天使"の最後に、僕はあることに気付いた。それは、なぜ"オレ、天使"が1曲目に選ばれたかという意図を自分なりに掴めた気がしたからだ。

ポイントは2つあると思う。

ひとつは2番の歌詞、もうひとつは最後の言葉である。

まず、2番の歌詞。


オレは真面目な天使だから
アイルランドあたりの
ロックバンドに
この星の警告を伝えたのに
音楽なんてそんなもんか


ここでいうロックバンドはU2のことを示している。

ヴォーカルのボノは慈善活動に力を入れていることで有名である。しかし世界はそう簡単に変わるものではない。
世界でも随一のロックバンドをしても簡単には成し得ない、音楽の力とはそんなものなのか?という強烈な天使の皮肉。

たとえばそこに反戦へのメッセージが込められた歌があるとして、今その曲は決して「色褪せることなく」世界に響く。もしそれが色褪せた世界であるならば、そこに争いはないはずだから。悲しいことに、争いは絶えることなく続く。

そうした時に「色褪せない」というメッセージが、とても強烈な、皮肉に満ちた毒を持つ言葉になる。明るいことばかりでなく、後ろ向きな現実にも音楽は向き合わなければならない。

それでも。悲しい絶望の上でミュージシャンは音楽を鳴らし続ける。それが岡野昭仁が、新藤晴一が信じたロックという信念なのだから。


そしてもうひとつが、最後のセリフ。
本来であれば。


今生きている人間って
100年後には誰も
いないんだよな
かくも儚きかな、人生



となるところを「人生」の部分が「UNFADED」と言い換えられた。これを受けた時に感じたことが「たとえ100年後に誰もいなくなったとしても、音楽はいつまでも残り続ける」ということだ。

それは"TVスター"で最後に歌われた「やがて僕ら去って そしてファンも去って また時代が過ぎようが かわらず音楽はあるだろう」というメッセージとも通じる。

この歌詞は2つ意味があると思っていて。

ひとつは「自分たちの曲が、自分たちもファンもいなくなった未来でも鳴っているだろう」。そしてもうひとつは「そんな未来にも、きっと誰かが新しい音楽を鳴らしてくれているだろう」というもの。

どんな世の中になったとしても、そこに音楽は在り続けるだろう。

音楽を愛し、音楽を大切にしてきた人たちだからこそ、それは本心からのメッセージなのだ。音楽とは受け継がれること。楽曲も、音楽を愛する気持ちも。


天使はきっとまだ、音楽を信じている。

だからこそ、入れ替わって受け継がれてゆく人の歴史を見続けているのだ。そこに人が生きている限り、新しい音楽が生まれるのだから。

それはまるで伊坂幸太郎の『死神の精度』に登場する死神の千葉が口にする


「人間の死に興味はないが、人間が死に絶えミュージックが無くなることは辛い」


という言葉のように。






カメレオン・レンズのカラス




"カメレオン・レンズ"について考えた時、僕の中で、ある仮説(妄想)が生まれた。それは"カメレオン・レンズ"のバックの映像で使われたカラスから想像したものだ。

カラスは霊魂を運ぶ存在など不吉な印象もあるが、古来より「神の使い」として描かれる。それは、八咫烏(やたがらす)を想像すれば良いだろう。太陽の化身としてや、身近なところでは日本サッカー教会のシンボルマークとしても使われている。





そして、こんな伝承がある。

カラスは元々白かった。

ギリシア神話、アイヌ神話などでは「美しい羽を持つ白い鳥」として描かれる。それから黒くなったという神話はいくつかあるので興味ある方は調べてみてください。

重要なポイントは、"白く美しい羽が黒く染まってしまった神の使い"であるということ。ここで言いたいことが分かる人も多いだろう。


Nasty!
地球の上飛ぶのって嫌なんだ
白い羽が汚れるから


その羽はいつしか、黒く染まっていたのかもしれない。

それは、ただの偶然だろうし、僕のこじつけなのだが、どこか否定しきれない自分がいる。

といっても、そもそも歌詞では白ではなく青い鳥である。しかし、どんな鳥であったとしても、それは君の世界で、黒い羽を持つ存在になるのではないか。

不吉な声で鳴いたカラス。不吉を予感したのは、僕自身である。それが君にとっては、どんな声に聴こえていたのだろう。それは、君の世界では不吉な声でも存在でもない、なにかの啓示として受けとるのではないか。

時に神の使いとされたカラスが、不吉な象徴に受け取られる。それこそまさに僕らが見ている「カメレオン・レンズ」越しの世界なのではないか。

色眼鏡を重ねた僕たちは、色を重ねすぎて、そのフィルターは黒く染まってしまってはいやしないか。「哀しい黒色」でありながら「完全な黒」へ。

そうならば、あの映像の鳥は、本当に黒いカラスだったのだろうか。



命を繋ぐこと




中盤で最もドラマティックだったのは、"海月"からの"フラワー"の流れではないだろうか。

"海月"のイントロが鳴った瞬間の会場の空気は、ポルノグラフィティのライヴでも感じたことないような、初めての感覚になった。レポでも書いたが、その瞬間に周りが皆「息を呑んだ」。比喩でなく文字通り「ハッ」という声が聴こえるほど、それは美しいイントロだった。

「ブレス」のシングルの感想で"海月"の歌詞について触れた。その時に海月の中でベニクラゲと呼ばれる種類は生殖の後、ポリプという無性底生期に戻るということを書いた。つまり、それは自身の命を再び繰り返すということだ。

それは、花も同じではないか。
花についても"フラワー"の感想で書いたが、ある意味今年の集大成としても書いているので、重複する部分はご了承いただきたい。


花はその種を落とし、命を巡らせる。

繰り返す命。僕ら人類は遺伝子を繋いで、ここまで繋がってきた。誰も繋いでなかったとしたら、今の僕らはいないのだから。


それは運命に導かれたんだ
辿れば僕らは一つだったから
輪廻転生の 消えない記憶で
何度も出会っているだろう


"フラワー"の記事で書いたが、歌詞に輪廻転生のような感覚を得た。それをあらためて考えれば"海月"にまさに言葉として残っているではないか。

全ては繋がっている。遺伝子も、花の根も、そうやって世界はここまできた。だからこそ、新藤晴一がここ一番で使った「一人じゃない」という言葉の意味は、あまりに重い。


この2018年という年に岡野昭仁、新藤晴一どちらもが命を歌うものを歌詞にした。それは年齢のせいもあるのか。そして、次の世代のことを思い、歌うのだろうか。









∠RECEIVER




セットリストを考察する上で、最も重要なのが1曲目と本編のラストであると思っている。

そして今回のツアーの本編ラストを飾る曲こそ、"∠RECEIVER"だ。この自由なセットリスト構成で、本編最後の曲に選ばれた、そこには必ず大きな意味があるはずだ。


以前このブログで「未曾有の事態に、いつまでも∠RECEIVER(受信者)でいるために」という記事を書いた。


それは、しまなみロマンスポルノ'18に向けて、"∠RECEIVER"をやって欲しいという、願いであった。しかし結果的に、しまなみロマンスポルノでは披露されなかった。別に、あくまでも僕個人の勝手な願いなので、そう叶うはずはないとわかっていた。

そのことについてライヴレポで書いたが「僕らはもう∠RECEIVER(受信者)である」からこそ、あえて"∠RECEIVER"をやらなかったのではないかと受け止めた。それはそれで自分を納得させる考えだったし、今でも間違ってないと思っていた。

しかし、こうしてポルノグラフィティは「UNFADED」ツアーの本編最後に"∠RECEIVER"をぶつけてきた。2011年のつま恋ロマンスポルノのように、2人は現実から目を背けなかったのだ。

2018年にこの曲を聴けたこと、その意味はあまりに大きかった。今年の漢字として「災」が選ばれるほど全国各地で災害が起こり、それは日本のみならず世界各地でも悲惨な災害が相次いだ。

ポルノグラフィティにとっても、故郷の広島で豪雨被害があり、その復興を願ったしまなみロマンスポルノという舞台さえ無情の雨に、涙を呑むこととなった。

しまなみロマンスポルノは、どちらかというとポルノグラフィティ2人のための公演だったように思う。2人の故郷、そこで20周年イヤー突入というお祝いのためのキックオフとして、ファンを含めて「おめでとう」と言うために。

紆余曲折を経て、多くの支えと共に、ひとつの完結を迎えた。


ライヴが中止になったのに、ファンから返金ではなくその分も寄付して欲しい、そんな声を受けて岡野昭仁は言った。

「僕らはなんて素晴らしいファンに愛されているんだろう」

そして。

「悔しさを今後の活動で返していきたい」
ライヴ中止の発表の後、新藤晴一はそう語った。

あれからどれだけ多くの喜びを貰えただろうか。


だからこそ、思う。今回のツアー「UNFADED」はポルノグラフィティからファンへの恩返しのツアーなのではないだろうか。


本編では懐かしい曲たちと最新の曲たちを並列にして「過去の曲が色褪せてないか君たちに確認して欲しい」というコンセプトで進められたのが「UNFADED」ツアーである。

しかし、この"∠RECEIVER"において、最後の最後にその問い掛けは、逆転したのではないか。

僕はまるでポルノグラフィティから「君たちはまだ∠RECEIVERでいるか?」と問われたような気持ちになった。映された歌詞の一言一言が重く、僕らに問い掛けられているかのようだったからである。

【追記】
しまった、今気づいたよ。

ツアーで今年残された日程の北海道と大阪、どちらも今年は災害の被害が大きかった場所ではないか。
そこで"∠RECEIVER"が演奏され、大阪で今年を締めくくるというのは、やはり重要な意味があるようにしか思えない。



∠RECEIVERと世界




どこかのインタビューだかカフェイン11かで、この曲について、新藤晴一が「恋愛の曲がどうしても多くなるけど、こういう曲も書かなければならない」というコメントをしていたと記憶している。

U2のボノのようにミュージシャンの誰もが世界や社会と向き合わなければならないとは思わない。それでも、かつてのミュージシャンたちは、何度も社会と闘ってきた。それは人の心にダイレクトに訴えかける力を音楽が持っているからだ。


今年ヒットを記録したクイーンの映画「ボヘミアン・ラプソディ」において描かれるLIVE AIDも、社会と向き合うミュージシャンたちの影響力を使ったチャリティなのである。それを見てしまった僕は、どうしてもミュージシャンと社会というテーマを考えてしまう。

近年では社会性のある歌詞は懸念されがちである。そんなに大きくない規模の音楽シーンではそういった声を上げるバンドマンは多いだろう。それでも。たとえばMr.Childrenの"タガタメ"のように、メジャーの一線を走るアーティストが歌うこと、その影響力と意義は大きいはずだ。

そうした中でポルノグラフィティも社会を描く曲をいくつか書いてきた。たとえば9.11からのイラク戦争を書いた"敵はどこだ?"、そして"Twilight,トワイライト"。それはまだ、悲しいほどに「色褪せない」曲たちで。

こうした曲をしっかりと書いてきたポルノグラフィティだからこそ、僕は彼らの言葉に信頼が置ける。信じられるのだ。

"∠RECEIVER"というのはそういう曲で、そこに僕は特別な感情を持たせるのだ。それは3.11当時、福島に父が単身赴任していた僕にとって、決して他人事ではないものであったからだ。
震災からそこそこの月日が経ってから母と共に、父の単身赴任先に行ったことがある。復興は進んでいた。それでも少し目を向ければ痛々しい爪痕は、探さなくても目に入ってくる。

直接じゃなくても、間接的に沢山のことが繋がっていて、その光景を見てしまった僕は、あらためて震災についてショックを受けた。なぜなら、時を経て僕は震災を過去のものとして見てしまっていたからである。

そこで救ってくれたのもまた、ポルノグラフィティであり、この曲"∠RECEIVER"だった。"見た"からこそ受け止めなければならない。そして世界と自分は無関係だなんてことはないと。


今の世の中は誰もが受信者であり、こうしてネットを通して発信者にもなれる時代となった。

そこで受信者、発信者は事実を、真実を受け止めているのだろうか。それこそまさに"カメレオン・レンズ"で歌われるテーマではないか。


ありのままの真実など 誰も見ていやしない
色を変えたり 歪めたり カメレオン・レンズみたいに


最近の世相とか風潮、そういったものに感じる違和感
誰しもが正義を語って、言葉を剣にして振り回す。その正義は自分自身が見ている世界の正義に過ぎない。それは隣にいる人とは違うものではないか。

人はそれぞれの受け止め方をしているのだから。

カメレオン・レンズというフィルターを通した正義、それは真実なのだろうか。ありのままを受け止めているのだろうか。それこそがよく云われる「正義の反対には別の正義がある」という言葉、そういう類いの正義なのではないか。

僕は、最後の最後に人と人は分かりあえることはないと思う。それは決してネガティブな意味ではない。

それぞれの人生があって、それぞれの考え方がある。それこそが本当の「多様性」と呼ぶべきものではないか。



UNFADEDツアーとはなんだったのか




ツアーのコンセプトである「UNFADED」という問い掛け。演奏された曲たちは、ポルノグラフィティの歴史を紐解くものばかりだ。

同時にそれはポルノグラフィティを愛してきたファンたちの歴史でもある。その始点がどこだろうと関係はない。それがインディーズの頃からでも、最近好きになったとしても平等に重ねていく歴史なのだ。

長くても短くても、ポルノグラフィティという歯車に触れることで人生には何らかの影響を与える。たとえその歯車が完璧に噛み合わなかったとしても、心に必ず何かを残してゆく。

人それぞれ思い入れの強い曲はあるだろう。だから全てを網羅することはできなくても、少しでも届きそうな曲を選びに選んで並べたセットリストのように感じた。その曲たちにはファンの数だけの想いがある、記憶がある。

それはまさに"ヴィンテージ"の歌詞のように。


色褪せたこのギターを持ってあなたに愛の歌捧げよう
僕らの愛がヴィンテージになる


僕らはポルノグラフィティと同じ時代に生きていて、こうして新しく進化してゆくポルノグラフィティの姿を見て、共に時代を生きる。まさにワインが熟成してゆくように、時を重ねてゆく。それがどんなに嬉しいことか。
長さは関係ない、と書きながらも今回ばかりは少なからず、ファンでいる時間が長い人ほど、より心に「来る」内容になっていることも事実である。


新藤晴一のMCの言葉の中に「もちろん中には色褪せてくものもある。けど、それならそれで褪せたものの色を重ねたりできる」というのがあった。

こんな楽しい夜の記憶も、少しずつ色褪せてしまうのだろうか。それを少しでも残したくて、僕はこうして言葉にしているのだろう。

しかしながら記憶とは、何も素晴らしい記憶ばかりではない。決して思い出したくない過去も、辛すぎる思い出も人にはあるだろう。

それでも、どんな過去もただそこにあって、僕らはそれを受け止め、その先の道を歩く、生きるしかないのだ。なぜなら、しまなみロマンスポルノでライヴ中止を受けて誰よりも前を向いていたのがポルノグラフィティなのだから。


さて、長かった記事もようやく結論に移ろう。

曲という種が蒔かれ、受け取った人の心で育ち、それぞれの花を咲かせるように。全ての花がそうでないとしても、枯れてしまった花があったとしても、誰かにとっての忘れられない記憶でもある。

その種とは何だろうか。それは幸せについて本気出して考えた先にある「幸せの種」なのかもしれない。

そうであるならば、「色褪せないもの」とはなんだろうか。



色褪せないもの




オレ、天使"で歌われる痛烈な皮肉。


「この星の警告を伝えたのに」
「音楽なんてそんなもんか?」


音楽とは何のためにあるのだろう。

音楽の持つ力は、人が想像するより計り知れなく強力なものだ。まるでそれは、空の広さを記そうとすることのように。

音楽は人の心に訴えかけ、何かを変える力を持つ。それを信じる限り、人は音楽に願いを託し続けるだろう。


そんな人類は、いつも"それ"を求めて歌ってきた。
"それ"はアポロが月に行くよりもずっと前から、探してきたもの。


それは「愛」である。


"オレ、天使"ではこんなことも歌われる。


愛という名の偶像崇拝主義を叩きつぶす


その昔、誰かが愛を表現しようとして生み出したものが音楽なのではないだろうか。
愛というものをなんとか誰かに伝えようとして、音符と休符を並べていったのではないか。


愛とは何か。


それは恋愛であり、慈しみ合うこと、つまり慈愛でもある。

そして愛とは、この街がジャングルだった頃から探し求めているもの、永遠で一瞬で、僕らにとっての全て。

愛とは命を繋ぐもの、僕らに生きる意味を、未来を繋ぐ希望をくれるもの。


そんな僕らを、きっと天使は嗤うだろう。

愛は探すものではない、と。それは決して偶像にすることはできない、目に見えない、けれど確かにそこにある。それは音楽も同じで。見えないものだからこそ、カメレオン・レンズという色眼鏡越しでも歪められないもの。

音符と休符が作るメロディやリズムそれは、人々に受け継がれてきた。


そんな受け継がれてきたものを奏でる場所、持ち寄る場所、それを人は「LIVE(ライヴ)」と呼んで。それは「LIVE(リヴ)」という「生きていく」という意味でもある。


そんな場所を2人はかつて、こう表現した。


例えば心の中の花束から
一輪引き抜いて
誰かに渡したい
触れられなくても
目には見えなくても
感じられる僕らに
それは「ある」

「SWITCH」より


そこに確かな「花」がある限り。


やがて僕ら去って
そしてファンも去って
また時代が過ぎようが
かわらず音楽はあるだろう


時にそれが色褪せて薄まってしまうこともあるかもしれない。しかし、それなら色を重ねればいい。それがある限り、終わりはない。


音楽とは。

愛とは。


決して「色褪せない」もの。


君の愛はWhat color?
君の明日は What color?


問いかけられたもの。


あなたの答えはなんですか?」

あなたにとって、それは。


UNFADED?



【追記】

や、やられた。
公式側より「ネタバレじゃね?」みらいなクイズの解答によって、僕の想像力が浅はかだったことがまた露呈してしまった。


正解は…【ジレンマ】でした!
ちなみにツアータイトル“Cupid (is painted blined)”はシェークスピアの作品の一節。直訳は、“天使は盲目に描かれている”となり、意訳すると“恋は目で見るものではなく、心で感じるもの”と言われています。
当時、LIVEも同じく“心で、そして本能で感じて欲しい”という想いを込めて、ツアータイトルとして引用しました!!


うわー!!!!!!!!!!!
それがあったか!

これ、完全に今回のツアーのコンセプトにも通じるじゃん。


続・「UNFADED」ツアーとは何だったのか 完全ネタバレで徹底的に考察する

↑そして横浜アリーナを受けて、また感じたことを長々書きました。


しまなみロマンスポルノ'18 -THE LIVE VIEWING-感想(ネタバレ有)

未曾有の事態に、いつまでも∠RECEIVER(受信者)でいるために

「ポルノグラフィティ、故郷開催「ロマンスポルノ」収益を全額寄付へ」がいかに凄いことなのか語らせてくれ
ポルノグラフィティファンでいるというマゾヒズム
フラワーの歌詞について本気出して考えてみた~映画「こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話」主題歌

ポルノグラフィティ16thツアー「UNFADED」がいかに恐ろしいのか語らせてもらう


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